思いがけない王命
「私が……第一王子殿下と、結婚?!」
その日、我が家に王家の使者が訪れた。使者が帰ると直ぐに私を執務室に呼んだお祖父様が告げた言葉は、予想を遥かに裏切る内容だった。
私はアンジェリク=リファール。ランベール王国の東を守護する辺境伯の当主の孫娘だ。辺境伯家は隣国と接し、国防でも交易でも重要な場所なのもあり、我が国では辺境伯家の跡取りの配偶者は王家が見繕うのが慣例となっている。相手は上位貴族から選ばれるのが殆どだが、中には王族の者が選ばれることもある。例えばお祖母様のように。だけど……
「お祖父様、一つ確認したいのですが……」
「なんだ?」
歴戦の猛者らしい厳つい顔立ちのお祖父様が、眉間にしわを寄せた。この仕草に多くの人は身を竦めるけれど、私が恐怖を感じることはない。
「第一王子殿下って……あの第一王子ですよね?」
「我が国の第一王子殿下はお一人だけだな」
「私の記憶違いでなければ、子爵家の庶子に入れあげて婚約破棄を突きつけた、あの第一王子ですよね?」
我が国の第一王子はオードリック様といい、私の五つ上で御年二十三歳。文武両道、公明正大、容姿端麗と三拍子揃い、次代の国王として申し分ないと大変期待されていた。そのオードリック様は学園で子爵令嬢と知り合い、恋仲になったと聞く。そしてこれこそが真実の愛だと言って学園の卒業後、婚約者だった公爵令嬢に婚約破棄を突きつけたのは有名な話だ。
「アン、言葉を慎んでくれ……」
あからさま過ぎる物言いに、お祖父様が一層しわを深くした。
「その令嬢の魅了の術にまんまと引っかかっていたことが判明して廃嫡された上、この五年間療養生活を続けてきた、あの元王太子殿下、ですわね」
「あ、ああ……」
畳みかけるようにそう言ったのは、私に続いて入室したお祖母様だった。孫がいる年だというのに未だに銀の髪は艶やかで、王家特有の金の瞳は生き生きとしていた。現国王陛下の叔母で王女だったのに、辺境の生活にすっかり馴染んで楽しんでいる豪胆な方だ。お祖父様がお祖母様に頭が上がらないのは、その出自だけではないだろう。
「ジゼル……一応君にとっては又甥になるのだが……」
「あら、本当のことじゃない。魅了に引っかかるなんてたるんでいる証拠よ」
そう言って笑い飛ばすお祖母様に、お祖父様は困ったように眉を下げた。お祖母様にとって王族は身内感覚なのだろうけど、臣下としての自負が強いお祖父様はお祖母様の態度に冷や冷やするのだろう。
「それで、その廃嫡されたオードリックがアンの婿にだなんて、どういうことですの?」
いい笑顔をしたお祖母様がお祖父さまにそう問いかけると、お祖父様が僅かに怯んだ。こんな時のお祖母様は機嫌が悪いことが多いからだ。
「それが……」
王家の紋章が入った封筒をお祖母様に手渡しながら、お祖父様は王家からの命令について話し始めた。
「では、陛下は本当にアンとオードリックの婚姻を……」
「うむ。書簡にあるように、アンをご指名だ」
「確かに、アンジェリクと記されていますわね。そう言えば先日、立太子された第二王子殿下の元に待望の王子がお生まれになりましたわね。では……」
「ああ。次代を担う王子がお生まれになったから、陛下はオードリック殿下を王都から遠ざけるおつもりなのだろう」
オードリック様には二つ下のルシアン王子がいらっしゃる。オードリック様の補佐をするはずが廃嫡されたせいでご自身が立太子されることになった。そのルシアン殿下のお妃様が待望の王子をお産みになり、国内がお祭り騒ぎになったのは記憶に新しい。
「オードリックが政争の種になるのを恐れて、ということでしょうね」
「ああ。未だに殿下を推す勢力は一定数あるからな」
能力の面でもオードリック様はルシアン様よりも上だったと言われていて、ルシアン様ご自身がそう公言していらっしゃると聞く。ルシアン様のお妃様は侯爵家出身で、オードリック様の婚約者だった公爵令嬢とは家格が違う。
それでも魅了にかかった脇の甘さと公の場での王命だった婚約の一方的な破棄、魅了によって精神を病んだことからオードリック様の廃嫡はやむなしとなったが、未だにその能力を惜しむ声もあるのだ。祖父母の話からもその事が伺えた。
でも、私はそのことよりも別のことが気になっていた。
「でもお祖父様、その婚姻を受けると、この家の後継者は……」
「アンに確定、だろうな」
祖父の言葉に私は暗澹たる気持ちが心に広がるのを感じ、ため息をついた。