始まり
「君の危惧はもっともだが心配しなくてもいい、私は白にとって敵ではない」
彼女は唐突にそう口を開いた。
見た目は白そのものなのだが、どうにも別人のような感覚を抱く。
「いやそれは間違っているぞ? 白もまた私なのだから」
「それは」
「どういう意味か、だろ? こほん、この口調は違和感があるな」
そう言いつつも続ける。
「君が彼女に白という名前を与え育ててくれたおかげで白は人としての枠に収まった。
どういう意味だ、と言いたげだね?
心配するな、この話が終わる頃には君は全てを理解しているだろう。
君が一番疑問に思っているだろう私の正体だが、私は単に白の可能性の一つでしかない」
「可能性? 」
「何故可能性の一つが今ここにいるのかと、君は賢いね一つを聞けばだいたいのことは理解する。
ああ、私が君の心を読んでいることに関しては気にしなくてもいい、そういうものだと思ってくれたまえ」
無邪気な笑みを浮かべた彼女はそういう。
悪意を向けてこないことから自然と警戒も解けていった。
「もともと白は、そうだね君たち人間より高位の存在として神がいるだろう? 見たことがなくても構わないさ。
人間に対する高位の存在が神ならば私は世界に対する高位の存在だと思ってもらえればいい、実際は大きく異なるがね」
理解が追いつかなかった。
夢を見ているのか思ったぐらいだった、信じたくないとかではなく、単純に意味がわからなかっただけである。
「そんなことはどうでもいいんだ、私はある願いによって生まれた存在でね、白がそれを思い出したときに私が表に出るようになっているんだ」
少しの間だけどね、と付け加える。
願い?
「もともと白には幾つかの可能性があった。
白が生まれてくるにいたった願いは単純だ、世界を救う、ただそれだけの話し、けれどその規模は計り知れない。
人に拾われ人として成長していく道、これが白がたどった道筋だけど、可能性としては猫の王となる可能性だって十分にあった。
もしくは鳥の救世主かもしれない、蝶の友人として世界を救ったかも知れない。
まぁ、人として成長して行ってもらうのが世界を救う近道となるから困った事にはなっていないけれどね、世界は人が支配しているのだから。
人が世界を支配するなどおこがましいなんて偽善的な考えはよしてくれよ? これは理想論ではなく現実論だからな」
そうおどけたように彼女は言う。
「正確には知的生命体、広義の意味では言葉を操り世界を支配する存在、になることが割と世界を救う上で楽だから今の白はいい傾向にあるわけだ。
他の可能性としては水晶とかの鉱石なんてのもあった、所謂賢者の石みたいなね、というより人になることと同じくらいの確率でこの可能性があったわけだが、それではあまりにも受動的すぎる。
まぁ、建前はこれくらいにしておこう、今となってはどうでもいいことだ、わすれてくれたまえ。
今大切なのは君が白を育ててくれたおかげで白は普通よりはやくこの段階へと至ったわけだが。
おっと、誤解をしているようだからひとつ言っておくが私は唯一にして無二の存在だ、そもそも私の存在がバグなのだからな。
ともかく、白は使命と現実の狭間で揺れているというわけだ。
理由は簡単だ、君が優秀すぎるのだ、故に白は加速度的に成長した、未熟な段階にてここに至ってしまったわけだ。
だから私が出てきたということだよ。
これだけでは少し言葉が足りないか。
白に託された世界は一つではないのだ、いや逆だな、世界はそもそも一つではないのだ。
夢物語だと言うのは簡単だ、まぁ経験すれば嫌でも理解するさ。
ここでの問題はこの世界がすでに安定していることと、これは君のおかげだね。
だからこそ白は次に行かなければいけないということだ。
が、そこで君が出てくるわけだよ、大体は理解したかな? 」
理解するというよりは理解しろと言われているのだろう。
そう思っていると顔をしかめてくる。
「心外だねぇ、別に私はそんなに大層なことは言っていない。
君だとて理解しているだろうに、それに君には悪いのだが拒否権はないのだよ。
ということは理解しろと言ってることになるのか?
前言撤回だ、理解しろ、でなければ私の大切な白が少し壊れてしまうからね。
察しのいい君なら理解しているだろうけれど、いや白に対する愛を理解しろって言うわけじゃなくてだね。
白の行く先について来いってことだよ。
今とっさに目を逸らしただろう、いいか拒否権はないのだよ。
これは免罪符なんだ、といえば大体理解はできるだろう?
白は止まらない止まってはいけない、だからこそ一人目というのは意味を持つ。
今の白にはそれは無理だ、あぁ君を道連れにしてしまったと嘆くだろうな。
君がそういうふうに育てたんだ責任を取りたまえ。
この言い方はずるいだろう? だから君も安心して私の言いなりになればいいのだ」
そう言って羽を二枚どこからか取り出した。
「これは? 鳥の羽か? 」
白と黒の二枚の羽、鳥のものと思われる。
またしても彼女はその口に笑みを浮かべる。
「ハズレだ、鳥ではない、これだよ」
そう言って彼女が手を広げた時、天使が舞い降りるかのように、鮮やかな羽が彼女の背中に広がった。
およそ幅2メートルほど、私から見て左が白、右が黒の両極端な羽だ、よく見るとそれは光のシルエットとかではなくまるで生きているかのように繊細で、羽の一本一本がとても細かな作りになっている、いやむしろそこらの鳥よりも細かいと思われる。
息を飲む美しさとはこの事か、もはやそれは芸術と呼ぶ領域だった。
「どうだ魅了されたか? では私に従ってもらおうか、ほれほれ」
台なしであった。
「こほん、冗談だよ。
これは白が扱う力の片鱗だ、どうしても力が強すぎてね、出力を1%未満に抑えた後に無駄にこんな細かい物体を作り続けることで浪費し続けなければ星が持たないのだよ。
なんともままならないものだよ」
とんでもないことを平気で言ってのける。
「ということでその羽根を体の好きなところにかざしてくれたまえ。
そうだな腕だとか手の甲だとか、ええいどこでもいいわ、さっさとしないか」
そう言って掴みかかってくる、その時に触れた羽はほのかに暖かかった。
仕方が無いので従う、こんな歳にもなって何をやっているのだか。
手の甲にかざした二枚の羽は淡い光と共に吸い込まれていった。
その後右手の甲には折り重なるようにしてクロスを描く白と黒の羽の紋章が浮かび上がってきた。
しまった、足とかにしておけばよかったと、後悔。
「これで私の目的は達成されたわけだ、せっかくだし説明がてら話し相手になってくれないか?
私に残された時間も少ないからね。
別に悲しい意味ではないよ、私から生まれた白もまた、私だということだ。
私の話し方が定まっていない事が全てを表しているわけだが、白は私たちであり、また私たちも白だということだ。
白が白という自我として成長してくれたおかげで私という存在と明確な境界が存在するのだ、後少しの間だけではあるけれどね。
いなくなるわけではないから安心したまえ、白は私の白という側面なのだから。
おっと、説明がまだだったね」
そう言って少女はその場に座り込む。
咄嗟にはしたないからやめなさいといいそうになった、彼女がそうしたいというのだから私もそうするとしよう。
「その羽は一種の力を内包していてね、世界を渡ると言っても白にとっては簡単だがそれ以外となると話は別だ、ましてや今の白は不安定だからね。
私ができるのだから白もできるだろうという考えは間違っているぞ? その羽は白にはできないことだからな、力的な意味ではなく感情的な意味でな。
それの効果は停止だ、正確には存在の固定となる。
良かったなこれで君は不老不死だ。
冗談だ、いや不老は冗談ではないがとにかくその笑顔をやめてくれないか、怖いぞ。
続きをいいか? まず大前提として世界を飛び出すことは誰にでもできる。
驚いたかな、いやそもそも別世界の可能性を理解していても信じていないと言ったところか、まあそれが普通だし正解でもある。
世界を超えることはまず不可能なことだ、何がというともし仮に飛び越えてしまったのなら、その物は行き着く先の世界の存在と擦り合わされ根本的に消滅するからだ、第一、そもそもに時間の壁が存在するからな。
ちょっと銀河の外に飛び出るのとはわけが違う、文字通り世界を超えるのだから。
ああ、銀河が分からないのだね? 世界には無数の星が存在することは知っているかな? まあそれのさらに外に飛び出すことだと思ってくれればいい、そしたらもう一つくらいここと酷似した星があるかもしれないだろ?
理解はしたようだね、その星に飛ぶのと世界を超えるのとではベクトルが違うということだよ。
わかりやすい喩えとするならば、根本的になかったことにされると言えばわかりやすいかな、物理法則の違う世界に行くんだあたり前の事ではあるな。
つまり飛び出すのは簡単でも向こうの世界に突入するのは困難だということだ、力づくでいけば逆に世界を壊してしまうからな。
無理やり突入すると壊れ、巧みに突入しようとすれば消される、そういうふうに出来ているのだよ世界というものはね。
だから誰にも異世界に行くことはできない、神や神子と言った存在が召喚と称して人々を別世界に呼んだりすることもあるがあれは厳密には招き入れることで道を開くわけだ、戻ることができなくなるのは道理だね、真の意味で世界は越えてないのだよ。
余計な話だったね、話を戻そう。
だから私たちは世界の壁を越えた上にその罰を受けながらその世界に向かうことになる。
話としては理解してくれたみたいで何よりだよ、特にその固定の意味を理解してくれたようで何よりだ」
そういった彼女の体がだんだんと透けてくる。
少しの間と言っていたがこれがそうなのだろうか?
「おっと、時間のようだ、まだまだ話し足りないのだけど仕方ないね。
また会える日を願ってるよ」
彼女がそう笑いながら言うので、私はとっさにこんなことを言ってしまった。
「ではまた、嘘つきのお嬢さん」
「はっ、はは、それはどうして? 」
「話が少し矛盾していたからね」
ついいってしまったのだ。
「まったく、これだから大人は大っ嫌いなんだよ。
私にそんな感情があるのかと驚いているようだから言っておくけど私は『弱い』からね。
私を創りだしておいて気づかずに消し去ろうとする私に対する意趣返しでこんなにも君に話したんだ。
気づいても黙っておくのが紳士というものだろうに、まったく。
君が気づいているように私の本質はそれだ、だからまた会うかもしれないね。
だからこそ、そんな君にはこう言い残すとしよう。
『今度はおいしいお茶が飲みたいわ』」
なら私はこう返すとしよう。
「マドレーヌでも焼いて君を招待しよう、なに遠慮することはない」
それを聞いた彼女はその顔に最大限の笑みを抱え消えていった。
彼女が見えなくなるとまるで何事もなかったかのように白の世界は一瞬にしてなくなった。
右手の甲に残る二枚の羽が、ただその出来事が夢じゃないことを物語っていた。
元の世界に引き戻された私を待っていたのは白のタックルだった。
少しばかり年寄りには辛い勢いで突っ込んできた白は私に抱きつくようにして、珍しく言葉に感情を乗せて言った。
「ごめんなさい」
マスターと奥さんが動いていない所を見るとおそらくではあるが、あの時間は一瞬だったのだろう。
彼らにはうずくまったはずの白がいきなり飛び出したように写ったみたいだ。
「構わないさ」
「ごめんなさい」
白の頭を優しく撫でてやる。
白が謝るということは私が引き返す道は残っていないということだろう、例えば固定の概念を引き剥がすと体が崩壊するといった感じで。
不可逆などと、かの少女はいたずらがすぎるようだ。
それはさておき、一番厄介なのはマスターと奥さんにどう説明するかだな、骨が折れるよまったく。
さすがに黙っておくわけにもいかず、少しづつ話したわけなのだが。
「え~と」
「は、はい」
と言った感じで始めのうちはふたりともぼけた年寄りに対する感じの返事をしていた。
なんとも失礼な話だが荒唐無稽しすぎて話についていけないのはわかる。
私もあの羽と時間停止を見なければ信じていなかったところだ。
けれど私が冗談など一切交えずに真剣に話していることを感じ取ったのか次第にその顔は曇っていった。
奥さんなんて泣き出してしまう始末、私がこんなにも慕われているとは意外であった。
「ははは、私は君たちのほうが心配だよ、私がいなくなってお店の方はやっていけるのかね? 」
「すまないメアリー、この店ももう潰れてしまう。」
「いいのよあなた、そうしたらどこか深い森の中でひっそりと暮らしましょう」
場を和ますために言った冗談は余計にダメージを与えてしまった。
冗談ではなく本当に私しか来ていなかったのか?
よくそれで食べていけたなマスター、奥さんの収入で生きているのか……そうに違いない事はわかった。
確か魔法使いを目指してるはずだからこことは別にギルドの収入があるはずだ、と人の心配をしている場合ではなかったね。
「とりあえずマスター、看板は作ったほうがいいと思うのだが」
「それってなんか隠れた店っぽくないですよね? 」
それを本気で言っているのなら君は本物だよマスター。
とりあえずどうするか、ああ大切なことを忘れていた。
「とりあえずこれをマスターに預けておこう、どうせもう使えなくなるのだから」
そう言って黒のカードを手渡す、彼が顔を真っ青にしたのは言うまでもない、そこには王国が転覆するぐらいの資金が入っているのだから。
ところで白はというと以前私が渡した懐中時計をいじっていた、首に下げて服の中に入れていたようだった、何を考えているのかものすごく気になるが今はマスターが先だ。
「こ、こここんなもの預かれませんよ! 」
「そうは言っても私にはもう使えなくなるものだからね」
「なん……そうでしたね、本当に行ってしまうんですね」
「悲観することはない、世界によって時間軸は違うと聞く、私たちにとっては何千年という時間だが、君たちのもとに帰ってくるのは明日なのかもしれないのだから」
可能性としての話である、と言ってもおそらくそれは訪れ得ない未来なのだろう。
私たちが帰ってくるということはこの世界が危機に瀕しているということなのだから。
帰ってきて彼の入れるコーヒーを飲み、奥さんに魔法を教えたい、がそれは叶わないほうがいい願いなのだ。
私に固定化がかかっていることと、おそらく白は変化しないのであろうことからここで何百年過ごした後移動するという手段もあるのだろう、私がそれを言えば白はそうするはずだ。
それもよしておこう、そもそもそれなら白は謝る必要性は殆ど無いのだ、不老であって不死ではないのだから。
ただ推測にすぎない、白は何も言おうとしないからわからない、私も別に聞き出したいわけではないからいいのだが。
おそらく白にとっては如何なる事だって出来るのだろう、故に如何なる事もできないのだ、おそらくそういうものなのだと思う。
「マスターに奥さん、また機会があれば是非寄らせてもらうとしよう、なに、心配はいらないさ、白と共にすこしばかり長い旅行に行ってくるとするよ」
そう言って私は席を立つ、白の初めて見せる笑顔がここでの最後の挨拶となった。
「いってきます」
それは控えめだけど、白なりの精一杯の誠意だった。
それに対して二人はその瞳に大粒の涙を抱え震える声で、それでも精一杯の笑顔で送り出してくれたのだった。
「「いってらっしゃい」」
帽子を深くかぶり直し白の手を引く、歳を取ると涙もろくなってしまっていけないね、本当に。
『カランカラン』
名も無き喫茶店のドアに付けられたチャイムが心地よい音を鳴らしていた。
門番の彼はまだまだ若い、だから心配掛けたくないというのはあった、それに彼は優しい。
私の姿が見えなくなれば一目散に森の中に探しに来るだろう、過去にも何度もあったことだ。
「少し旅に出ようと思う、世界を巡ってくるよ」
だから私は自然なふうにそういった、下手に約束はしない。
彼はとても残念そうな顔をしていた。
「お気をつけて」
そういう彼の顔は少し寂しそうだ。
白に対しては作り笑いを浮かべ元気に挨拶をしていた、やはり彼は素晴らしい青年だよ。
帰路につく。
苦い思い出も今ではいい思い出となった森の小道を抜ける。
少しづつ手入れしたこの庭も、少しづつ増築したこの家とも今日で別れることとなるのか。
部屋に上がった後は手紙を一通出しておく、私が持っていてももう意味は無い本の数々を奥さん宛にしておこう。
彼女は努力家だ、これを全てとは言わずとも大半は自分の力とするだろう。
「白、行くとしようか」
「うん」
かの少女が見せたものと同じ羽を出す。
が、少し様子がおかしい。
「かげん、まちがった」
そこら中に羽が舞い上がる、その羽は何かに触れると霧散していった。
演出ではなく単なるミスなのか。
「ひとつだけ……パラダイムシフトにきおつけて」
だから急ぐ必要があったのか、いや少し考えたらわかることか。
どうりで時間がないわけだ。
私がマスターと奥さんに白の事を話してしまったことも少し原因となっているようだ。
本来なら彼らも消すのか? 特別、ということだろうか。
無表情な彼女からは何も感じ取れない、気にしても仕方が無いか。
白が差し出してくる手を取る。
羽が羽ばたく、あたりにもう一度羽が舞い上がり一瞬にして二人はこの世界から掻き消えた。
ここから始まるのは長い長い旅の物語
というわけで長い長い序章の終わりです。
もっとわかりやすく簡潔に済ますつもりが伸びに伸びた、どうしてこうなった。
それはさておきここから世界救出旅行記本格的な始まりとなります。
よろしければノロマな作者を末永く見守ってやってください。
何かお気づきの点がございましたら指摘していただければ幸いです。