回復を望む者たち
「来月は陛下の誕生祭がある。その夜会で発表なさると」
「夜会、で……」
お祖父様の言葉に、オードリック様は呟くようにそう繰り返した。庭では明るかった声が、今は嘘のように力を失くしていた。
「お祖父様、夜会でとなると私たちも?」
王族の婚約発表後は、夜会や舞踏会夜会で陛下から紹介されるのが常だ。夜会に出れば好奇の目に晒されるのは間違いなく、今のオードリック様にはそれに耐えうるだけの気力も、あの鬼の峠を越える体力もないだろう。行けないわけではないけれど、道中や到着後に体調を崩す可能性が高く思える。そりゃあ治癒魔術があれば少しは軽減出来るだろうけど、せっかくいい感じで回復しているところなので出来れば行きたくなかった。
「いえ、夜会に出る必要はございません。オードリック様はここに慣れるまでゆっくり過ごすようにと、陛下はそう仰せです」
「父上が……」
使者の言葉にオードリック様の声と表情が俄かに軽くなったように感じた。あくまでもそう感じただけで、表面上は変わりがなかった。
「オードリック様、焦ることはございません。今は御身を第一にお考え下さい」
「ラブレ……」
「覚えていて下さったのですね。嬉しゅうございます」
ラブレと呼ばれた使者はオードリック様と面識があったらしい。その言葉には心から案じる思いが感じられて、その関係は薄くはないように思えた。
「ラブレ殿、ご案じなさるな。オードリック様は我らが一丸となってお支え致しましょう」
「リファール辺境伯……」
「ここは隣国からの侵攻がなければ穏やかな地です。若い方には退屈かもしれませんが、今のオードリック様にはちょうどいいでしょう」
オードリック様を心配するラブレ様を安心させるように、お祖父様が力強く答えた。
「レオナール卿の仰る通りです。今の私には王都はまだ……」
「今はそれでよろしいのですよ、オードリック様。陛下がここを選んだのもオードリック様の御ためを思ってのこと。どうか存分にのんびりお過ごし下さい」
「ラブレ殿の仰る通りです」
ラブレ殿の諭すような言葉に、お祖父様が答えた。厳つい顔立ちに笑みを浮かべたけれど、ちょっと怖いんじゃないだろうか。
(お祖父様、オードリック様を怖がらせないでよ)
せっかく最近は悪夢を見ることも減って、取り繕わない普通の笑みを見せるようになってきたのだ。お祖父様の笑みは子どもが泣きだすことも珍しくないだけに、ちょっと不安になった。
「ご厚情に感謝します。確かにここは穏やかで、心の澱が少しずつ流れていくようです」
「そう言って頂けると嬉しいですな」
「ふふっ、辺境には辺境なりの楽しみもあるわ。あなたもそれに気づいてくれると嬉しいわね」
お祖母様は辺境が気に入って、すっかりここでの生活に馴染んでいた。ある意味オードリック様の先輩だし、お手本にもなるだろう。
「オードリック様がどうお過ごしかと案じておりましたが、余計な心配だったようですな。リファール辺境伯、どうかオードリック様をよろしくお願い致します」
再びラブレ殿が頭を下げるとお祖父様が勿論と力強く答え、使者との会談は明るい雰囲気のまま終わった。
(婚約が公表されてしまったけれど……オードリック様は不本意でしょうに)
お祖父様の執務室を辞す時、オードリック様が小さくため息をつかれたのが見えた。あれは多分、断ることが出来ない婚約へのやりきれなさの表れなのだろう。
これまで婚約についてどう思うかを尋ねたことはなかったけれど、何と言っても外見詐欺師と言われている私だ。見た目は悪くはないだろうけど、女性らしい愛らしさや可愛げと言うものが欠けている相手では、ため息をつきたくなる心情もわからなくもない。二人でお茶をしていても話題は領地のことばかりで、オードリック様の趣味なんかを聞いたこともなかった。そういう個人的なことを尋ねるのは、何だか土足で心の中に踏み込むように感じられて憚られたのだ。
(婿だと肩身も狭いだろうし……)
そうは思うけどどうするのがオードリック様にとって最善なのか、妙案が浮かびそうになかった。ベルクール公爵たちが一掃されれば状況も変わるだろうか。
(もし脅威がなくなったら、婚約を解消してオードリック様はもっと令嬢らしい方を娶った方がいいわよね)
魅了によって廃嫡されたとはいえ、回復すれば王領の一部を賜って一貴族として暮らすくらいは認められるのではないだろうか。その時にオードリック様の隣に私がいるなんて想像も出来なかった。




