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三、病

何時しか、日々の食事に毒を盛られて居た藩主茂直であったが、代々仕える忍びである梅吉の用意した薬で不調を脱する事が出来、敵の存在を認識した梅吉の策を用い捕える算段をする。

はてさて、敵を捕らえる事が出来るのか?

「玄番よ、無理して発たずとも良い!

 川止めに成る様な雨の中、皆が濡れて風邪でもひいては難儀と成る。

 されば、無理を押さずとも、雨が止んだとて暫く島田は川止めに成って居ろう。

 されば、その間に島田宿へ入れば良いだけの事よ。」

 夕闇迫る中、府中宿の空に広がる曇天の隙間から覗く夕映えを見上げ、茂直の目には、この先国元へ向かう道程の険しさを現わして居る様に思えた。

 その茂直の横顔を見ながら、玄番は自身が仕える主の心根に改めて触れ、何としても元の様な元気を取り戻して欲しいと願いつつ、

「左様に御座りますな。

 それでは、此処府中宿で雨が止むのを待つ事と致しましょう。

 されど、明日にでも小降りと成りましたなら、皆には悪いですが先を急ぐ事と致したく存じます。」

 言った玄番に、茂直はそれで構わぬと言った顔で頷き返した。

 その夜の雨は、秋雨には幾分早いと思える季節外れの大雨で、荒れた物であった。

 屋根へ激しく叩き付ける雨音を聞き、茂直は翌日に出立する事は無理だと思いながら眠りに就いた。

 翌朝、茂直は目を覚ますと、昨晩耳へ届いて居た雨音が聞えない事に気付いた。

 玄番へ宵の番を控える様頼んで後、夜に深く眠る事が出来る事で、すこぶる躯の調子も良く成って来たのに、

『そろそろ、宵の晩を元に戻しても良いか⁉』

 その様に思うと、衝立の向こうで控えて居るであろう小姓、芹川(せりがわ)十三郎へ、

「十三よ、今何刻じゃ?」

 問うたのに、卯の初刻(午前五時頃)と返して来たのに、

「されば、今日の空合(そらあい)は如何じゃ?」

 重ねて問うのに、小雨だと言う。

 そう言う遣り取りの中、遠くから雨戸を開ける音が徐々に近付いて来る音を聞き、身支度を整え終えた茂直の元へ運ばれて来た朝餉と共に、挨拶に現れた玄番の顔を見るなり、

「そちは、如何あんじゐる(考えている)⁉」

 茂直の唐突な問いにも、玄番は慌てる事無く即座にその意味を察するや、

「されば、この程度の雨ならば出立出来様かと存じます。」

 玄番の言葉に茂直は、

『皆には些か気の毒な思いをさせるが、此処は忍びて貰おうぞ。』

 心の中で手を合わせるのだった。

「殿、皆々既に承知致して居ります。

 この程度の雨にては、初めより出立の覚悟にて、既に支度に取り掛かって居ります故。」

 自身の気持ちを見透かしたかの様な玄番の言葉に、茂直はこれ程の家臣達が自身を支えてくれてる事に改めて感謝すると、何としても体調回復を成し遂げると強く心に決するのだった。

 府中宿を出立し、丸子、岡部、藤枝宿と過ぎる中で、一行が歩むのに合わせるが如く、天候は雨から晴れへと快復して行った。

 この天候の変化に、途中玄番は、

「殿、次第に晴れて参った事、誠に喜ばしい事に存じます。

 雨も昨夜一夜限りにて候えば、明後日には渡河は叶いましょう。

 されば、御焦燥召(しようそう)されませぬ様に、御悠然たるべく存じ上げまする。」

 そう言うと、一行の歩みを緩やかな物へ変えるのだった。

 島田宿に着いた時、日はまだ高く酉の上刻頃(午後五時頃)であった。

 玄番が河端に立ち、目前に流れる川幅七百二十間(凡そ千三百メートル)の大井川を見た所、前日迄雨が降っていたせいか、普段より随分と水嵩が増し流れが早く成って居た。

『どうやら、五尺は越して無さそうじゃな⁉』

 と、川止めの基準と成る水位柱を見遣り、明日には渡河が出来る水位と成る事を願い、玄番は渡河を行う為に高札場に行き川札の値段を確認するや、次に川会所へ出向き川越人足を雇う為の川札を人数分購入した。

 川止めと成ったお陰で、島田宿本陣及び脇本陣を利用する藩がたまたま無く、吉橋家一行は誰気兼ねする事無く逗留出来た。

 翌日朝、先日迄の曇天が嘘の様に空は澄み渡り気持ちの良い物であった。

 玄番はそんな空に期待を抱き、川の状況を見るべく大井川へと歩を進めた。

 川の畔に来た玄番の目に、水位柱を濡らす水の流れは、安全水位を一尺(三十センチ)程超えて居た。

『やはり、今日は無理な様じゃな⁉』

 思うと、本陣へ戻るべく踵を返した。

 本陣へ戻った玄番は早速茂直の元へ向かうと、出立を翌日朝一番に渡河が開始される日の出頃で良いか伺いを立て、茂直から承諾を受けるや家臣達へ通達すると共に、出立の準備を整えゆっくり休む様申し渡した。

 翌日早朝卯の刻には、家臣達は身支度を整えると順次朝餉を済ませ、慌てる事無く粛々と出立に向け準備を開始した。

 皆が支度を開始してから四半刻も掛からずして、それぞれの持ち場毎から支度が整ったとの知らせが届く。

 そうして、最後の持ち場からの知らせを受けるや、玄番は整った隊列に向け出立の号令を掛けた。

 陽の光が山々の稜線へ光の線を走らせ、日の出が間近だと告げた頃、一同が発した鬨の声と共に、一行は大井川の渡し場へ向かい歩き出した。

 明け六つ(午前六時頃)、一行が渡し場に着くと玄番は、川越制度を管理する川庄屋へ渡河の段取りを取り、直ぐ様一同へ渡河を開始する様指示を出した。

 川岸に立った玄番の目に、大井川の水嵩は幾分高い様に見えたが、その色は雨が降った後とは思えぬ程澄んでおり、水面は陽に照らされキラキラと波打って居た。

 玄番の指示に、一行は順次手配された川越人足と共に川を渡り出した。

 先ずは、先払いと言われる先発隊が、進路の安全確認等を行いながら渡り出し、続いて大名を向かえる為に近侍や小姓等の従者が続き、漸く茂直が川越人足に担がれた輿に乗り渡ると、家臣団が順次地位の高い者から上級中級下級と続き、最後に殿と(しんがり)して後方の警戒も兼ねた護衛や荷駄隊が渡る。

 この大井川、一般的に人一人に掛かる渡河の時間は凡そ半刻(約一時間程)と言われ、渡るには川越人足の手を借りなければ成らない決まりで、渡り方や川の流れで時間や金額も大きく左右されたと言い、大大名であれば人足の往復等で一日仕事と成ったと言う。

 そうした大井川を渡河する吉橋家一行の人数は凡そ八十名余り、大井川を渡るのに早く見積もっても二・三時間は要する事に成る。

 川を渡る事で、通常の行程より時間や体力を使う上、行軍を続ける事は大いに体力を奪われると共に思う程先へは行けない。

 そうした事から、茂直と玄番は、この日の逗留先を見附宿と決めて居た。

 決められた通り、順々に川を渡る家臣達を見遣りながら、茂直と玄番は互いに旨に去来する思いから頷き合った。

 渡り始めてから一刻半(凡そ三時間)。

 無事に吉橋家一行は、東海道最大の難所とも言える大井川を渡り切り、対岸の宿場町である金谷宿へ入る事を得た。

 順次、金谷宿本陣である佐塚本陣へ入ると休息を取りつつ、家臣達はこの後の行軍への支度を整えるのだった。

 そうした中で、茂直は玄番を呼ぶと、

「これで、国元への道中に於いて二つの大きな峠を超えたと申せ様。

 此度の道中、我が身を崩し、皆々には大いに心労と骨折りを掛けたにも関わらず、良く此処迄耐え忍び乗り越えてくれた。

 誠に、忝い事よ。

 其処でじゃ、今宵は皆が無事に大井の川を渡り終えた事、並びに此れ迄の労苦を労い、皆に酒を振る舞い存分に心慰めさせて遣ってはくれぬか⁉」

 言った主茂直の顔に、安堵感と家臣達へ向けた心遣いと感謝と言う物を玄番は見た。

「忝のう御座ります。

 されば、その様に手配りさせて頂きます。」

 内藤玄番が掛ける出立の合図で、一行は東海道を次の目的地である見附宿目指し下って行くのだった。

 金谷宿から見附宿迄、凡そ七里半。

 今の距離に直すと凡そ三十キロと成り、大名行列が一日に進む平均距離の四十キロよりやや少ないが、大井川を渡った時間を加算すれば概ね一日の作業工程である。

 そうした事から、家臣一同これ迄と変わらぬと言った具合に進んで行く。

 しかし、当初家臣達と同じ様に元気な姿で馬上に居た茂直だったが、掛川城下を過ぎる時に儀礼上止む無く駕籠へと乗り換えた際、密かに体調が思わしく無いと玄番へ伝えた。

 一行の元へ遣わされた掛川藩からの使者へ返礼を行い、無事掛川城下を通り過ぎた辺りから、茂直はしきりに用を足す頻度が多く成った。

 そうした中、

「″これを殿に”との事に御座ります。」

 玄番の元へ、馬の口取りをする善七が近付くと薬包紙を手渡した。

 掛川を過ぎ、袋井宿に在ったどまん中茶屋で休息を取った際、茂直は玄番から渡された頓服を飲み、次の宿泊地である見附宿へ向け一刻も早く着く事を願った。

 袋井宿を過ぎると、逗留予定の見附宿迄凡そ一里と二十三町(凡そ六、五キロ)。

 後少しと言った宿間ではあるが、、家臣達は主茂直の体調が悪く成らない事を祈った。

 そうして、目的地の見附宿に着いた時、幾分時間は掛かった物の、日暮れ前には見附宿脇本陣大三河屋へ入る事が出来た。

 本陣の玄関前に着けられた駕籠から降りた茂直は、ふらふらとした足取りでそのまま上がり框へ倒れこんだ。

 慌てる近衛の者達へ、玄番は直ぐ様茂直を奥座敷へ運ぶ様に指図すると、本来の手配りを自身の用人へ託し、茂直が向かう座敷へ付き添い向かった。

 途中、近衛に本陣の者へ座敷に床を用意する様頼み、一先ず控えの間へ入ると、小姓へ座布団を並べさせ茂直を横に成らせた。

「殿、御加減は?」

 声を掛けた玄番へ、茂直は大丈夫だと答えるや人払いをする様に言った。

 これに、体の具合を案じる玄番が、寝床が用意された時に運ぶ者が居らねば困ると、今暫くは近衛の者達を居らすと言ったのに、茂直は納得するも床へ入った後、玄番のみを部屋に残す様言ったのに従った。

 暫くすると、奥座敷へ床が用意されたとの知らせが届き、玄番や近衛の者達は茂直を運び横に成らせると、玄番だけを残し他の者達は部屋から出て行くのだった。

 改めて、床に臥せる茂直へ声を掛け様とした玄番へ、

「玄番、大事ない!

 これで、漸く気が抜けると言う物よ。」

 その声と共に、横たわって居た茂直がムクリと起き上がった。

 これに驚いた玄番へ、

「玄番よ、案ずるには及ばぬ。

 儂とて、これしきの事で倒れたりはせぬ!

 実の所、これは一つの謀よ。

 此れより語るは、そちと儂の二人のみにしか知らぬ極めて秘匿の事柄。

 肝に銘じて、しかと聞いて貰いたい。」

 そう前置きすると、

「実はの、朝より儂が腹を下して居るのは、他ならぬ梅の仕業による物じゃ!」

 この言葉に、玄番は大層驚くと共に、沸々と怒りが込み上げて来るのを覚え、

「梅吉が、に御座りますか?

 何故に、その様な真似を致したので御座いましょうや?」

 怒りを伴い、憮然とした表情で言い放った玄番へ、

「あぁ、待て待て!

 此度の一軒、儂とて初めは腹立たしくも思うた物の、後に梅より内々の注進を受け、さるも致し方無き事と心得た次第じゃ。

 されば、儂が腹を下したるは、梅が儂の飯に瀉下(しやげ)げざいを盛ったが故なのじゃ。」

 これを聞き、主に下剤を盛った等とは到底許され無い事と、更に怒りの表情と成った玄番の気持ちを察し、

「玄番よ、そちが憤るも道理。

 罷り間違うても、主たる儂に瀉下(しやげ)の薬を盛るとは、誠に不届き千万の所業と申せよう。

 そちの怒り、儂の身を慮っての事と心得、誠に有難いと思うて居る。

 されど、最も成るが故に申す。

 その様な振舞いが看過されるならば、いずれ時を選ばず、主君すら容易く葬れると言う事にも成り兼ねぬ!

 されど、梅の申す所によれば、家中の者共は皆よう勤めを果たして居るとの由。

 日々、絶えず儂が身を案じ、常に周囲へ心を配って居る事、誠に疑うべくも無き事。

 されどもな、此度、儂が江戸在府の折より具合が優れず、医師の診立てにより処されし薬を服した物の、此れと言う効果も見られずに、かえって日を追う毎に具合が悪う成る有様であったわ。

 其方もよう承知して居ろうが、儂は幼き頃

は確かに病弱であったが、父上の跡を継いでからと言う物、風邪一つ患う事も無き身であった。

 されど、この所は誠に此度の病とやらに、如何程悩まされて居るか筆舌に尽くし難し。

 如何様に薬を服し、日々養生に努めては居れど、一向に快方の兆しすら見えぬ有様。

 思うに、これは或いは、何者ぞの悪しき企てにて、儂をこの様な有様に陥れんとして居るのやも知れぬ。

 そう思えて成らぬのじゃ!

 掛かる折、梅が密かに我が寝所へ忍び入り耳元へ囁き申した。

『殿が疑念を抱いて居られる件、某が探りを入れたる限りに於いても、その疑い決して的外れとは申せませぬ。

 実の所、半年程前より密かに探索を進めて居りますれば、敵も狡猾至極の者と見え巧みに尻尾を現わしませぬ!』

 と、斯様に申してな。

 その儀、耳にしてより我が胸中晴れぬまま日を重ねて居ったが、再び梅が我が許へ参じた折、密かに謀を巡らすべく儂へ進言してくれよった。

 で、先の休息の折、儂が厠へと入った隙を見て、梅が此れ迄の探索の次第を陰より声を潜め聞かせてくれよった。

 其れに依るとの、儂が江戸屋敷に在府して居った折より、気付かぬ内に少しづつ毒が盛られて居ったのではあるまいかと申してな!

 その毒が元と成り、儂が身に異変を来したのでは無いかと疑いを抱いたらしく、ここ暫く密かに台所の天井裏へ忍び潜むと、毎食に玄英殿が用意した薬が乗った儂の膳を見張ったのだと申した。

 したらば今朝方、暫し人の姿が途絶えた隙を見計らい、一人の女中が現われるや薬を摩り替え出て行ったのを、梅がしかとその目で見届けたと申すのじゃ。

 梅は直ぐ様、その薬を瀉下の薬に摩り替えし、かの女中を捕えんと後を追うも既にその姿は消えて居ったのだと。

 梅が申すには、その者の身のこなし、恐らくは忍びにて相違あるまいとの事での、此れ迄密かに薬を盛って居ったのも、他ならぬその者に相違あるまいと申して居る。

 然るに梅は一計を案じると申し、手立てとして敵の謀が未だ露見して居らぬと思わせ、再び毒を仕掛けに参った所を捕える算段だと申すのじゃ。

 その為にも、敵を欺くに儂の具合が悪う無いと成らぬと申してな。」

 こう言った茂直の言葉に、玄番はそこ迄せずとも良いのではと思うのへ、茂直は更に次の様に話を続けた。

「万に一つ、我らが企てが敵に勘付かれぬ事無き様、少々手荒な手立てとはなれ、敵を欺かんが為には先ずは味方をと、密かに儂が飯に少しの瀉下(しやげ)の薬を入れ、儂が難儀して居る様に装う策と相成った。

 これにては、家中の者は申すに及ばず、敵とても疑うまいとの読みなのじゃ。

 儂はこの策、やむを得まいと腹を決め承知したのじゃ。

 敵が強か(したた)な者成らば、痛み伴わずして芝居如きで敵を欺く事は叶うまい!

 下手をすれば、却って疑念を招くやも知れぬとな。

 故に玄番よ、梅が立てた策、許して遣ってはくれまいか⁉」

 そう言った主茂直の言葉を、釈然としない思いで聞いて居た玄番であったが、

『されば、次に会うた時には、小言の一つも申し付ける事と致そうぞ!』

 梅吉に対し旨の内に思うと、主を思う心から湧き上がる腹立たしさを抑え、玄番は無理くり己を納得させる事にした。

 一方、病の(てい)を為す茂直は、こうした敵の謀に苛立ちを覚えて居た。

 此度の国元へ戻る前、江戸屋敷で暮らして居る時から、茂直は度々体調を崩す事があったが、国元への交代へ発つ前辺りから体調は良く成り、出立に差支え無しとの藩医玄英からのお墨付きが出た事で帰国の途についた。

 しかしながら、玄英からは病み上がり故、発って後は今暫く、養生食を食べる様にと言われ、帯同する玄英が様子を見計らった上で通常食に戻すと告げられた。

 凡その大名に取って、参勤交代の道中は駕籠の中で本を読むか、寝るかしか無い退屈極まりない物で、気分転換として道中途中に自身の脚で歩く成り、愛馬の背に揺られ遊山気分で景色を見たりするが、そうした道中での楽しみと言えばやはり食事であろう。

 その土地土地の名産や名物は、幾ら参勤交代の道中とは言え楽しみな物である。

 しかし、この時の茂直に取って食事は、養生食ばかりが続き辟易する物と成って居た。

 そうした中、玄番へ内々に精の付く物を用意する様頼むのだが、怪しき者を捕える迄は病の者がふくよかであっては不味いと、養生食を通さねば成らぬと諭される始末。

 そこで、自身へ『後少しの辛抱』と言い聞かすも腹は減る物で、密かに小姓へ何か食う物を求めるも、

「殿、誠に相すみませぬ。

 御家老より……」

 そう言われた所で、その後に続く言葉が容易に想像出来る故、小姓の苦悩を慮ると言葉を遮り諦めるのだった。

 梅吉の調べにて解った敵の存在から、敵を欺く為とは言え、梅吉の過敏過ぎる用心は食事への制限と言う形で行われ、茂直が道中の楽しみとする街々での食事へも制限を設けさせた。

 夜、床に入った茂直は、腹が減り過ぎ寝付く事が出来ず、右へ左へと寝返りを繰り返すばかりであった。

 玄番に頼み、不寝番に寄る読み聞かせと明かりの灯火を止めて貰い、暗闇の中でゆっくりと眠る事が出来る様に成ったが、それでも流石に体調が戻った茂直は、腹の虫が鳴けば眠りに落ちる事は出来ずに居た。

 そうした中、

「殿、殿。」

 寝付けぬ床の中、茂直は暗闇の中に自身を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 が、余りの腹の減り様に幻聴でも聞こえたのだと、寝る事に専念しようと再び目を閉じたのだが、やはり再び声は聞こえる。

 それも、先程より近くで⁉

 衝立の向こうに座る小姓かとも思ったが、やはり聞こえて来る方向が違う。

 そこで、そろり目を開けて見ると、足元の暗闇の中に人影が座って居る。

 驚き、思わず声を上げそうに成ったのへ、

「殿、某に御座ります。」

 人影は小声で言うと、人差し指を唇に当てたのだった。

 聞き覚えのある声に茂直は、警戒心を解くとその存在に安堵するが、この者が現われたのには重要な意味があると悟った。

 声を立てぬ様にとの意味合いで示した、口元への人差し指を外しながら人影は、

「殿、御休みの所誠に申し訳御座りませぬ。」

 忍び装束に身を包み、話し掛けた人影は、茂直が頼みとする梅吉、その者であった。

 その姿を見咎め頷いた茂直へ、

「先ずは、これを。」

 密やかな言葉と共に、茂直の面前へ一つの包みと濡れた手ぬぐいが差し出された。

 受け取った茂直が包みを解くと、中には握り飯が三つと味噌玉、それに椎茸とごぼうの煮物が入って居た。

「おぉ、これは有難い。」

 そう言うと、握り飯を一つ取り頬張ると椎茸の煮物を口へと放り込んだ。

 飯が胃袋へと落ちて行くのを感じ、二口三口頬張った所で、

「梅よ、其方の気遣い痛み入る。」

 心の底から、有難いと言った物言いの茂直へ、梅吉は江戸を発ってからこの方、粥や葛湯の様な養生食ばかりが続き、漸くまともな食事を摂れる様に成った物の、敵の細工で再び我慢せざるを得なくさせたのは、流石に敵を捕える為とは言え、酷な事を強いて気の毒で成らないと、挨拶がてら手土産持参で参りましたと告げた。

 それを聞き、再び握り飯を口に運びつつ、

「して、此度参ったは、何ぞあっての事か?」

 聞かれ梅吉は、茶が入った水筒を茂直へ差し出し、それを飲む茂直を見ながら、

「取り逃した女中、某の見立てによれば、あれなる者は女性に(によしよう)化けたる男ではあるまいかと存じます。」

 そう言うと、次の様な話しを続けた。

 梅吉が言うには、此度取り逃しはしたが、後二刻もすれば日も明ける故に、敵も細工をするにも間を開けず朝餉の時を選ぶだろう。

 ならば、敵の工作に対する用意や対策を整え、その者を捕えた後に茂直の命を狙う黒幕が誰なのかを吐かせるつもりだと話した。

 そして最後に、

「黒幕たる者の正体を見極め申したならば、此度の謀が何を以て企てられたか、いずれ白日の下に晒され申す事と相成りましょう。」

 そう言うと、今暫く堪えてくれる様にと言うのへ、茂直は承諾すると、

「この握り飯、誠に我が心を鎮め、思案を巡らす手助けと成ろう。

 されど、我が身の周りにて次々と起こりうる有様を思うに、何とも言い様の無き恐ろしさが、身の内より湧き上がりおののきを覚えてしまうのじゃ。」

 こう言った茂直の言葉に、梅吉が知る泰然自若を絵に描いた様な主の、今迄に耳にした事が無い弱音に、改めて御家の一大事だと言う事を再認識した。

 そしてそれは、梅吉が密かに探って来た事からも十分理解出来る事だった。

「殿様、それは某も同じ思いに御座ります。

 さればこの後、朝を向かえましたならば、決着を付ける所存にて御安心下されませ。

 然りながら、それに付きまして、お願いしたき儀が一つ御座います。

 この後、朝方も具合が悪い振りを続けて頂きたく存じます。

 後の手筈に付きましては、内藤様へ一切御取り計らいをお願い申し上げて置きます故。

 どうか、宜しくおたの申します。

 今宵は、此れにて御免仕ります。」

 言葉を残し、梅吉は不寝番に悟られる事無く茂直の前から姿を消した。

『梅が敵にあらなんだは、誠に以て幸いであったわ!

 あれ程の者が、万が一にも敵方に与して居ったとすれば、さぞや手強く厄介な手合いと成り果てて居ったに相違あるまい。』

 そう思うと、ほっと旨を撫で下ろす茂直であった。

敵の存在は知る事と成ったが、黒幕の存在をどうやって探るか?

敵との対峙でどうなるのか?

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