2話
馬を走らせること半日、赤煉瓦と灰色が混じる町並みがほど近くなってきた。
灰色は本来土着していたチャタルの建造方式に則ったもので、赤煉瓦は交易が開かれた時に入り込んできた教会や商売人たちが広めたものだという。
「相変わらず騒々しいな、此処は」
「そりゃあ、別邸と一緒とされたらな」
疲れも知らずにつらつらと愚痴を溢すオズワルドに感心すら覚えつつ、街の喧騒から離れた林檎の枝が絡まった尾を食い円環する蛇の旗を掲げた赤煉瓦の建物に辿り着いた。
馬小屋に互いの馬を繋ぐと、オズワルドの馬は開放されたと言わんばかりに水をがつがつと飲み始めた。
「よっぽど疲れていたんじゃないですか?可哀想…」
世話役がオズワルドの馬を撫でながら溢せば、そうだといわんばかりに嘶いた。
「そいつの場合は久々に遠征だったからもあるが、俺も大概だぞ。とんぼ帰りなんて疲れるったらない」
一方、上品に水を飲むルイスの馬はルイスの愚痴を拾う様に鳴いた。
「ガルー殿の馬譜は降れば天馬なので本来長距離に強いですからね。元々聡明ですし素直で人懐っこいので、きちんと答えてくれるんです。しかし、バンダースナッチ殿の馬は・・・正直まだ続いているのが不思議なくらいです」
「そんなに相性悪いのか?」
長寿で人語を解する異形とは違い、馬は特に交渉が難しいとされている。
馬との交渉が騎士養成学校の最終試験であり、その交渉した馬が騎馬となる。
「…バンダースナッチ殿に関しては騎士団の保有していた馬ではありませんからね。掴みにくいんですよ。自分が法、みたいな性格しているのは確かです。なんせ父馬は一角獣ですし、とかく気性が荒いんですよ」
「へえ、オズワルドが2人いるみたいだな」
「私はこいつほど根性悪じゃないぞ」
通りで角の様なものが額に生えている。非難する様に蹄を鳴らすオズワルドの馬にオズワルドは鼻を鳴らす。忙しく息を吐く馬を世話役が必死で宥める中、視線で全てを解したルイスは半ば引き吊る様に騎士団に連れて行った。
「お前はなんでそう難癖つけるんだ」
「本当の事を言ったまでだが」
いけしゃあしゃあと宣うオズワルドに深く息を着く。これは騎士団長も顔を真っ赤にするのもほんの数秒だろう。毎度目にする光景が再生され、肩を落とした。
「やあやあ、オズワルド!久方振りだね。ガルーもご苦労だったな」
そんな心持ちで団長の執務室を叩くと、やたらに満面の笑みを顔に浮かべた騎士団長が出迎えてくれた。勇ましい獅子の様な風貌を持ち、剛毅な雰囲気を醸し出す騎士団長にあまり無い表情に寒気に似たものを感じながら肩を縮めた。
「あ、はあ…では私はこれで失礼を…」
漸く面倒な役回りから開放されたと思った矢先、凄まじい速さを以って扉が閉められた。恐る恐る視線を動かせば、オズワルドの滅多と見ない微笑が其処にあった。著しい寒気がルイスを襲い、硬直したままとなってしまう。
「ご無沙汰しています。此度の件は返事が遅れましたが、至らずとも私の持てる力であたりたいと思います」
「そ、そうかそうか。助かるよ」
「ひとつ、質問宜しいですか」
有無も言わせぬ質問に騎士団長の顔が強張ったが、小さく咳払いをして濁した。
「それは、交渉にあたうものなのですか」
しん、と執務室の空気が止まった。
「おい、何言ってるんだ」
ルイスの疑念に答えることも無く、何かに取り憑かれた様にオズワルドの問いは続く。
「騎士とは、常に孤独なものです。全ての権威も交渉という素養を見込まれてのこと。だが、それだけだ。異形を討つなら、歩兵か傭兵を出せばいい。だから問いたい。それは本当に騎士が出るに相応なものかと」
「…必要に決まっているだろう!君は考え過ぎる点があるというか…。不満な点があれば言ってみるといい」
「いえ、その答えを頂ければ十分です。失礼しました」
ぴりぴりと異様な気配が急速に弱まり、オズワルドも珍しく素直に頭を下げた。騎士団長も呆気に取られた締まりのない顔をすぐさま戻す。双方のやり取りについていけないルイスは厭にあっさりと終わった程度にしか思わなかった。
「では、早速行って来ます」
「そ、そうか…許可はシャルロット様直々に頂いている。粗相の無い様にな」
先程の熱が急速に失われた様に、欠片の愛想も無く、オズワルドは会釈だけして執務室を去っていった。
「あの…申し訳ありません!」
「いや、ガルーのせいではない。いくら有能でもあれだけ我が道突き進まれてはな。お前の様に理解あるものがいるのは救いかもしれんな」
「はあ…?」
いつもの様に小言を覚悟していたのだが、意外にも疲れた様な声音に驚きを隠せなかった。
何より、ルイスはオズワルドの事を結局何も分かってはいない。ただ廻り廻って、オズワルドに手紙を届けるという役が回ってきただけで、それを受け入れた。その程度だ。
「何をしている。早く行け」
「え、俺もですか…」
漸く開放されたと思った矢先に、飛んだ一言にルイスは顔を引き攣らせた。
エドワード皇子が住む別邸は、広さこそ違えどバンダースナッチの別邸と同じ独特の造りをしている。
石膏の冷徹が目立つ概観で街を占める造りとは異なり、繊細な彫刻が施されている。小高い場所に、誰の目も映るよう、見えない権威を鼓舞している様にも思えてならないのはルイスの僻みなのかもしれないが、思わずには居られない。
「広いだけが良いって訳じゃあないさ。こんだけでかかったら埃の溜まっている場所なんてあって蜘蛛の巣もたんまり…」
「仮にも宮殿でそんな難点は無いだろうな。それにこの造りには屋敷幽霊が契約していて埃が溜まらない構造になっている」
ぶつぶつと呪詛の様に難癖をつけるルイスをオズワルドが平静に打破する。
「まさか、如何にも掃除とかしません的なお前の家が俺の家より綺麗なのは、それのせいか!」
「いや、屋敷幽霊の契約は100年単位で、途中解約も面倒でな。うちのは前の更新で切った。掃除をしているのは私のいとし子たちだ」
いとし子と妙にうっとりと呟くオズワルドに対し、ルイスはげんなりとした。いとし子はあのきのこ共で、それ以外に何も無い。女中たちがその言葉を聞いて肩を落としたのが透けて見えた。もう殆ど独立に近いにせよ、遠縁と名の知れたバンダースナッチの三男ならば、色めき立つのも当然だ。だからこそ、空気の様にそれを無視するオズワルドに解せない部分があった。
「お待たせして申し訳ありません。エドワード様の専属執事を務める、ウラドと申します。はるばるご足労頂き、有難う御座います騎士殿」
ウラドと名乗る執事は鱗の浮いた皮膚に柔和な笑みを浮かべた。
「エドワード様は?」
「自身で来られると強く言われたので、暫しお時間を頂きますでしょうか」
「…その怪我は」
額に腕、包帯が巻かれ、薄くなったものの痣がいくつも残っている。エドワード自身、足が悪いので大の大人にこういった暴挙はなかなか出来ないだろう。
「実は、」
「この暴挙を行う輩を突き止めて欲しいのだ」
ウラドの言葉を踏みつけ、新たな声が入り込んできた。ぎし、と音が響く。車椅子を自身で押しながらも高圧的な視線は為政者そのものだ。皇族特有の黒い羽耳は彼がエドワードその人だという事を語っていた。
「そなたがバンダースナッチの引き篭もりの三男坊か」
「よくお分かりですね」
「斯様なお飾りを着けているのは、怖がりか古の誇りが何れかであるからな。そなたがどちらであるかは聞かぬとしよう」
エドワードは自身を指し、オズワルドの角の位置を小突いた。
猛禽の様な金の瞳がオズワルドを見据えている。ルイスやオズワルドよりも遥かに年下の少年でありながら、威圧感はもう大人のそれだ。何より人形の様に生気が無いのに妙にぎらぎらとした瞳が増幅の材料となって混ざっていた。
「引き篭もりではありません。要ではないからです」
「ならば、そなたが要とされるのは如何様な時か」
「例えば、戦争でしょうか」
「…ものは言い様だな。そなたも苦労するだろう、ガルー」
「い、いえ…彼は騎士でもとかく有能ですので」
急に話を振られ、焦って声が裏返ってしまう。そこで漸くエドワードが表情を緩めた。何にかは分からないが、ルイスには機嫌を損ねなかった事があらゆる仕事を終えた時よりも達成感が募った。
「屋敷に何かがいるのだ」
唐突にエドワードは話を切り出した。
「最初は些細な事だった。花が落ち、花瓶が割れ、窓が割れ、やがて壁を穿ち…そしてウラドがこうなった」
「目視はしていませんが、何の気配も無かったのです。現に警備兵も気付かなかった」
「それはまさか、逆賊?」
ルイスが最もな可能性を示したが、ウラドが首を振った。
「逆賊であるならば、窓を割るなど派手なことはしないでしょう。どちらにせよ、器物破損と私が至った時の状態が些か矛盾している気がするのです」
「何より私の肩に権限が無いのは、国民も外も、周知の事だ」
皮肉げに告げたエドワードは自虐的な笑みを浮かべる。
「ありますよ」
意外にも、口を挟んだのはオズワルドだった。
「名の知れぬ命が、たった一匹の幼竜が、名も語られぬ小さな部族が、切っ掛けになる事もあります。膨れ上がった悔恨があれば引き金は誰であっても等しく成り得る」
乾いた響きに影が揺らめく。その言葉にエドワードは何とも言えない表情を浮かべた。
2話:了