適切な距離
お祖母様の部屋を辞した私は、そのままオーリー様の部屋に向かった。昨日聞いた話をまだ消化できずにいて顔を合わせ辛いところもあったけれど、朝の挨拶は私が言い出したことだから顔を出さないのも変に思われるだろう。過去の事実がどうであれ、少しでもいい関係を築いて悪いことはない筈だ。
オーリー様は普段の食事は自室で食べていた。今も食事は病人向けだし、長時間座っていると疲れが増すからだ。最近は体力もついて一緒に食事をすることも増えたけれど、まだまだ十分とは言えなかった。だから食後に様子を見に行き、体調がよければそのままお茶を頂くのが日課になっていた。
「オーリー様、ご気分はいかがですか?」
昨日は真実を話して下さったけれど、オーリー様にとっても精神的な負担は大きかっただろう。それを思うと寝込んでいないかと心配だった。
「アンジェ、いい朝ですね。ありがとうございます。特に問題はないですよ」
いつものように柔らかい笑みを湛えてそう答えるオーリー様は、普段通りだった。昨日の話でちょっと身構えていた私とは正反対に見えた。ううん、これもオーリー様の気遣いなのかもしれない。特段調子が悪いようには見えず、秘かに胸を撫で下ろした。
「そういえば、お薬は飲まれましたの?」
「ああ」
「そうですか。あの、一つ提案なのですが……」
「はい?」
「出来ればオーリー様の診察をさせて頂けないかと。こちらの医師や薬師に診て頂いてはと思いまして」
「それは……」
オーリー様が僅かにためらいを見せた。体調が悪いのを隠している可能性を考えた私だったけれど、残念ながらその線の方が濃さそうだ。
不調の原因は魅了の後遺症だと聞いている。魅了という未知の症状と王宮医師の診断もあって何も疑わなかったけれど、毒となれば話は別だ。もしかすると十分な治療を受けていない可能性もある。
「王都ほどではありませんが、ここにも有能な医師や薬師がおります。今の状態がどうなのかはっきりしないと、治療もままなりませんわ」
「そうだな。だが、そこまで迷惑をかけるわけには……」
「迷惑ではありません。オーリー様は私の婚約者ですから家族も同然ですわ」
「だが、それは形だけの……」
「それに、結界を張るにも体力が必要でしょう? まずはしっかり診て頂いて、身体を治しませんと」
「あ、ああ……そう、だな」
笑みを浮かべて否やとは言わせない空気を作ってしまえば、オーリー様もそれ以上は何も言わなかった。後ろではエドガール様がうんうん頷いている。その様子から今までは治療をさりげなく拒否している可能性が高いように感じた。
色んな事情はあるけれど、今は私の婚約者でこの辺境伯家の婿になるのだ。後継のことは一旦置いておくとしても、陛下が丈夫な結界を張れと命じられたのならそれに耐えうる身体と体力が必要だろう。今は結界を張る以前の問題で、とてもじゃないけどその役目を果たすのは難しいと思う。命と引き換えになんて、そんな後味の悪いことは御免だ。
「オーリー様! おはようございます!」
暫く体調のことなど尋ねていると、突然エリアーヌ様がやってきた。同じ屋敷内にいるとはいえ家族でもなんでもないのだから、事前に一言くらい連絡してくるものだろうに……
(そう言えば、昨日はエリアーヌ様のことを尋ねようと思ったんだったわ……)
エリアーヌ様がミア様なのかを尋ねて、そこから本当の話を聞いたのだった。その内容があまりにも想定外だった驚きですっかり失念していたけれど、この問題がまだ残っていたのだ。
「おはよう、エリアーヌ嬢」
「おはようございます、エリアーヌ様」
「……え?」
オーリー様に向かって小走りだった彼女だったけれど、私とオーリー様が一緒にいるのを視界にとらえて足を止めた。驚いた表情を浮かべた後、急に泣きそうな表情へと移った。
「まぁ、アンジェリク様……私をのけ者にするなんて酷いですわ……」
「「……?」」
上目遣いでいかにも悲しげな表情でそう言われたけれど、意味が分からない。
「のけ者と言われましても……私たちは婚約者ですし、咎められる理由がわかりませんわ」
「そ、そうやって私を邪険になさるのですね」
「邪険になどしておりませんわ。それを言うならエリアーヌ様こそオーリー様と距離が近くありませんか? 婚約者がいる男性と二人きりになるのは、王都では普通のことですの?」
「い、今はそんな堅苦しいことは……」
「そうだね。確かに適切とは言えなかったね。エリアーヌ嬢、私も配慮が欠けていたよ。あなたの名誉のためにも、今後は二人きりで過ごすのはやめておこう」
「な……!」
オーリー様が被せ気味にそう言うと、エリアーヌ様が目を丸くした。
「あなたは由緒あるベルクール公爵家の令嬢だ。私のような傷物の男と懇ろだと噂されては公爵に申し訳が立たない」
「お、お父様はそんなことは気になさいませんわ」
「そうかな? だが、リファール辺境伯家に対しても失礼だろう? 私のような者を受け入れて下さった当主夫妻のためにも、不義理なことは出来ないからね」
そう言ってにっこり笑ったオーリー様に、エリアーヌ様がドレスを握りしめて呆然としていた。どうやらオーリー様に拒まれるとは思わなかったらしい。




