新しい薬の効果
あれから二月が経った。
マティアス殿からは特に連絡はなく、エマ様は今も離れで静かに暮らしていた。さすがに軟禁生活はこちらも気が引けるので、護衛と侍女を付けてなら街に買い物に行くのを許可した。それから彼女は街の図書館に通うようになったと聞く。何でも元より外に出るのは苦手な性質で、子供の頃は本ばかり読んでいたのだと言う。今は静かに好きな本が読めるので、王都にいた頃よりも心静かに暮らせると喜んでいた。
王都からも特に連絡はなく、お祖父様の部下からも特段変わったことはないとの報告だった。ベルクール公爵も今は打つ手がないようで、オーリー様とエマ様の間に子供が出来ないかと気を揉んでいるのかもしれない。
実際、ベルクール公爵からエマ様にはこれまでに三度手紙が届いたと言う。エマ様はその手紙をお祖父様に渡し、返事もお祖父様たちと相談して送ったと聞いている。オーリー様は回復途中だけれど、食べ慣れないものを食べると体調を崩すということにして、公爵からの差し入れも断っていた。実際、今は薬を飲んでいるので、我が家が出す食べ物以外は口にしないようにしている。薬にどんな影響が出るかわからないからだ。
そんなオーリー様だけど、ブノワ殿が処方した薬を飲むようになってから二月が経った。ブノワ殿の話では、一月ほどで不調が抜けると言っていたけれど……
「アンジェ!」
日が降り注ぐ庭で、大きく手を振りながら私を呼んだのはオーリー様だった。騎士たちが着る様な簡素な服を着て、その手には剣が握られていた、額には汗が光り、青白かった顔色は今は少し日に焼けて見違えるほどだ。
「オーリー様、また鍛錬ですか」
「ああ。やっと昔の勘が戻ってきた気がするよ。これもアンジェのお陰だね」
そう言って笑顔を浮かべる姿は、初めて会った頃とは別人だった。物静かで穏やかな人なのだと思っていたけれど、こちらが本来の姿なのだろう。
ブノワ殿の薬を飲み始めてから一週間ほど、オーリー様は高熱を出して寝込んだ。薬を止めたことと、違う薬を飲んだことによるもので、これを超えて初めて効果が出るのだと言われたけれど、最初は心配で仕方なかった。治癒魔術をかけながら必死に看病したけれど、十日もすると落ち着いて、それからは徐々に身体のだるさや食欲不振、気鬱や寝不足などが弱まっていった。
一月もすると散々悩まされていた症状はほぼ消えて、少しずつ身体を動かせるようになった。最初は散歩の回数を増やすところから始まって、次第に走ったり馬に乗ったりと運動量を増やして、十日ほど前からは剣の鍛錬を始めたところだった。
「あんまり無理しないで下さいね」
「わ、わかっているよ。そろそろ終わろうかと思っていたんだ」
気まずそうにそう言うと、エドガール様も今日はここまでにしましょうと言って剣を収めた。オーリー様はああ言ったけれど、三日前には張り切り過ぎてふらふらになり、治癒魔術をかけたばかりなのだ。動けるようになったのが嬉しいのだろうけど、無理は禁物だ。
「それなら、湯あみの後でお茶にしましょう」
「そうだな。ちょっと行ってくるよ」
「じゃ、四阿でお待ちしていますわ。ソフィア、後でお茶の用意をお願いね」
「はいっ! お任せください」」
「ソフィア、返事が大きすぎ。もっと静かに」
「あっ! ご、ごめんなさい」
ソフィアさんはエリーについて侍女見習いの修行を始めていた。さすがに侍女にさん付けはおかしいからと呼び捨てにして欲しいと言われたばかりだ。エリーは厳しいけれど面倒見がいいから、何だかんだ言いながらもソフィアの世話を焼いていた。ソフィアはお茶の用意をすべく去っていった。厨房に向かったのだろう。
ちなみにブノワ殿はルイス先生の後任として、我が家の専属薬師に就くことになった。半月前にはミシュレ領の家を引き払い、今は使用人たち用の寮に住んでいる。彼は本当に薬草の研究が好きらしく、今はルイス先生について領内の薬草を調べて回っているらしい。
先に四阿に向かい、腰を下ろすとエリーが果実水を出してくれた。今日は少し汗ばむくらいだから、冷たい果実水が美味しい。
「オーリー様ったらすっかり元気になられたわね」
「そうですね。ここに来たときは幽鬼のようでしたから」
「まぁ、エリーったら、不敬よ」
「でも、身体が半分透けているような存在感のなさでしたから」
「確かにね」
あの頃が嘘のような回復ぶりだ。それは喜ばしいことだけど、一方で懸念もある。ベルクール公爵だ。彼がオーリー様の今の状態を知ったら、再び野心に火がついて何か仕掛けてくるだろう。伏せておくにも限界がある。我が家の使用人たちは口が固いけれど、出入りの商人などはそうとは限らない。それにスパイだってどこから入り込んでくるかわからないのだ。
(王都は……マティアス様の方はどうなっているのかしら)
王都で実父を断罪するために仲間を集めていると言っていたけれど、大丈夫なのだろうか。無礼で嫌な人だと思っていたけれど、エマ様は妹思いで根は優しい人なのだと言っていた。公爵の苛烈な教育のために彼が求める息子像を演じているのだとも。そんな彼には荷が重過ぎるのではないか。そんな懸念がどうしても拭えなかった。




