魅了の真相
「ミアは子爵家の庶子だったらしくて、子爵家に引き取られてから二年後に、学園に編入してきたんだ」
子爵の妻が亡くなったのを機に、子爵が彼女と母親を屋敷に迎えたのだという。それまでも子爵の秘かな援助で下位貴族の令嬢としての最低限の教育を受けていたらしいが、学園に入るには足りず、二年の徹底した教育の後でようやく入学資格を得たという話は、噂話に疎い私でも耳にしていた。
「そんな彼女だけど、学年が違うし接点もなくて、詳しいことは知らなかった」
「そうだったんですか?」
それは意外だった。聞いた話では彼女は入学すると次々に令息と親しくなったと聞いていたから、オーリー様とも早い段階で出会っていたのだと思っていた。
「彼女が令息を誘惑していたとの話もあったけれど、実際はそうじゃなかった。確かに同じクラスの令息には構われていたけれど、それは彼女が貴族社会を知らなかったせいで近くの席の者が手を貸していたからだ。その中にはちゃんと令嬢もいたんだよ。令息だけと親しくしていたわけじゃなかったんだ」
噂に尾ひれがつくとはこういうことだろうか。入学した時点で既に魔性の男たらしだったと聞いていただけに、噂の怖さの典型例みたいだなと思った。
「そうでしたか。では、どうしてオーリー様と親しく?」
「側近と仲良くしていた令息が、彼女に一目惚れしてね。彼らが騒いでいるのを聞いて興味を持ったんだ」
「令息が……」
「そう。最初はミアの方が積極的に声をかけていたんだけど、ある日急に令息が彼女に構い出してね。彼女は天使だなんて言い出したから、皆で心配していたんだ」
「そう、なるでしょうね」
そりゃあ、急にそんなことを言い出したら怪しいと思うだろう。私だって急にどうしたのかと心配するだろうなと思った。
「そうしている間に、次々と令息が彼女の虜になってね。令息たちが彼女を私の元に連れて来た時、気が付いたんだ」
「気が付いたって、何をですか?」
「彼女が、魅了を使っていたことを」
「……え?」
一瞬、聞き間違いかと思って聞き返してしまった。気付いたって……魅了を使っていたことを?
「ミアは魅了を使っていたんだよ」
「そんな! じゃ、どうして……」
もう一度言われて、聞き間違いじゃないのはわかった。わかったけれど、それじゃオーリー様は、気付いていながら魅了にかかったと?
魅了は禁忌とされている重大な犯罪だ。詳しくは知らないけれど、過去に魅了で国が乱れた時、王家が禁忌として封印したと聞いている。魅了に関する文献や魔道具も破棄され、念のためにと王家の宝物庫の最奥、厳重に封印された部屋にいざという時のための資料だけが残されていると言われている。それすらも実しやかに噂されるだけで、本当のところは知らない。それでも、王族の彼ならその危険性は十分にご存じだったろうに。
「情けない話だけど、負けたんだ」
「負けた?」
「ああ。ジョアンナとセザールへの罪悪感に。あの頃の私は……王太子としての重圧と、彼女への想いと、自分の不甲斐なさやセザールへの嫉妬などで最低だった。そんな時にミアの魅了を知って……魅了の術に掛れば、全てから解放されるかもしれない、そう思ってしまったんだ……」
泣きそうな笑顔でそう告げられたけれど、直ぐには理解出来なかった。王太子が自ら魅了にかかって全てから解放って……それは全てを捨てるも同義語だ。王太子としての地位も華々しい経歴も、これまでの努力も何もかもを……それは彼にとっては破滅に等しいだろう。彼の向こうにはエドガール様が泣きそうな表情で立っていて、この話が嘘ではないと物語っていた。
「じゃ、オーリー様は……わかっていて、魅了の術に?」
「そうだね。ただ……」
「ただ?」
「王族は魅了への対処法を幼い頃から教え込まれるし、魔力が高い私には、思ったほどの効き目はなかったんだ」
「なかったって……だったら、どうして婚約破棄など……」
「あれは魅了でもなんでもなかった。私がジョアンナから逃げたくて、魅了されたふりをしてやったことなんだ」
「ふりを……」
それだけを呟くのが精一杯だった。王国を上げて騒ぎになった婚約破棄事件に、まさかそんな裏事情があったなんて……それって魅了されていたよりも質が悪いんじゃないだろうか。
「最低だと思っただろう? 実際、私もそう思う」
ここはどう返事をすればいいのかわからず、私は何も言えなかった。確かにやったことは最低だし、もっと違う方法があったんじゃないかと思わなくもない。だけど、そうでもしなければ王命の結婚を撤回出来なかっただろう。王命に異を唱えるのは死を覚悟するのと同義語だ。だけど……
「……そこまで、ジョアンナ様がお好きだったのですね」
自分を最低だと言いながらも、オーリー様の表情は穏やかだった。
「そう、だね。あの時は、ただ彼女と自分を解放することしか……いや、違う。逃げたんだ、不甲斐ない自分自身から……」
その声に、すべてを諦めたような、流れのない湖水のような静けさを感じた。




