一難去って……
オーリー様が倒れたため、父たちの出発は延期になった。彼らのせいとは言いきれないけれど、オーリー様の不調の原因がはっきりしない現状で帰すわけにはいかないのだ。
「私たちは何もしておりません!」
「そうです! あれはただの香油です!」
彼らはそう訴えたけれど、香油の中身の鑑定もまだだから香油が原因と断定出来ない。王族の不調を発した場にいた彼らを拘束し調べるのは、彼を婿に迎える我が家の役目でもあった。
「気分はいかがですか?」
翌日、オーリー様が目覚めたのはお昼も過ぎた頃だった。昨日までは生き生きして見えた金の瞳も今はどこか虚ろで、ぼんやりとしていた。エドガール様の話では、昨夜は一晩中魘されていたのだという。そのせいで殆ど眠れていないと。
「あ、ああ……大丈夫……だ……」
全く大丈夫じゃなさそうな答えに、私は考えを改めざるを得なかった。ほとんど治っていると思っていた後遺症だったけれど、まだオーリー様の心は血を流していたのだ。こうなると治るのにどれくらいかかるのか、見当もつかない。
それでも時間薬というものはあるのだろう。魅了された直後に比べると回復は早いとエドガール様が言った。エドガール様は昔の状態に戻るのではないかと心配していたけれど、落ち込みの度合いはあの頃の三割程度だといった。十歩進んで三歩下がったという感じだろうか。
三日目には医師の鑑定が出て、香油に問題はないと言われた。エドガール様が言ったように、あの匂いがオーリー様の記憶を呼び起こしたのだろうとの結論になった。父たちは拘束を解かれると、早々に王都へと帰っていった。彼らに護衛という名の監視役をつけ、王都まで付き従うように命じた。王都のタウンハウスの使用人には早馬を送り、彼らの一層の監視と屋敷内に不審物がないか調べるよう命じた。あちらでは主人面をしている父たちだけど、使用人はみんなお祖父様に忠誠を誓った者たちで、父たちが暴走しないように手綱を握りながら監視するのが彼らの役目なのだ。
一方で王家にも事の詳細をまとめて奏上し、念のために残りの香油の鑑定を頼んだとお祖父様が言った。彼らは今後王家の監視下に置かれるだろう。
「アンジェ、心配かけてすまなかった」
五日目にはオーリー様の様子も元に戻ったように見えた。父たちがいなくなって、屋敷内に漂っていた妙な緊張感が消えたのもよかったかもしれない。彼らが屋敷内にいると、いつ突撃してくるかと身構えてしまったからだ。雨も止んだので、庭でのんびり過ごせるようになったのもよかっただろう。
「無理はなさらないで下さいね」
「無理などしていないよ。本当だ」
そう言っていつもの笑みを浮かべたオーリー様だったけれど、その笑顔がどこか寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。やはりロッセル嬢のことを未だに忘れられないのかもしれない。魅了が影響したとは言え、あんなにも惹かれた上、最期も衝撃的だったのだ。彼女が生きていた方がオーリー様の精神面にはよかったのだろうな、と思った。死んでしまったことで彼女はオーリー様の心に自身を刻みつけたかったのかもしれない。
父たちが去り、ようやく生活が落ち着いたと安堵していたところで、王都から一通の手紙がお祖父様宛に届いた。
「ベルクール公爵がいらっしゃる? ここに?」
穏やかな日々を取り戻したと思ったのは時期尚早だったらしい。普段交流がないベルクール公爵が我が家に、というよりもオーリー様に会いたいと申し出てきたのだ。名目は療養中のお見舞いで、次女のエリアーヌ様がそう言っているのだとも。
「……どうしてお見舞いになど……」
「しかもエリアーヌ嬢とはな」
お祖父様が怪訝な表情を浮かべた。エリアーヌ様はオーリー様の婚約者だったジョアンナ様の妹で、御年十七歳。身体が弱いとかでずっと社交界に顔を出すことはなかったが、今年になってからは少しずつ同年代との交流を始めていると聞く。
「身体が弱いエリアーヌ様が、あの鬼の峠を越えられるのかしら?」
お祖母様が綺麗な形の眉を歪めたけれど、私のお祖父様も同感だった。病弱だった深窓の令嬢が無事に到着できるだろうか。
「もしかして……到着した直後に寝込んで、そのままこちらで世話を……なんて言い出さないでしょうね」
あまりにもあり得そうな展開に、空気が一層重く暗くなるのを感じた。




