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六、替え玉

敵であった午吉の寝返りに、吉橋家の明暗は俄かに変わる事に成る。

二川宿で、自身にも見張りが付けられた事を知った午吉は、今迄味方であった者達に信用を置く事が出来無く成り、そして、遣り替えさえも無く成った。

一方、梅吉は主茂直の替え玉を作り、主の制限を解く事に成功する。

そうして、次の宿場藤沢宿にて、藩主茂直は秘密裡に旧知の仲である和尚へ会いに行くのだった。

 藩主吉橋茂直が瀕死の状態だと確認した辰吉が、一党の頭弥次郎兵衛へ報告すべく駆けて行く姿を見ながら、

『これで良し。』

 旨に思うと、午吉は辰吉から渡された小紙を開いた。

 其処には、

『藩主の命、国元で落着させる意向故、道中にて出来うる限り弱らせておかれよ。』

 とだけ書かれてあった。

 午吉は、小紙の文面を一読すると、袖口から火種筒を取り出し小紙に近付けた。

 途端、紙は一瞬の炎と共に小さな灰と成って風に運び去られた。

 その灰を見ながら、

『のぅ、其処の木に隠れし者よ。

 殿は既に、十分に弱って居られ様⁉』

 自身が立つ場より凡そ半町(約五十メートル)後方の大木、その幹に隠れ監視して居る者へ午吉は心の内に問い掛けた。

 その者が辰吉と共に遣って来た事を、午吉は当初から気が付いて居たが、自身の面前へ姿を現わしたのが辰吉だけだった事に、

『弥次郎兵衛め、余程に儂の事が信用成らぬと見えるな!

 されど、それも無理からぬ事。

 儂とて、あ奴と共に居るのは、もはや業腹(ごうはら)にてな。(業腹・酷く腹立たしい、悔しい)

 されども、見張りを付けるとは、誠に厄介な事と成ったものよ。

 ならば、このまま気付かぬ振りを通さねば成るまい。

 じゃがこの先、あの者の目がある故、梅殿との繋ぎを如何に取り持てば良い物か⁉』

 そう思うと、思案に暮れるのだった。

 がしかし、午吉はその日の内に見張る者の怠慢を知る事と成った。

 見張る、弥次郎兵衛配下と思しき者は、一行を見張る午吉が精励恪勤(せいれいかつきん)な気質であると見て取るや、張り付かずとも大して動きは変わらぬ筈と、早々に持ち場を離れ何処ぞへ消える様な者であった。

『あれでは、取るに足らぬな。

 されば、梅殿とも容易く策は練れると言う物。』

 そう思うと、善は急げと一行が休憩で立ち寄った寺の境内へ潜り込んだ。

 半時刻経つと一行は、逗留予定である二川宿目指し出立した。

 その一行の中、馬の口取りをする者が梅吉から善七へと変わって居る。

 この時から遡る事、出立前。

 馬の口取りをする為、その支度に取り掛かった梅吉は、主茂直の愛馬光丸へ鞍を置こうとした時、馬氈(もうせん)の裏に小さな紙が張られてあるのに気付いた。

 それを取り、書かれて居る物を読んだ梅吉は、帯同する配下善七を呼ぶと口取りを変わる様に指示し、自身は家老内藤玄番の元へ向かうと一行から離れる許しを請うた。

 これに訳を尋ねた玄番は、その内容を聞き納得すると許しを与えた。

 その後、一行を離れた梅吉は、午吉の元へ向かうと此れ迄の状況を聞き、面倒だろうが見張りの者は気付かぬ振りでそのままに、繋ぎが現れた際には知らせる様指示を与えた。

 一行が白須賀宿を発ち、二川宿へ差し掛かった時、一行と行動を共にする午吉は、一つの気配が現れるや距離を置き、同じ足取りで付いて来るのに気付いた。

 その上で、梅吉と交わした策に従い気付かぬ振りを通しながら、

『されど、あれで付け廻しとは片腹痛いわ!』

 自身と共に一党を作った弥次郎兵衛が、恐らく勤めが出来ると迷いなく放った見張りの者であろうが、技術はさておきその心根の低さに呆れ情けなさを覚えるのだった。

 見附宿を出てから此処迄、各宿場で休息を取って来た一行であったが、これより後は二川宿迄一気に進み、ゆっくり休息を取る事を優先する足の運びと成った。

 そうして暮六つ前、一行は二川宿の本陣へ草鞋を脱いだ。

 この二川宿は当初、二川村と大岩村の二村で一宿分の役目を果たして居たが、寛永二十一年には経済的に行き詰まった事から、征夷大将軍の天領地と成り、場所を一か所に集約し一体化された宿場町である。

 そうした二川宿へ入った一行は、馬場屋本陣へ入ると茂直を奥座敷へ運んだ。

 満身創痍と言った状態で本陣に入った茂直は、そのまま夜着に着替えると床へと躯を横たえた。

 その様子を見て玄番は、小姓芹川十三郎他数名を残し人払いをすると、何かあれば直ぐ様自身を呼ぶ様に指図し自室へ引き取った。

 部屋に入って来た玄番へ、

「作十は、如何致して居った?」

 突然尋ねられた玄番であったが、その存在は既に承知の上であったのであろう、

「直ぐ様、床に付きました。」

 言った玄番へ、

「あ奴には、さだめし気の毒な仕儀と相成ったわ。

 儂の勝手気儘が為、さぞや退屈を持て余して居ろうなぁ。」

 言った声の主に、

「されば、何の問題も御座りませぬ。

 此度の役目、殿の恩為と心得て、あ奴も喜んで居りました故に。

 それに、あの者は如何程食うても太らぬ躯ゆえ、飯も我慢を強いらずに済み、普段口にせぬ様な品も食せると、愉快気に申して居りました。」

 そう言った玄番の言葉に、自身の身の安全を図る為とは言え、我慢を強いられる事に嫌気がさしたが故、こうした状況を何とか出来ぬかと要望したのへ、常々気の毒に思って居た梅吉が身代わりの策を授けた。

 そうして、白羽の矢が立ったのが、足軽の畑作十と言う齢三十五の男であった。

 この作十、この年に成る迄独り身であったが、好んで独り身を通して来た訳では無く、本人は至って所帯を持ちたいと切に思って居たのだが、常日頃から女性との縁が無くこの年迄独り身であった。

 そうした嫁を娶れない作十を、粗方の仲間達は気の毒に思って居た。

 知る者誰もが、人が良く優しい上に面倒見が良いと言う作十は、貧相としか言い様の無い頬がこけた顔に、食べても太らぬ痩せ細った体躯であった事から、武士には向いて居らぬと揶揄される様な者でもあった。

 そんな如何にもお人好しを絵に描いた様な作十は、その様なからかいの中、自身の様な者が御家の役に立つ事等、この先も来ないのではと意気消沈する毎日を過ごして来た。

 それが前日夜。

 逗留する見附宿、その中で宛がわれた宿でくつろいで居た所へ突然、襖が開くや、

「おい、作十!

 お主、一体何をしでかしたのじゃ⁉」

 突然、足軽頭の小竹鍋四郎から言われ、続け様に、

「今直ぐ御本陣へ出向き、御家老様の元へ参る様にとのお達しぞ!」

 言われたのに、作十は思い当たるしくじりも無いまま、恐る恐る本陣へ向かうと門番へ名を名乗り呼ばれて来た事を告げた。

 すると、既に話しが通って居たのか、門番から玄関に向かう様言われ、気が付けば本陣の一室へ通され座って居た。

 六畳の殺風景な部屋に只一人ポツンと座る作十は、これから一体何が起るのかと気を揉むのだが、それは決して良い事では無い事位は察しが付いて居たが、それがどれ程に恐ろしい事なのかは想像が付かず、とどのつまり何かしらの不始末が元で、御家の役に立つ事も無く命が奪われるのだと覚悟を決めた。

 そう結論付けた作十は幼少の頃より気が小さく、この時引っ切り無しに吹き出す汗を手拭いで拭う事しか出来ず、此れ迄まともに御奉公出来なかった事を思えば、それも致し方も無い事と自身の身を呪った。

 と、其処へ突然、襖が開くと女中が茶を運んで来た。

 作十の前へ茶を置くと、女中は何を言うでも無く部屋を出て行った。

 と、入れ替わる様に、身形の良い武士が部屋へ入って来るや、冷や汗を掻き落ち着きの無い作十の面前へ座った。

 躯を小さくし、面を伏せて座る作十に向かい、武士は顔を上げる様に言った。

 言われ作十は、言われるままに顔を上げると、目の前に座る武士の顔を恐る恐る見た。

 その顔は普段滅多に見る事の無い顔で、今回の道中に於いても遠くに見掛けはしたが、普段自分達が関わりを持たぬ、本来自分達の様な者が話す機会さえ無い人物であった。

「左様堅くならずとも良い。

 気を楽に致せ。」

 言われ作十は、心の内にその様な事が出来る筈も無いと、早くこの地獄の様な場から解放される事を願った。

「某、家老の内藤玄番と申す。

 存じて居られ様かな⁉」

 問われたのに、遠目に見た事はあると答えた作十は、目の前に座る家老が自身の様な一兵卒に一体何用があるのかと思い、次に家老が口を開くのを待った。

 それを察した玄番は、

「左様、力むには及ばぬ。

 休んで居る所、態々呼び立てて相済まぬ。

 実は、そなたへ殿直々の御用向きにて参じて貰ろうた次第なのじゃ。」

 男の言葉に、作十は殺されるのでは無く、何か役目の話で呼ばれたのだと安心するや、力が抜け畳へへたり込みそうに成るのを、どうにか踏ん張り、

『しくじりじゃ、御座らんかったかぁ。』

 心の内に叫ぶと、

『成らば、何用で呼ばれたのであろう?』

 と、今度は新たな不安が首を擡げた所へ武士は、

「実はの、そなたに殿の身代わりに成って貰いたいのじゃ。」

 家老の唐突な言葉に、作十は大層驚いた。

『何故に、儂の様な者が殿様の身代わりに⁉

 誰がどう見ても、明らかに器量や体躯が殿様とは違い過ぎる⁉』

 そう思うと、作十にはどうしても事柄が理解出来なかった。そこで、

「恐れながら、御伺いしとう存じますが、宜しゅう御座いますか?」

 意を決し問うたのへ、家老は何を聞いてくれても構わ無いと返したのへ、余りに違い過ぎる殿様との容姿に、何故この様な身形の自身が選ばれたのかと尋ねた。

 これに玄番は、詳しくは話せないがと前置きした上で、何者かが殿様の命を狙らって居るらしく、命を守る事は勿論だが犯人を捕まえる為にも、殿様の身代わりと成る者が必要なのだと話した。

 だが、主茂直からは決して無理強いする事の無い様にと言われて居り、作十が出来無いと言うのであれば、それはそれで一向に構わ無い事ではあるが、断わるのであれば決して話しを口外せぬ様にと言い、万が一にも口外せし場合は……と言った。

 この話に作十は、口外するも何も、喜んでその勤めをお受け致しますと言った。

 これに玄番は、安堵し喜びはしたが、

「されどそなた、恐ろしゅうは無いのか?

 下手をすれば、命が奪われるやも知れぬのだぞ⁉」

 言った物の、玄番はこの様な物言いでは作十が間違い無く怖気付くと、言い方を誤った事に悔むのだったが、

「申す迄もありません、誠身の内震える思いに御座ります。

 されど、こんな(しも)めの命で御座いますが、もしこの様な命でもお役に立てますならば、御遠慮のうお使い下さいませ。」

 との、意外な返事に玄番は驚いた。

「構わぬと申すのか?

 良くぞ申してくれた。

 じゃがそなた、如何なる覚悟を持っての事か、それを儂に聞かせてはくれぬか?」

 言った玄番へ、作十は足軽として吉橋家に仕えさせて貰って居るが、これ迄仲間からも私の様な者が御家の役に立てるのか、その様にひ弱な体躯の者が何の役に立てると、謗られ馬鹿にされ続けて来た事から、自身もその様に思い自信を無くして居たと言うと、御家老様からその様な話しを頂き、御家やお殿様のお役に立てるならば、身に余る光栄であり喜ばしい事であると答えた。

 そして、その事で命を失う事があっても、自身には既に身寄りも無く悲しむ者も居ない事から、この世に憂いを残す様な事も無いと付け加えた。

 それを聞いて玄番は、

「作十よ、も一つ聞いて貰いたいのじゃが、殿が江戸をお発ちに成られてよりこの方、御躯の具合が思わしく無かった事は、そちも重々承知致して居るであろう。

 その上、道中にて御命を狙う不届き者迄現われた故、方策として、殿には病に見せ掛けるべく、御膳を控えて頂いて居ったのじゃ。

 されど、その辛抱が災いし、かえって躯を壊す事と相成ってしもうた。

 そこで、替え玉を据え申して、殿には一介の臣として過ごして頂き、行列へ御加わり頂くべく其方の出番と相成った次第よ。

 如何じゃ、異存はあるまいか⁉」

 と此処迄の話しを聞いた作十は、玄番と相対した時の様な途方に暮れた表情では無く、清々しく晴れやかで肝の据わった武士の面持ちと成って居た。

「異存など、あろう筈も御座いませぬ。

 謹んで、このお勤め御受け致します。」

 そうした経緯を思い起こし、玄番は茂直へ向かうと、

「殿、作十は此度の身代わりを、忠節と承知し喜びと受けてくれました。

 あ奴、役立たずと言われ続けて来た様で、自身にしか出来ぬ御役目に身が奮い立って居る様に御座います。」

 玄番が言ったのに、

「左様か、命が危ういのを承知で。」

 言うと、何か思いに耽るのか、暫く一点を見据えたままの姿と成った。

「殿……殿。」

 玄番に呼ばれ、我に返った茂直は、

「作十成る者、いずれ取り立てて遣らねば成るまいな。

 して、玄番。

 此度、作十の処遇は、如何な物にする⁉」

 聞かれた玄番は、既に答えを用意して居たのであろう。

「急ぎの用向きにて、江戸屋敷へ使い立て申す事とし、一行より離し江戸へ向かわせた事と致します。」

 と答えた。

 そして、二川宿以降の行程を、茂直は一家臣と成り密かに道中を進む事と成った。

 翌日、次の逗留先である藤川宿を目指し一行が発とうとした時、駕籠へと乗り込もうとした茂直を支える者が、迂闊にも手を滑らし支え切れず地面へ倒れさせてしまった。

 慌てる者達が、どうにか駕籠へと茂直を乗せると、その者の近くへ玄番が遣って来るや何やら話したのへ、近衛の者は項垂れ一行の後ろへと廻り殿の(しんがり)列へ混ざると、見咎めた玄番は用意された自身の駕籠へと乗り込んだ。

 隊列が整い出立の支度が整うと、一行は号令の声を合図に国元を目指し、次の宿場町である藤川宿を目指し動き出した。

 三十間程離れた本陣を見下ろせる木の上から、午吉がこの一部始終を見て居た。

 そして、その姿を監視しながら別の大木に潜む者は、

斯様(かよう)に迄衰えて居ようとは⁉』

 痩せ細った茂直が地面に倒れ込む姿を、その目で見た事から驚くと、潜む大木の葉の隙間から午吉を見遣り、

『頭が言う程、午吉が役に立たない者では無いのでは⁉』

 と旨の内に思うのだった。

 そうした自身を見張る者の存在は、午吉の心から気を抜かせる事をさせなかった。

「辰吉は騙せても、あの者の目は如何であろうか⁉」

 そう思い、何としても自身が寝返った事を悟られぬ様にと気を引き締めるのだった。

 粛々と歩んで行く一行に沿い、午吉は一定の距離を取りつつ歩みを合わせ付いて行く。

 その午吉を、弥次郎兵衛の手下であろう謎の者が後を追う。

 その様子を梅吉は、一行の中から藩主茂直に化けた作十が乗る駕籠へ小者として付き従いながら見て居た。

 そして、続く家老内藤玄番の駕籠を守る(きん)()の中に、藩主茂直が紛れながら共に先を目指し歩んで居た。

 時折、

「殿、御疲れでは御座いませぬか?

 何も、殿御自らお歩き為されずとも宜しゅう御座いましょうに!」

 玄番が言うのへ、

「玄番よ、気にせずとも良い。

 毎度、あの様な駕籠の中にて窮屈に過ごすばかりでは、心も塞がる故、たまには斯様に街道筋の景色を眺めつつ歩むも乙な物よ。」

 思わず笑い声が漏れそうに成るのを、何とか堪えつつ返すのだった。

 実際の所、吉橋家では駕籠を藩主用と家老用の二挺しか用意して居らず、玄番が再三自身の駕籠を勧めるのへ、家老が歩けば余計に怪しまれるであろうと諫め、成らば自身が殿と入れ替わるのはと言うのに、道中にて晒して居る家老の顔が違えば、敵が怪しむのは間違い無い上に家臣達も動揺する、と茂直が言いながら面白がり頑なに申し出を固辞した。

 成らば、用人として馬上へと勧めるも、余計に目立ち露見する恐れがあるでは無いかと諫め、木を隠すには森へと言う様に徒歩が一番目立た無くて良いと取り合わなかった。

 そうして、遂に根負けした玄番が梅吉に相談すると、

「案ずるには及びませぬ。

 これ迄通り、宿々にて休息を挟みます故、いずれの折に〝代われ〟と申されましょう。

 その節にて、御替わりあそばされれば宜しゅう御座います。」

 そう言い、クスクスと笑うのだった。

 そうして始まった道中も、吉田、御油、赤坂宿と休息を取りつつ順調に歩んだ。

 この歩みの中で、茂直は一度として代われとは言わず、梅吉は殿の意地であろうか敵の思惑を見越してなのか、どちらにしても自身が思う以上に大した御方だと思った。

 そうして、逗留地である藤川宿へは、夕焼けが空を真っ赤に染める頃に入った。

 この藤川宿、江戸から数えて三十八番目の宿場で、江戸幕府を開いた徳川家康の祖父松平清康が岡崎城を居城として以来、城下町として発展した岡崎宿を隣に控え、天保十四年の記録では岡崎宿が家数千五百六十五軒に比べ三百二戸、本陣三軒脇本陣二軒に対し本陣脇本陣各一軒、旅籠数百十二件に対し三十六軒、人口六千四百九十四人に比べ千二百十三人と、宿駅大宿である岡崎宿に比べ中規模程度の宿場町であった。

 元々、藤川宿の本陣は二軒あったのだが、本陣家業を行って行く内に落ちぶれる事を繰り返し、この頃には森川久左衛門が勤めるだけと成って居た。

 幕府にしても徳川家康誕生の地であり、大御所と呼ばれた家康が本拠として居た岡崎城が在る岡崎宿は、本多、水野、松平家と歴代

譜代大名が藩主を務める城下町である為、他藩の宿泊には制限が課される場合もあった。

 そうした岡崎宿は、宿場町として整備されて居た事もあり、大大名家でも十分に宿泊が可能であったが故に、紀州や尾張藩等の御三家は元より、彦根藩等の譜代大名が利用する宿場町であった為、外様である吉橋家は参勤交代に於いて岡崎宿への逗留は避けて来た。

 又、譜代大名であっても、吉橋家の様な無城大名(万石程度)等は、大名家が宿重(しゅくがさね・複数の行列が同日同じ宿場で泊まる事)と成らぬ様、逗留先を岡崎宿にする事無く手前ないし通過するのが通例であり、こうした事から吉橋家は代々手前の藤川宿を定宿として来た。

 そうした吉橋家の中で、茂直は歴代の藩主の中でも特に藩主らしからぬ藩主であった。

 幼少の頃より帝王学を学び、君主と成るべく教育を受けて来た茂直ではあったが、元来好奇心旺盛で何事にも自身が納得する迄、遣ってみないと納得しない気質で、幼少期から家臣が戒めるのも聞かず手を焼かせ、元服前後は思春期と言う事もあり、自身が望んでも居ない藩主の道を歩む事を嫌い、他の道は無い物かと世の中を知るべく、家臣達の目を盗んでは密かに城下へと出掛けたりした。

〝井の中の蛙、大海を知らず〟

 茂直が幼少の頃、施された武家教育の中で習った四書五経、その中で荘子と言う中国の古典に書いてあった文言。

 狭い見識に囚われて居る事への戒めと言う意味であるが、正に自身がその様な武家社会に生きて居る事で、本当の世間や人々と言う物を知らず、このまま君主と成っても民の事を思える人物には、到底成れ無いのではと言う思いも併せ持って居た。

 そう言う思いが、お忍びで城下を巡見させる思いにさせてしまった。

 そしてそれは、藩主と成った今日も変わる事無く、国元へ帰れば領民の暮らしを見て回り、言葉を交わし触れ合い泣き笑う。

 そうした行いは参勤交代の時も同じで、早くに陣屋へ入った時等は、夜にふらりと宿場町へ出て人々の暮らしや話に耳を傾けた。

 そして、此処藤川宿に於いても宿場を歩くのが好きで、立ち寄った際には必ず立ち寄るのが明星院と言う寺であり、この寺に伝わる〝片目の不動尊〟を見に来るのが楽しみの一つと成って居た。

 そのお不動さんは、この寺にある不動明王立像で、永禄五年の扇子山の戦いに於いて、敗走する徳川家康を武士の姿に成って庇い、射掛けられた矢を受けた事で片目に成ったと伝わる像で、その霊験あらたかな姿をどうしても見たく成り、忍んで立寄った事から住職とも親しく成り、以来参勤交代の都度、寺へ寄り住職と様々な話をする間柄である。

 しかし此度住職は、伝え聞く茂直の現状に藩士は元より、陣屋の者達もが藩主茂直の体調不良を知って居り、無理を押しての帰国道中故に、此れ迄の様に茂直は表へ出て来る事は無いだろうと思って居た。

 案の定、幾人かの家臣達が、夕餉の後に宿場内を散歩する姿があったが、その中に藩主茂直の姿を目にする事は出来無かった。

『此処迄念入りに仕立てておれば、易々と殿が替え玉と見抜かれる事もあるまい⁉』

 本陣の出入口を半町程先に望む旅籠、喜乃屋の障子を薄く開けそんな事を思う午吉は、本陣の門を出入りする者達を見ながら思うのだった。

 そうした者達の中、今正に門を潜ろうと連れ立って歩く侍と小者の姿があった

「のう、梅。

 作十は、大事無いか?」

 二人連れの内、侍がその様に言った。

 この侍、道中に於いて、家老内藤玄番の近侍の形をした藩主茂直で、

「何の差し障りも御座りませぬ。

 あの者は、如何程食らおうとも肥えぬ体躯故に、平素は口に致せぬ様な膳を給われて、誠に悦んで居りまする。

 それに、此度の御役目、重き勤めと心得、病の者を装い、巧みに振る舞うて居ります。

 殿の御恩に報いんが為、一層励んで居りますれば、くれぐれも御心痛召されませぬ様。

 尚、付け加えて申さば、夜ともなれば某も忍び寄りて控えて居りまする故に。」

 小者の形で付く梅吉の言葉に、近侍の形をした茂直は安堵した表情で頷くと、

「毎度、参勤の折には、家臣一同へこの様な労を掛けて居ると、此度は儂自ら脚を運びてみて漸く身に染みて解ったわ。

 儂は何を持つでも無く歩いて居るが、槍持ちの者から駕籠持ちや荷駄の者に至る迄、誠に毎度良く立ち働いてくれて有難き事よ。

 加えて、先駆けや道中奉行らも、此度の如き異例の行軍と成った折にも、滞り無く万全の手配りをしてくれる。

 いやはや、これも偏に皆の尽力あっての事ゆえ、誠に頼もしく思うて居る。

 何事も、当たり前と心得ては成らぬと、改めて肝に銘ずる事が叶ったわ。」

 言った茂直に、そう言って貰える事は家臣一同、この上なき幸せにて喜びに御座いましょうと返した。

茂直は自身が動く度に、これだけの家臣が力と成ってくれている事を知り、家臣一同に感謝するのだった。

次回、御三家の一つ、尾張名護屋での話に成ります。

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