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3話

「どうしよっかなぁ」


 刀真は帰宅した後、雨に濡れた服を着替えてから、部屋中を思考と同じようにぐるぐる回っていた。あのまま放っておいて良いのか、だからといって自分に一体何が出来るというのか、自分がせずとも他の心優しい誰かが声をかけるんじゃないか。


 予測しづらい新しさと自発的な行動を苦手としている彼にとって、話しかけるという程度の事でも強い理由が欲しかった。


「大丈夫かな……」


 窓から外を見るが、一階にあるこの部屋からは確認できない。さらに雨脚が強くなっている事だけはわかって。


 玄関の方を見れば、使用した折りたたみ傘の他に、高校の時に使っていた藍色の傘が目に付いた。


「傘を渡すくらいなら……」


 流石に彼女への心配が勝ち、判断が鈍らない内にスマホをポッケにしまい、その傘をさして外に飛び出した。


 駆け足でベンチ付近まで近づき、彼女の姿が見えた辺りで速度を落とす。


「……」


 先ほどと変わらないポーズのままでいて、制服も隣にあるスクールバッグも体操服袋もびしょ濡れで、それを気にする素振りは一切なかった。もう何もかもどうでもいい、言外にそう言っているように思えて。


「あの……どうぞ」


 刀真は悩むよりも先に彼女に傘を差し出した。それから不安が渦巻き出したが、それ以上に彼女の反応に意識が向く。


「……あ……っと」


 こちらを見上げる彼女は、声をかけられたのが予想外だったのか鈍い反応で、ぱちくりとまばたきをしてから、まるで今目の前に人が立っていたのだと気がついたような素振りを見せた。


「風邪、引いちゃうよ」

「わ、私は、その……」


 肯定するでも否定するでもなく、しどろもどろに反応する。その間にも雨はお構いなしで、待ち続けるわけにもいかず、刀真は強引に傘を雨から彼女を守れるようにベンチに立てかけた。


「ま、待っ……は……くしゅん!」


 可愛らしいくしゃみが飛び出る。体も寒いと助けを求めているようで。刀真は瞬間的に隣の自動販売機へと向かった。


 ラインナップを確認し缶だと熱すぎると判断し、温かいペットボトルに入った紅茶を選択。スマホで支払いを済ませ、手に持てるくらいの熱を持ったそれを彼女の手の上に置いた。


「これ、飲んで」

「だ、大丈夫です。というか、傘も」


 まるでそのペットボトルの温度で氷解したように動き出し、返却しようとしてくる。


「安心して、そこで買ったのだから変なのは入ってないよ」

「そうじゃなくて……私の事は気にしないでください。何でもないので」


 それは予想していた反応の一つだった。不安が的中し、これ以上関わるのは良くない、そういう思考になると踏んでいたが、彼女の声や態度で助けなきゃと使命感のような想いが湧き上がってきた。


 強く拒否するでもなく、体も言葉も震わせて、見上げる潤んだ瞳は、救いを願っているように見えて。


 環境のせいで周囲に気を遣って自分を殺して、いつしか自分の想いを言葉どころか態度でも表に出せなくなった、そんな過去の自分と重なった。


「あの時の俺なら……」


 もしどんな事があれば過去の自分は救われただろう。もしどんな言葉をかけられたら今の彼女が救われるだろう。


 本当に彼女を救う力なんてない、でもせめて、この雨の寒さからは守ってあげたい。そう決意して一歩も引かず刀真は彼女に歩み寄った。


「流石にそうはいかないよ。こんな状態の子を見てほっとけない。何か困ってるなら教えて欲しいし、言えないならせめて受け取って欲しい」

「……あなたには関係ありません。それに見知らぬ私にどうしてそんなに……」

「見知らぬ人でもないよ。いつも朝に挨拶してくれる子だよね」

「……覚えてるんですか」


 彼女はパチパチと驚いたように瞬きをする。目にかかっていた雨水が少し弾けた。


「俺だけじゃなく色んな人に挨拶してて凄いなって思ってたからさ。やっぱり挨拶されると嬉しい気持ちになるし、朝の気分が良くなるんだ。そんな気持ちをくれた君がこんな状態なら心配するよ。関係なくなんかない。それに、俺もこんなずぶ濡れになったし、ずぶ濡れ仲間でもあるしさ」


刀真は、段々と気恥ずかしくなり最後は軽く冗談めかした。


「何ですか、その仲間は。というか、傘一本しか持ってないんですか?」

「いや、それを渡そうという意識しかなくて、忘れちゃって」

「……何してるんですか、本当に」


 そう少し呆れたような視線を送られるも、少し彼女の雰囲気が柔らかくなったのを感じた。


「という訳だからさ、手助けをさせて欲しい。それに、出来れば何に困ってるのか教えて欲しいな。もし深刻なら警察とか呼ぶ必要もあるかもだし」

「どういう訳ですか……はぁ。仕方ないな、隣、どうぞ。それと警察は止めてください、そんなのではないので」


 大きな問題と思われたくなかったのか、話してくれるようで隣に座るようジェスチャーを送る。


 刀真はその通りにびちゃびちゃになってるベンチにもはや抵抗感はなく、一人分の間隔を開けて座る。


「もっとこっちに来てください」

「いいの?」

「あなたが傘に入れてないじゃないですか。占拠してるみたいで嫌なので」


 雨に打たれすぎて全身の震えが止まらなくなってきていたので、言葉に甘えて密着ギリギリの傘の下に。


「珍しいですよね、今の時代にこんな状態の人に話しかけるなんて。それも女子高生に」

「お互い様だよ、ご近所さんでもない俺にまで挨拶する良い子は今時いないと思う。レアキャラ同士だね」

「あんまり嬉しくないです」


 共通点を見つけられたようで刀真は喜んだが、彼女は素っ気ない。しかしながら、今日初めて一瞬ながら微かな笑みが表出した。


(まさか、こんな展開にまでなるなんて)


 刀真は想定以上の状況に、思わず心の中でそう呟く。雨に打たれて思考もままならない中無我夢中で話していたら傘を渡すどころか、話を聞くことになったのだから。


「じゃあ聞かせてくれる?」

「笑わないでくださいね」

「もちろん」

「……家出したんです」


 それを聞いた時、想像の範疇の中にあった答えでひとまずの安心を得た。


「そっか、家出なんだ。ほっ」

「何でホッとしてるんですか」


 彼女は刀真の反応に、訝しげに鋭い瞳を細める。


「いや、もしかしたら親に捨てられたとか、全てを失って行く宛が無くなった可能性も考えてたからさ」

「……そうですよね、大した事じゃ」


 唇と手に持つペットボトルをぎゅっとして俯く。


「ううん、俺は凄いことだと思うし……正直カッコイイなって思った」

「か、カッコイイ……?」


 虚を突かれたと瞳が丸くして何度も瞬きをしてそう言っていた。強く握っていたペットボトルも解放されている。


「昔さ、俺も家族と上手くいってない時期があってさ。その時に家出してやるって思ったんだけど……結局怖くて出来なかったんだ。きっとそれをしたらそのまま捨てられるって思ったから」

「す、捨てられるって……そんな」


 心配そうな表情で小さく首を横に振る。余計な事を言ってしまったと、すぐに話を戻す。


「とにかく、凄いなって思ってるんだ。だから馬鹿になんてしないし、否定もしない。なんなら勇気ある行動で良いと思う」

「……やっぱり変な人ですね。普通なら、大人として諭すか否定するのに」

「一応成人してるけど、メンタルは子供だからね。大人にはなれないよ、良くてお兄さんってとこかな?」

「じゃあ変なお兄さんですね」

「何か、犯罪臭凄いからその呼び名止めて」

「ふふっ」


 とんでもない称号を貰ったが、代わりに彼女の微笑みが見えたので良しとした。


「それで、家出少女な君はここで何をしてたの?」

「行く当てがなくて彷徨ってて、疲れてここに座ってました」

「えっと友達は……いや、迷惑をかけたくないから無理か」

「そ、そうなんです! 友達にこんな重い話とか無理だし、けど、他に頼れる人もいなくて」


 刀真はどこか自分を彼女と重ねていて、そして今ので実に際近い思考回路をしていると確証を得た。


「どうしようって悩んで、家には戻りたくないけど行くところもなくて苦しくて。でも雨に打たれてればその気持ちも薄れて、ずっとここに」

「……流石にあの人には頼れないし、他に俺に女の子の知り合いとかいればなぁ。どうしたものか」

「お兄さん?」


 一人頭に浮かんだ人物がいたがすぐに振り落とした。物理的にも心理的にも高いハードルがあったのだ。


「家にキャンプ道具もないし、今時泊めてくれるお人好しなんていないだろうし……うーん」


 刀真自身も頼めるような人物に心当たりがなく、大きな壁のその先へと進めなくなってしまう。


「ええと……お人好しなら」


 そう言って誰を指すのか言葉にせず、真っ直ぐ見据えて瞳に刀真を映した。


「お、俺……?」


 自然と消えていた自分という選択肢が彼女によって復活させられる。


「でも、男の一人暮らしだしなぁ」


 消滅していた理由は単純明快で、そこまで関わりのない女子高生を自分の家に誘うというのがありえないからだ。


 しかし、彼女からそれを突きつけられれば再考せざるおえなくて。


「ちなみになんだけど、君は良いの? 俺の家とか。やっぱり怖いんじゃない?」

「強引に助けてきたのに、そこは遠慮するんですね」

「だ、だって……」


 刀真はそう言い訳しようとした自分に嫌気が差した。一般論や常識を盾にして、結局、彼女のためを思ってではなく、保身のためが先行していたのだから。火の粉は被れない偽善だ。


「別にいいですよ、私はこのままでいいので」

「……いや、ここまできて引き下がれない」


 刀真は覚悟を決めたように小さくそう声を出すと。


「君さえ良かったならなんだけど……家に来る?」

「お兄さんの変態」

「ち、違っ!?」

「ふふっ、冗談です」


 慌てる刀真を見て嗜虐的な笑みを浮かべた。


「わかってます、お兄さんがそんな人じゃないって」

「ええと、信じてくれるのは嬉しいんだけど、もっと警戒した方がいいんじゃ?」


 もしかしたら家出したため、ヤケになってるのではないかと心配になる。


「……警戒する必要がないって話してて思ったので。それに、いつも挨拶を返してくれてたので、良い人だなって印象にも残ってましたから」

「俺の事も覚えててくれてたんだ!? 挨拶なら色んな人としてるのに」

「意外と返してくれない人も多いんです。軽い会釈くらいはあったりしますけど。必ず返してくれるのは近所を歩いてるおじいちゃんおばあちゃんかお兄さんくらいでした」

「な、なるほど」


 刀真は何か容姿的な部分に魅力があるのではと淡く期待したがそうでなく少し凹む。認識されていたのは嬉しいが、同じ立ち位置にいる存在と並べられると少し微妙な気持ちにもなる。


「あとですね」

「まだあるんだ」

「これが一番の理由です」

「ほう」

「お兄さんってそういう度胸とか無さそうじゃないですか。だからです」


 どうやら信用のハードルを越えたからではなく、評価が低すぎてその下から通ったらしい。雨を被り冷え込んだ体に彼女の本音が合わさり、心の体温まで急速に低くなっていく。


「あのぉ、それは優しそうとか安心感があるとかって言い換えられないでしょうか?」

「うーん、それよりも弱そうとか、脅威がなさそうとか、色々考えて行動しようとするけど結局何も出来なさそう、とかの方があってるかも」

「ひどぉっ! いや、行動力の事は合ってるんだけども!」


 家出しようとして出来なかった件の話でそう思ったのだろうが、はっきりと言葉にされると自分で思っているよりも百倍くらいは刺さってしまう。


「これで私を助ける気、なくなりましたか?」


 それは助けて欲しくなくて悪ぶったというよりも、それでも助けてくれるのかという軽い挑戦のように聞こえて。


「いいや、そう言われたら無理やり助ける事に決めた! さぁ、行こう!」


 それは、びしょ濡れになりすぎてもうどうにでもなれと傘を捨てるような、そんな心持ちで立ち上がり彼女に手を差し伸べた。


「はぁやっぱりお兄さんは変な人です。じゃあ……よろしくお願いします。それと、ありがとうございます」


 諦めなのか喜びなのか、二つが織り込まれた苦笑を浮かべて、刀真の手を取った。それを受けて彼女を引っ張り上げる。


 刀真は傘を持ち、彼女は少し冷めたペットボトルを手にして、家へと相合傘のまま向かった。


 体が密着しないギリギリの距離感を保つも、至近距離に女の子がいる事には変わらないため、心拍数は上昇して、意識も彼女へと強く研ぎ澄まされていた。


「別にお礼なんていいよ、俺が勝手にやってるんだし。それと、もう敬語も大丈夫だよ。というか、敬意なんてないもんね。弱いお兄さんだから」

「そんなにすねないで。優しい人でもあると思っているから」

「そ、そっか! それなら――ってもう敬語止めちゃってるし! ちょっとは戸惑って!」


 さらっと敬語がなくなっており、あまりも自然にタメ口になる。あまりにもナチュラルで、それが、この関係性の正しさを表しているようだった。


「あ、そうだ。一応言っておくけど、お兄さんも人の事言えないからね。人を助ける人が必ず善人じゃないように、困ってる人も善人とは限らないから」


 アパートのすぐそこに来ると、今度は彼女の方から注意が飛んでくる。


「心配してくれてありがと。でも大丈夫、君と同じだから。挨拶の事もそうだし、話してて良い子だなって感じたしね」

「……あっそ」


 そう褒められたからか、照れたよなそっけない返事をする。やはりこの子はちょろいのではないかと少し不安になってしまった。


「よし、着いた」


 刀真の住まうアパートは二階建てで現代的な外観をしているものの多少の年を感じさせる。目的の場所は一階の左端にある角部屋だ。


 その下まで来ればようやく雨の猛威から一息つける。


「……勝田」


 刀真は急に自身の名を呟かれて驚くが、彼女は表札に書いてあるものを読んだだけだった。


「そう言えば、名乗ってなかったね。俺の名前は勝田刀真。よろしく」

「私は、雨月鏡花。呼び方は……何でもいいよ」

「雨月鏡花さんか……綺麗な名前だね。じゃあ俺の事は刀真で……ってどったの?」

「刀真……刀真……」


 鏡花は刀真の名前を小さく口にするも微妙そうな表情を浮かべていた。


「やっぱりお兄さんはお兄さんでいいかな。その方がしっくりくる」

「なぜに?」

「知らない。でもそっちの方が良い感じだし、これからもお兄さんでいくから。よろしくねお兄さん」


 釈然としないが、もう変わる事もなさそうで。だったらと少しやり返そうと刀真はにやりと笑うと。


「りょーかい。よろしくね、お嬢様」

「何、その呼び名」

「これの方がしっくりきたからさ。何でもいいって言ってたしさ、こっちもお嬢様でいくんで」


 自分に対する態度と冗談半分でその呼び名にする事に。自分の事ながらピッタリだと満足するも、鏡花はムッとして唇を尖らしていた。


「あっそ、勝手にすればお兄さん」

「そうさせてもらうよ、お嬢様」


 互いに呼び名の部分を嫌味っぽく強調させながら、扉の鍵を開けて家の中へと入る。すると、一気に雨音は遠ざかっていった。

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