2話 ~勇者は突然に~
魔属領は今日も暗闇。
雷鳴も、生き物たちの声も、いまは収まって生温い空気だけがある。
魔王が住む広大な大陸の平原の中に、ピサの斜塔に似た構造物が一つある。人間から「最弱魔王」と呼ばれる魔王の魔王城だ。
雲よりもはるかに高い天空から一本の野太い光の柱が落ちて、今その中心に直撃した。
塔には大木ほどの太さの亀裂が入り、光の柱は世界を照らすほどの光になって消えた。
ビシッ、と言う音がして塔はゆっくり動き出す。
ゴゴゴゴゴ………と、ゆっくりとした重低音が鳴り始めて「さけるチーズ」のように二つに分かれ始める。重力に導かれて段々と速度が上がっていって、爆音と共に倒れた。
その瞬間、凄まじい爆風と地響きが起こり、森の木々から大量の葉が吹き飛ばされて暗闇の空に舞う。魔物たちは一斉に騒ぎ出し、辺りは騒然となる。
倒れた衝撃で魔王城は砕け散ってただの瓦礫と、大量の粉塵に変わった。
粉塵の中心に小さな人影。
「何よこれ………」
そこにいるのは勇者召喚玉に映し出されていた金色の髪の少女だった。
「何よここれ、口の中がものすごくジャリジャリする………落とし穴に落ちたと思ったら何がどうなってるのよ………」
咳の音。
一度咳を始めると粉塵のせいでなかなか収まらない。少女は手で口を覆いながらうずくまっている。
「もしかしてテロ?爆弾?いくらなんでも物騒にもほどが………バッグ、私のバッグはどこ………」
倒壊した塔による粉塵の量はすさまじく未だ視界には何も映らない。雷鳴と魔物が叫び声がする。普通の人間ならばパニックになっていて当たり前の状況。しかし少女は落ち着いていた。
少女にとってそのバッグはとても大切なものらしく、粉塵の中に手を伸ばして探す。しかし感じるのは瓦礫の固い感触ばかり。
ムニッという感触。
「ふぇ?」
明らかに柔らかい。
「なんか革っぽい感じが………」
気になってそれを確かめるように、撫でたり掴んだり引っ張ったりしてみる。違う気がする、しかし気になる。今までに触ったことが無い感触の正体を知りたい。
手に掴むのにちょうどいい太さ。
まあまあ伸びる。気持ちいいような悪いような不思議な感触。
「絶対バッグじゃないけどなんなのこれ………」
困惑する少女に空から強い風が吹きつける。
粉塵が消えていく。
視界が開けていく。
「え………」
望愛は自分が掴んでいるものの正体を知った。
「ぷぎゃーーー!!」
野生動物並みの反射神経で飛び退いた。
「変態?」
大の字で寝そべっている黒髪で背の高い男がいた。
「なにこいつ、最悪なんだけど」
嫌悪感に歪む顔の望愛の目の前で、男の目がパっと開いた。
「凄まじい衝撃だった………テロ?あるいは爆弾か?何にしても今はまず状況を把握する必要がーーー」
頭を振りながら上半身を起こしたところで二人の目が合った。
「ああ………そうか、あの子か」
納得したような顔をして男はゆっくりと立ち上がる。
「勇者召喚玉を割ってしまったのだった………。肝心なところで凡ミスをするのが私の悪い癖だ」
男はその場で360度回って周囲を確認した。
「ちょ………」
尻も玉も棒も全てが見える。
「ちょっとぉおーーーーーー!!」
裸、だから。
「誰あんた!なんで裸で寝てんよ!最悪、あんたのせいで変なもの触っちゃったじゃないの!」
「………」
無言の男から威圧感を感じた。
息を吸い込み思考を切り替える。
自分の身は自分で守る。
大丈夫、武器は無いがそれは向こうも同じ。体格差はあるが立ち振る舞いから見てどう見ても素人。裸ということは人体の全てが見えているということ。急所が丸出し。狙いやすいことこの上ない。
「裸?確かにそうだな、通りで少し肌寒いと思っていたんだ。ちゃんと気が付いていたよ」
男は変な弁明を始めた。どうやら自分が裸であることに気が付いていなかった、とは思われたくないらしい。望愛にとってはどうでもいい弁明だった。
「意図的に裸になったわけじゃない。服はあの凄まじい光のせいで消し飛んでしまったようだ。それくらいで済んでよかったよ」
男は落ち着いた態度で独り言のように語る。それを見ていると段々と自分の心が落ち着いてくるのを感じる。不思議だ。この男は裸でいるほうが自然な気さえしてくる。
「大変だ!」
突然叫ぶと男は予想外の行動をとった。
「え、何してるの?」
瓦礫を物凄い勢いで掘り返し始めたのだ。
「君も手伝ってくれ!私のファミリーがこの瓦礫の下に埋まっているんだ!」
「え?!人が埋まってるの!!?」
望愛は飛び上がって驚く。
「そうだ!ここには私たちが住んでいた城があったんだ。それが倒壊してしまった」
どうやら大規模な事故があったらしい。
「君も混乱しているのだろうけど説明は後からちゃんとする。だから今はとにかく私のファミリーを助け出すのを手伝ってくれ!頼む、この通りだ!」
男は必死な形相で頭を下げる。
「わかった、任せて!」
何もかも分からないが、人が埋まっていると聞いてはさすがに無視することはできず、素手で掘り出す。
すぐに違和感。土が、瓦礫が、豆腐のように簡単に掘り出せている。
「土が柔らかい?」
不思議に思いながらも手は止めない。助けてあげたいという思いはあるし、この男にとって大切な存在が埋まっているのだということは伝わっていた。
「あれ!?」
青いものが見えた。
「なにこれ………」
「いたのか?」
全裸の男が近づいてくるが不思議と恐怖も嫌悪感も感じなかった。
「ここは慎重に行かないといけないから私に任せてくれ」
言われるがままに場所を譲ると、慎重に土をのけていく。するとそこには青いグミに二つの目が付いた謎の生物がいた。
「びびび………」
声がした。
「まだ生きている」
男が嬉しそうな声に答えるようにして、青い生き物がブルンと震えた。
「ああ良かった生きている。これは多分十七郎だと思う、良く見つけてくれたね。さあその調子でどんどん頼むよ、スライムだけでも五十八郎までいるんだから」
男が地面から引っ張りあげるとお餅のように少し上に伸びた後で、一気に縮んで半球の形状になった。どうやらこれが本来の形らしい。
「スライム?!これってスライムなの」
「そうだ。可愛いだろう?」
青いスライムを優しく地面に置いた後、離れていく男。そしてまた一心に掘り続けるのを見て望愛もなんとなく掘り始める。
「可愛いとかじゃなくてこんなの初めて過ぎてビックリよ!スライムってゲームとかに出てくるモンスターでしょ、なんでこんなのがいるのよ!」
青いスライムがビクンと体を震わせた。
「こんなに弱っているのにそんなに大きな声で怖がらせないでくれ。かわいそうだ」
「なんで私が悪いことしたみたいになってるのよ」
「驚くのはもちろん理解できるよ」
安心させるように穏やかな声で言った。
「確かにスライムは魔物だ」
「やっぱり………」
こんな生き物いるはずがない。
「けれどあまりに弱いものだから人間を見つけたらすぐさま逃げるような魔物なんだ。無害で危険は無いから怖がる必要は無いよ、それに見てごらんこんなに弱っているんだ」
スライムは弱弱しく震えている。
男が言う通り、恐いか?と聞かれれば全く怖くない。いまこのスライムは子猫よりも弱いかもしれないと感じる。
なんだか可哀そうに思えてきた。
私は恐がらせてしまったのだろうか。
「ごめんなさい、もう驚かせたりしないから安心して………」
「びび………」
弱い声。
「もしかしたら助けてくれてありがとうと言っているのかもしれないよ………」
そう言われてみるとそういうような気もしてくる。
ぷるぷる震えているこのスライムが段々と可愛く思えてきた。
「いた!多分九郎だ!」
裸のまま一心不乱に瓦礫を掘っていた裸の男が声をあげて手に乗せていたのは黄色いスライムだった。
「今度は違う色………」
ただ、ぐったりしているのは同じだ。
「竜笛さん!」
背後から急に聞こえた何者かの緊迫した声に望愛の体はひるんだ。
「今度は何!?」
駆け寄ってきたのは猫。首元に金色の鈴をつけたロシアンブルーに似た美しい猫だ。
「無事ですか!?」
「猫が喋ってる!?」
「安心してくれ私は無事だ」
掘り進めながら男は微笑みを向ける。
「金青も無事だったのか、てっきり瓦礫の下に埋まっているのではないかと心配していたからよかったよ」
「僕も全然大丈夫です。あの白い光でかなり吹っ飛ばされてしまったんですけど空中で体勢を捩じってちゃんと足から着地できたので全然大丈夫でした。それよりまさかこの下に………」
「そうだ。一郎から五十八郎までが行方不明で今で2匹を見つけ出したところだ。金青も掘り出すのを手伝ってくれ!」
「わかりました!」
猫が前足を使ってすごい勢いで瓦礫を掘り進めていく。
「なんで猫がしゃべってるの………スライムもいるし………なにここ………いったい私はどこにいるの。よく見たらさっきまでいた所と全然違う場所じゃん………」
「あの、大丈夫ですか?」
猫が話しかけてきた。あまりにもはっきりとしっかりと喋っているのでまるでアニメみたいな感じがしてだんだんと違和感を感じなくなっていく。
「訳が分からなくて………」
青い毛並みと瞳が美しい猫を見ながら掘り進める。
「そうですよね、僕は金青と言います。説明は後でちゃんとしますので安心してください。それと手伝ってくれてありがとうございます」
「はぁ………」
猫は瓦礫を掘り出す作業もきちんとできているし、自分に対しての気遣いも感じる。それに比べて自分はまだよく頭が回らない。もしかしたらこの猫は自分よりも頭がいいのかもしれない、なんだか負けた気がする。
「スライムは魔物ですけどすごく弱い魔物なので怖がらなくても大丈夫ですよ」
隣で作業をしている猫は男と全く同じことを言う。
「魔物と言っても全部が人間に対して襲い掛かって来るわけじゃなくて争いが嫌いな魔物もいるんです。それでなんだか可愛く見えて保護していたんです」
「そういうことなの、ですか」
ため口で話せばいいのか敬語で話せばいいのかも分からないがふたりの様子を見てこのスライムが大切な存在なのだろうということは分かる。
「びび………」
スライムの弱弱しい声。
唐突に望愛の脳裏に一匹の犬の姿が思い浮かんだ。今はもう死んでしまったが「ベス」というゴールデンレトリバー。
望愛にとって大切な友達だった。
助けたい。
望愛の体に力が宿る。
助け出そう。
「いた!」
赤いスライムが埋まっているのを発見した。今度は自分の手で引っ張り出してみる。慎重に土をどかしながら優しく優しくと心掛ける。
「びび………」
小さな命の重さを感じて、助けたいという気持ちがさらに湧き上がってきた。
「ぐぉーーーーーーーーーーーー!」
土を掘る速度がさらに上がった。