父が帰郷?
それからさらに一月が経った。王都からの使者の書簡通りならオードリック様との婚約は一週間ほど前に発表されたはずだ。王都からここまでは早馬でも七、八日はかかるし王都との往復は負担も大きいから、報告はそう頻繁に来るわけではないのだけど……
「お父様達が、こちらに向かっている?」
お祖父様たちに呼ばれて執務室に向かった私にもたされたのは、生物上の父がこちらに向かっているという知らせだった。妻とその連れ子も一緒だという。
「アンとオードリック様の婚約が発表されたからな」
「多分、そのことで危機感を持ったのでしょうね」
だけど、こうなることは昔から予想されたことで、嫌なら王家に誠心誠意説明と謝罪をし、お祖父様たちにも頭を下げて認めて貰うべきだったのだ。いくら父がお祖父様たちの唯一の実子だといっても、王家に逆らった者を後継者に据えるのは難しい。他の貴族だって認めないだろう。
「あの馬鹿者のことだ。オードリック様の婚約者を連れ子に、と考えているのかもな」
「……は?」
一瞬、お祖父様の放った言葉の意味が分からなかった。婚約者を連れ子に変更をといっても、あの子は辺境伯家の血を継いでいない。彼女は後妻とその前夫の間に生まれた子なのだから。
「全く、どうして自分が返り咲けると思えるのかしら……」
「王家からの書簡にはオードリック様の相手はアンとはっきり記載されている。それを変えるなど王命に反するも同義なのだが……」
「こうなるとオードリックに取り入って、あの子から婚約者を変えたいと言わせる気かしら?」
確かにオードリック様が強く希望すれば、叶わないこともない、かもしれない。陛下はオードリック様を政治の表舞台に戻す気はないようだし、となれば相手は誰でもいいのかもしれない。連れ子は子爵家出身の義母と伯爵家出身の前夫との子で、私は辺境伯家と男爵家出の母の子だから、血筋的にはあまり変わらないだろう。それに父は私を実子と思っていない。
「お祖母様、オードリック様には事情をお伝えした方がいいかしら?」
「そうね、あのバカが何を目的に来るのかわからない以上、ちゃんと話しておいた方がいいかもしれないわね」
私のことは社交界では有名でオードリック様もご存じかもしれないけれど、もし事実と違うことを信じているなら訂正しておく必要はあるだろう。気が重いけれど、一度はっきり話しておく必要は確かにあるのだ。
(うぅ……気が重い……)
もう重いなんてもんじゃない。父が近くに来ているというだけでも胃の辺りに小石が溜まっていくような、冷たい不快感が広がった。殆ど覚えていないとはいえ王都で過ごした日々の記憶は暗く冷たく、思い出す度に胸を抉られるような冷たい痛みをもたらす。すっかり切り捨てたと思っていた父にまだ囚われている自分を認めざるを得なくなって、息苦しさを感じた。
「オードリック様、少しお時間を頂いてもよろしいですか?」
翌日の午後、お茶の時間に私はオードリック様にそう声をかけた。父とのことを話さなければならないと思いながらも朝は話す勇気が持てず、半日遅れたのは私の都合だ。
「はい? 構いませんよ」
最近よく見せてくれるようになった笑顔が眩しくて、自分の心情との差を一層鮮やかに感じた。
「その、父のことで……」
「……そうですか」
オードリック様も何かを察したのだろう。私をソファに案内して従者を下がらせた。
「多分、噂などでご存じだとは思いますが……」
両親の結婚の経緯と私が生まれた時のこと、瞳の色にまつわる騒動、母の死や父の再婚、王都での私の暮らしぶりと辺境伯領に来るに至った経緯など、私は順を追って説明した。感情を挟むと私情で事実を曲げられていると思われる気がして、淡々と他人事のように事実だけを話した。自分で話しながら、随分酷い話よねと思ったけれど、そこは触れずにおいた。
「……そうでしたか」
話し終えた後、じっと私の目を見ながら暫く沈黙していたオードリック様が発したのは、その一言だった。色んな噂や憶測が広がっていたから、それらを思い出してその違いに戸惑っているのかもしれない。王都では父の言葉が真実だと実しやかに流れていた。それらは私が学園にいた四年間に何度も聞かされてきたものだ。お祖父様が否定しても辺境は遠く、その声は中々王都まで届かない。王都では父の言葉を信じる者の方が多く、私は不義の子だと言われ続けてきた。
父がここに来る理由は、オードリック様の婚約者を私から義妹に変更するためだろう。だけど、それを今オードリック様に話すのは時期尚早に思えた。まだそうだと決まったわけじゃないから。




