16話 ~魔王の仕返し倍返し~
人間領の空はまだ午前中だというのに分厚い黒い雲に覆われて、今にも雨が降り出しそうだ。雷鳴もまだ聞こえていないのに雷を伴った強い雨になりそうで肌寒くもある。
「大丈夫ですよね」
首元に金色の鈴をつけたロシアンブルーに似た猫が金色の髪の背中を見つめながら不安そうに言った。
「望愛は誰よりも強い。自信を持っていけばきっと大丈夫だ」
龍笛は確信を持って言う。
「そうですけど………」
望愛は強い。最初の戸惑いは何だったのかと思うほどに今は落ち着いて魔物と闘い、全く危なげなく勝利して戻って来る。
所作が洗練されている。
もちろん勇者としてのステータスの向上はあるだろう。龍笛も金青も大木をへし折ったり大きな岩を砕いたりと、人間だった頃にはできなかったはずのことが簡単にできる。
だからといって人間たちに受け入れられるかどうかは別の問題ではないかと金青は思う。しかし龍笛は自信があるようだった。
望愛には本当はずっと一緒にいて欲しいと思う。
けれどそれは言ってはいけない言葉。魔王側である自分たちといれば人間と戦わなくてはいけない。
殺さなくてはならない。
ここに来る前の自分であれば、一人の人間を殺しただけで一生頭から離れなくなるだろう。それがわかっていて一緒にいてくれとは言えない。
だから全てが上手くいくことをーーーー。
「あ」
怒鳴り声。
村の入り口の大きな岩の上に乗っている男が、手を大きく使いながら何かを叫んでいる。その先にいるのは望愛、そしてわらわらと出てくる村の人たち。
「これはーーー」
駄目かもしれない。
「どうしましょうか?」
次々に人が現れて望愛に対して一定の距離をとったまま半円状に群がっている。
一体どういう状況なのここからは分からない。
けれど自分だったら相当なプレッシャーを感じてしまうだろう。
「あ」
望愛が踵を返した。
そして爆煙を巻き上げながら一直線にこっちに向かって走って来る。どんどんどんどん近づいてくる。
「望愛さーーー」
ぶつかりそうなほど直前。
急ブレーキをかけて止まった望愛に金青は乱暴に捕まれて、そのまま体に抱き寄せられた。
「ぐむむむむ………」
苦しい。
「だから言ったじゃん絶対無理だって!!」
龍笛を睨みつけて叫ぶ。
「どうしたんだ、いったい何が起きた?」
「どうしたもこうしたもない!」
目は涙で滲んでいる。
「どこから来たんだ、とか、何者だ、とか、怪しい奴だ、とか、魔物が人間に化けてる、とか、なんか喋れ、とか、黙ってないでなんか言え、とか、なんだその髪の色は、とか、顔が平べったい、とか、とかとかとかとかとか、、とにかくいろんな事を言われて!!」
涙がこぼれた。
「全然!全然無理だった!!だから言ったじゃん!」
泣き声と怒声が混じった声。
「そうかそうか、辛かったな………」
低い声で語る魔王。
「辛かったなんてもんじゃない!」
叫ぶ勇者。
「私が仇をとってきてやろう」
あっさりと言った。
「仇ってどうするんですか?」
じっと龍笛を見つめる。
何でもないような言い方をしているが付き合いの長い金青にはわかる。龍笛はきっと何かとんでもないことを起こそうとしているのだ。
「あの村の住人たちの行いはひど過ぎた。異世界にたった一人で不安な少女を突き放して、さらに罵声を浴びせて追い返すとは許せない」
龍笛が強い視線で村を見た。
「あいつらの行為は間違いなく悪だ」
魔王が悪を語っている、そう思ったが口には出さない。龍笛はいま真剣に怒っているのだしこれから何かをやるつもりなのだ。
金青は知っている。龍笛という人間は自分の価値観で動く。もしそれに反すような行いを見た場合には、例え法を犯してでも、犯人に対価を支払わせるのだ。
「そこで見ていなさい。私が行く」
そう言うと雲に覆われた異世界を力強く歩き始めた。
「あいつ何をするつもり?」
望愛が鼻をすすりながら聞く。
「わかりません。けどああなったときの龍笛さんは止められません。ちゃんと見ておいてくださいね。僕たちは望愛さんのことを大切に思っているんです」
ゆっくりとした歩み。
しかしそこには異様な雰囲気がある。
大岩の上の男の声によって引き上げていた村人たちが再び戻って来る。彼らは何やら不安を感じてかその手には鍬などの武器を持っているのが見える。
きっと感じ取っているに違いない、自分達が先ほど追い払った少女の関係者であることを。
龍笛は粗末な柵に囲まれた村の目の前、大勢の人々が集まるその直前で立ち止まった。
人間達の怒声。
それは離れた場所言いるふたりにまで届くほどの熱量で、金青も望愛もこれから何が起きるのか、固唾を呑んで見守っている。
「あ」
龍笛が男が乗っている大岩を蹴った。
すると大岩はフリスクのように弾け飛び、男は腰から地面に落下した。
音が止まる。
人間がたった一度の蹴りで大岩を破壊したということが信じられないに違いない。
竜笛だけが動いていた。
静寂の中でゆっくりと屈んだ龍笛は砕けた岩のひとつを拾い、そして投げた。
まるでボーリング。
それは群衆の中の数人に当たり、体ごと弾き飛ばし、さらにはその後ろにある家に穴を開けた。
人間を超越した圧倒的な力。
悲鳴が響き渡る。
しかし龍笛は止まらない。拾って投げる、拾って投げる。とにかくひたすらに足元の岩の欠片を手に取って投げる。
その命中精度は素晴らしく必ずと言っていいほど命中して人間が弾け飛ぶ。
「すごいですよね龍笛さんって」
金青が柔らかい声で言った。
「僕だったらあんな大勢の人たちを相手にあんなことできませんよ」
老若男女問わずあらゆる人間が投石で弾き飛ばされていく。剣の技術であれば龍笛は望愛に全く及ばない。しかしながら単純な力であれば引けを取らない。
命中すれば容赦なく肉体を打ちつけ、皮膚を切り裂き、骨を砕く。悲鳴、叫び、懇願、人々が何を言おうと一切動じずにただひたすらに投げつける。
「僕は龍笛さんのこういうところを尊敬しているんです。自分がやると決めたことは誰に何を思われようともやる。あの心の強さが羨ましいですよ」
「図太いだけじゃないの」
少し拗ねたような口調。
「そうですね」
金青は笑う。
「それが悪いほうに行くときもありますけど、今みたいに良いほうに行くときもあります。見ていて面白いじゃないですか。僕は龍笛さんと出会ってから退屈だと思ったことが無いんですよ、絶対に何か予想外のことをしてくれます、こんな風に」
「面白がっていていいの?」
「実は僕も腹が立っていたんです。あの人たちの行動は酷すぎたんですよ、だから思いきり面白がっても良いと思いますよ」
きっぱりとした言い切り。
「あっ、見てください。家が倒れましたよ、もっとやれもっと、もっともっとやっつけろ!」
ヒーローショーを見る子供のようにはしゃぐ猫。
望愛は嬉しくなっていた。