聖女様を優先していた婚約者が、土下座で詫びてきた~回帰したという婚約者の話、あなたなら信じますか?~
たくさんの作品から見つけてくださりありがとうございます。
「アリシア、すまない。俺が間違っていた」
深夜、突如アリシアの家を訪れた婚約者は、会うなり土下座した。
(これはいったいどういうことなのかしら)
アリシアは未だに頭を下げ続けるエリックに、首を傾げるしかなかった。
――そうして今日、何があったかを思い出す。
学園の前庭では、聖女・ルーシャと数人の聖騎士が雑談に興じていた。それをアリシアは二階の窓から眺める。
「ルーシャ様、相変わらず聖騎士と仲がいいわね」
「ミリア、委員会はもう終わったの」
ミリアは「うん、疲れたわ」と言いながら、アリシアの隣に立って同じように前庭を眺めた。
「あの聖騎士たち、婚約者がいたわよね。それなのに、ルーシャ様と距離が近すぎない。特に、アリシアの婚約者のエリック様。ルーシャ様が腕にしがみついているじゃない」
どういう流れでそうなったのか分からないけれど、エリックの左手に聖女がからみついている。胸をぎゅっと押し当てるようにしなだれかかる姿に、アリシアが眉を顰めた。
肝心のエリックはというと、困ったように頭を掻きながらも、満更ではない様子だ。
最近は、お茶会のたびに聖女様から呼び出しがあり、ゆっくり話をする時間もない。学園で顔を合わすことはあっても、彼は学生でありながら聖女の護衛もしているので、気軽に声をかけることはできなかった。
「今日は、学園が終わったら一緒にドレスを見に行く約束をしているの」
「そう。これだけヤキモキさせられているのだから、思い切って高いドレスをねだればいいのよ」
伯爵家次男であるエリックと侯爵令嬢であるミリアは幼馴染だ。赤い瞳を細めエリックを睨むミリアに、アリシアは苦笑いをした。
そうして再び、エリックに視線を向ける。
エリックとアリシアの婚約が決まったのは、学園に入学する直前、今から二年前になる。ブロンドの髪に青い瞳のエリックは、まるで王子様のように整った容姿をしていた。
婚約はエリックからの希望で、アリシアは茶色い髪に灰色の瞳という地味な自分のどこを気に入ったのかと、不思議に思ったほどだ。
それから一緒の時間を過ごし、アリシアは少しずつエリックに恋をしていった。
半年前、エリックが聖騎士に選ばれるまで、ふたりの仲には何も問題がなかったのだ。
学園が終わって、ドレスを扱うお店にアリシアとエリックは向かった。
馬車の中の会話は、ほとんどが聖女に関することだ。平民出身で、半年前に聖女に選ばれたルーシャは、貴族の生活や慣習に不慣れだ。よく笑い、すぐに膨れるところが可愛い。勉強は苦手だが、頑張っている。などなど。
「そうですか。でも、いくら貴族の生活をご存じなくても、聖騎士とあまりに親密すぎるのは問題ではないですか?」
「またその話か」
「今日は、ルーシャ様と腕を絡ませていらっしゃいましたよね」
「はぁ。あれぐらい、市井では当たり前なのだろう。そんなことで目くじらをたてるなんて、狭量だぞ。聖女様に気に入られれば、騎士としての道も明るいんだ」
エリックがあからさまにため息を吐く。そうして重い空気のまま、ふたりは洋服店に来たのだった。
アリシアが選ぶのは、次の夜会に着ていくドレスだ。エリックが、自分の瞳と同じ色の青いドレスを手にする。
「これなんて、どうだ」
「素敵ですね」
「……いや、でもアリシアの髪の色にはちょっと合わないかな。聖女様のような銀色の髪なら綺麗に着こなせるんだけれど」
「えっ」
そう言うと、エリックは自分の瞳の色より薄い、水色のドレスを手にした。それを茫然としているアリシアに当てる。
「うん、こっちのほうがいい」
「でもこれ、エリック様の色ではないです」
「そうだけれど、アリシアはこのデザインのほうが似合っているよ」
エリックは店員を呼ぶと、サイズの微調整を頼む。アリシアは納得できないものを抱えながらも、店員に促され試着室へと向かった。
その帰り、気分が塞いでいるアリシアに気づくことなく、エリックは流行りのカフェに行こうと言った。女生徒の間で話題になっているカフェで、アリシアもいつか行きたいと思っていた店だ。
ドレス選びではもやっとしたところもあったが、エリックからの誘いは素直に嬉しい。
カフェの中は人でいっぱいだった。それでも偶然空いたふたり席に案内されたアリシアは、さっそくメニューを手にした。
「ここは、レアチーズケーキがおすすめなんですよ! それからストロベリーティーも美味しいとミリアが言っていました」
「ミリアもここへ来たのか。じゃ、それを頼もう。アリシアも同じものでいいか?」
「はい!」
元気に返事をしたアリシアに、エリックがくすりと笑う。
そうしてレアチーズケーキとストロベリーティーが運ばれてきたのだが。
「あら、エリックじゃない」
華やかな声と一緒に、強い香水の香りがした。すぐ横に、聖女が立ってにこにこと笑っている。
「ルーシャ様、どうしてここに。まさか、おひとりですか?」
「いいえ、もちろん聖騎士もいるわ。エリックがここへ来るって聞いて、私もレアチーズケーキを食べたくなったの」
聖騎士の任務は交代制だ。通常、二名がその任務につく。だからこそ、聖女が学園内で何人もの聖騎士と一緒にいるのは、生徒の目に異様に映るのだ。
それが聖女の希望なのか、聖女に取り入って聖騎士としての位を盤石なものにするためなのかは分からない。
「とっても楽しみにしていたのに、満席ね。そうだ、アリシアさん、席を譲ってもらえないかしら」
「えっ」
「エリックに相談したいこともあるの。婚約者ならいつでもカフェに来られるし、お茶会でも会えるでしょう。いいわよね、エリック。あなたにしか相談できないの」
そう言うと、聖女は紫色の瞳を潤ませ、首を傾げた。ピンク色の髪が揺れる。そのまま身体を傾けると、エリックの耳に顔をよせ、何やら囁いた。エリックの眉間に僅かに皺がよる。
「そういうことなら。アリシア、申し訳ないが離席してくれないだろうか」
「でも、私、まだ食べていません」
「手をつけていないんでしょう。それなら私がいただくから心配ないわ」
聖女は笑顔のまま、アリシアの腕を引っ張った。それに抵抗するようにアリシアが首を振ると、エリックが「アリシア」と低い声で名を呼ぶ。
「聖女様の言うとおりに。馬車は使っていい。俺は聖女様を教会に送ってから戻る」
さっさと行くよう目で促されたアリシアは、愕然としたまま立ち上がった。泣きそうになりながら、でも泣くまいと唇を引き結び、俯いたまま退席すると馬車に駆け込む。
「ずっとこんなことが続くのかな」
馬車に乗ったとたん、堪えきれなかったように涙が溢れた。
暗い気持ちのまま邸に帰ったアリシアは、夕食も摂らず部屋に引きこもったのだった。
その夜、アリシアの実家の玄関扉が激しく叩かれた。何事かと家令が玄関を開けると、真っ青な顔をしたエリックが飛び込んできた。そうしてアリシアに会いたいと必死に訴える。
アリシアと両親が階段を降りると、エリックはまっすぐアリシアに駆け寄ってきた。
そしてそのまま――土下座したのだった。
「アリシア、すまない。俺が間違っていた」
「えっ、えっ、急にどうしたのですか?」
「とにかく、俺が間違っていたんだ」
涙ながらに頭を下げるエリックに、アリシアが瞳を瞬かせる。隣にいる両親も困りはてたように顔を見合わせた。
とにかくこのままでは話ができないと、サロンへ案内したのだけれど。
(これはいったいどういうことなのかしら)
アリシアはいまだに頭を下げ続けるエリックに、首を傾げた。
「えーと、ひとまずソファに座ってください」
そう促すと、エリックはよろよろと立ち上がり、ちょっと迷ったあとアリシアの隣に腰を掛けた。
なぜ隣に。いつもは向かい側に座るエリックが隣に腰をかけたことを不思議に思いながら、侍女が淹れてくれた紅茶を口に含む。
一口飲んでからカップを戻し、「それで、どうしたのですか?」と改めて問いかけてみた。
エリックは俯いたまま、唇を数度開閉し、そうしてやっと口にした言葉は。
「俺は、半年後から回帰してきた」
「はい?」
「半年後、俺はあらぬ罪を着せられ処刑されたんだ。で、気づいたらここへ戻ってきた」
「えーと。どこかで頭を打ちましたか?」
「打っていない」
即座に否定され、アリシアはそれならと腰を浮かした。すかさずエリックがその腕を掴む。
「医者も必要ない」
「そう、ですか」
えー、絶対診てもらったほうがいいよ、と思いつつ、アリシアは再び腰を落ち着けた。
「ちなみに、悪夢を見たわけでも、予知夢を見たわけでも、神託を受けたわけでもない」
「もはや、そのどれかのほうがよかったです」
回帰よりまだ現実味があるような気がした。ほんの少しだが。
アリシアが聞く姿勢をとったところで、エリックは訥々とこれから先起こることを話しだした。
聖女は女生徒からいじめを受けていた。それを「信頼するエリックにだけ相談する」と言われ有頂天になったのが運のつき。
ここで聖女様に恩を売れば、自分の将来は安泰。アリシアにも楽をさせてやれると相談に乗り始めた。しかし。
「次第に俺は、聖女様に頼られる自分自身に酔うようになった。俺だけが彼女を守ってやれるヒーローのような気分になったんだ。そうしてあらゆる面で聖女様を優先し、アリシアを蔑ろにするようになった」
「もうしていますけれどね」
「うっ、すまない」
数時間前に自分が何をしたのか忘れたのだろうか。
(でも、本当に回帰していたら半年前の出来事だから、忘れていてもしかたない、のかな?)
アリシアが判断に迷う中、エリックはさらに話を続けた。
「で、俺はドラゴンと戦うことになるんだけれど」
「思いっきり端折りましたね。もう少し順序だててください」
なんでも、今から五か月後にドラゴンが近くの森に現れるらしい。そこで討伐部隊が組まれるのだが、エリックもその一員に選ばれる。しかも、その時にはエリックは光魔法を習得しているそうだ。
もともと才能があったところに、聖なる力を持つルーシャの近くにいたことで、光魔法を使う能力が目覚めたという。
エリックは最前線でドラゴンと戦い、討伐部隊には聖女も加わった。そうして無事に王都に戻ってきたのだけれど、そのときには婚約を解消されていたそうだ。
「討伐部隊が組まれる前から、アリシアを蔑ろにして、しかも遠征先で手紙を一度も書かなかった。俺が聖女様と恋仲だという噂が流れていたこともあったから、愛想をつかされて当然だ」
「手紙すら書いてくださらなかったのですか」
「すまない」
ふたりが恋仲だという噂が流れるのが今から二カ月後。アリシアは運命のふたりを引き裂く悪女と噂されるようになる。
それでもエリックが聖女の傍を離れなかったのは、聖魔力が目覚めてきたからだ。しかしまだ、内密にするよう言われ、アリシアに説明することはできなかった。
「アリシアなら分かってくれるだろうという、驕りもあった」
「本音は?」
「……アリシアは俺に惚れているから、離れないと思っていた」
「最低」
エリックがますます身体を小さくさせる。もう一度土下座をすべくソファを降りるその姿を、アリシアが淡々と見つめた。エリックが深々と土下座する。
「で、その後どうなったのですか」
「外堀を埋められた形で俺は聖女様と婚約した。だけれどすぐに聖女様は他の男を好きになり、濡れ衣を着せられたうえで俺は処刑された」
今までは「なにこの男、最低」と話を聞いていたアリシアだが、土下座しながら「処刑された」と言われ、胸が痛んだ。
だって、聞く話は最低だが、それはまだアリシアが体験していないことだ。もし本当に回帰して反省しているなら、まだ自分が経験をしていない出来事をもって、彼を非難するのは違うように感じた。
「もういいです。顔をあげてください」
「許してくれるのか」
「許すもなにも、私のあずかり知らないことですし。今の時点の恨みといえば、レアチーズケーキを食べ損なったことです」
「明日、ホールで届ける」
そういう問題でもない気はするが、エリックは基本的に鈍感で愚図で繊細な乙女心を理解できない男だ。その分、裏表がなく男気がある。
「で、その未来を変えるために、私はどうしたらいいのですか?」
「俺に、溺愛させてくれ」
「できあい」
本の中でしか見たことのない言葉を、まさか婚約者から聞くとは。
「そもそも、俺は聖女様に恋していない。婚約したのは、外堀を埋められたからだ。ということは外堀を埋められないようにすればいい」
「そうですね。で、私を溺愛すると」
「俺とアリシアが真に愛しあっていると皆に知らしめればいいんだ」
「ちなみに、ルーシャ様からの相談ごとはどうされるのですか?」
「そんなの無視だ。だってあいつ、俺を殺したんだから」
忌々しそうに顔を歪めるエリックは、たしかに数時間前とは別人のようだ。
(これは、本当に回帰したのかな?)
ここにきて、やっと回帰をすこーしだけ信じたアリシアは、ひとまず「溺愛を許可する」約束をして、エリックを帰宅させたのだった。
次の日から、エリックの溺愛が始まった。
まずは、いつも他の聖騎士同様、聖女様と登校するのをやめた。それだけでなく、アリシアを教室までエスコートすると、始業ベルがなるぎりぎりまで一緒にいると言い出した。
「えーと。さすがに教室でここまで距離が近いのは、いかがかと思いますよ」
アリシアの前の席に座る生徒をどかしてまで手に入れた椅子。エリックはその椅子の背もたれを跨ぐように腰かけ、アリシアに見とれていた。
「よかった。本当にアリシアだ」
「昨日、会ったばかりです」
「あのときは謝罪で精いっぱいだったから、アリシアを見つめられなかった」
ぐっと、アリシアの喉が詰まる。アリシアを見つめる瞳は潤み、懐かしさとか愛情とか恋しさがごっちゃに混ざっている。そんな熱い視線を向けられるだけでもドキドキしてしまうのに、エリックはアリシアの茶色い髪に手を伸ばしてきた。
咄嗟に、昨日のエリックのセリフを思い出した。
「エリック様は忘れたかもしれませんが、昨日、私のこの髪はエリック様の瞳の色に合わないと言いました」
「俺が? そんな酷いことを言ったのか?」
「半年前を思い出してください」
そう言われたエリックが苦悶の表情を作る。アリシアについては昨日の話だが、エリックにとっては遠い過去の話なのだろう。うーん、と悩んだのち、はっと目を丸くした。
何か思い出したのかとその反応を眺めていると、エリックはみるみる間に顔を赤くした。
「ち、違うんだ。あれは」
「何がどう違うのでしょうか」
「もしかして怒っているのか? あぁ、怒っている顔も可愛い。いいな、幸せだ」
「話が脱線しています」
エリックは膨れるアリシアに愛おしそうに目を細めると、「違うんだ」と言った。
「あれは、服の色が問題なんじゃない。あのドレス、背中が大きく開いていたんだ。だから、違うドレスを薦めた。でも、本当のことを言うのが恥ずかしくて、色のせいにしたんだ」
「そう、だったのですか」
「アリシアの綺麗な肌を見るのは俺だけで充分だからな」
「! そ、それは。未来の私はエリック様に肌を見せたのですか?」
かぁ、と顔が熱くなってくる。もしそうならと想像しただけで、羞恥でいたたまれない。アリシアが自分の顔を両手で覆う。
「うーん、どうだったかな」
「どっちですか?」
「それはおいおい話すとして」
「今、白状しましょうか」
エリックは話の間ずっと手にしていたアリシアの髪を口元へもってくると、キスを落とす。周囲から、「きゃぁ」と黄色い声が上がった。
「とても綺麗だったとだけ。では、チャイムがなったからもう行くね」
残されたアリシアが、机につっぷす。
(でも、エリック様が処刑されないために、耐えなくては)
自分が耐えるべきは、周りからの奇異なものを見る視線か、それともエリックの過度な溺愛か。もはや敵が何か分からなくなっているアリシアだった。
そんなことが続いた数日後、アリシアはエリックと一緒に聖女様を囲む一員に加わっていた。
(どうしてこんなことに)
事の発端は、エリックがずっと聖女様と昼食を摂るのを避けていたことにある。
聖騎士の仕事は交代制。そう言って、エリックは週の三分の二はアリシアと過ごすようになった。学園が終われば一緒に帰宅し、たまには寄り道もした。例のカフェではお詫びにとレアチーズケーキの他にプディングも注文してくれた。
それだけでなく、昼食はずっとアリシアと摂っていた。今日は任務ではないのかと聞くと、非番の聖騎士も一緒に昼食を摂っているから問題ないとのこと。どうやら仲間に頼んで昼食はアリシアを優先してもらうようにしたらしい。
当然そうなると、職務怠慢で聖騎士の評価が下がる恐れがある。でも、エリックが言うには、将来殺されるぐらいなら、低評価の騎士でのらりくらりするほうがいいらしい。
光魔法が使えなくなるのではと心配していたアリシアだったが、こちらは緩やかに力が目覚めていた。護衛として就く正規の勤務時間でも、充分に聖女の影響を受けるようだ。
そんな事情から聖女との昼食を避けていたのだが、とうとう聖女が業を煮やしたらしい。呼びつけてきた。
「で、どうしてアリシアも一緒に来たのかしら」
開口一番、聖女がエリックに問う。愛らしいはずの紫色の目が据わっていた。
「どうしてと聞かれましても。お昼は愛しのアリシアと食べたいですから」
「今日は、エリックが私の護衛をする日でしょう?」
「はい。ですが、昼食は他の聖騎士に任せました。これだけ沢山いるのですから、問題ないでしょう」
エリックが周囲を見渡す。聖女はエリックを含め五人の聖騎士に囲まれていた。
「それに、アリシアが傍にいても、護衛はできます。さ、食べましょう」
淡々と話すエリックに、聖女のこめかみに血管が浮く。アリシアは憎しみの視線をこれでもかと浴び、視線をそらした。
(ここは空気のように)
いくらエリックに頼まれたからとはいえ、これでは針の筵ではないかと心の中で愚痴る。エリックの命に代えられないとは言え、さっさと食べて退席したいのが本音だ。
それなのに。
「はい、アリシア」
なぜ、サンドイッチを私の目の前に持ってくるの、と灰色の目が据わる。
「……自分で食べられます」
「どうした? いつもこうしているだろう」
していない! アリシアは、声にならない悲鳴を上げた。周りの聖騎士はドン引きしている。ただ聖女は悔しそうに唇を歪めていた。その顔に。
(あっ、ちょっと優越感を覚えてしまうかも)
下品だと思いながらも、心の端が少し嬉しい。だって、アリシアをカフェから強引に退席させた聖女が、悔しそうにしているんだ。
あのときの腹立ちを思い出せば、見せつけてやろうといういけない気持ちがうずうずした。行儀が悪いのは承知の上で、アリシアが口を開けると、エリックが嬉しそうにサンドイッチを食べさせる。
「……おいしいです」
「では、次は俺も」
「はい?」
思わず声が裏返ったが、エリックが有無を言わさない笑顔で見てくる。背後に「俺の命がかかっている」とどでかい吹き出しがありそうだ。
「ではどうぞ」
乗りかかった船だと覚悟を決めてサンドイッチを食べさせてやると、エリックが相好を崩す。
「やばい。幸せだ。死んでもいいかも」
「今、とんでもない矛盾が発生していますが」
小声で囁くふたりは、どう見てもいちゃついているようにしか見えない。聖女のいらいらが増し、それを察した聖騎士が慌てだした。
「おい、聖女様の前だぞ」
「アリシアの前だ」
「そうじゃなく」
同僚の諫めを右から左へ華麗に聞き逃し、エリックは再び口を開けた。食べさせろということだ。
「あっ、貧血かも」
わざとらしい声がして、聖女がふらっとよろめいた。聖騎士が一斉に反応する中、聖女が名前を呼んだのは、唯一無反応でアリシアからサンドイッチを食べさせてもらっているエリックだった。
「エリック。医務室まで送ってくれないかしら」
「それはいけない。おい。教会へ送り届けたほうがいいんじゃないか?」
「いやいや、聖女様はお前を指名したんだぞ」
「だけれどほら、俺の手はケチャップで汚れているし」
いつの間にという速さで、エリックの指先が赤くなっている。これにはすぐ隣にいたアリシアもびっくりだ。
聖女様の御召し物を汚してはいけないと恐縮するエリックを、皆が信じられないものを見る目を送る。
そのうち、野心家の同僚が手を挙げ、聖女様を送り届けることが決まった。そうしてお開きとなったランチなのだが。
「えっ、まだ食べさせあいをするの?」
「もちろん。俺が聖女様を慕っているなんて風評被害がでないように。つまりは俺の命のためだ」
そう言いながら、エリックがサンドイッチをアリシアの顔の前に持ってくる。
「愛しているよ、アリシア」
「そんな声じゃ、誰の耳にも届かないよ」
「いいんだよ。俺が言いたいだけだから」
エリックはどこまでも甘く、アリシアはその視線にのぼせそうになりながら口を開けたのだった。
そして、同級生が賭博で捕まったりといろいろあり
ながら数ヶ月がたち、森にドラゴンが出たとお城に報告があった。
そのころ、光魔法を習得したエリックは、当然のように討伐部隊に選ばれた。ただ、予想外だったのは、アリシアも救護班メンバーに加えられたことだ。
聖女様を中心とする救護班は、司教・ハルフォードの指揮官にある。
聖女はその聖なる力によって、傷を癒す。国に三人いる聖女をまとめるのがハルフォードで、彼自身も微力ながら魔法で傷を治すことができた。それだけでなく、薬学にも通じている。
(どうして私が、こんな危険な場所に)
アリシアは森の調査を終え、テントに戻ってきたエリックを遠くから睨む。
エリックの話では、エリックと聖女は討伐で深い仲になったと噂が流れたそうだ。それを聞いたアリシアは、積もり積もったものを爆発させ、婚約を解消した。
そこでエリックが考えたのは、聖女とふたりっきりにならないよう、アリシアも討伐に連れてくると言うものだった。司教であるハルフォードはエリックの叔父にあたる。
くれぐれも彼の傍を離れないようにと言われたアリシアは、不承不承ながらこうして救護の手伝いをしているのだ。
(あっ、こっちに駆けてくる)
遠くから睨んでいたのに、それをめざとく見つけたエリックが走り寄ってきた。揺れるしっぽが見えるようだが、この頃にはアリシアもすっかり慣れていて、「おかえりなさい」と迎え入れる。
「ただいま」
ぎゅっと抱き着かれるのはいつものことで、周りも見て見ぬふりをしてくれている。だけれど今日は違った。
「明日、決着をつける。必ず叔父と一緒にいるように」
「そんなに急なの」
「あぁ。間違いない」
そう囁くと、エリックは珍しく真面目な顔をした。
「必ず、守るから」
「守る?」
誰を守るというのだろうか。会話の流れからしてアリシアのことだろうが、命の危機があるのはエリックだ。
アリシアが当惑していると、エリックは茶色い髪をくしゃくしゃとなぜ、いつものよにニッと笑った。
「愛している」
「もう、何回も聞いたわ」
一日に一度、いや、二度、三度、多い時には三十八回言われた日もある。
「でも、言いたいんだ」
「そう、私も愛しているわ」
一時は蔑ろにされたこともあったけれど、それ以上に溺愛されまくったアリシアは、すっかりその情にほだされていた。
周りの視線を気にして頬を染める姿に、エリックが目を細める。そうして抱きしめる腕の力を強めた。
「エリック!」
「少しだけ。こうして抱きしめられるのは、これが最後かもしれないから」
「……どうしてそんなことを言うの? 二度目の人生なんだから、ドラゴンになんて負けないよね」
「負けない。絶対戻ってくる。約束する」
エリックはそういうと、アリシアの頬にキスをして、同僚のところへ戻っていった。
そうして翌日、本当にドラゴンと騎士たちが対峙することになったのだった。
騎士たちがドラゴンに苦戦を強いられているころ、アリシアもまた命の危機に直面していた。
救護班のテントから離れること一キロ。森の中を進んだ先にある崖の上にアリシアはいた。
「聖女様、ここに本当に重傷者がいるのですか?」
救護班テントに送り込まれてくる怪我人の手当てにハルフォードが忙しくしている中、聖女がアリシアに駆け寄ってきた。
重傷者が森の奥にいて、聖女は彼の手当てをするようハルフォードから命じられた。だけれどひとりで森の中に入るのは不安だからついて来てほしいと言う。
聖女の行動に対しては、ずっと不快感を覚えている。すでにエリックへの愛情を隠そうとしない聖女には、今では恋人の仲を裂こうとしているという噂まで立っている。
聖女はアリシアの問いに答えず、ポケットからナイフを取り出した。それを見たアリシアが察する。自分は騙されたのだ。
「お前がいなければ、エリックは私のものになるの! 邪魔だから死んでくれない?」
「はいそうですか、なんて言うわけないと分かっていますよね。ルーシャ様、今、騎士たちは命がけで王都を守ろうと戦っています。どうかナイフを収め、怪我人の救護に当たってください」
「嫌よ。別にエリック以外が死のうとどうでもいいし。彼は私と結ばれる運命なの。だってこの物語の主人公は、私とエリックなのだから」
(結ばれる? 物語?)
アリシアが困惑して眉を顰める。だって、エリックは聖女は自分を裏切り処刑したと言っていた。未来でふたりは結ばれていないのだ。それに、物語とは何のことだ。
「あなたに言っても分からないけれど、私はここではない世界から転生してきたの。この物語の主人公は聖女である私。そしてヒーローはエリックで、私と彼は永遠の愛を誓う。これが物語『――』」
「そこまでだ、聖女・ルーシャ。アリシアから離れろ!」
怒声と一緒に金色の粉塵がおき、ルーシャが飛ばされる。キラキラとした粉の向こうでエリックが立っていた。
「エリック! 無事だったのね」
駆け寄るアリシアだが、数歩手前で足が止まる。そうして目を見開く。
彼の左手がひじの上部分から切断されていた。ぽたぽたと落ちる血が、草の上に血だまりを作っていく。
「よかった、無事だった」
エリックが顔を歪めるようにして笑った。
「ど、どうして! 怪我をするのも、未来のとおりなの? そんなこと、聞いていない」
「いや、こんな怪我をしたのは初めてだ。左手を犠牲にしてドラゴンとの戦いを切り上げてきた」
アリシアが首を振る。なぜそこまでして、戦いを早く切り上げなくてはいけなかったのか。未来を知っていたなら、もっと安全な戦い方があったはずだ。
エリックがよろよろと歩を進め、右腕でアリシアを引き寄せた。
「やっと、アリシアを救えた」
「えっ?」
戸惑うアリシアの横を、数人の騎士が走り抜けていく。エリックが率いてきた騎士は、聖女がアリシアを殺そうとしているのを見ている。
聖女の叫び抵抗する声が聞こえた。それを聞かせまいと、エリックがアリシアの耳に手を当てる。
「しまった。手がひとつ足りない」
「エリック、私……」
「きちんと話す。そのまえに、キスをしてもいいか」
エリックの顔が近づいてくる。アリシアの唇に、エリックは愛おしそうに触れたのだった。
▽▲ エリック編 ▲▽
俺は、洞窟を歩いている。真っ暗だがもはや慣れたものだ。
ドラゴンの巣となっていたこの洞窟は、ドラゴンからにじみ出る毒素で穢され、光魔法属性の俺しか中に入れなかった。
真っ暗な中を進むと、青く光る泉があった。直径五メートルほどのその泉は中央付近だけが盛り上がっていて、土が露わになっている。
その土の上に剣が突き刺さっていた。初めて見たとき、柄には五個の宝石が輝いていたのを覚えている。その剣が、俺に話しかけてきた。これで五度目だ。
一度目、俺は聖女に好かれ浮かれていた。そこに加え、彼女のおかげで光魔法も使えるようになり、同僚より頭ひとつもふたつも飛びぬけたところにいた。
それが、俺を自信過剰にしたのだろう。次第に聖女を優先し、アリシアを蔑ろにするようになった。
それでもアリシアが俺から離れることはないと高を括っていた。だって俺は、この国唯一の光魔法を使える騎士なのだから。
ドラゴンの討伐から帰ったら、アリシアとは結婚するつもりでいた。アリシアから届く手紙にも四回に一度は返事をしていたと思う。だけれどある日、俺のもとに予想もしない手紙が届いた。
手紙の主は父親で、アリシアから婚約解消の申し出があり、それを俺が承諾したという。そんな覚えはない。なにかの間違いだろうと読み進め、俺は言葉を失った。
――アリシアは、新しい婚約者と一緒に馬車で旅行中、事故に遭い死亡した。
どうしてそんなことになったのか。しかもその手紙には、「俺から届いた手紙は婚約解消を了解する旨をしたためた一通だけ」だと書かれていた。
手紙を握ったまま連絡係を問い詰めると、聖女の命令で俺からのアリシアに宛てた手紙は全部燃やしていたという。
なぜ、聖女が俺の手紙を燃やしたのか。
考えをまとめる間もなくドラゴンが現れ、必死で退治した。
退治したあと向かった洞窟で、俺は剣を見つけた。いや、見つける前に話しかけられたというほうが正しいだろう。
――時を戻してほしくないか?
それは、俺にとって願ってもない言葉だった。時を戻せば、再びドラゴンを退治しなくてはいけない。でも、二度目だ、今よりずっとうまくやれるだろう。
それに何より、アリシアを救える。
二度目の人生。
聖女が俺に執着しているのに気づいた。理由は分からないが、べったりと俺にくっつき、アリシアとの仲を裂こうとしている
どうして以前は気づかなかったのだろう。聖女に気に入られ、光魔法を使えるようになって浮かれていたとしても、愚かすぎる。
同じ過ちを二度も犯すほど、俺は馬鹿ではない。
二度目の人生では、アリシアとのお茶会の時間を大事にし、勤務時間外はできるだけ一緒に過ごすことにした。それでも聖女の傍を離れなかったのは、光魔法は聖女と一緒にいることで目覚めたのだろうと言われていたからだ。
そうしてドラゴン討伐の時期がきた。
俺は、食料運送班に金を支払い、アリシアに手紙を届けてもらった。
でも、ドラゴンと対峙する前日に父から届いた手紙は、同じ内容のものだった。食料班は定期的に森と王都を行き来する。問い詰めたところ、アリシアの家の従者に渡したと言う。
つまり、彼女の実家の従者も、聖女の息がかかった手下だということだ。
三度目の人生。
アリシア宛ての手紙を書くのをやめ、代わりにミリアに手紙を送った。事前に暗号を決めておき、それを解読してもらう方法は、あきらかにミリアとアリシアに不信感を与えた。
それでも聖女が俺の手紙を破棄するかもしれないと言うと、「あり得る」と納得してくれた。すんなり理解するあたりに、聖女の傍若無人ぶりが垣間見えた。
だけれど、アリシアは死んだ。
違うのは婚約解消をしなかったことだ。彼女と過去二回婚約した男に強引に馬車に連れ込まれ、事故にあったらしい。
その手紙を読んで察した。アリシアの新しい婚約者となった男も、聖女の手下だ。どういう理由か分からないが、アリシアを誘惑して再婚約したのだろう。
三度目の人生では、俺とアリシアの絆は過去一強かった。だから仲を裂くことができず、無理に馬車に乗せた。
もしかすると、その男は聖女に弱みを握られていたのかもしれない。そうして、別の手下によってアリシアもろとも殺された。
どう考えても、この仮説が正しいと思った。となれば、することはひとつだ。
ドラゴンを殺して俺は四度目の人生に臨みを託した。
四度目の人生。
アリシアを王都に残すのは危険だと判断した俺は、アリシアに回帰していることを伝えることにした。
頭がおかしくなったと思われるのを承知で説明し、なんとか信じてもらった。
そうしてドラゴン討伐までの間に、アリシアの婚約者となる男の調査をした。結果、男は賭博で莫大な借金を負っていて、それを聖女が肩代わりしていた。
知り合いの騎士に賭博場を摘発してもらい、男は拘留されたが、だからと言ってアリシアが安全とは限らない。だって、聖女の手下はあちこちにいるのだから。
っていうか、聖女ってなんだよ。何やってんだよ。
王都が危険なら、いっそのこと一緒に討伐に連れて行こうと決めた。討伐には聖女も同行するが、叔父に聖女がアリシアを害するかもしれないから注意してくれと頼めばなんとかなるだろう。
そのためにも、聖女が俺とアリシアの仲を裂こうとしているという噂を流しておいた。聖女の普段の言動も相まって、噂はあっという間に学園内だけでなく、外にまで広がった。叔父もアリシアを守ると言ってくれたので、安心していたのだが。
ドラゴンを退治して救護班のいるテントに行くと、そこで泣き崩れる聖女がいた。どうしたんだ。それよりアリシアはどこだ。
そう考えている俺に聖女は駆け寄り、抱き着いてきた。
「アリシアが崖から落ちて死んだの! どうしてひとりであんなところへ行ったのか……」
頭の中が真っ白になった。気づいたときには聖女を突き飛ばし、ドラゴンの穴へと走った。あいつが。とうとう聖女が自分の手でアリシアを殺した。
全身の毛穴が開き、毛が逆立つ。怒りでどうにかなりそうだ。いや、どうなってもいい。
洞窟に走り込み、湖を泳ぐ。そうして俺は、剣を手にした。
はぁはぁと吐く息が荒い。剣に映る俺の顔は、もはや人間のものとは思えなかった。
剣を心臓に刺すと、時を戻せる。
それは想像を絶する痛みを伴うものだ。
全身に針を刺され、生きたまま細切れにされるような痛み。内臓から燃やされ灰になるような苦しみ。口を塞がれ、息ができず、目の前が真っ暗になる。それなのに意識を失うことなく、痛みは永遠と続く。
「待ってろ、アリシア。今度こそ、結婚しよう」
戸惑いなんてなかった。痛みぐらい何度だって耐えてやる。
そうして俺は、五度目の人生を迎えた。
*
「ここへ来るのも、五度目か。もはや新鮮味はないな」
聖女でも、千切れた腕は治せない。叔父に頼んで出血だけを止めてもらい、俺は洞窟に来た。
「五度目の人生、完璧だったな」
アリシアにすべてを話そうかとも思ったが、敵がどこにいるか分からないのであれば防ぎようがない。不安にさせるだけだと四回目と同じく、作り話をすることにした。
聖女がアリシアを殺す前に、助ける。そのためには無茶な戦い方をしなくてはいけなかった。だからはじめから決めていた。左手を捨てると。
「ま、最後に両腕で思いっきり抱きしめられたし、悔いはないな」
これからも、片腕になるけれど抱きしめられるし。
剣が見えてきた。同じ言葉で俺に語りかけてくる。
――時を戻してほしくないか?
「いや、もういいかな」
――左腕を取り戻せるかもしれないぞ
「お前、他の言葉も話せたのか」
五度目にして新発見だ。左手を取り戻せる、か。たしかにそれは魅力的な話だ。でも。
「回帰をするたびに、お前の柄の宝石がひとつ減っている。おそらく次の回帰が最後になるだろう。もし失敗したら、俺はアリシアを失うかもしれない。それなら、左手なしで生きるほうがいい」
俺は結構、慎重派なんだ。
剣の真上にある天井目掛け、魔法を繰り出す。天井が崩れ、泉もろとも剣が土に埋まる。それを見届け、俺は洞窟をあとにした。
洞窟の外で待っていた仲間が駆け寄ってくる。
「中に何かあったか?」
「いや、途中で天井が崩れ奥まで行けなかった。崩落の危険があるから、いっそのこと埋めてしまったほうがいいかもな」
「分かった。隊長にそう報告してくるから、お前はもう寝ていろ! 顔色が悪いぞ」
「腕を切られたからなぁ」
「何呑気なこと言ってるんだ」
走り去る同僚と入れ替わるようにして、アリシアが来た。
「アリシア、右手だけだけれど、抱きしめていいか」
「もちろん」
俺の腕に飛びこんできたアリシアのぬくもりが、香りが全身を満たす。
「これでエリックは死なないね」
「あぁ。左手がないけれど、命がある。充分だ」
腕を緩め、アリシアを見つめる。涙をためた瞳に映る俺は、世界一幸せな顔をしていた。
「愛しているよ。ずっと一緒にいよう」
「はい」
アリシアが短く答え、再び俺に抱き着いてきた。
これが、俺たちの結末。めでたし、めでたしの裏側だ。
アイデアを思いついて一日で書き上げました。楽しかった!
他にも長編を投稿しています。
古文書修復師の受難〜婚約解消を宣言したら、筆頭魔術師にストーカーされるようになりました。
ぜひ、こちらもよろしくお願いいたします。




