8話
「お兄さん、一緒に遊びに行かない?」
晴れやかな土曜の朝。朝食を一緒に食べていると、鏡花がそう切り出した。
「遊びに……行く?」
遊ぶと聞いて最初はいつものようにゲームでもするのかと考えたが、行くという単語が入りわからなくなる。
「ええ。近くに大きなモールあるでしょ? 午後、そこに行かない?」
同居を開始して三週間目を終えようとしている状況だったが、この誘いは始めてだった。
「ええと、他の友達とかは?」
「皆、予定があったり部活で断られちゃって。だからお兄さんはどうかなって」
少し変な期待をしていたが、そんな事はなく消去方だった。誘ってもらえて嬉しいのと、微妙な気持ちになる。
「まぁ、わかってると思うけど今日は暇だから大丈夫ではあるよ」
「だと思ったわ、お兄さんいつも暇だもんね。だから誘ったんだし。それで、どう?」
「何か釈然としないけど……良いよ行こう」
鏡花の想像の通り本当に暇で、特に断る理由もなかった。
「ありがとうお兄さん。私、色々見たいものとかやりたい事があるの」
「せっかくだし、俺も何か見よっか……な……」
そう予定を考えている中で今更ながら気づいてしまう。これから女の子とお出かけをするのだと。
「お兄さん? 顔、赤くない?」
「い、いや何でもないよ?」
そう改めて思うと一気に緊張して心拍数が上昇する。
「あ、緊張してるんでしょ。お兄さん、女の人と遊びに行った経験なさそうだもん」
「うっ……で、でも小学生の頃とか姉ちゃんと遊びに出かけたことはあるから……無理やり連れてかれただけだけど」
「家族はノーカンでしょ」
「ですよねー……」
指摘通り、姉を除けばそういう経験は皆無だった。鏡花は予想を当てた事でしたり顔をする。
「ふふっ、やっぱりね。というか、そんな感じで慣れてたら引いてたかも」
「そ、そっか」
「けど、一切ないっていうのもちょっと引くけどね」
「どっちにしろ駄目なんじゃん!」
「うふふ、冗談よ」
そう最近よく見せるようになった小悪魔的な微笑みを浮かべる。完全に遊ばれていて、刀真は若干の悔しさを噛み締めた。
「何か、名は体を表すじゃないけどどんどんお嬢様的になってくね」
「そうかしら? けれどお兄さんはお兄さんのままよね。それこそ、近所にいるお兄さんみたいな感じがする」
「一緒に住んでるんですけど」
やはり絶対的な距離があって、意識はされてないのだと突きつけられて、安心するやら悲しいやら、刀真の心中は複雑だ。
「まぁとにかく、約束だから忘れないでねお兄さん」
「わかってますよお嬢様」
そうして互いに少し笑ってから朝食を終える。窓から差し込む朝日はキラキラとしていて、幸先の良い今日を教えてくれていた。
※
「お兄さん準備は出来た?」
「うん」
昼食を一緒にとって少し胃を休めるためゆっくりとしていると、約束の時間になった。刀真達は外出の支度を済ませてから玄関前に。
「ええと、あんまりジロジロ見ないで欲しいんだけど」
「ご、ごめん。いつもと違う感じしたからさ」
今日の鏡花は服を決める際に少し悩みながら選んでいた。そして今着ている服は、服装に疎い刀真でさえ、オシャレで可愛らしいと思えるくらいのものになっていた。美人のため、どんな服でも似合っていたが、今回のはいつも以上に清楚で儚げな彼女の魅力を引き立たせている。
「……似合ってない?」
「超似合ってると思う」
「そ、そう……ありがと」
恥ずかしそうに視線を逸らしながらも口元は嬉しそうに緩んでいた。目的地は歩いていける距離で、刀真達は少し距離を空けつつも隣り合って進んだ。
「今日、日差し強いね」
「日傘持ってくれば良かったかも。日焼け止めは一応塗ってきたんだけど」
夏が近づきつつあるのを感じさせるような陽光が照りつけていた。大通りに出ると日傘を使用している人もチラチラ見かける。
「お嬢様に日傘……ぴったりだ……」
「何ブツブツ言ってるのよ」
それから軽く雑談をしながら歩いて、多少の汗が滲んで来る頃には、ショッピングモールが見えてくる。休日のため、人通りも車通りも多く、かなりの数が刀真達と同じ方向へと向かっていた。
「というかお兄さん、意外に平然としてない? 朝の様子だともっと緊張するのかと」
「ふっふっふ。わかる?」
刀真は期待通りの反応がきてしめしめと喜ぶ。
「慣れてても慣れてなくても、引くとか言われたからね。平然を装えば良い感じになるかなって……頑張ってる」
「何でそんな自慢げなのよ。しかも、それを言ったら意味なくない? 結局ドキドキしてるんじゃん」
「あ……」
「ふふっ、何やってんのよ」
かなり上手くやれていると嬉しく、つい話してしまった。鏡花に指摘され笑われてしまい、何とか抑えていた心が乱され顔が熱くなる。そしてまるでデートしているような今に、不発弾になっていた心臓の鼓動も緊張もついち爆発してしまう。
そして努力が水泡に帰したのと同時にモールに着く。中に入ると冷房が効いていて、変な汗をかいていた刀真は、涼んで少し気が楽になる。
「それで、お嬢様はどこに行きたいの?」
刀真は落ち着きを取り戻し、鏡花に尋ねる。すると、彼女は少し視線を彷徨わせてから刀真を意味深に見つめてから。
「うーん。とりあえず、色々見て回らない?」
「え、良いけど、何かやりたい事があったんじゃ?」
誘ってきた時色々と目的があるような口ぶりだったため、疑問が浮かぶ。
「せっかく一緒に遊びに来たんだし、目的に真っ直ぐじゃなくて寄り道した方が楽しいでしょ?」
「そういうものなんだ」
「そうなの。お兄さんは、趣味も持ったほうが良いし、もっと人と交流して外に出た方が良いよ」
「は、はい……」
露骨に人との関わりの経験の無さが出てしまう。
「仕方ないから、そんなお兄さんに私が経験させてあげるわ」
何だが使われる単語に変な意味を感じそうになったがすぐに振り落とす。
「よ、よろしくお願いします、先生」
「ふふっ。じゃあ行くわよ生徒くん」
こんなやり取りは気恥ずかしさがありながらも、やっぱり楽しかった。鏡花もまた普段以上に浮かれている様子で、それに刀真自身の気持ちもつられていく。
そしてそんな温まった雰囲気のまま鏡花先生のマンツーマン授業が開始された。
まず鏡花に連れられたのは家電量販店だった。一階の入口付近にあってふらっと入り、一緒に色々と見て回る。
「ねぇお兄さん、家にある電球何か切れそうじゃなかったっけ。新調したら?」
電球が置いてある棚の前に来ると立ち止まり下の段にあるそれを指差す。
「そういえば。せっかくだし買ってこうかな」
膝を落として商品を見てみると三種類の物があった。オレンジっぽい光り方をするものと青白いもの、そしてその二つの中間。
「どれにしよっかな。今のは中間くらいのだと思うけど」
特にこだわりがなく、値段も変わらないので少し迷う。
「私的にこの温かい感じのライトの方が良いと思う」
鏡花も刀真の横に来て屈んでオレンジの電球が入ってる箱を手に取った。
「優しい感じだし、リラックス出来そうじゃない?」
「確かに。今の若干眩しい感じもしてたし、これにしたらちょうど良いかも」
「じゃあ買う?」
「そうしよっかな」
そこまで高い買い物でもないので購入を決め、鏡花からそれを受け取る。
「他にも見て行く? 何かあるかもしれないし」
「だね」
家電類を一緒に見て回る。
「これ、最新のプロジェクターだって。うわぁこんな機能あるんだ」
「お嬢様の家にもこういうのある?」
「ないわよ。まぁ、あのくらいのテレビはあるけど」
「8Kのやつじゃん。凄っ」
時々、生きる世界が違うような気がして本当に一緒にいて大丈夫なのかと思う事があった。
「これ、最近出たヘッドホンよ。欲しいのよね、今は買えないけれど。あ、こっちには、ゲーミングPCある! スマホカバーもあるし、これ買おうかしら」
「お嬢様って好きな物色々あるよね」
「便利で最新の物とかワクワクしない? 家電量販店って見てるだけでも楽しめるわ」
「……気持ちはわかるよ」
鏡花は花パステルカラーの可愛らしいスマホカバーを手にして購入を決めている中、刀真はふと彼女の言葉で昔を思い出していた。子供の頃はこんな風に好きな物に目を輝かせていて同じような気持ちを感じていたと。そして、今は戻れなさそうで、微笑みを浮かべている鏡花は眩しかった。
家電量販店は流石に手軽に買えるものは少なく、スマホカバー以外に衝動買いする事はなかったが、色々商品を見てああだこうだと会話の花を咲かせるのはプライスレスな楽しさがあった。
「お兄さんこっちこっち」
そして手招きされて最後に訪れたのはゲームコーナーだった。鏡花は待ってましたと言う感じでいて、少し微笑ましくなる。刀真も最近、鏡花と遊ぶ事が増えて、知っているものもあり、同時に昔の感覚を思い出したく微かに残るそれをなぞるようにしげしげと見て回る。
「あー、これ本欲しいやつだ。三年待ってようやく続編が出たの」
「八千円って、今のゲームソフトってこんな高いんだ」
刀真の記憶では半分くらいの値段で買えた記憶があり、時代の流れを感じてしまう。
「はぁ……欲しいけどお金が」
お嬢様らしからぬ呟きとため息だった。
「お小遣いとかもらってないんだっけ」
「家出してるんだから当たり前でしょ」
「それもそっか」
「茜さんに渡すか言われてるけど、それじゃあ意味ないから」
流石の意志の強さではあるが、ゲームソフトを見つめる目は、欲しい欲しいと雄弁に物語っていた。
そんな彼女を見ていると、もしプレゼントしたらお菓子を食べている時のように喜んでくれるのではと想像してしまい、少し鼓動が早まった。
「残念だけど、お兄さん次に行こ」
「……うん」
貯まるだけのお金の使い道はこれなのではと、刀真はとりあえず今はその可能性だけを頭の片隅に置いておくことにして、店を出た。
それから鏡花と共に一階を眺めてながら歩く。
「そういえばさ、ここ高校近いし友達とかに見られたらヤバくない? 変な噂たっちゃうかも」
たまにすれ違う高校生くらいの子達を見かけると、今更ながらそんな不安に襲われる。
「大丈夫よ。家出の事はお友達には話してるし」
「は、話してるんだ……」
どれだけ本当の事を言ってるのかわからないが、年上の見知らぬ男性と同居というのは中々な話だ。
「安心して別に悪口とか言われてないから大丈夫よ」
「そういう問題じゃないんだけど……まぁそれはいいとしてクラスメイトとかに見られるのはまずいんじゃ?」
「その時はその時よ。それに、私そういうの気にしないから」
全く不安を感じていないようで、その確かな強さは羨ましく素直にかっこいいなと思った。そして、やはりどれだけ身近に感じても自分とは違う世界の人であると突きつけられたような気がした。




