3話
マリアナは部屋を出て、廊下に立った。一人で一階に降りる階段へ向かう。普段、履き慣れないヒールなのでゆっくりと転けないように歩いた。
だが、公子殿下をあまり、お待たせする訳にはいかない。そう、思いながら、階段へたどり着く。
手摺りに片手を当てて、一段ずつ降りていった。階段の終わる辺りで見覚えのある人影が見えた。
金の髪に紫の瞳で薄紫色のドレスを着た女性が扇を口元に当てて、佇んでいた。
階段を降りるマリアナを待っているらしかった。すぐに、彼女を見て背中や額などにじわりと冷や汗が出そうになる。
(…何で、こんな所にマルグレーテ姉様がいるの?!)
そう、階段の上がり口でマリアナを待っていたのは三つ上の姉、マルグレーテだった。彼女は妹の自分と違い、明るく活発な性格なのだが。その分、気性が激しくて怒らせるとなかなか、恐いのだった。
近づくにつれ、眉を寄せてこちらをじっと見つめる姉がはっきりと見えてくる。
踊り場にたどり着いたので少し休憩した後、一階の廊下に降り立った。途端に美しくも恐い姉の顔がばっちり見える距離になっていた。
「…マリアナ。随分とのんびりしていたわね。公子殿下がお着きになってから、もう一時間は経っているわよ。これはどういう事なのかしら?」
「えっと、姉様。準備には時間がかかってしまって。カリンが宝飾品をやたらと持ってきたり、コルセットを締め上げてきたりで。その、カリンは悪くはありませんけど。普段の格好では失礼になると言われたものですから。合格が出るまで、部屋を出られなかったんです」
悪くないと言いながら、責めてるではないか。そう、聞いていた人がツッコミたくなるような事を言うマリアナに対してマルグレーテは甘くはなかった。いきなり、手に持っていた扇をピシャリと閉じた。
「……お黙りなさい。どういう風にしたら、侍女のせいにできるのかしらね。とにかく、早く応接間に行きなさい。そして、公子殿下に遅くなった非礼を謝ってくることね。お父様、かなりお怒りになっていたわよ?」
低い声で言われてマリアナはびくうと体を震わせた。一目散に応接間に向かったのであった。
「おお、マリアナ。やっと、来たのか」
ほうと胸を撫で下ろしたのはマリアナの父のラインフェルデン公爵ことアルベルトウスである。通称をアルベルと呼ばれている。
今年で五十になるアルベルは白いものが最近、金の髪に混じり始めてきた。それでも、美貌には翳りを見せていない。横には白銀の髪と紫色の瞳が印象に残る神秘的で嫋やかな美女、夫人のレイラが穏やかな笑みを湛えて立っていた。
「…マリアナ。もう、遅いですよ。殿下がお待ちかねだわ」
「ご、ごめんなさい。お母様。準備に時間がかかってしまって」
顔を赤らめながら言うとレイラは仕方ないわねとため息をついた。
「…それはそうと、公爵。そちらが次女のマリアナ嬢ですか?」
母と会話をしていると低いながらも快活な声がマリアナの耳に入った。顔を上げるとそこにはけぶるような深みのある紫の瞳と艶やかな黒髪の青年がにこやかに笑いながら、こちらを見ていた。
やっと、シグル公子が登場しました。長かったです。