序章
最近流行りの戦国武将女性化もの。色々と捏造設定ありますので、史実とここが違う!的な指摘は控え、大らかな気持ちで読んでくださると有り難いです。
ーー火皿に点火薬を入れ、火蓋を閉じる。
"現代"では有り得ぬ面倒な作業も、最早慣れたものだ。火蓋を切り、構える——その姿勢は伏射。
"この時代"では立射が主体であったようで、当初は俺もそのように教えられたが、やはり狙撃を行うならこの体勢が最も安定する。十尺(約30m)ほど先に立てられた的のうちの一つ、その中心に狙いを定め、引き金を引く。
「—————」
耳を劈くような轟音が辺りに響く。耳栓のお陰で緩和されているために俺自身に影響はない。すぐに再装填に取掛かる。
繰り返す事三度。かかった時間は一分弱か。命中したかどうかを確認しに行った一人の仏僧が戻ってくる。彼の名は杉谷善住坊。"この時代"に迷い込んだ俺を拾い、保護してくれた恩人である。
「皆中だ。それも、全てがほぼ中心を撃ち抜いておる。見事なものよ」
「しかし、まだ三発しか撃てません。熟練の方々は同じ間に四発は撃ちます」
「何、他の連中は四発撃って一発命中すれば良い方、儂でさえ二発がせいぜい。そう考えれば、同じ間に三発命中させるお主に敵う者はおるまい」
「しかし……。とりあえずこの後、弾を使わずに装填作業の練習をもう少ししたいと思います」
「見上げた志よの。しかしそれにしてもお主のこの腕前、記憶を失う前にも鉄砲を扱っていたのではあるまいか?国友か日野か、はたまた堺辺りが、お主の出身なのかもしれんの」
「……そうですね」
内心どきりとしながら、その動揺を隠して平静を努める。俺は記憶喪失ではない、そうであるように振る舞っているだけだ。何故俺がそんなことをしているのか——それは俺が、本来この時代の人間ではないからだった。
突然だが、俺、内田衛太郎はタイムトラベラーだ。
西歴二千年代の現代から、千五百年代の戦国時代へとタイムスリップしたのだ。何も秘密裏に開発されていたタイムマシンに乗ったわけでも、霊験灼かな神社で神隠しにあったわけでもない。本当に唐突に、目が覚めたらこの時代に放り出されていたのだ。
何処とも知れぬ山中で飢えと乾きに苦しんでいた俺は、一つの幸運に恵まれた。それが、杉谷善住坊という僧との出会いであった。飢餓に喘いでいた俺に食べ物と水を恵んでくれ、更には彼の寺社まで連れて行ってくれたのだった。そこで水浴びをさせてもらい、布団まで用意してもらってすっかり身体を休めた俺に、彼は問うたのだった。
「さて、それでお主は何故あのような場所で行き倒れていたのだ?」
それに正直に答えた俺。内田衛太郎。東京出身。大学生。気付いたらここに。ここはどこですか?
「ここは根来の、真言の寺社よ。いや、そもそもとうきょう?だいがくせい?それは最近の若者言葉なのか?」
そこから話して行くにつれ、俺は事態を悟った。ここは戦国時代だと。何の冗談だと笑い飛ばしたかったが、目前の僧は至って真面目で、こちらをからかっているような雰囲気はない。元々冷静な性格と自負している俺だ、混乱はしつつも、それらしい言い訳をする。
「貴方もお心あたりがありませんか…。実は私、以前の記憶が思い出せず。先程のような言葉が頭に浮かぶ程度でございます。他の者に聞いても、心当たりがある様子どころか狂人扱いされる始末。それで、知識の豊富な僧の方々なら何か分かるのでは、と寺社を目指しておりました。しかし、私はどうやら生きる術の記憶をも失っていたようで。お恥ずかしながら、道中で飢えの為に倒れておりました」
すらすらと述べる。『お前は将来、五輪選手になれなくても詐欺師として食っていけるな』そう友人に評された事を思い出す。我ながら、よくもまぁこのようなことを咄嗟に言えるものだ。
善住坊は困惑しながらも信じてくれたようで、儂には分からぬから他の者にも聞いてくる、それまではここで過ごすといい、と言ってくれた。こんな胡散臭い人間を保護してくれるとは、何とも出来た人だ。それに、この時代は、人間一人の食い扶持を稼ぐのも苦労な筈。
恩人の僧が出て行った後も部屋で一人悶々と考え続けていた俺の耳に、ダーン、という轟音が耳に届いた。それも一度ではなく、立て続けに。慌てて障子を開き、音のした方に目をやる。
——鉄砲。鉄砲だ。
僧兵、というのであろうか。簡易な鎧を纏った数人の男達が、鉄砲を構え、的に向かって射撃している。そこで俺は思い至った。戦国時代。根来。真言宗。僧兵。鉄砲。火縄銃。ここは根来衆と呼ばれる、鉄砲の生産地としても著名な場所なのだと。道理で、人一人を保護するのに躊躇がない訳だ。何十万石もの寺領を持つ根来衆なら、充分に余裕があるのだろう。
それにしても、鉄砲、か。ここに俺がいるのは運命なのかもしれない、そう思わずにはいられない。大学で射撃部に所属し、ショートボア競技で日本代表候補選手だった俺にとって、鉄砲は人生の友であったからだ。もちろん、現代のライフルとこの時代の火縄銃とは大きな違いがあるだろうが、それでも鉄砲は鉄砲、射撃は射撃だ。
——是非、撃ってみたいな。この時代の鉄砲。
そう思いながら僧兵達の射撃訓練を見つめていた俺に、善住坊が声をかけてきた。
「衛太郎。お主の言う事、皆心当たりがないらしい。——以後はどうするのだ?身寄りはあるのか?」
「いえ、お恥ずかしながら。もしよろしければこちらで暫くお世話になる事はできないでしょうか。何でも致します」
「ふむ。お主のように見事な体格をした若者はなかなか見れたものではない。力仕事を手伝ってくれれば皆も邪険にはしまい。」
「ありがとうございます!」
「よい。しかしお主、こちらで働くにしても何か希望はあるのか?無論、農作業でも力になれるだろうが……」
その言葉に、俺は待ってましたとばかりに飛びついた。
「お坊!実は、実は俺、鉄砲が撃てます!」
急に素が出た言葉使い、そしてこの時代では余り普及していない筈の鉄砲を扱えると言ったことで、善住坊には怪しまれた。更には、では撃ってみろと言われて射撃訓練に混ぜてもらったものの、火縄銃を扱う事が初めての俺に装填作業などできるはずもなく、撃てると言ったのは嘘かと怒られもした。装填さえ終われば撃てる、命中精度は負けない、と言う気にはならず。実は鉄砲に憧れていて、是非一度撃ってみたいと思っていた、申し訳ないと謝った。
「涼しげな態度の割に、妙な稚気を見せるものよ。まぁよい。お主なら僧兵としても役に立つであろう」
そうして善住坊は、俺に火縄銃の扱い方を指導してくれるようになった。
こうして俺は、善住坊の弟子として根来に滞在し、鉄砲の訓練に明け暮れる日々が始まったのだった。いざ装填作業さえ覚え、火縄銃の狙撃にも慣れてきさえすれば、俺はめきめきと周囲を凌駕する実力を発揮していた。元の時代では50mの距離の的を狙っていたのだ。いくらこの時代の鉄砲の精度が悪くても、30m前後の的を外すなど俺の腕では有り得なかった。
そうして遂に、師である善住坊をも唸らせる実力をつけたのはこの時代にやってきて一月程経った頃。そこで俺に転機が——いや、人生最大の出会いが訪れたのだった。
その日、俺は寺社の門前を箒で掃いていた。いくら俺でも、一日中鉄砲を撃っているわけにもいかない。訓練以外の時間は、掃除や炊事、農作業や狩猟の手伝いをしている。働かざるもの食うべからず、だ。
ほとんどが機械化されていないこの時代、どの作業もそれなりに体力がいる。だから俺はトレーニングのつもりでどの作業にも全力で取り組んだし、その姿勢が最近は他の僧にも受け入れられてきたようだ。
元の時代に帰る算段は全くついていないが、ひとまず生活基盤を確立したところで一安心、といったところだった。
「——もし。」
だから気が緩んでいたのかもしれない。
声をかけられるまで、俺は来客に全く気付けなかった。俺は箒を動かす手を止め、慌てて振り返り——そして、固まった。
「拙者、明智十兵衛光秀と申します。杉谷善住坊殿にお会いしたく参上仕りました。お坊はご在宅されていますか?」
——言葉は耳に入らなかった。明智光秀という名も。善住坊を訪ねてきたという目的も。
俺はただ、その客の、その容姿に——そのあまりに美しい"女性"に目を奪われていたのだった。
序章 了