第29章:遂行
遂に修学旅行がスタートした。周到に計画をしたなるかの思惑は果たして成功していくのか。
宮下先生は「全体のしんがりをマークするから」と言って、人の波のいちばん最後に陣取る手はずになっている。私は他の生徒たちの背中がどんどん改札のほうへ吸い込まれていくのを横目に、足元をわざとゆっくりとさせて、最後の人間が通り過ぎるのをその場でじっと待った。
ほかの生徒たちがぞろぞろと退屈そうな足取りでホームへ吸い込まれていくなか、最後尾に陣取った宮下先生のすぐ隣に、私はまるで当然の権利だといわばかりにぴたりと寄り添った。
周りの風景なんて、色を失ったただの背景にすぎない。これからみんなが向かうのは、学校行事という名の窮屈な集団旅行だ。でも、私の頭の中にある目的地は、そんな生徒たちのものとは全く違う場所にあった。私たちは今、学校という退屈な檻を抜け出して、二人だけの甘い秘密の逃避行へ向かっているのだ。
そんな不埒で、胸が締め付けられるような甘い錯覚に酔いしれながら、私の足取りはいつになく軽やかで、浮かれた春の風みたいにふんわりと弾んでいた。
新幹線に乗り込んだ瞬間、私たちはまるで世界から切り離された特等席に放り出された。指定された車両の一画は、なぜか学校の団体客の配置の都合で奇跡的にぽっかりと空いていて、一両分がまるまる貸切状態のような異様な気配を放っていた。一般の乗客が入り込む余地なんて、どこにも残されていない。
私は迷うことすらなかった。通路を挟んですぐ隣、橋本先生と宮下先生の二人が並んで座る席の、そのすぐ横の座席に、当然のように滑り込むようにして腰を下ろした。
「ねえ、せんせは広島、初めてなの?」
新幹線の窓ガラスを激しく叩くように流れ去る景色から目を離し、私は通路の向こう側に座るあの人に身を乗り出すようにして尋ねた。
「ううん、広島は行ったことないなあ。初めてだよ」
「じゃあさ! 私が案内してあげる! 私、高校のとき広島の学校だったから、ほぼ地元みたいなもんだしね!」
得意げに胸を張りながら、私はここぞとばかりに自分の有能さをアピールした。
「ほんと? それはめっちゃ助かるわ! 俺さ、ずっと本場の広島焼きが食べたかったんだよな!」
その言葉を聞いた瞬間、私のなかでピタリと時が止まった。
――広島焼き。
その甘ったるく、どこかよそよそしい響きが、私のなかの地雷を踏み抜いた。
「あのさ。あれは『お好み焼き』なの!」
「えっ、そうなの……?(笑)」
「そう! 『広島焼き』なんて呼ぶのは、広島の人間じゃない人たちが勝手に区別するために言い出したんだからね! ……まあ、知らんけど!」
青春のすべてが詰まったあの街の記憶を、そんなひとまとめの観光客みたいな雑な言葉で片付けられてたまるか。私はわざとらしく頬を膨らませ、ムッとした強い眼差しをあの人にぶつけて、その軽口を一蹴した。
先生は、そんな私の急な戦闘態勢に苦笑いしながらも、面白がるようにふっと目を細めた。
新幹線が重い鉄の音を立てて滑らかに滑り込み、私たちはついに広島駅のホームへと降り立った。人の波に押されるように改札を抜け、駅前の喧騒から少しだけ外れた、人通りの少ない一角に一団がまとまる。
「はい、じゃあみんな聞いてくれ! もうここから自由行動だから。次の集合はホテル! 十八時厳守! 遅れたら承知しないからな。ホテルに着いたらロビーで点呼を受けて、そのままチェックインを済ませて各部屋に荷物を置くこと。十八時以降の指示はまたロビーでする。いいな?」
そのピンと張った声を聞かされるたび、ふと忘れてしまいそうになるけれど、宮下先生は今、まぎれもなく「仕事中」の教員なのだ。その背筋の伸びた横顔すら、今の私には少しだけ眩しくて、そしてちょっぴり疎ましい。
「じゃあ、解散!」




