10話
「少し疲れたしここでお茶しない?」
鏡花は三階の一角にある人気のあるカフェのチェーン店を指し示す。刀真からするとあまり入らないオシャレな店のため、ハードルは高い。
「う、うん。良いよ」
「もしかして、苦手?」
「苦手というか、あんまり入らないから」
「あーまぁそうよね。でも、私がいるから大丈夫よ」
慣れている人が隣にいるとそのハードルは越えられそうなものに見えて、固まっていた足が氷解する。
中に入ると思ったよりも人が少なく、空席もポツポツとあり、そこまで混んでいなかった。ノートパソコンをカタカタしている人を探すも、今はいなかった。
「意識高い感じの人いないね」
「何を探してるのよ。そんなのいいから注文するわよ」
空いているため注文のための列もなくすぐに頼めるように。
「お兄さん、何頼む?」
「ええと」
調べる間もなかったので、多くのメニューを見て迷う時間が発生してしまう。後ろに並んでいる人がいないものの、早く決めなくてはならないと刀真は焦ってしまう。
「じゃあ私は、カプチーノのショートを。それとこのチーズケーキも」
悩んでる時間を稼ぐためか先に頼んでくれる。刀真は少し平静を取り戻し、鏡花のを参考にしながら自分の欲しいものを選び出す。
「えっと、このアイスティーのショート? を一つと……チョコケーキを一つで」
無事に注文を済ませて商品を受け取ってから二人掛けの席に対面で座った。
「お兄さん、注文に緊張しすぎじゃない?」
「だってこんなとこ普段来ないし」
刀真はアイスティーにミルクとシロップを二つずつ入れて甘くしてかき混ぜる。すると段々とミルクティーっぽくなってきた。
「ね、まだ手つけてないし少しだけシェアしない?」
「良いよ」
お互いのケーキの一部を皿に置いた。そしてまずは自身が頼んだものから口に入れる。
「……」
チョコレートの上品な甘みと苦味が舌を包みこみ、つい頬がほころぶ。
「美味しいわね」
一方の鏡花はお菓子を食べている時とはまた違うが、嬉しそうに味わっている。
そうして今度こ刀真の手は貰ったチーズケーキに向かった。まろやかなチーズが、さっきのチョコレートによって強調されていた。一口だけから一口しかないという感覚になる。
「どうだった?」
「もっと食べたくなったよ」
「ふふっ。そうよね。でも、あげないからね?」
「わかってるよ」
これは自分のものだとチーズケーキの乗る皿を少し彼女は手前に下げる。そして刀真の上げたチョコレートケーキを食べた。すると、一瞬お菓子を食べてる時の様な幼顔になり、刀真とチョコレートケーキを交互にチラチラとして訴えかける。
「えっとお兄さん……可愛い後輩からお願いがあるんですけど」
「何でしょう」
「もう一口……いや二口欲しいんですけども……」
「これは俺のなので」
「……ですよね」
すっと鏡花と同じように手前に引くと、ガクリと項垂れるも素直に諦めた。
甘さに浸された口内にアイスティーを入れるとスッキリとしてまたケーキの口になり、それを繰り返していればすぐにどちらもなくなってしまった。
「どうだった? また来たくなった?」
「誰かと一緒なら」
「それなら今度は茜さんと私と三人で来ない?」
「まぁ……うん」
刀真は姉とそうしている光景を想像すると、どうしても反発する心があった。
「ずっと気になってたんだけどお兄さんって茜さんの事好きじゃないの?」
普段の態度からそう推察したのだろう。なるべく表に出さないようにはしていたが、やはり察せられていた。そして否定しなかった無言で肯定と捉えられる。
「茜さんは凄く好きそうにしてるし、どうして? あんなに明るくて可愛らしくて優しいし」
彼女の茜に対する評価は概ね同意していた。だが決定的に違うのが、それを好意的に受け取れるかどうかで。
「嫌いとは言わないよ。でもそんな感じだから苦手……なんだよね」
「どういう事?」
ここまで話してしまった以上、止めることは出来なかった。近くに人がいないかキョロキョロ確認してから、出来るだけ聞こえないよう声を潜めて。
「わかると思うけど俺は暗いジメジメしたような人間でしょ?」
「ええ、そうね」
当然だと肯定されて少し釈然としないがひとまず置いておく。
「だ、だからあんなにキラキラしていると、俺にとっては眩し過ぎて受け入れられないんだよね」
「言ってる事は理解できるけど、それでもお姉さんよね? クラスの陽キャみたいな人に対してならわかるのだけど」
「別に家族だって血は繋がっているとはいえ他人だし。それに、近い距離だからより感じるんだよ」
曖昧な理由で終わらせようとしたが、話し始めてしまうと、そして鏡花に聞いてもらっていると、ついその先へと口がひとりでに動いてしまう。
「姉弟でいると比べられるんだよ。家族にもその周囲の人からも。それでさ、俺みたいなのと姉ちゃんを比較したら、結果は目に見えてる。皆、姉ちゃんを持て囃すんだ。そして俺は誰の視界にも入らなかった」
「……でも末っ子の方が可愛がられるイメージがあるんだけど」
「末っ子補正があってもダメなくらい可愛げがなかったんだよ。そして姉ちゃんにはそれがあった。昔から皆も両親も魅力するあの明るさや可愛らしさがひどく眩しくて羨ましくて……妬ましかった」
喉が乾いてきてコップを持つも、中身はなく、溶けた氷の残り水しかないが、潤すため飲み込んだ。薄まったアイスティーの味が絡みついてくる。
「けど、お姉さん程じゃなくてもお兄さんもご両親から愛されていたんじゃ。だって家族で親子で」
「それはないよ」
刀真は頭の芯が熱くなっている事を自覚しながら食い気味に否定する。
「親たちが離婚する時に、姉さんをどっちが引き取るか争奪戦になったんだ。でも俺の事はどちらも欲しくなかったのか譲り合っていた感じで。露骨にそうしてた訳じゃなくやんわりとだったけど、そう見えたんだ。だから愛されてなんかなかったんだよ」
「……」
加熱してしまった情緒は掘り起こしたくない過去まで引っ張り上げてしまう。
「そんな感じで姉さんは俺が欲しいものを全部奪っていってどうしても好きになれなかった。でも、姉ちゃんはずっと俺の事を好いてくれてたんだ」
胸がチクリと痛んだ。好意を向けてくる相手を拒否するのは苦手な相手だとしても罪悪感が募る。
「なおさら苦しかった。あんなに好いてくれてるのにそれを受け取れなくて、近くにいると俺が矮小な人間なんだって思わされるんだよね」
「……お兄さん」
「そして大人になって久しぶりに再会してもそれは変わっていなかった。やっぱり俺は最底辺の人間で、上位な存在の姉ちゃんとは文字通り天と地ほどの差があって……苦手なんだよ」
「……」
ついにコップの中は完全に空になってしまうも、何か注文する気も起きず、カラカラなまま唾を飲み込んだ。
「ってごめん。雰囲気悪くしちゃった」
「私から聞いたことだから……そろそろ出る?」
「だね」
飲み食いしたものを片付ける、あわよくばこの落ち込んだ雰囲気も洗い流して欲しいと思いながら。
「……」
「……」
残念ながらこの空気は簡単になくなることはなく、きまりの悪さに話してしまった事に刀真の中では慙愧の念が押し寄せていた。
「えと、次はどこ行こうか?」
「うーん、そうね……」
目的もなく道中を楽しむでもなく歩き続ける。立ち止まりたくないという思いは共有しているようだった。止まれば気まずさに圧迫され息ができなくなってしまう。
「一旦解散するっていうのはどう? 一人で見たいのもあるだろうし」
この空気から逃げたい、それ以上ち一つやりたいことを思い出し、刀真は良いタイミングと提案した。
「……わかったわ。じゃあ三十分後くらいに一階の入口集合で」
「了解」
状況によりその案は快諾されて一人行動の時間に。軽く手を上げ合ってから別れて刀真は三階に、鏡花は下の階への道へと向かった。互いに、先ほどとはうってかわって目的確かな足取りで。
「……」
一人で歩くショッピングモールはとても広かった。




