祖母の懸念
「アン、無理はしなくていいのよ。嫌なら断ればいいわ」
お祖父さまはあれで納得してくれたみたいだけど、お祖母様はそうはいかなかった。
「あなたはずっと理不尽な目に遭って来たわ。結婚は一生を左右する大きな出来事よ。安易に決めないでちょうだい」
お祖母様は王都で私を見つけてくれてから、ずっと大切に育ててくれた。感情を現すことも忘れた私に寄り添い、惜しみなく愛情を注いでくれたお陰で、私は感情を取り戻せたといっても過言ではない。だからこそ、私がお二人や領地のために自分を犠牲にするかもしれないと心配してくれるのだろう。確かに恩返しをしたいとは思うし、私に出来ることなら出来る限りのことはしたい。
「でも……王命では拒否権はないのでしょう?」
「そうだけど、どうしても嫌だというのなら私が王に掛け合ってくるわ」
お祖母様が陛下に掛け合えば絶対に引かないのは明らかだった。若い頃は陛下の教育係を務めたこともあるし、お祖母様の物言いからしても陛下に負けるとは思えなかった。
「ねぇ、アン。あなたは今まで辛い思いをして来たわ。だから私たちはあなたにこれ以上無理を強いたくはないの」
お祖母様は心から私を案じてくれているのが伝わってきて、私は目の奥に微かな痛みを感じた。そこまで言って下さるのなら、大抵のことは大丈夫な気がした。
「お祖母様、ありがとうございます。でも、その前に一度オードリック様にお会いしてもいいですか?」
「それは構わないけれど……」
「確かオードリック様は優秀な魔術師だと伺っていますわ。しかも結界魔術が得意だとも。結界魔術があれば兵たちの被害も大きく減らすことが出来ますわ」
その結界魔術だけど実は私は苦手で、前線に出る度に歯がゆい思いをしてきた。学園でもっと結界魔術を鍛えればよかったと思うほどに。でも、オードリック様が協力してくれるなら、兵士の怪我を大幅に減らせるだろう。
「それに、会いもしないで断るのも失礼な気がするんです。会った上でやっぱり無理だって思ったら、その時にはお祖母様を頼ってもいいですか?」
「勿論よアン! その時は私に任せて!」
お祖母様は力強く請け負ってくれた。それだけでも私の心に大きな安堵が広がり、何とかなりそうな気がした。
「ところで、オードリック様はもう大丈夫なのですか?」
とにかく会ってみないことには始まらない。そう思った私が次に気になったのはオードリック様の現状だった。魅了の後遺症で寝たきりだったとも聞くけれど、婚姻が可能なのだろうか。それに恋人だった女性のことを今でも想っているのかも気になった。
「それに関しては……特に記載がないわね」
王家からの書簡を手にしていたお祖母様が再びそれに目を通したけれど、そこに答えはなかった。
「でも、寝たきりでは婚姻など無理でしょうし……可能なくらいには回復しているのではないかしら?」
お祖母様も確信がないのか歯切れが悪いけれど、寝たきりなら婚姻を命じたりはしないだろう。今のところ我が家の後継者候補は父と私だけだけど、王家が父を認めないというのなら私しかいない。となれば私と後継者を遺せる相手が最低条件だ。血が途絶えるとわかった上で配偶者を宛がえば、王家は他の家からの信用を失う。そんなことはなさらないだろう。
「この件に関しては王家に問い合わせしてみよう。アンが王都に向かう必要があるのかも確認しなければならないし、そうなればわしたちも付き添う必要があるかもしれない」
「そうね。ジェイドには任せられないからね。あなたが行けないのなら私が乗り込んでくるわ」
お祖母様は嬉しそうにそう言った。やる気満々と言った風で、行けば陛下に一言どころか十言くらいは言いたい事を言いそうに見えた。今回の王命にも思うところがあるのだろう。
「オードリックのことは私も調べてみるわ。もしアンにとって負担になるようなら断固拒否するから心配しないで」
お祖母様がそう言うのなら心配はないだろう。王都には未だにお祖母様を慕う貴族がいると言うし、それは学園に通っている時に実感しているから間違いない。
「この件を知ったジェイドが接触してくるかもしれないけれど……何かあったらすぐに言うのよ」
「ええ、わかりましたわ」
連れ子を溺愛して後継にと言っている父のことだ。このことを知れば何か言ってくるだろう。
(縁を切りたい相手ほど、中々切れないものね……)
実の父親なのに何の感情も持てない自分を改めて自覚した。愛の反対は憎しみではなく無関心だと聞くけど、全くその通りだと呆れるしかない。もう父に期待する気持ちは私の心には欠片も残っていなかった。