14話 ~軽い戦闘~
霊山リョウゼンフガクは神が降臨した地であると言われている。
一面雪に覆われている世界で最も高い山の山頂で、勇者 望愛は速度を緩めた。
数十メートル先に魔物。
その手には赤いナイフ。三日月のように湾曲した特殊な形状のナイフで望愛が日本から持ってきた数少ないものの一つ。
かなりの速度で走ってきたにもかかわらず息はそれほどきれていない。これまでの道中で数々の魔物を倒したことの明らかな恩恵を感じる。
しかし油断はしない。
勝負に気のゆるみは厳禁。頭に刻み込まれるほど繰り返し言われてきた言葉。
深い雪の中を弾みながらやって来たのは乗用車のような巨体を持つ魔物、アンコウのような姿をした魔物だった。
「ブロブロフィッシュね」
白い息が立ち上る。
観察。
同じ魔物に見えても突然変異種の魔物の可能性があることは知っている。知っているが今までに出会ったことが無く、それがどれほどの強さであることは知らない。
「こいつなら前に戦ったことはある」
記憶と比べ何か変化が無いかじっと観察する。
「同じだったら特徴は覚えている」
自分に言い聞かせるように言う。
「大丈夫、恐ろしいのは姿形だけ」
龍笛と金青の前ではすっかり魔物相手の先頭になれたような顔を作っているが本当はまだ恐怖心がある。
この迫力はゲームの魔物とは全く違う。実際に対峙すれば息遣いも、臭いも、声も、何もかもが本物。あの大きな口に飲み込まれて喰われるかもしれないという恐怖。
闘え。
さすがは勇者であると思われなければいけない。
強さを見せなければいけない。
ブロブロフィッシュの攻撃方法は単純で、その大きな口で獲物を生きたまま丸呑みすること。攻撃として気を付けることはそれだけなのだがその体はやっかいだ。
ぬめぬめと粘液に覆われている体は滑りやすく攻撃を弾く。しかし今の望愛にとっては問題となるような魔物ではない。
ステップワークを駆使して正面に立たないように戦う。そう判断して距離を詰めようとしたとき、予想もしなかった出来事が起こった。
「んのぅ!」
バイブレーションを感じて変な声が出た。
「なにこれ!?」
赤く染まった三日月のようなナイフが振動している。
そこには意思がある。
ナイフ自身の意思。
「なにこれ………」
日本にいた時からバッグの中にいれて持ち歩いている愛用のナイフだが、今まで一度たりともこんなことは無かった。
不測の事態に備え敵から距離をとる。
その途端、種類も強さも違う振動が全身に来た。
ドンッ、という間近で大太鼓を叩いた時のような振動。さらには自分の体の中から何かが抜けていく感覚。
龍。
ナイフから龍が発射された。
空に現れる雲のように真っ白な龍が、望愛の意志とは無関係にナイフから発射され、うねりながらブロブロフィッシュに襲い掛かる。
「んごーーー!」
何を考えているのか、何も考えていないのか。ブロブ路フィッシュは3匹共に大口を開けて龍を丸呑みしようと直進してくる。
対する龍も進行方向を変えることなくブロブロフィッシュへ向けて突き進む。
互いが交差した。
「えっ!」
立ち尽くしその顛末を見ていた望愛の驚いた声。
龍は天へと舞い上がる。
水風船を地面に叩きつけたような音。
アンコウのような醜い巨体がロールケーキのような等間隔の輪切りとなって雪の上に小さく弾けた。
「あ、勝った」
龍は空を泳ぎ続け、やがて雲となった。
「なにこれ………」
風に乗ってやって来た血の臭い。あれだけ太いブロブロフィッシュの背骨がきっぱりと分断されているのが見える。あんなきれいな断面になるには、よほどの切れ味を持っていなければならないはずだ。
「もしかしてこれって必殺技ってやつ?」
戸惑いから笑顔に移り変わっていく。
「勇者だ、私、勇者だーーー!!」
金色の髪の毛を振り乱しながら跳ねる。
「勇者だ!めっちゃ勇者だ!」
跳ぶ、跳ぶ、跳ぶ。
しばらくて落ち着いてから握っているナイフを見るがいつも通りのナイフで振動したり何かの意志を持っているようには思えなかった。
「強くなってる。きっと意識すればあの龍はまた使える」
自分の中の感覚ができると言っている。今までは一度に1匹づつしか倒せなかった、それが3体を一度に倒すことが出来た。
しかもナイフの刃を相手に当てることなく斬ることが出来た。これはつまり多人数戦、そして遠距離攻撃ができることを意味している。
「これならきっと………」
続いている自分の足跡の先を見ながら静かに言う。
「戻ろう。きっとみんな心配して待ってくれてる」
歩く。
「そうだ。ふたりにあの龍を見せてあげよう。きっとびっくりして跳びあがるんじゃないかな、あの風邪ひき魔王は跳びあがれないと思うけど」
笑顔で歩く。
「スライムちゃん達はきっと喜ぶだろうな。あの子たちは底なしの胃袋でいくらでもどんなに美味しくなさそうな魔物でも喜んで食べるからな」
霊山リョウゼンフガクは人間領と魔属領を分かつ場所。つまりこの山を下り終えてしまうと人間領となる。
そこは分かれの場所。
龍笛も金青も望愛は人間領で生きるべきだと考えている。
それは望愛が人間を殺さないで済むようにと言う優しさ。
正しいと思う。きっと誰もがそう言うだろう。
「行こう………」
考えることを止め、望愛は仲間たちの元へと走りだした。