王宮の庭園で
「……オードリック、さすがにそれは……」
「そうです兄上。ここで婚姻を認めるのは横暴では……」
「家長を無視して今ここでというのはさすがにマズい。叔母上に何を言われるか……」
「ああ、そのご心配なら無用です。リファール辺境伯からのお許しは頂いております。この通り」
そう言ってオーリー様は懐から封筒を取り出した。中に入っていたのは……お祖父様からの婚姻の申請書だった。いつの間にこんなものを……
「アンジェから婚約を続けたいとの返事を貰ったので、辺境伯にお願いしておいたのですよ」
にっこりと笑みを浮かべたオーリー様に、陛下とルシアン様が表情を引き攣らせた。
「確かに……辺境伯からのものだが……」
申請書を手にした陛下は急な展開に一層動揺しているように見えた。それはルシアン様も同じで、親子だなと思ってしまった。
「陛下」
「わ、わかっておる……オードリックとリファール辺境伯アンジェリク嬢の婚姻を認めよう」
「ありがとうございます、父上」
暫くの沈黙があったけれど、フェリシテ様に促されると陛下はあっさりと婚姻を認めた。本当にいいのだろうか……最初に陛下の反対があったせいか、まだ信じられないし、婚姻したという実感も湧いてこない。結婚ってこんなにも他人事のように感じるものだったのかと、別の意味で感慨深く感じてしまった。
でも、陛下が認めてしまった後は早かった。フェリシテ様は早々に公爵家に使いを、ルシアン様は国内に向けての通達を指示してしまわれた。アデル様は早速ジゼルに知らせなきゃ! と言いながら退室された。
その後私はオーリー様に庭園の散歩を提案された。王宮の庭の見事さは有名だし、こんな機会でもなければ来ることもないから、私は二つ返事でその提案を受けた。
「うわぁ!……凄い、ですね……」
「ここは他国の王族を案内することもあるからね。侮られないよう力を入れているんだ」
なるほど、納得の素晴らしさだった。圧巻で言葉も出ないという表現がぴったりの庭は、まるで別世界のように花々が咲き誇って色彩が眩しい。まだ朝早い時間帯のせいか、人の姿もまばらだ。
「アンジェ、婚姻を急いですまなかった。でも、父上は押しに弱いから、どこから横槍が入るかわからなかったから心配で……」
木陰にあるベンチに腰かけると謝られてしまった。陛下の正体を知った今となっては、オーリー様の懸念も理解できた。
「いえ、私も……公爵家との縁談は、遠慮したかったので……」
誰が聞いているかもわからない場所では、オーリー様がいいですというのはさすがに気恥ずかしくて、そう言うのが精一杯だった。
「そう言ってくれて嬉しいよ」
そう言って手を握られて、胸がとんでもなくドキドキしてきた。婚姻成立の瞬間は実感も湧かなかったのに。きっと私の顔も赤くなっているに違いない。こんなところを人に見られたらと思うと気が気じゃないのだけど……あたふたしているとすっとオーリー様が立ち上がったと思ったら、手はそのままに私の前に跪いた。
「リファール辺境伯アンジェリク嬢。あなたを愛しています。何もない私ですが、私の花嫁になってくれませんか?」
「……え?」
突然の言葉に頭の中が真っ白になった。
(あ、愛しているって……でも……)
ジョアンヌ様のことはもう何とも思っていないと言っていた。それは私には三年前の出来事でも、オーリー様にとってはほんの数ヶ月前の話だ。そんなに早く割り切れるものなのだろうか……心まで縛る気はないし、無理に愛しているなんて言わなくてもいいのに……
「アンジェ?」
「あ、あの……オーリー様、無理はなさらなくても……」
「無理、って、何を?」
「で、ですから、その、愛しているなんて……こと、は……」
うう、自分で言ってちょっとダメージを受けてしまった。でも、いずれ好きになってくれたらとは思うけれど、無理強いしたいわけじゃない。今のままでも十分なのだから。
「無理なんかしていないし、私の本心からの言葉だよ」
そう言うとオーリー様が真っすぐに私に視線を向けた。その強さに鼓動が跳ねた。
「今は何を見ても聞いても、アンジェのことばかり考えてしまう。どんな些細なことでも知りたいし、見逃したくないし、聞き逃したくないと思う。一番側にいるのは自分でありたいし、正直ジョエルだって近づけたくない」
「……」
ここでジョエルの名前が出て驚いた。彼はそういう対象じゃないのだけど……いや、その前にオーリー様って、意外に……
「私の頭の中は九割以上アンジェのことで埋まっているし、きっと嫉妬深いと思う。こんな重い男は嫌い?」
「そ、そんなことは……あ、あの、私も嫉妬深い、と思うので……大丈夫、です」
「ありがとうアンジェ。これからの私を全てあなたに捧げるよ」
ふっと手を引かれたと思ったら、立ち上がったオーリー様に抱きしめられていた。オーリー様の香りが強くなって一層ドキドキしてしまった。ふと腕の力が弱まったのを感じて上を向いたら、そのまま唇に柔らかい感触があって、それが何かに思い至った私の頭は完全に真っ白になった。
だから気付かなかった。こんな姿を他の人に見られているなんて。そして、それがあっという間に貴族の間に広がって行ったことを。




