四、誘い
国元を目指す吉橋家一行が見附宿に到着すると、藩主茂直は奥へと運ばれ安静にと横に成る。
そうした主を見舞った家老内藤玄番は、実は藩主が仮病を使って居る事を知る。
そうした中、一行に合流した忍びである梅吉は、一行の中で暗躍する者を捕まえる。
夜明け前より、本陣の台所からは朝餉を用意する煙が立ち昇り、調理人や陣屋の女中達が慌ただしく右へ左へ立ち働いて居る。
藩主である茂直は元より、家老である玄番や本陣に泊まる者達の膳が、所狭しと並べ積まれた台所は正に戦場の様相であった。
質素倹約を実行する茂直の膳は、只でさえ普段から一汁一菜に香の物と言った質素な物であるのだが、思わしく無い体調はこの日に於いても変わらず養生食を続けさせて居た。
茂直への食事が整った所で、御膳番が毒見を兼ねた味見をした後、茂直の側者が再び毒見を行うのだが、茂直の元へ運ばれて来た時には既に食事には温かさは無い。
そうした食事を、物心付いた時から食して来た茂直に取っては、疑う余地も無い程に冷めた飯が当たり前と成って居たが、
『大名家の世子として御生を受けられし御方ならばこそ、万に一つも毒等盛られしものなら、それ即ち御家の一大事に相成る。
それ故、日々の御膳も温ければこそ旨かろうが、味見に毒見にと回されては、御前へ届く頃にはすっかり冷めてしまう。
かような御立場にて御生を受けられた事、誠に気の毒に思われ、せめて御膳だけでも温かいまま召し上がって頂きたい物よなぁ。』
そうした思いを抱きながら、茂直が幼少の頃より陰ひなたと成り仕えて来た梅吉は、密かに茂直が食するであろう朝餉が作られるのを身を潜め注視して居た。
陣屋内に居る者達の食事が徐々に出来上がる中、茂直への膳も勿論用意されるのだが、その朝餉は五つ用意され並べられてある。
これを、一つづつ御膳番が毒見をし、問題が無ければその中から一つが茂直の元へ運ばれる。そうした手順を費やす為、茂直の面前へ膳が運ばれて来た時には、どの様な物も冷め切ってしまって居るのである。
何故に、その様な手間を掛けるのか?
それは安全を担保する為、茂直がどの膳を食べるのか、毒を盛るにしても的を絞る事が出来無い様にして居たからである。
毒見が終わり、いよいよ朝餉が茂直の元へ運ばれる時と成ったが、並べられた五つの膳へ近付く者は誰一人として居なかった。
其処へ藩医山東玄英が遣って来ると、手にした薬箱を床へ置き、その鍵を開け薬を一包取り出すと御膳番へ手渡した。
御膳番は手渡された薬を手に、並べられた五つの膳をそれぞれ見回たすと、その内の一つである右から二番目の膳へ置いた。
其処へ、
「殿の御朝餉、頂戴仕りたく参上仕った。」
と、小姓芹川十三郎が言葉と共に姿を現わした。
御膳番が選んだ朝餉の膳を芹川へ手渡したのへ、受け取った芹川は頭上へ膳を頂き台所から出て行った。
それが済むと、残された家臣それぞれの朝餉が順々に運ばれて行き、最後に台所者達の朝餉が残った所へ、
「さぁて、それじゃ皆。さっさと出立迄に飯を済ませてしまおうか。」
御膳番の言葉に、台所者達は朝餉を摂り出すのだった。
朝餉が済むと、それぞれに於いて出立の支度が為されて居る中、
「上手い事化けた物よのぅ⁉」
朝餉を済ませ、片付けの指図を終えた御膳番、赤川馬之助が陣屋の裏で煙草を燻らして居る所に、そうした声が何処からともなく届いて来た。
思わず辺りを見渡した赤川の目には、物干し竿に洗濯物を掛ける女の姿しか映って居なかった。
『声は、男の物であった。
あの女、男が化けた様には見えぬが⁉』
洗濯物を干す女を見ながら思う赤川へ、
『お主の事ぞ、馬之助!』
再び、風に乗り届いた声に身構えると、
「何者、姿を見せい!」
脇差を抜刀し、言い放った赤川に、
「良かろう。
姿を見せて遣ろうが、その前にちとお主に聞きたい事がある!
誠の赤川馬之助殿は何処ぞ?」
姿無き者の声に、赤川は少し狼狽えた。
この時、赤川が抜刀して居る姿を目にした女は、殺気を帯びたその様子に驚き小走りで陣屋の中へ逃げ込んだ。
「まさかに其方、殺しでもしたと申すか⁉
されば、骸は何処ぞ?」
更に畳み掛け問うて来る姿無き者へ、
「何を言うて居る!
儂が、赤川馬之助ぞ。」
言い放ったのへ、
「馬鹿な事を申すな!
赤川殿には、首筋に二つのほくろがある。
化けるのなら、先ずは化ける相手を調べねば成るまいぞ!
その程度の詰めが出来ぬで欺こうとは、片腹痛いわ!」
そう言い終わった所で、身構える赤川の面前へ何処からともなく黒い影が降って来た。
藍染に染められた木綿の着物に、簡素な帯を絞め脚絆を履いた姿は、武家に仕える小者の形その物であったが、その顔は頭巾で隠され窺い知る事は出来無かった。
「おのれ、何者⁉」
問うた赤川に、
「儂か、儂はの。
そなたらが雇い主の仇と成ろう者よ!」
こう言った小者に身構える赤川へ、
「言い逃れ致すで無いぞ。
正直に答えれば、命迄は取らぬ。
逆らうのであれば、その身にて報いを受ける事と成るが、どうじゃ⁉」
言い放った小者のふてぶてしさに、馬鹿にされ歯牙にも掛けぬ振る舞いに、心底腹立たしさを覚えた赤川は怒りから震え出した。
そうした赤川へ小者は続ける。
「今一度聞く。
先ずは一つ、お主らの雇い主は誰ぞ?
更に、も一つ。
今、お主が化ける赤川殿では無く、誠の赤川殿は生きて居られるか?
生きて居られるなら、何処に押し込めて居る⁉」
目の前に立つ小者に問われた赤川は、
「じゃから、儂が……」
言ったのへ、
「ふっ、その様な戯言、もはや聞きとうも無いわ!
己が赤川殿に非ざる事など、既に見越して居ると申したであろうが。
されど、これ程見事に化けおおせるとは、正しく只者には成し得ぬ業よのう。
じゃが、致し方無き事じゃが、儂の目は欺けぬぞ!
そろそろ白状致せい!
己が赤川殿に化けたるは、殿の御命を狙うが為と見て、先ずは相違あるまい。
じゃが、その好計、既に見抜いて居るわ。
故に、もはや無用な足掻き等不要。
素直に申せば儂も鬼では無い故、命迄は取らずに済ませて遣る事も出来る!」
小者に愚弄された思いと成った赤川は、
「何をこしゃくな!
何処迄探り及んでおるかは知らぬが、そう易々とこの儂が口を割ると思うてか。
この場にて、お主を斬り捨てれば、我らが企てが世に漏れ出す事もあるまい。
されば、覚悟せえ!」
言い放ち、刀を構え戦うかと思われた赤川だったが、抜刀した小者をあざ笑うかの如く踵を返し走り出すと、軽々と本陣の塀を超えるや、街道裏に広がる田んぼの中を貫く畦道を北へ向け走り出した。
逃げる赤川を追うべく、小者は塀を飛び越え畦道を同じ様に駆けて行く。
涼風が稲穂を揺らす中、赤川は何処かを目指し走って居る様だった。
更に言えば、後を追う小者は旨の内に、
『やはりこ奴も、忍びの者と見て相違あるまいな!』
そうした事を思いながら、小者は赤川の背中を見詰めつつ後を追った。
小者が思う〝やはりこ奴も”と言う思いからも解る様に、赤川を追う小者自身も又、代々吉橋家に仕える忍びの家系である新城家の頭領、梅吉であった。
左程時を置かずして、赤川は木々が生い茂る森の中へ入って行った。
其処は、霊犬悉平太郎伝説が伝わり、見附宿の鎮守としても知られる矢奈比売神社の境内であった。
梅吉が赤川の後を追い森に入ると、既に赤川は鬱蒼とした森の中へ紛れ込み姿を消して居た。
勿論、鎮守である神社へ参拝する者達も大勢居るのだが、一歩参道や境内を外れると鬱蒼とした広大な森が拡がり、滅多に人が足を踏み入れる事は無く、赤川はそうした森の中で決着を付けるべく身を潜め、追って来る梅吉を待ち構えて居るのであろう。
そう察すると、梅吉は慎重に赤川の出方を伺うべく歩を進めた。
木々の隙間から幾筋か漏れ差し込む光の筋も、折り重なる木々の葉に遮られ地面には届く事が無く、そうした光が失われる中でも森は暗闇に成る事は無かった。
幾分涼しさをも感じる薄暗い森の中を風が抜け、木々の葉を揺らし触れ合う音と鳥の囀りだけが聞える中、梅吉は忍び歩きで先を目指して居たが、ふと足を止めると目を閉じ森と同化するが如く動かなく成った。
その姿を見た者が居たならば、この様な所でこの者一体何をして居るのかと訝しんだであろうが、梅吉が追う赤川は潜む木の上で神経を研ぎ澄まさせて居た。
己の忍びとしての技量には自信を持って居る赤川は、この森を利用し追って来る者を返り討ちにする算段であった。
「ここなら滅多に人も来ぬし、木々が目隠しと成り存分に刃を交える事が出来様。」
赤川は、自身の居所を誤魔化すべく、やまびこの術を使い言った言葉に、
「随分と自信ありげに申すが、はてさて、口程に業が立てば良いがな⁉
されど、其方が敗れれば、先刻の問いに然るべく答えて貰う事と相成るぞ!」
森の中へ言い放った梅吉へ赤川は、
「何をこしゃくな!」
叫ぶと同時に、赤川は梅吉の頭上目掛け飛び降り様斬り付けた。
これを梅吉は難なく受け流した。
二人の刀が交わり、キンと言う金属音が響いたが、間も無く森の静寂が音を飲み込み、再び穏やかな森の様相へと戻してしまう。
刃を交え、互いに飛び退き向き合った二人だったが、赤川は刀を一度交えただけで面前に立つ小者の力量が只者で無いのを悟った。
「不味い、こやつ相当に出来る!
されば、此処は何としても奴を討ち果たさねば成らぬが、儂に奴と遣り合えるだけの腕があるとは思えぬ。
一体如何すれば……⁉」
赤川がその様に迷う中、
「如何致した?
勝ち目が無いと悟ったか!
お主、それが解るは、お主も儂には劣るが生中に出来る者ぞ!
されば、誠の事を話せば、その命だけは助て遣っても良いのだぞ⁉
とは言うても、お主も忍びの者であろう。
その様な事をすれば、味方より裏切者とそしられ命を狙われる羽目と成ろう。
ならば、どの道密事を漏らさぬ為にも死ぬる訳には行かぬ故、この場から逃げるのが最善の策と成ろうな⁉」
言われ、赤川は正にその通りだと思った。
思いはしたが、はてさて逃げるにしても面前の小者より業が優って居るのか⁉
其処が問題である。
刃を交えた時には、戦いに於いての技量が並大抵の者では無い事を悟りはしたが、忍びの本分とも言うべき隠密諜報活動に於いて、
勤めが露呈した折には得られた情報を悟られぬ為、即座に遁出する事が最優先とされ、それが叶わぬ時には迷う事無く死を選ぶのが掟であったが、赤川はこの逃げる事に関して一度として捕縛された事が無く自信があった。
『どの道、他に手立ては無い!
ならば、命を掛け逃げ切ろうぞ!』
心に決すると、赤川は梅吉に向かい飛び掛かったのである。
「ほう、この儂から逃げおおそうと言うつもりなのじゃな、笑止!」
迎え撃つ格好と成った梅吉は、難なく赤川が振り下した脇差を躱すと、振り向き様通常使う大きさより随分小さな鉤縄を投げた。
投げた先には、梅吉と戦う事を装い、その実一目散に逃げ去ろうとする赤川の足首を捕え、絡み付くと力を入れ赤川を引き倒した。
藻掻き、縄を切って逃げ様とする赤川に、ドンと言う衝撃が走るとその意識は遠のいてしまった。
密命を隠し持つ赤川が気付いた時には、その身は柱に縛り付けられ身動きが取れない状態であった。
その廻りに見張りの者は見当たらず、赤川が唯一自由の利く首を左右に振って見ても人影は見当ら無かった。
『さて、此処は何処ぞ⁉
奴め、儂を担いで此処へ運び寄ったか?
ふっ、甘いわ!
まだまだ儂を侮って居るな。
この儂が縄抜けに長けて居るを知らなんだとは、実に浅はかよ。
骨身に染みて悔しがるが良いわ!』
思うと、肩関節を外すべく動こうとしたのだが、これ迄に経験した事が無い縛りの手並みに、寸分も動かす余裕は無く、寧ろ動けば動く程に縄は蛇の様に締まり苦しめて来る。
「むっ、むむぅ⁉」
縄を解き、何とか自由に成るべく藻掻く赤川だったが、其処へ突然、
「無駄な足搔きは止めた方が良いぞ!
藻掻けば藻掻く程、その縄はお主の躯へ食い込んで行き、その内お主の首をも絞めて息が出来ぬで死ぬ事と成ろうからの!
貴様が忍びであるのは既に解って居る!
故に、一筋縄で行かぬのも承知の上。
じゃが、敢えて今一度聞こう。
お主の主は誰ぞ?
主が化けた赤川殿は何処に居る?」
声がしたかと思うと、先の小者が何処からともなく姿を現わし、赤川の元へ来ると胸元から鏡を取り出し赤川の面前へかざした。
其処に映った顔を見た途端、赤川は驚くと共に愕然と項垂れてしまった。
それもその筈、其処に映った顔は、到底赤川の顔とは似ても似つかぬ男の顔であった。
「なぁお主、いつ迄虚言を弄するつもりぞ⁉
もはや、誠を申せ。
死に処を誤れば只の土に成るのみ、何の得も誉れも得られはせぬぞ!
儂も鬼では無い故、包み隠さず申せば命迄奪おうとは思うて居らぬ。」
言われた偽の赤川は、命を絶たぬ様に口枷を嚙まされて居たので、話したくても話せない状態ではあったが、梅吉は口枷を外せば舌を嚙み切る事を悟って居た。
忍びの世界に於いて、捕えられる事、それ即ち死を意味すると言って良い。
敵からすれば、忍びが得た情報は自分達に取って間違い無く不都合な物である。
故に、口を割ろうが割るまいが、亡き者とする事が秘密保持には一番良い事と成る。
そして、この時偽の赤川も又、己が忍びである事から、その定説が至極当然な事と認識し死ぬ覚悟であった。
其処へ、小者は助けて遣ると言う。
『その様な世迷言、信じると思うてか!』
旨の内に思い、隙あらば舌を噛み切り死ぬ覚悟である偽の赤川へ、梅吉は自身の問いに返答させるのでは無く、別の角度から赤川へ働き掛ける事にした。
「儂とてお主と同じ忍びの者。
捕えられれば死に至るは忍びの道理と弁えて居るつもりじゃ。
じゃが、その覚悟を口にする前に、何としても逃げ果たそう何故せなんだ?
あの様な時こそ、知恵を絞り逃げるが本分と何故に思わぬ⁉
その様な考えに囚われて居るからこそ、死ぬる事ばかり考えるのじゃ!
されど、その様な振る舞い、尊き一命を只無駄に散らすだけぞ。
命を投げ打って事に当たるは、我ら忍びにとっては常じゃが、それが何の面目にも成らぬとなれば、只の犬死に過ぎぬ。
それよりも、儂と共に殿の御為、力を尽くす気は無いか?」
突然発せられた小者の言葉は、偽の赤川へ迷いを生じさせるに十分であった。
『共に、殿様の為だと⁉』
確かに、幼少より役目が果たせ無ければ、迷う事無く死を選ぶ様に叩き込まれて来た。
そして、今の今迄、その事に迷う事は一度として無かった。
が、此度の役目を指図された時から、自身には納得出来ぬ思いが胸中にあった。
忍びたるもの、依頼された勤めを全うし、その対価として報酬を受け取るのだが、
『何故に、あれだけの器量持ちの殿様を亡き者とせねば成らぬのか⁉』
偽の赤川自身、吉橋上野守茂直と言う大名の評判が良い事は見聞きし知って居た。
忍びとは、現代で言う所のスパイであり、雇い主の依頼は絶対なのだが、赤川に化けるこの男野辺午吉はずっと良心の呵責に苛まれて居た。
今は亡き武田家、其処に仕えて居た忍びの組織に三ッ者と呼ばれる者達が居た。
武田信玄がその昔、国元である甲斐から関東進出を行った際、三ッ者達は武田家の為に後北条氏への諜報活動や工作活動を行った。
そうした最中に、敵方である後北条氏が雇って居た忍びである風魔忍びと、時に敵対し時に協力する間柄に成ったと言う。
その様な三ッ者の末裔として密かに忍びの技を受け継いで来た野辺午吉だったが、太平の世の中に於いて忍びの技を生かす場は無く盗賊と成り果てた。
そうしたある日、ある商家へ盗みに入った所でバッタリ、別の盗賊と鉢合わせする事に成り、盗み先を巡り遣り合う事と成ったが、互いに一対一で刃を交える中、互いに何か通ずる物を感じた所で突然、
「おい、待て!
お主、忍びであろう?」
と、敵が言葉を投げて来た。
それに、動きを止めた午吉は、お前もかと返答を返したのへ、その者は自身も風魔忍びの流れを汲む者であると話し、互いに単独で盗みをする者同士組んで仕事するのはどうかと誘って来た。
その手始めに、互いが狙いを定めて入ったこの時の商家で盗みを行ったのが、二人が組んで勤めを始めた切っ掛けであった。
そして気が付けば、盗賊の数は何時しか十人を超え一端の一党と成って居た。
それがいつしか、今は盗賊家業は配下の者達に任せ、忍びの筋が良い者達のみで、別稼業として密命仕事を請け負う様に成った。
そうした暮らしも彼是三年の月日が経ち、いつしか武家や商家の間で、
『闇の依頼を受ける者達が居る!』
と、密かに噂が広がるや、次々仕事が舞い込む様に成った。
しかし、それらの仕事は午吉に取って、何と言おうか後味の悪い物ばかりであった。
その内の一つ二つを例に上げると、御膳試合で相対する強敵を試合に出られなくして欲しいや、ある商家からは幕府御用達である商家の献上品を盗む様頼まれた。
そうした勤めを行う中、午吉は様々な依頼の中に人の業を目の当たりにし、何と醜い独りよがりの欲ばかりが理由かと内心呆れた。
そして此度、ある国の藩主を亡き者にして欲しいと言う依頼が舞い込んだ。
午吉は、ろくでも無い藩主であれば、それも致し方あるまいと思えたであろうが、自身がそれと無く調べた限りでは、その人物は名君と言わざるを得ない程の好人物であった。
『これ程の人物を亡き者にと言う輩とは、所詮御家乗っ取りか逆恨みであろう。』
そう思うも、忍びの本分である雇い主は絶対と思いながら、何とも割り切れない思いのまま勤めを始めてしまった。
そうして今、囚われて居る中で心揺さぶられる提案を投げられた。
『誠、その様な思いで言って居るのか?』
面前に立つ小者を見ながら思う午吉は、
『いっその事、この誘いに乗っても良いかと思うのだが……』
心揺れ煩悶する午吉は、盗賊と成り組んだ男と共に歩んで来たこれ迄を思い起こした。
初めて組み盗みを行ったあの日、仲間と成った男は何の躊躇いも無く、年の頃七つ程の下女を殺め様とした。
午吉は、それが許せず男を止めると、
「再び、この様な真似をすれば、この先お主と共に組む事はあるまいぞ!」
午吉の信条である、無辜の者への殺生は行わないと言う思いが、強く男へそう言わさせたのに男は渋々折れた。
がしかし、午吉はその後も男に疑わしい物を感じて居た。
そんな思いを抱く午吉と男は、この半年に於いて共に勤めを行う事は無く、午吉が吉橋家の参勤交代で仕事をして居るこの時も、男は別で一党を率い勤めを行って居ると言う。
近頃では、午吉は単独で勤めをする事が多く、と言うよりは、
「こうした大事な勤めはお主にしか頼めぬ。」 との都合良い口実で、一党から外されて居る様に感じて居た。
午吉自身、男と物の考え方が違って居るのは百も承知で、男が目指す忍び像は戦国の世に千紅万紫した、勤めの為なら殺生も厭わない非道な忍びの姿であった。
しかし、午吉達が生きる太平の世に於いては、武士でさえ刀を抜いた事が無い者が大半を占め、その様な血生臭い勤めを行う等は余りに稀な事であった。
実際、遣り方は午吉に一任されて居たが、茂直に対する午吉が行う工作は、ジワリジワリ毒を盛ると言う遣り方で、
「その様な呑気な事では、御雇い筋の機嫌を損ねかねぬでは無いか!」
と、男は苛立ちを隠す事無く、午吉に詰め寄って来るのだった。
しかし、午吉にしてみれば、『何も殺さずとも一線から引かせれば良いだけの事』と、無駄な殺生を嫌う思いから自身の遣り方を通すのだった。
そうした一連の事を思い起こすと、近頃の午吉は勤めに遣り甲斐を見出す事無く、一味を抜ける事ばかりを考える様に成って居た。
『此度の勤めを果たせば、一味を抜ける事と致そう。』
そう思いはする物の、あの男がそう易々と一味を抜けさせてくれるのか⁉
午吉には、男が自身を疎んじて居る上に、抜けると成れば口封じとして命を狙われるのではと言う不安が頭にあった。そこへ、
「どうじゃ?
そなたも儂らと共に殿を守る役目、そろそろ真剣に思案してみては如何かな⁉」
再び諭され、午吉は迷いあぐねた末、ゆっくりと頷くのだった。
「ほう、左様か⁉」
梅吉は言うと、暫く午吉を見据えた後、
「されば、舌を噛み切るで無いぞ!」
声を掛け、噛ました猿轡を解いた。
「お主、誠に儂を仲間に誘うて居るのか?
かように容易く信じて良いと思うてか⁉
我ら忍びとは、役目の為ならば偽りや裏切りなど常であろう。」
余りに甘い考えで面と向かう男へ、忍びならば到底あり得ないと言った面持ちで言った午吉に、
「構わぬ!
儂の目に狂いは無い筈じゃからな!」
この梅吉の自信に満ちた言葉に、
「何故に、その様に信ずる事が出来る⁉」
驚き、問い返した午吉に、
「ふふっ、造作も無き事。
儂が誘いを掛けた折、其方の双眸に一抹の迷いが生じたのを見逃さなんだ故、今の一党にて其方が心より満ち足りて居らぬ事、察するに難しき事では無かろうて。
更には、其方らが狙うて居る御方の命を、即座に奪う事無く、徐々に毒を盛りて病に見せ掛けるその手際、いやはや、実に見事なる手並みよ!
さればこそ、儂は其方が誠に殿の命を奪う事を思い煩うて居るのではあるまいか⁉
斯様な思慮深き腕前の其方なら、必ずや儂の助けと成ってくれ様と思うた迄の事よ。」
そう、諭す様に言った。
一方の赤川に化けて居た午吉は、ここ半年程に於いて一党から蚊帳の外に置かれて居た事を思えば、目の前の小者からの言葉を複雑な思いで受け止めて居た。
病気だったのが、実は少しづつ毒を盛られて居たと解り、合流した梅吉のお陰で解毒、快復した事で俄かに形勢を回復する事が出来た上、敵の間者を仲間に引き入れる事が出来た。
さて、この先、どの様な攻防が始まるのか⁉




