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十一話『毒』

茂直の命を狙う弥次郎兵衛配下のカカシは、見張るだけとの指示を受けて居た筈が、梅吉が見る限り何か様子が可笑しい。

どうやら、茂直の命を奪うのだと!

そして、そうさせたのは、間違いなく自身だと。


 辺りを見廻し、一点を捕えたカカシの動きに梅吉は、やはり主茂直の様子が解らねば、奴らも謀を行うに何らかの支障が出るのであろうと考えた。

 それ故、一目だけでも茂直の様子を確認すべく、小竹屋へ忍び込もうとして居ると考えたのだが、

『⁉』

 ならば、向かいの旅籠から様子を伺えば良いだけの事。

 東海道の数ある宿場町の中で、この坂下宿は山間を通って居る事から、道幅は一間から広くて二軒程の幅しか無い。

 そうなれば、幾ら堅固な塀に囲まれた脇本陣であれど、向かいの屋根から見れば敷地内は一目瞭然、手に取る様に解る筈!

 なのに、裏に潜み、一行が到着した途端に小竹屋の敷地へ忍び入った。

 このカカシの動きを不審に思った梅吉は、その真の目的が藩主吉橋茂直の暗殺なのだと悟った。

『されど、何故にこの様な事と相成った?

 確かに奴ら、忍び宿にて申して居ったは、殿並びに若君を、事起こす迄は見張るのみと言うて居った筈⁉』

 そう思うも、此処はカカシの目的を阻止せねばと、大屋根から飛び降りるや参拝客の目に留まる事無く、一気に境内を回り込み小竹屋の裏場(裏口近くの庭や作業場)へ舞い降りた。

 此れに驚いたのはカカシであった。

 人知れず裏口から忍び込み、井戸の中へ毒を投げ入れるべく潜んで居た所へ、突然人が降って来たのだから驚くのも無理は無い。

 侵入が露呈しては不味いと、

「お主、何奴⁉」

 との声を出す事も出来ず、カカシは瞬時抜刀するや梅吉を斬ろうと薙ぎ払うが、それをいとも容易く躱したのに、この場で騒ぎを起こせば勤めが難しく成ると、先ずは面前の敵を倒すべく場を離れる事にし、裏山と成る鈴鹿山系で決着を付けるべく飛び上がった。

 このカカシの動きは、梅吉に取っても好都合であった。

 あの様な場で遣り合ってしまえば、茂直は勿論の事、家老玄番をはじめ家臣達が曲者が居ると騒ぎに成る上、主の命は当然だが身代わりの存在を隠すにも、更なる警固が必要と成り事が大袈裟に成ってしまう。

 そうした事から、山へと逃げるカカシの動きは梅吉に取っても誠に都合が良かった。

 カカシの後を追いつつ、梅吉は弥次郎兵衛が急に茂直の命を狙う事にしたのは、自身の動きが原因なのだと悔んだ。

 敵に自身の存在が露呈しなければ、結果この様な事にはなら無かったであろう。

 そう思うと、何としてもカカシを討たねば成らない!が、

『さてもさても、此処で此奴を倒してしまって良い物か⁉

 此処で倒してしまっては、この者からの繋ぎが途切れた事で、弥次郎兵衛は更に用心し探り辛く成るか、反対に形振り構わず遣り口が激しい物へと変わって行くやも知れぬ。

 されば⁉』

 カカシを追いつつ、梅吉は辺りを見回し一羽のカラスが距離を取り、並走する様に飛んで居るのを見咎めるや、

『善七め、憎い事をしよる。』

 善七に感謝しつつ、獣道や木々の枝々を巧みに使い逃げるカカシを、敢えて追い付く事無く一定の距離を保ち追うのだが、その両の手は何やら小まめに動いて居る。

 山を駆け上がり登って行くカカシは、三子山北峰迄一気に登り切り、生い茂る木々の中に生える一本の大木の裏側へ姿を隠した。

『此処で決着を付けようと言う事か⁉』

 カカシの意図を読んだ梅吉は、追う最中に認めた紙縒りを手裏剣に結ぶと、カカシが居る方とは逆へ振り向く事無く手首だけを使い投げた。

 木々の間を飛ぶ手裏剣は、十六間程離れた木の幹へ刺さったのだが、その音は以外にも風で吹かれる木々の葉音が消してくれた。

 すると、刺さった手裏剣の傍に伸びる枝に留まったカラスが、結ばれた紙縒りを起用に解くと咥えて飛び去って行った。

 それを見咎めると、梅吉はカカシとの戦いに挑むべく心を鎮めるのだった。

 双方、凡そ十軒程の距離を挟み、木の上に隠れながら相手の出方を伺うのだが、カカシは攻める切っ掛けを見出せずに居た。

 そうした敵の状態を解って居るのか、梅吉は徐に四方手裏剣を手にすると、手首を使い横へと投げたのだが、それは大きく弧を描くとカカシが隠れる木の幹に突き刺さった。

 忍びが使う三方、四方、ひし形に十字手裏剣等、平型手裏剣に分類される物は、角度を調整し投げる事で飛び方を曲げる事が出来、この時の様に敵が物陰に隠れた時等、側面から相手へ攻撃する時に使われたが、此れには十分な修練が必要とされた。

 梅吉の忍びとしての技量は、この時代以上に激しかった戦国の世に於いても十分に通用する物で、手裏剣に於いてもこの程度の隠形術であれば、致命傷を負わす事は出来なくても当てる事は十分に出来た。

 しかし、梅吉はこの時、敢えてカカシの躯に当てる事をせず、木の幹を的に投げた。

 それは恰も(あたか)、カカシを狙うも手元が狂い少し逸れたと言った具合に、カカシの耳元へカツッと言う音と共に目前へ刺さった。

 此れに驚いたカカシは、思わず飛び上がりそうに成るのをグッと堪え、

『よもや、あ奴の技量、儂の及ぶ所では無いのやも知れぬ⁉』

 己が使う手裏剣も、目前に刺さった様な四方手裏剣だが、己が対峙する者の様な業の精度には到底及ばない。

 そう感じたカカシは、当初敵を己の有利な場へ誘ったつもりで居たが、このまま戦っても勝てるのかと言う不安が頭を過ぎった。

 だが、頭領である弥次郎兵衛から指図された密命は絶対!

 出来無ければ、何を言っても許される事無く、戻っても責を負わされ死を以て償う事に成ろう。

 ならば、今対峙して居る者と戦い命落とすのと、責を負わされ死を受け入れる事に成るのであれば、一縷の望みを掛け戦う事を選んだ方が諦めは付く!

 そう考えると、どの様な戦いに持って行くのが良いのか思案した。

 元々、カカシには敵を迎え撃つに、この場を選んだのに理由があった。

 忍びが(すた)ったとは言え、それでも密かに忍び家業を続けて居る家は、この時の甲賀の里にも数件残って居り、そうした数少ない家々は伝統とも言える合議制を絶やす事無く、忍びとしての心得や知識等の精神的な物から、業や技術に武器の制作と言った物理的な物。

 そして、そうした諸々を体現して来た経験や先祖からの伝承等を伝えて来た。

 そうした家の者は幕府隠密であったり、密かに隠密を必要とする藩に雇われたり、密かに舞い込む依頼をこなしたりして居た。

 そうした家々の子供達も、親同士の交流がある事から代々切磋琢磨し成長して来た。

 そうした互助関係の中で、カカシは同年代は元より、下の子にも馬鹿にされる様な、忍びとしての技量が劣る子供であった。

 そうした鈍臭いと言わしめる子供であったカカシは、育った村では茂作と呼ばれて居たが、動きが鈍い事からカカシと渾名される事に成った。

 そうしたカカシは、馬鹿にされる悔しさを見返してやろうと、今居る三子山一帯で幼少の頃より人知れず鍛錬して居た。

 故に、地の利を生かした戦いが出来ると敵を誘い込んだつもりが、敵の技量に気後れし弱気に成った己を情けなく思い恥じた。

『高々手裏剣一本、これに気後れするとは、何とも情け無き事よ!』

 胸の内に叫ぶと、己の心を奮い立たせるべく両の手を強く握ると、隠れて居た木の幹から張り出した枝へ飛び移った。

 此れに梅吉は驚いた。

 忍びの本分である隠形術(おんぎよう)を行わず、その姿を曝け出し戦いを挑んで来たのである。

 てっきり、脅しと言うべき手裏剣の一撃によって、隠れて居る所から何かしら動きを見せる物と思い、それに対する腹積もりで対峙して居たのだが、まさかに〝いざ、正々堂々勝負!”と言わんばかりに姿を見せたのだ。

 このカカシの動きに、梅吉は呼応するべく同じ様に横に張り出した枝へ移ると、

「お主、誰の差し金で殿の御命を狙うのか⁉

 正直に申せば、命だけは助くるやも知れぬぞ⁉」

 梅吉の言葉に、抜刀で応えたカカシへ、

「されば、力づくにて吐かせる迄、容赦は致さぬぞ!」

 との言葉と共に抜刀するや、梅吉は敵の出方を待った。

 こうして見合う二人であったが、梅吉はカカシが仕掛けて来るのを待って居た。

『奴は、多分あの場に於いて決着を付けるつもりで居ろう⁉

 ならば、それに乗って遣らねば成らぬな!』

 そう秘める梅吉に対し、向かい合うカカシは一向に仕掛けて来る気配が無い。

『儂に臆して居るのか?

 それとも、何か秘めたる策でも持って居るのか⁉』

 思い巡らすも読み取れず、このままでは埒が明かぬと手首だけを使い、カカシ目掛け棒手裏剣を投げた。

 梅吉は常々、三種類の手裏剣を使い分けて居ると書いたが、隠れるカカシを追い出した際に使った三方手裏剣、これは投げ易く修練すれば飛び方の操作をしやすい代物で、今使った棒手裏剣は、四角形の棒状と言う単純な作りであり、打つには熟練の業が必要であるが、業を身に着ければ精度は上り、敵に大きな打撃を与える事が出来る。

 そして最後に、中々使わぬ菱形手裏剣。

 此れは、四方手裏剣に分類される一つで、形から糸巻と呼ばれ他の手裏剣より重く、当ると一撃必殺の威力があるが、重さ故に多くの枚数を持つ事が出来無かった。

 そうした三種類の手裏剣を、梅吉は状況に応じて使い分けて居るのだが、この時投げた手裏剣をカカシは難なく避け、行き先を失った手裏剣は背後の木に突き刺さった。

 途端にカカシは、木の枝から飛び次々と木々を渡り出した。

 此れを梅吉も追うのだが、

『やはり!』

 カカシが向かう方角を見て、梅吉は自身の読みに確信を得た。

 昼とは言え、薄暗い山中を縦横無尽に飛び走るカカシを、幼い頃の友が見たならば、その俊敏さに驚き感嘆の声を上げたであろう。

 それ程に、カカシはこの山中で悔しさをバネに、幼少の頃より誰に知られる事無く日々密かに修練に励んだ。

 その意気込みは、廻りの子供達が日々行う修練とは比べ物に成らない物で、いつしかその技量は彼らを遥かに凌ぐ物であった。

 だが、カカシが十五と成り、忍びとしての勤めに出られる頃合いと成っても、他の者達が次々に親や他の忍びと勤めに出る中、カカシには忍びとしての才が無いと声が掛かる事は無かった。

 其れには、流石にカカシは落ち込んだ。

 他の忍びと違い、幾分肥えて居るカカシではあるが、忍耐と努力で他の者にも引けを取らない腕前だと自負して居る。

 その事を訴えても、誰もが信用し無い上に親迄もが取り合ってくれなかった。

 そんな村の者達に嫌気が差したカカシは、ある夜、こっそり村から姿を眩まそうとしたのだが、その時、

「おい、茂作。

 何処に行く?」

 声を掛けたのが弥次郎兵衛であった。

 不貞腐れながら、カカシは己に対する村の者の扱いが酷いと、村に見切りを付け出て行く事にしたと話した。

 すると、そんな事をすれば、忍びの掟として命を狙われる事に成る。

 そんな事で命を落とす位なら、己と共に勤めをする気は無いかと弥次郎兵衛が誘った。

 密かに修業するカカシに、弥次郎兵衛はカカシが役に立つ忍びだと解って居た。

 そして、声を掛けたのに、最初カカシは己が誘われる事が信じられず、揶揄(からか)わないくれと怒ったのだが、弥次郎兵衛は日々のカカシを見て来たから声を掛けたのだと言った。

 それから、弥次郎兵衛と共に十四年。

 村の中で、変わり者共が何やら組んで遣ってると、関わらぬが身の為とばかりに見て見ぬ振りをする中、様々な謀を行って来たが、今対峙する様な者とは出会った事が一度として無かった。

 忍びと言う存在さえ、既に世には知られて居ない時代と成り、カカシ自身も己が住まう里や、伊賀に残ってる少数の者達のみが、細々と勤めを行って居ると思って居た。

 故に、此れ迄他の忍びと相対する様な勤めは無く、忍び同士の戦いと言う物に出会った事が無かった。

 そんなカカシは、参府の途である吉橋家一行の中に、忍びが紛れてる等とはまさかに思っても見なかった。

 当初、弥次郎兵衛から一行を見張る午吉の動きを見張る様に言われ、てっきり午吉が裏切りでもするのかと思ったが、奴はしっかり勤めをして居り怪しむ所は無く、何故に午吉を見張るのか問うたのに弥次郎兵衛は、午吉の仕込みが滞り無く行わなければ、勤めの最終目的である藩主茂直暗殺が出来無く成る!

 故に万が一、午吉が捕えられる様な事でも起れば、己が勤めを引き継いで貰う為に見張るのだと言われた。

 そうして見張る中で、藩主茂直の容体が日に日に悪く成るのをこの目で見た。

 カカシの目に、謀は順調に進んで居る様に思えたが、突如弥次郎兵衛から藩主吉橋茂直を殺す様にと繋ぎが寄こされた。

 此れにカカシは、雇い主が心変わりをし、事を急ぐ事に成ったのだろうと思った。

 そうしてこの日、遂に命を狙うべく小竹屋へ忍び込もうとした矢先に敵が現われ、今こうして相対して居るが、実践を経験した事が無いカカシに取って、技量の解ら無い敵へ仕掛ける事は、一歩間違えれば命取りと成り兼ねないと用心した!

 そうして見合った物の、敵が仕掛けて来る気配が無かった事から、ここは逃げるが勝ちとばかりに攻めに出ず逃げる振りを装った。

 案の定、敵は追って来る!

 なれば『あの場へ誘い込もう!』とカカシは先へ向かい、己が思う戦いの場へ来ると、足場の最後と成る枝から飛び降りた。

 其処は、ゴツゴツした岩場で、目を奥へと遣れば地面は途切れ、その先が崖か何か落差のある場だと言う事が解った。

 崖を背に、梅吉を迎える形で立つカカシには、勝算がある訳では無かったが、今対峙する敵よりは間違い無く地の利がある。

 ならば、最大限それを利用し敵を倒そうと考えたのだ。

 カカシと同じ様に岩場へ立った梅吉は、この場に来たのは初めてと言わんばかりに辺りを見回した。

 此れにカカシは、『しめた!』と思い刀を腰の横へ水平に構えるや、瞬時梅吉目掛け脇目も振らずに走り出した。

 此れに、梅吉は面食らった!

 先程対峙した時には、仕掛けて来る事無く逃げ出した者が、一転向こうから向かって来たからだが、其処は百戦錬磨と言って良い梅吉の事。

 焦る事無く、どの様な攻撃にも対処出来る様、軽く全身の力を抜き斜に構えを取った。

 構える梅吉の直前迄来ると、カカシは地を蹴り飛び上がると、梅吉の頭上で反転しながら刀を振った。

 此れをしゃがんで避けた梅吉であったが、着地したカカシが間髪入れず横に薙ぎ払った刀が梅吉の背後を襲った。

 此れが梅吉の装束を斬った。

 途端に鮮血が飛び散り、梅吉は片膝を跪き転びそうに成るのを耐えたが、矢継ぎ早にカカシが刀を振り下したのには、転がり避けるのが精一杯と言う具合で、気が付けば自身の躯は崖の(へり)にあった。

 滴り落ちる血が地面に溜まるのに、それでも梅吉はフラフラと立ち上がったが、其処へカカシの刀が振り下されると、躯の正面が袈裟懸けに斬られ、背面が斬れた時以上に鮮血が噴き出し、その躯はゆっくりと後ろへ倒れるや、崖の下を目指し落ちて行くのだった。

 それを見たカカシは、直ぐ様崖の縁に駆け寄り谷底へ目を遣ると、今正に地面へ叩き付けられる梅吉の姿があった。

 途端、土煙が上り、その煙が谷を流れる風に追い遣られた時、其処には血だまりが広がる中、全身血だらけと成った梅吉の骸が(むくろ)横たわって居た。

 暫くその姿を見て居たカカシは、ピクリともしない姿に覗き込んで居た谷底から目を離し、此れから向かう脇本陣小竹屋の方へ目を遣ると直ぐ様走り出した。

 乾いた谷風が吹く中、梅吉の骸は放置されて居り、このまま亡骸は人知れず鳥や獣、それに虫等が()かり、順々に食べられ最後には骨と化し、土に還るのが自然の摂理だが、

「降りて来ぬ所を見るに、奴め、既に宿へ向かいおったと見える。

 全く、詰めの甘い事よ!

 されど、そのお陰で目論見は果たせたわ。」

 屍と成った梅吉の唇が突然呟き出すと、閉じられて居た双眸がゆっくりと開き、その視線の先に在る崖の上にカカシの姿が無い事を確かめると、軽打ではあるが些か痛みを伴った躯をゆっくり起こし装束を解いた。

 血糊に染まった装束を脱ぐと、その下から汚れて居ない忍び装束が現われた。

 そう、梅吉は斬られても居無ければ、増してや亡骸にも成って居なかった。

 種を明かせば、獣の皮で作った袋に血糊を入れ、躯の前後に仕込むと戦いに負けた様に見せ掛けたのだ。

 カカシが鈴鹿の山へ逃げ、導かれるが如く後を追った時、梅吉はカカシが向かう方向から、戦いの場をこの地一体の何処かに選ぶと悟った。

 其処で、この渓谷の中で崖肌に木が生えて居るこの場へ、梅吉は誘われて居る様に見せながらカカシを追い込み、落ちて行く中で窪みから生える木の根本へ鍵縄を掛け、地面に着く寸でで衝撃を和らげたのだ。

「いたたた!

 土埃を上げる為じゃて加減しても、いやはや痛うて叶わんわ!

 じゃがあ奴、この谷の詳しい有様迄は知らなんだと見える。

 この地を心得て居るのは、何もお主ばかりでは無いのじゃぞ!」

 そう呟き起き上がると、

「後は、善七殿が上手く遣ってくれよう。

 じゃが、宿の者迄も渦中に巻き込むとは、あ奴の企てか弥次郎兵衛の指図か⁉

 どちらにせよ、忍びの勤めとしては卑怯千万よ!」

 湧き上がる腹立たしさから吐き捨てると、自身も茂直を守るべく谷底を走り出すと、崖の角度が緩やかに成る場を駆け上がり、事が起るであろう小竹屋へ急ぎ向かった。

 宿に着くと、小竹屋は未だ何事無く普段通りの姿であり、既に宿の廻りに居た見物人も居なく成り、裏の法安寺から祭りの賑やかさを風が運んで来るだけだった。

 そうした中、梅吉は小竹屋の廻りにカカシの姿を捜すべく、法安寺の大屋根に再び登ると眼下に見える小竹屋へ目を遣った。

 と、カカシは凝りもせず、鐘楼の屋根に寝そべり眼下の小竹屋を覗いて居る。

『まるで、馬鹿の一つ覚えよな⁉』

 思いつつ、井戸に毒が入れらた筈の小竹屋が、今だ以て何事も無い様子に梅吉は訝しむと、大屋根の裏から飛び降りるや鐘楼の死角を縫い小竹屋へ入った。

 本陣や脇本陣には、大名等の馬を休ませる厩が必ず用意され、馬の口取りとして行列に加わる善七は其処に居ると向かった。

 案の定、厩に居た善七へ、

「善殿、何故此処に居る?」

 尋ねた梅吉に、

「おぉ、梅殿。

 儂とて、怠けて居った訳では無いぞ!

 ほれ、此れを見てみい。。」

 言うや、メダカが泳ぐ桶を取り出した。

 此れを見て、

「何⁉

 毒を投げ込まなんだと申すのか⁉」

 聞いたのに、

「否、確かに敵は何ぞ投げ入れよった。

 ほれっ。」

 善七が差し出した薬方を解いた梅吉は、其処にまるで薬の様な真っ白な粉を見た。

「これを入れたと申すか?」

 再び問うた梅吉に、

「左様、此れを入れよった。

 での、メダカには悪いが、少しこの桶に入れてみたのよ。

 じゃが、最初の内は何とも無かったメダカじゃったが、つい今し方より動きが鈍く成って来たんじゃ!」

 言った善七の言葉を待ってたかの様に、泳いで居た五匹の内一匹が腹を見せ水面に浮かび上がって来た。

 此れを見た二人は、やはり毒の様な物を井戸に入れたのだと確信した。

 しかしこの後、残りの四匹は動きが鈍く成った物の死ぬ様な事は無かった。

「梅殿、如何する?」

 このメダカの様子に、善七がどの様な判断が正しいのかと聞いて来たのへ、

「されば、殿の身代わりと成る作十には瀕死の体を装わせ、他の者や宿の者には嘔吐や悪寒等の食あたりを演じさせるが良かろう。

 この死したメダカ、既に体が弱って居ったか年老いて居ったのであろう。

 然らば考えつくは、体の弱き者や病と成って居る者はその症を悪くし、健やかなる者達は躯の具合を悪くするが、命に関わる程の猛毒にはあらずと見て良かろう。

 流石に敵も、この様な大宿場にて人が多く死ねば、御上が動くは必定と知って居ろう。

 見分(けんぶん)に入られれば、何が起こって居るかなど直ぐに露見致そう。

 それを危ぶみ、この程度に留めたのであろうが、日々毒を盛られて居った頃の殿様であれば、既に命を落として居ったやも知れぬ!

 誠、抜け目の無い奴よ、弥次郎兵衛と言う奴は!

 じゃが、此度は善殿の機転にて難を逃れ、敵を欺く手立てを講ずる事が出来る。

 誠に、忝い事よ。」

 言ったのへ善七は、

「井戸に油紙を広げ、撒かれた毒を受ける様に書いて寄越したのは梅殿ぞ!

 井戸の中程に張れば、上から覗いても易々と見咎める事は出来ぬとな!

 何にしろ、回収する事が出来たのは幸いであり申した。」

 言った善七に梅吉も頷くと、二人は此れより後の事を申し合わせるのであった。

 話を終えると梅吉は、善七と別れるや家老である内藤玄番の部屋へと向かった。

 玄番の部屋には藩主茂直も居り、梅吉は二人に向かうと、この時小竹屋で起こって居る事を話し、茂直の替え玉である作十を瀕死の状態に見せ掛け、他の者達へ食当たりの振りをさせる様に頼んだ。

 そうして、小竹屋を見張って居るであろうカカシへ様子を見せ、カカシが知らせるべく弥次郎兵衛の元へ向かうのを追い、最終的に黒幕の元へ向かえば誰か解ると告げた。

 此れを茂直は良しとするや、この後脇本陣小竹屋は俄かにバタつきだす事と成った。

 それは、法安寺の鐘楼に隠れるカカシにも解る程の慌てふためき様で、

「殿様が、殿様が泡吹いて為さいます!」

 の声と共に、家臣達が慌ただしく小竹屋の中を駆けずり回るのを、カカシは鐘楼の上から探って居たのだが、続け様に女中が廊下から庭へ嘔吐をし出したのを皮切りに、家臣達も次々と同じ様に体調を崩し出した。

 その有様を見て居たカカシは、満足そうにほくそ笑むと夕暮れ迫る中、鐘楼の上から姿を消すと鈴鹿山系の中へ入り駆け出した。

 それから二刻、小竹屋には重篤と成った藩主と、体調を崩した者達が(ひし)めき、水を飲まなかった宿の者や家臣は極少数であった。

 と言う体を装う宿に居る者達は、丁寧に手を抜く事無くしっかりと芝居を打った。

 夜半を過ぎた頃、忍び宿の親父が密かに様子を見に忍び込み、小竹屋の様子を見て満足そうに帰って行ったのを、善七は厩の陰から見て頷くのだった。

 翌日、重篤と成った茂直を、息のある内に国元へと言う強行軍で発った一行を、忍び宿の捨八はほくそ笑みながら見送るのだった。

敵の策略に乗る形で病の振りをし、敵の目を晦ましつつ国元へ向かう一行。

そして、一行から離れ、敵の黒幕を探るべく、弥次郎兵衛配下のカカシを追う梅吉。

双方、どの様な事と成るか。

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