十、国元へ
敵の存在が知れ、その黒幕を探るべく、一行とは離れ探る梅吉は、敵の忍び宿を探り出す事ができ、敵の目論見を探り出す事を得る。
「遅く成り、申し訳御座りませぬ。」
藩主吉橋茂直と、仕置家老内藤玄番が内々に今後の事を話す中、その声は部屋の隅に置かれた衝立の向こうから聞えた。
「梅吉か⁉」
問うた茂直へ返事を返すと、梅吉は衝立の裏からにじり出るや、少し離れた所へ座すると、向かい合う二人へ深々と頭を垂れた。
「ご苦労であった。」
内藤玄番が声を掛けたのへ、更に頭を垂れ尊ぶ(たつと)梅吉へ、
「して、首尾は如何であった?」
問うた玄番へ、
「はい、付きましては。
此度、黒幕を探り出す事叶わず、誠に申し訳無く思うて居ります。
然れども、敵は確かに居り、その志は御家の取り立て(乗っ取り)にありと存じます。」
こう言った梅吉の言葉を聞き、
「むぅ……。
そうは思いたくは無かったが、やはりそうであったか!
然らば、自ずと首謀の者は限られて参るであろうな⁉」
言った茂直は苦悶の表情を浮かべ、溜息とも呟きとも付かない力無き声で言った。
この茂直の姿に、
「何と!
されば、その探索の仔細を余す所のう申して見よ!」
茂直の心中を慮り玄番が言ったのへ、梅吉は一行を尾けて居た忍びが何かしら嗅付け、一味の頭目へ知らせに向かったと思い、それを追えば黒幕の正体が解ると後を尾け、宮宿から鈴鹿山脈を越え日野へ行き着いたと言うと、この事から敵は藩内に居ると思われ、その敵を更に追い日野山中へ入って行くと、敵の忍び宿らしき小屋を発見したが、其処で敵に気取られ窮地を脱した事、それに伴い一党の頭に探索して居る事が露呈し、藩主茂直がこの事を知って居ると知れた恐れがある。
その敵との戦い前、配下の二人であろう者達が東海道方面へ向かった事で、二人は何かしらの密命を受け、主茂直一行を迎えるべく東海道を上ったと考えれば、奴らが一行と出会う前に追い付ければ、敵の思惑を探り出す事が出来ると先回りする事にし、待ち構えて居た所に二人が遣って来ると、坂下宿に在る敵方の忍び宿を見付ける事ができ、密かに潜入すると敵の企てが二つある事を知った。
その一つは、二人の内一人が一行の元へ戻り、連絡がある迄は何をする事無く監視を続けると言い、もう一人は江戸屋敷へ向かうと言う物だった。
だが、二人はそれ以上の事は何も知らないらしく不満を言って居たが、梅吉が考えるに江戸屋敷に居る茂直妻子が目的と思われ、御家取立を目的に策を講じる為の下準備に取り掛かったのでは無いかと言い、最後に暫く忍び宿で探りを入れたが、その者達が言うには黒幕が誰なのかは、頭目と目される弥次郎兵衛成る者しか知らない事を話した。
この一連の事を話し、梅吉は敵の事を密かに探る事が叶わず、逆に敵の目当てである茂直が企みを知ってしまった事を、敵方に露呈させてしまった事を深く詫びた。
「何と言う無体な事を申す⁉
それでは、見え掛けて居た敵の姿を失うのみならず、敵が尚一層周到に殿の御命を狙って来る事と相成ろう⁉
されば其方、この後如何致すつもりぞ?」
玄番が困惑するのへ、
「梅吉、構わぬ!
ようぞ、其処迄探ってくれた。
其方が詫びる事にあらず、しくじりの内にも入らぬわ。
いずれ、敵も露見する事を覚悟の上で、斯様な企てに及んで居ろう。
生半可な心持にて成せる業ではあるまい!
されば、儂にも一つ考えがある。
玄番に梅、悪いが此れより申す事、しかと聞き届け動いてくれるか⁉」
そう言うと、茂直は声を伏せ二人へ思う策に付いて話した。
それから一刻後、梅吉の姿は甲賀の里に在る新城家の座敷にあった。
既に日は明け、昨晩に起った事が嘘の様に穏やかな朝を迎えた座敷。
陽の光が障子を白く明るくする中、梅吉は文机へ向かい何かを認めて居る。
「おはようございます、父上。
これ又、お久しゅう御座います。
いつお戻りに?」
何時しか梅吉の背後には、まだまだ暑い日が続いて居るからであろう、苧麻織りで織られた薄い藍色の小袖を着た娘が座って居る。
「うむ、つい先立てな。
其方も、勤めご苦労であった。
して、首尾は?」
梅吉の問いに娘は、ある藩からの依頼を無事終えたと話した。
「左様か、ようして退けた。
されば、間を置かずして悪いが、当家に起こって居る難儀、此れを早々に解くべく、其方には江戸へ向かって貰いたい。
急な下知で済まぬが、他ならぬ上様からの頼み故、其方にしか任せられぬ!」
言われ娘は、
「承知しました。
して、どの様な難儀に御座いますか?」
此れ迄に、他藩に聞く様な騒動など起った事が無かった自藩だけに、降って沸いたかの様な出来事を聞き、娘は顔には出さない迄も驚きを隠す事が出来無かった。
この娘の問いに梅吉は、主茂直が初夏頃から体調を崩した事、その中を参勤を終え国元へ戻るべく行軍したのだが、その道中に於いて起った様々な事柄を話し、つい一昨日に朧気乍ら敵の存在が明るみに成ったと話した。
此れ迄に、他藩に聞く様な騒動など起った事が無かった自藩だけに、降って沸いたかの様な出来事を聞き、娘は顔には出さない迄も驚きを隠す事は出来無かった。
其処で娘は、
「されば、企ての主が藩内に居ると言う事に御座りますか⁉
それでは、上様の御心中いかばかりに御苦しゅう御座いましょう。
拙き(つたな)身ながら、深く御察し申し上げます。」
父梅吉は元より、自身にも幼き頃より過分に心を砕いてくれる、藩主茂直の窮地とも言える現状に、
「されば父上、私は江戸屋敷へ参り、御方様と菊丸様の傍に仕えれば宜しいのですね?」
と、父である前に、忍びの頭領である梅吉の思いを読み取ったのに、
「其方は感が良い!
その通りじゃ。
其方が参れば、御方様や菊丸様も御心もお安く成られ様。
儂は引き続き、殿をお守りしながら敵の様子を探ろうと思う。
そこで、繋ぎを善七に任せるが、も一つ其方に言って置かねば成らぬ事がある。
此度の道中にて、敵方であった野辺午吉なる者を支配に加えた。
いずれ会う事に成ろうが、此れ迄良う働いてくれて居る故、其方も疑いを差し挟む事無く、その者を見て遣ってくれ!
万に一つ、疑わし事があらば斬って捨てても構わぬ故。」
この梅吉の言葉に、娘は何一つ聞き返す事無く、「承知。」とだけ返した。
「されば、華澄。
江戸へ着いたならば、この文を御方様に渡し江戸屋敷で働く段取りを付けよ。」
そう言ったのに、返事を返すと華澄と呼ばれた娘は部屋を出て行った。
それを背中で感じると、梅吉は障子を開け座敷から縁側へ出るや、静かに障子を閉めるやフッとその場から姿を消した。
梅吉が姿を消した時、華澄の姿は既に台所にあり母である華音と話して居た。
「母上、此れより江戸表へ出向きます。」
言った華澄の言葉に、
「左様ですか。
父上からの御指図で?」
問う母へ、華澄が事の次第を掻い摘んで話すと、
「確かに、其方が向かうが宜しかろう。
其方の事は、藩の中でも極僅かな者しか知らぬ故、江戸表なら尚の事素性が漏れる恐れもあるまい。
繋ぎも善七殿であらば、此れに過ぎる心安き事はありますまい。
されど、敵の忍びも潜り込んで居ると見て間違いはあるまい。
くれぐれも、用心召されよ!
さすれば、どうか気を付けて行って参られよ。」
そう言い送り出した。
家を出た華澄は、眩しい朝日が降り注ぐ中を、先ずは江戸へ向かうべく東海道を目指し歩き出した。
『父上は、江戸へ向かう敵には、既に屋敷内へ仲間が潜り込んで居ると申して居られた。
されば、その者が御方様と菊丸様に、何ぞ企むつもりと見て良いであろう。
成らば、その企みから御二方をお守りするが此度の私が役目!』
そう気を引き締めると、華澄は歩く道から忽然と姿を消したのだった。
一方、華澄が東海道を目指し御代参街道を歩んで居た頃。
父梅吉の姿は、既に東海道の難所である鈴鹿峠の茶屋にあった。
『そろそろ、庄野宿を御発ちに成る頃合いよなぁ。
さすれば、御一行が坂下宿を抜け為さる前に、奴らの忍び宿を見張る事と致さねば!』
思い、闇夜の中で見た坂下宿の風景を思い起こし、どの辺りに潜むのが良いかを考え茶を啜って居ると、目の前を荷箱を担いだ一人の男が横目で見ながら通り過ぎて行った。
『相も変わらず、堂に入っとる物よ!』
苦笑すると、自身も勤めに向かうべく、
「お代、置いとくよ!」
茶屋の奥へ声を掛けると、坂下宿目指し峠を降りて行くのだった。
朝五つ半(午前七時頃)、茂直一行は庄野宿を発ち、当初の休息予定地である坂下宿を目指そうとしたが、
「殿、梅吉の知らせによれば、坂下宿には敵の忍び宿が在る由に御座ります。
されば、此度の休息の儀は、一つ手前の関宿に改められまするが賢明かと存じまする。」
出立直前、近衛に扮した藩主茂直へ、駕籠の中から玄番が話し掛け、更に敵が藩主茂直が居る一行本隊と、妻子が居る江戸表二か所へ刺客を送ると成れば、それは間違い無く御家に取っては一大事!
成れば、休息を取って居る時など、事を仕掛けるには絶好の機会と言って良い。
それを解って居ながら、態々火中の栗を拾いに行く様な真似をするのは愚の骨頂。
そう言った玄番の言葉に、茂直は十分その心根と意味を承知して居たが、
「玄番よ。
其方の心、無論承知致して居る。
されど、敵も既に我らが坂下宿にて休息を取る事、先行致して居る道中奉行の差配にて承知して居ろう。」
道理に叶った茂直の物言いに、
「ならば、せめて具合が悪う成り歩みが遅う成った故、急ぎ仕儀を改めた事に致されては如何に御座いましょうや⁉」
懇願する様に言う玄番へ、茂直は目頭へ手を当てると柔らかい声色で、
「忝い、玄番よ。
されど、急に行程を改むれば、敵は却って警戒を強めよう。
その上、休息致す宿にも迷惑を掛ける事と相成ろうてな!」
何としても、当初の予定を変え様としない主に玄番は、
「殿。では、それらの対策は、取り急ぎ手配し直します故、何卒御任せ下さりませ!」
更に、食い下がる玄番へ、
「大事無い。
既に先で待って居る梅吉も、何かしらの策を講じて居ろう。
なれば、それを無に致す様な真似をも致したくは無いのよ!」
言った茂直に、
『殿様たる御身、何もそこ迄御心を砕かれずとも宜しゅう御座いますのに。
我が殿は、誠に御心が御優し過ぎる。』
胸の内に思うと、
「では、殿の御気の済む様に致しまする。
然しながら、その折には然るべき痛手が生ずると、何卒御覚悟下されます様に!」
些か腹立たしさも相まって、厳しい言い方をするのが精一杯であった。
その真意は、茂直の身代わりと成る畑作十の身に危険が迫ると言う意味であり、茂直は十分にその意味を解って居たが、万に一つその様な事が起れば、廻りの者達と共に身を挺し作十を守る腹積もりであった。
藩主と家老が、その様な遣り取りをして居る中、口取りの任を勤める梅吉配下善七の元へ一羽のカラスが舞い降りた。
「おう、黒郎。」
善七の呼び掛けに返事を返したカラスへ、
「何、梅殿から。」
言うと、足に結ばれていた紙縒を取り中を改めるや、
「承知と伝えてくれ!」
此れを聞くや、黒郎は再び空へと舞い上がり西へと飛び去った。
それぞれが危機感を抱く中、茂直一行は庄野宿を発ち坂下宿を目指した。
一行は二刻半程を掛け、昼九つ半頃には休憩地である坂下宿脇本陣の小竹屋へ入った。
玄番はいつも通り、家臣各々へ休息を取る様指図した。
本陣三軒、脇本陣一軒に旅籠四十八軒を数える坂下宿は、東海道の中に置いて大きな宿場町の一つに数えられた宿場である。
そうした坂下宿は、鈴鹿山系を横断する東海道の伊勢国最後の宿場町で、街の長さは凡そ九町二分(一キロ)程あり、一行が休憩する小竹屋は街のほぼ中央に位置して居た。
そして、梅吉から知らされた敵の忍び宿である笹路屋は、小竹屋から江戸口へ向け半町程離れ、表通りから一筋裏に入った山の法面を背にした所に在った。
一行が坂下宿に入った時、街道の両側に見物の者達が居並び、中には武艦(江戸時代、大名や幕府役人の氏名や石高等を記した武家名鑑)を片手に、廻りの者達と値踏みしながら一行を見物する者も居た。
一行が坂下宿へ入る随分前。
漸く陽も全ての者達へ光を届けた頃、梅吉は峠の茶屋で行商人の男に化けた華澄を見送った後、坂下宿へ入るや慎重に歩きながら街中の様子を探った。
江戸時代、人々の暮らしは日の出から始まり、陽が落ちれば一日が終わる様な暮らしであった。
梅吉が人知れず坂下宿に入った頃、家々から朝餉の支度であろう煙が幾筋も立ち昇り、棒手振りが魚の干物や野菜に豆腐と、朝餉の材料と成る物を売り歩いて居る中、梅吉も薬屋の行商人に化け街中を歩く。
一頻り歩いて廻った後、更に詳しく敵の動向を探るべく忍び宿笹路屋へ探りを入れる事にし、何気無く店前を通り過ぎる体で様子を伺うも、笹屋の店内には夫婦二人だけしか居らず、カカシと辰吉の姿を見咎める事は出来無かった。
とすれば、既に二人は各々指図された謀を行う為、一人は江戸へ、もう一人は一行を監視する為、こちらに向かう一行の元へ向かったか⁉
と思いはした物の、その道中で何か事を起こすにしても、幾ら忍びとは言え単独では余りにも危険過ぎる。
ならば、やはり此処は、事を起こすにしても、この坂下宿で待ち構えるが最善と考えるのが普通であろう。
例え、事を仕損じたとしても、忍び宿へ逃げ込む事も出来るし、万に一つ、それが叶わず追手が放たれたとしても、それはほぼ武士であろうから、鈴鹿山系へ逃げ込めば慣れぬ山中での動きは鈍く、容易く逃げ切る事が出来ると考えて居よう。
その様に敵の思惑を読むと、敵が潜みそうな場を探すべく再び街中を歩き出した。
「さぁさ、皆さま。
御免為されませ。
近江の国は日野の里より薬方を携えて参りました薬師に御座います。
携えし薬は、比叡の山にて採りし薬草を元と成し、古より伝わる秘伝の調合にて拵えました〝万金丹”。
一服すれば、風邪、頭痛、(あたまいた)腹痛、胸の痞えにたちどころ、老若男女を問わず効き目ありと評判にて御座ります。
使うて効き目無ければ、お代は頂き申しませぬ。これぞ、近江商い〝三方よし”の心意気にて、さぁさぁ、お試し為され、一家に一包、万病に備えあれ!」
と、所では佇み、所では歩きながら、口上を流し売り歩くのだが、其処には方々細部に至る迄目を光らせ、敵が忍び隠れそうな場所を捜すのだった。
売り歩きつつ捜す中、仮に自身の読みが外れ敵が一行の元へ向かったとしても、この日の朝に敵が居た場合の対処方法は、既に善七へ伝えて置いた。
然るに梅吉の中では、例え敵が数人であったとしても、善七ならば容易く片付ける事が出来ると踏んだのには、彼の腕に対する信頼と自信があったからである。
そして、そうした事に成れば、直ぐ様自身へ知らせてくれる者の存在もあった。
そうした事から、梅吉はこの坂下宿での探索に集中する事が出来た。
敵も馬鹿では無いであろうから、目立つ様な目抜き通りや表だった所には隠れない筈である。
すると、やはり人目に付き難い裏露路や家に倉、大屋根を頂く寺の軒に火の見櫓、後は街中に生えて居る大木の中であろうか⁉
そうした、可能性がありそうな場所を、梅吉は丁寧に見て回るのだった。
一頻り宿場を見終わった所で、梅吉は忍びならではの視点から、自身なら此処ぞと思う場所を数か所目星を付けた。
これらの中から一か所、敵が効率良く謀を行うに良い場所を絞り込まねば成らない。
それが外れたとしても、即座に対処出来る場所にも目星を付けねば成らない。
かかる下準備をしようとして居た矢先、その者は目星を付けて居た一処に現われた。
梅吉は、その者が日野に在った敵の忍び宿から出た内の一人で、当地坂下の忍び宿である笹路屋で話し合いをして居た四人の内、一行の監視を指図されたカカシであると思い至った。
街中を闊歩するカカシは、確かに梅吉自身の顔を見知っては居ないと思うが、頭である弥次郎兵衛から既に敵が勘付いて居る事や、探りに来た者と仲間が遣り合った事は伝わって居る筈で、そうした者が何処かに潜んで居ると思えば、この様に無防備と言って良い風体で居る筈は無い。
これに、梅吉は考えを巡らせた。
もしや、この者らにそうした知らせが未だに届いて居ないのか?
それとも、わざとその様な素振りで街中を歩き、敵である自身がどの様に出るかを推し量って居るのか⁉
あれこれ思案する物の、意図が見えない⁉
まさかに、カカシが居ても何も起らないと言う事なのか⁉
そう思うと、この者は只、見張りだけを命じられて来たのではと思うのだった。
しかし、そうであったとしても、脅威と成る敵が何処に潜んで居るかを思えば、仮装するなり風体を変える必要はある。
『やはり、太平の世と成って以降は、我らの生業も命の遣り取りなど稀な事と相成った。
その所為か、忍びの質も下がり、この様な半端者迄もが忍びを騙る世と成ったのか!』
憂いつつも、梅吉の様に少数精鋭で未だに忍び働きをする一派からすれば、この程度の者達が幾ら束に成って謀を行おうと、その目論見を潰えさす事は出来ると思えた。
梅吉が様子を伺うカカシは、梅吉が当たりを付けた数か所の内、小竹屋脇本陣裏手に在る曹洞宗法安寺の境内へと入って行った。
この頃の宿場に在る寺は、宿場の檀家や道中で亡くなった人の葬儀、旅人や商人等の通行や商売祈願等の出入りが頻繁で、朝ともなれば旅人が道中祈願に立ち寄り、昼は商人や町人が参拝や相談に訪れ、境内では子供達が遊ぶ様な賑やかさで、そうした人々を相手に様々な露店が商いを行う場でもあった。
とりわけ縁日や祭礼の時等は、普段の人々は元より講中((こうちゆう)同じ信仰を持つ集まりや、頼母子講等の金銭賃借仲間)等が訪れ賑わいは増し、それを目当てに普段商いを行って居る店以外にも、様々な屋台や芝居小屋に旅芸人等が興行を行い市の様に賑わう。
そしてこの日は秋の彼岸会の期間で、法安寺の境内は朝から人が溢れかえる盛況ぶりであった。
『やはり、思った通り寺を選んだか!
この様な賑やかな日であれば、堂々と人に紛れ込む事ができ、人々も人一人を用心深く見る事は無い!
奴が只単に見張りだけなら、こちらも敢えて手を出さず見張りだけすれば良いのだが、何か策略があるのなら何としても其れを阻止せねば成らない!
其れを、どの頃合いで見極めるか⁉』
そうした事を思いながら、梅吉は境内を蝶の様にふわふわ歩くカカシを尾けた。
着流しに髷は銀杏返しと言った、如何にも遊び人風の出で立ちで境内を闊歩するカカシが、あっちこっちの屋台へちょっかいを掛ける姿は、尾行を気に掛けてる様にも見える。
が、其処は百戦錬磨と言って良い梅吉からすれば、幾ら弥次郎兵衛配下で出来ると言われるカカシであっても、その目から逃れる事は出来ないと言って良かった。
案の定、様々な露店を巡りながら、時折目を配るカカシは尾行を警戒して居るのが手に取る様に解ったが、如何せん場に和むと踏んだのであろう、遊び人の風体に化けたのは余りに目立つ浅はかな選択と言って良かった。
そうしたカカシが境内の中を流す中、既に梅吉の姿は、境内を見渡せる本堂大屋根の上にあった。
大屋根から見る境内は、普段の混み様とは比べられない程に賑やかであった。
梅吉がカカシの姿をを捉えた四つ(午前八時頃)時には、既に見世物小屋の前には人だかりが出来て居り、猿回しや角兵衛獅子の廻りを人が囲み芸に拍手喝采を送り、茶店や様々な屋台では団子に蕎麦や甘酒等の飲食、子供向けに紙風船やでんでん太鼓にお面等の玩具、更には飴細工や金魚売り等が軒を連ね、古着屋に古道具やほうきに草鞋等の生活用品には大人達が集って居た。
そして勿論、寺にまつわる香や線香に数珠や護符等様々な仏品も売られて居る。
その様な境内の中を、カカシはぶらぶら見回りながら、団子を食い煮物を肴に酒を飲み楽しんで居る様に見えた。
そんなカカシの様子を、梅吉は一行が着く迄の時間潰しなのだろうと察した。
そうしたカカシを大屋根の上から見て居た梅吉は、敵がその様な時間潰しをして居る間に、敵が何かしらの謀を行うのに対して、一行が立ち寄る小竹屋で防御する事が出来るのか調べるべく、大屋根から降り様としたその時、善七の手下とも言えるカラスの黒郎が目の前の大棟へ舞い降りた。
思わず、「おぉ、黒郎。」と声を掛けたのへ黒郎は小さく〝カァー〟と鳴くと、紙縒りが括られている足を梅吉の面前へ差し出した。
『片足立ちするカラスとは、何とも器用な事よな⁉』
胸の内に苦笑すると、黒郎が差し出した足に括られた紙縒りを取り中を見るや、
「黒郎、善殿に承知したと伝えてくれ。
それと、手筈通りにともな!」
そう言ったのに、黒郎は状況を察して居ると言わんばかりに小さく鳴くと、瞬時飛び立ち今度は東の方へと飛び去って行った。
善七からの知らせを一読した梅吉は、昼過ぎには一行が坂下宿に着くと知った。
と言う事は、一行が近付いて来る迄は、カカシは眼下で行う様な暇潰しをして居るであろうから、自身は万が一にもカカシが何か事を起こしても対処出来る様、小竹屋の廻りや寺の境内を探る事にした。
梅吉が境内を調べて居る時には、何か変な動きをしないかと、常に目の片隅にカカシの姿を捉えつつ、自身の存在が悟られる事が無い様見張った。
その結果、梅吉はカカシが潜むとすれば、此処しか無いと言う場所に当りを付けた。
そうして、気が付けば日は頭上を幾分通り過ぎ、そろそろ午の刻を迎え様かと言う頃合いに、一人の男が境内へ入って来るや大名行列の来訪を告げたのに、境内に居た人々の一部がわらわらと出て行く。
この様子を見たカカシは、いよいよだなと言う顔付に成るや、境内に居る人達の感心が表に向いてる隙に、境内の端に在る鐘楼へと近付くや、石垣が積み上げられた土台の裏へと廻り、鐘楼の屋根へと飛び上がった。
カカシが飛び乗った鐘楼の屋根は、寺の表に位置する脇本陣小竹屋の屋根より幾分高い事で、宿からは見えないが鐘楼の屋根からは小竹屋の敷地内が良く見えた。
そして、そのカカシの様子は、本堂大屋根に居る梅吉からも手に取る様に見えた。
が、いつしかカカシの姿は忍び装束に取って代わって居た。
そうして、カカシと梅吉双方が、各々配置に付いた形と成った時、寺の前にある小竹屋の前を通る東海道が俄かに賑やかさを増し、程無くして吉橋家の大名行列が到着するのを大屋根からは見えた。
しかし、大屋根より低い所にある鐘楼からは、宿前に着いた大名行列一行の姿を見る事は出来無い筈で、
『其処からでは、一行の御様子を探る事は出来ぬであろう⁉』
心の内にカカシへ語り掛けたのへ、それに気が付き立ち上がったカカシは、手薄と成った宿の裏手へ飛び降りると、すかさず辺りを見廻し一点を見咎めるのだった。
敵の狙いが、藩主茂直だけで無い事を知った梅吉は、この後の対策と黒幕の探索に一人奔走する事に成る。




