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渦巻く世界 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 みんなは、お風呂の栓を抜いた経験はあるかい?

 洗面所とかでもいいけれど、家庭内でいっぺんに水をため込むものといったら、浴槽や洗濯機が指折りなんじゃないだろうか。

 水が溜まりきった状態で栓を抜くと、その吸い込まれる勢いで、口の近くに小さい渦巻きが生まれる。


 昔の先生は、その現象に感動しきりだった。

 当時、イメージする渦といえばマンガやアニメに出てくるような、人や船をまるごと巻き込むような、大掛かりなもののイメージだった。

 それもときに大きな自然の力、ときに不可思議な力のもとに形成されて姿をあらわすもの。とうてい、平凡な街中では目にすることがかなわない出来事と、心のどこかであきらめていたんだ。

 それだけに、これを目撃したときはたいそう感心したし、何度も見たいと思って、浴槽に水を溜めては、それを抜くを繰り返して親に怒られたこともある。

 自分にとって気持ちいいことは、ついスキを見つけて何度もやりたくなるものだよね。


 しかし、それも度が過ぎると……というか。

 あることにのめりこんでいると、自分の中の神経とかのリソースがそちらへつぎ込まれるからね。おかしなことに気づいたり、そのためにやっかいなことを引き起こしてしまったりするかもしれない。

 先生の昔の話なんだが、聞いてみないか?



 水の溜まりを抜くことに魅せられた先生は、風呂水解放を禁止されてから、考えた。

 先にも出した洗面所で同じことをしても、いささかスケールが小さくて満足できない。かといって、住んでいるここは内陸も内陸。海に出ることだって、ちょっと手間がかかりすぎる。

 しかも、海浜まで来たところで、望んだような渦にお目にかかれる保証はない。

 もっと小さいころに、海の潮が引いてしまうのは天国の神様が、海の栓を抜いてしまうからだ……なんて、教えてもらった記憶がある。

 自然現象に興味を持ってもらうための方便だったかもしれないが、大人が考えている以上に、子供が受ける印象は根深いからね。

 月の引力がかかわっていると後から教えられても、すぐには信じようとしなかった。

 そいつは表向きのことで、本当は神様が栓を抜いている説のほうが真実なんじゃないか、とずっと考えてしまったんだよ。


 お風呂の栓を抜くのは、自分の手によるものだった。ならば、他のところにあるだろう栓も、私自身の手で抜いてみたい。

 思い込みの止まらない先生は、水をなみなみたたえる場所の「栓」を抜きたいと願ってやまなくなっていたんだ。

 人工で作ると、親なり誰かしらのとがめを受ける恐れがある。やるとしたら、自然にできあがっているものにだ。


 真っ先に思い浮かぶのは川。

 海よりずっと近場にあるところで、たくわえる水の量は申し分ない。が、その広さゆえに、栓がどこにあるかもわからない。

 家の近場の川辺、中州などに生える、栓になりえそうな背の高い草たちを引っこ抜いても、土にもぐりながら広がっていた根たちが顔を見せるだけ。流水の勢いは、いささかもかげる気配なし。


 そりゃ、浴槽だって水が抜ける場所は一か所のみなんだ。川ももし同じでひとつからしか抜けないのなら、この段違いの面積。何度陽が暮れようとも、見つけ出せる気はしない。

 先生の目的は、自分の手であの渦巻を起こし、見てみたいという一点だ。それがかなえば、川にこだわらずともいいんだ。

 当たればラッキー、程度の心地で続ける先生だが、ほどなくそう気楽に臨めない時期がやってくる。


 梅雨だ。

 何日も降り続く雨は、たちまち川の水かさを増やし、勢いをつけさせていく。

 子供はおろか、大人ですら危ぶまれる状態の川に、近づけるような度胸はない。だとすれば、これからしばし、どこをめぐればいいのか。

 外遊びもできず、ぼんやりテレビを眺めていた先生だが、各地の雨量を報せてくるニュースを見て、ふと思いついた。


 映し出される首都圏の道路は、大幅に冠水している。車のタイヤに引かれるたび、なかば壁かと思うほどの高い水はねが、車体の左右へ展開していった。


 ――これくらい、すごいやつならいけるんじゃね?


 家の洗面台では、まず再現できないほどの溜まり具合。それなら、自分の満足いくレベルの渦巻が見られるんじゃないかと、私は考えたんだ。


 行動に移すのは早かった。

 いまだ雨降りの放課後、川には近づかない方角をうろつきまわり、私は路面の冠水部分。巨大な水たまりを追い求めたんだ。

 なお降り続く雨を受けて、絶えぬ波紋を浮かべる水面たち。その中から期待に応えそうなものを探すのは、簡単なことじゃなかった。

 ひとつは、相応の面積。

 中に足を踏み入れて、ちょっとかき出せば底が見えてしまうような浅いもの、小さいものは願い下げだ。大人が数人横になっても、カバーしきれないくらいの幅広さが最低条件。

 もうひとつは、「栓」の存在。

 ただ広いだけではダメなんだ。その中にただひとつ、水の中にありながら水でない、抑え役。水をその場にたたえる大役を負った、フタのごときものが埋まっていなくてはいけない。


 前者を満たす溜まりは、いくつか見つけた。

 長靴の性能にものを言わせて、先生はそれらの中へ入り込み、もうひとつの条件たる栓を求めた。

 土気色に濁る水の中へ指を突っ込み、風呂の栓がそうであるように、取っ掛かりになりそうな部位がないかを探る。

 そのほとんどが空振り。いやに硬質な指触りをもつものにあたり、もしやと引き抜いても、それは有象無象の石ころだったり。いまだ雨を受け止め続ける水たまりに、まったく変化をもたらしはしない。


 舌打ちは、もう数え切れないくらいした。

 それでも「次こそ……今度こそ……」と、根拠のない自信に後押しされて、先生はちっとも帰路へ着こうとはしなかったよ。

 そうして下校からもう二時間半。ぼちぼち空も暗くなってこようかという時間帯で。

 先生は、それに出会った。学校のグラウンドはあろうかという、広々とした面積を持つ月極駐車場。そのど真ん中に、かの水たまりは堂々と横たわっていたんだ。

 路面は整ったアスファルト。しかし、その中にあって水たまりの中央には、ピンと背を伸ばすススキに似た、一本の茎がおさまっていた。


 あれは、と先生の勘がうながす。

 じゃぼじゃぼと音を立てて水たまりを踏みしだき、目標めがけて一直線。

 いざ前にしてみると、茎は先生の胸ほどの高さもあった。その水に隠れる根元あたりに指をつけると、アスファルトをわずかにかき分けて生えている様子が、文字通り肌で感じることができたよ。

 コンクリを割って、根を持ち上げる植物もいるんだ。このような芸当ができるものだって、あっておかしくないはずだ。

 特別感がある。「ひょっとしたら」と、期待がともる。

 先生はおしりあたりが濡れるのも構わず、ぐっと腰を落として、茎の根元を握りしめた。


 何度、力を込めただろうか。

 思わずしりもちをつきかける勢いで、その茎は抜ける。下部に根のたぐいは見えないが、先生の求めたものかどうかは、すぐに答えを出してくれた。

 この月極駐車場の景色が、とたんにぐるりと回り出したんだ。

 先生は回転していない。めまいも起こしていない。きちんとその場に立てている。

 ただそれ以外の世界が、コーヒーカップかメリーゴーラウンドに乗ったように、ぐるぐると回り続けているんだ。


 足元の水たまりに、先生の両こぶしが隠れるほどの大きさの、渦巻があらわれる。

 しかし、本懐をとげられたことに喜ぶいとまは、ほんの数秒だけだった。

 その渦巻く水に、他の色が飛び込んできたからだ。渦を巻いて吸い込まれるは、雨の中にあってなお明るい赤色を放つ。

 しかも一色ではなく、タイヤを思わず黒色や、ウインドウを思わせるグレーなども混じり、ライトもそこに……。


 そう、それはこの駐車場に停めていた車の一台。水たまりの最寄りに停められていた、スポーツカーのものに違いなかった。

 あっと、渦の中へそれが飲み込まれてから、先生は悟った。

 これは水の栓にとどまらない。この駐車場の、ひいてはこの空間の栓ともいうべき存在だったんだと。

 水が抜けるがごとき勢いで、ここにあるものが吸い込まれてしまう。先生が無事なのは、部外者だからだろう。

 だが文字通りに、ここへ地に足を着けていた車たちは、開いてしまった口。引き込む渦の呼び声のまま、もろともに身体を吸い込まれていくよりない……。

 

 あわてて茎をさし直すと、渦巻きはぴたりとやんだ。

 けれども、改めて見やる駐車場の中は、スポーツカーに加えて数台。こつ然と姿を消してしまった車が見受けられた。

 先生が栓をするまでの間、彼らは水たまりの流れとともに、渦の下へ取り込まれて行ってしまったんだ。


 このようなこと、誰も信じてはくれまい。先生がいろいろな意味で、追及を受けることは容易に想像でき、その場を逃げ出すよりなかったんだ。

 あの栓が今でもあそこにあるのか、はたまた場所を変えたかは、いまになっては分からないことだよ。


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