世代交代
リファールへの旅程はその後も順調に進んだ。この時期は雨も降るので計画通りにとはいかないし、案の定雨で二日ほどは動けなかったこともあるけれど、事故や災害に遭わずに済んだのは幸運だったと言える。
そしてその間もオーリー様に構い倒されて、いつの間にかおやつまで膝の上で食べさせて貰うようになっていた。おかしい、何かがおかしい……幼児じゃないのだからと言うのだけど、オーリー様は都合のいい耳をお持ちのようで、私の抗議は丸っと流されていた。
それでも、リファールに着いたら仕事が山積みで、私たちは休む間もなく仕事に忙殺されることになった。家令のテランスの話では、領主夫妻とその後継者が揃って不在になったのはもう十数年ぶりだとか。一月近くも不在だったせいで決裁待ちの書類や陳情書が山になっていた。今までは必ずお祖父様かお祖母様が残っていたから、留守の間テランスたちも大変だったらしい。
そうは言ってもお祖父様に抜かりはなく、どうしようもない困った事態にはなっていなかったのは幸いだった。今後は私たちでやっていかなければならないのだ。責任重大だ。
領地に戻って五日ほどすると、ようやく山のようにあった仕事も片付くめどがついた。そこはテランスやマティアスが上手く回してくれたお陰だろう。決裁されたら直ぐに動けるように根回しをしてくれていたのだ。そういう意味ではマティアスは有能で、さすがは公爵家の跡取りだったのだと感心してしまった。彼は権力争いに夢中な父親に代わって領地経営をしていたというから、後継者を外れたのは大きな損失だったと思う。
「ところでアンジェ様、一つお願いが……」
そろそろ休憩時間というところで、テランスが改まった口調でそう告げた。何だろう、何か問題があっただろうか。せっかくなのでテランスやマティアスも一緒にお茶を頂くことにした。こういう時間は互いの意見交換にもなるので貴重だ。それに、彼らがいればオーリー様の膝の上も避けられる。
「私もいい年になりました。そろそろ引退をと思いまして……」
「それは……」
確かにテランスの言う通りだった。彼はお祖父様の乳兄弟でもあるからいつ引退してもおかしくない年だ。父が真面目だったら代替わりしていただろう。
「旦那様も引退されます。それを機に私も一線を引かせて頂きたいのです」
「そうね、テランスの言うことも当然だわ。本来ならとっくに引退している年だもの」
既に髪は白くなり皴も増え深くもなった。私の一番古い記憶のテランスと比べても年を取っているのは明らかだった。
「わかったわ。私もそれは考えていたもの。そうなると、後継者は息子のダニエルになるわね」
「その事なのですが……」
「どうしたの? そのつもりで育てていたでしょう?」
「はい。ですが愚息には荷が重いと思うのです」
「そりゃあ、今まではテランスがいたから表に出ていなかったけれど。でも、これから経験を積めば大丈夫でしょう? ダニエルだって優秀じゃない」
ダニエルはテランスの次男だ。長男はお父様の乳兄弟で従者だったけれど、父の不正の手助けをしていたため、今は父と一緒に鉱山にいる。お祖父様は父を諫めない長男に見切りをつけ次男のダニエルを次期家令として育てていた。
「ダニエルもそれなりに優秀ではあります。ですが、もっと優秀な人材がいるのです。私はその方を家令にと考えています。これは愚息も同じ意見です」
そう言われて私はオーリー様と顔を見合わせてしまった。優秀なテランスがダニエルより優秀だというのって……
「それって……」
「マティアス殿です」
驚き半分、やっぱりとの思いが半分だった。一方でマティアスは驚きの表情でテランスを見ていた。彼にとっては予想外だったのだろう。
「テランス殿、さすがにそれは……無茶な話です。私では担う分家の皆さまが納得しないでしょう」
あのベルクール公爵の長男で断罪により平民落ちしたマティアスは、身分的には子爵位を持つテランスよりも下になる。領地で重職を担うのは分家の子爵家や男爵家の者だから、いくら元公爵家の血を引くとしても支持を得るのは難しい。
「その点は問題ありません。マティアス殿は土壌改良でかなりの成果を上げていますし、領内からの陳情にも丁寧に対応してくれたおかげで領民にも人気です。それに、分家筆頭のアルカン伯爵も同意されています」
「アルカン伯爵が……」
アルカン伯爵は珍しく伯爵位を持つ分家だ。元は子爵家だったのだけど、その昔隣国の襲撃を止めた功績で陞爵された。それでも我が家に忠誠を誓い続けて分家として残っている。今の当主は我が家の騎士団を率いていて、重鎮中の重鎮だ。
「元より我が領は実力主義です。マティアス殿の知識と経験は貴重です。ダニエルもマティアス殿を部下として使うのは気が引けると言っております」
確かに元公爵家嫡男と子爵家の次男では比べるのは気の毒だろう。私と王女殿下以上の差がある。
「必要であればマティアス殿を我が家の養子にしてはいかがでしょうか? マティアス殿が了承して下さればの話ですが」
なるほど、テランスは既に根回しをしていたのだ。そうでなければアルカン伯爵の名前は出てこないだろう。
「アンジェ、テランスの言う通りだと私も思うよ」
「オーリー様?」
「マティアスの有能さは王都でも有名だった。そんな彼を辺境の一部下として埋もれさせるのは、この地にとっても大きな損失になると思う」
オーリー様までそういうのなら彼の能力は抜きんでているのだろう。万年赤字のここでは有能な文官を引き抜こうとしても報酬の面で他に負けてしまい、望む人材を確保するのが難しい。その点マティアスはここを気に入っていて、骨を埋めてもいいと言ってくれている。
「わかったわ。でもまだ当主はお祖父様よ。お戻りになったら私からもお願いしてみます」
「お嬢様? しかし!」
「マティアスの扱いは私もずっと考えていたの。確かに家令として仕えてくれた方が領地にとっても有益だわ。我が領に無駄遣いをする余裕はないもの」
「そうだね。赤字解消は喫緊の課題だからね」
オーリー様も同意して下さったため、マティアスはそれ以上何も言えなかったのだろう。一瞬何か言いたそうだったけれど、口を結ぶと静かに一礼した。それは彼の覚悟と恭順を現していた。