報いの篭 ②
* * * * *
3
7月9日 14時すぎ
「いらっしゃいませー」
一日のうちで最も暑い時間帯に、店の扉を勢いよく引いた青年は、額の汗を手の甲で拭う。黒い半袖のパーカーに淡い青色の半ズボン、肩には大きなショルダーバックをかけていた。
今年はやけに早い梅雨明けのせいで、記録的な猛暑に見舞われていた。じりじりと照り付ける日差しの中、小走りに来たせいで息が上がっている。
「遅いぞ。五分遅刻だ」
「す、すいません……」
モ〇バーガーの一番奥の席。鋭い目つきで一人ポテトを食べていたのは黒いスーツ姿の男だった。一本一本味わって食べているようだが、顔は美味しそうに食べている面ではない。
席の傍には大きめの銀色のスーツケースが置いてある。
「それにしても急すぎませんか“清正さん”。おれにも一応予定が……」
「ことは一刻を争う。人命優先だ。我慢しろ」
「だ、だったら尚更おれなんかでいいんですかね……」
次いで、チーズモ〇バーガーを食べ始める男に睨まれたので、青年は顔を背ける。
きっかけは、わずか五時間ほど前。青年、刺坂応治は、目の前にいる想術師“打金清正”から突如呼び出しをくらった。
『午後二時、協会から一番近いモ〇バーガーで待つ』
文面はこれだけである。果たし状か、それともスパイ映画か。どちらにせよ、これだけでは意味が分からない。しかし応治はこの男、打金清正から連絡がある時の意味を知っている。返信をしても既読すらつかない。拒否権など彼にはなかった。
(前回恐ろしいほど人命がかかってたからなぁ……なんでおれを誘うんだろこの人)
ちなみに、彼らが出会ってから会うのはこれで三回目だ。その上、初めて会ってからまだ三か月程度しか経っていないという関係の浅さである。
そんな応治の心の声を見透かしたように、清正は口を開く。
「なぜおれなんだ、と思ったな」
「へ!? な、何でですか?」
「顔に出ている」
応治は、顔を赤らめて自分の頬を触ってみる。
「そういうところだ。俺がお前を評価しているのは」
「はい?」
清正は、グイっと応治に顔を近づける。
「刺坂応治。この業界においてお前のような天然記念物めいたお人よしは貴重だ。金のため、名誉のため、優越感のため、暴力のため……そんな自己中心的な理由で想術師になる者も多い。だが少なくとも、お前は俺が出会った中で一番そういうのがない。これだけで俺がお前を信用する理由になる。以上だ」
「褒められてる……?」
腕時計を確認した清正は、スマホを机の上に置いて、画面を応治に見せる。
「時間がない。まずはこれを見ろ」
スマホの画面をのぞき込んだ応治が見たのは、metubeという動画サイトの配信映像だった。
「投稿者が保存していなかったからな。こちらで無理やりデータを手に入れた」
「これって、“うりうり”ですね」
「知っているのか」
応治は自分のスマホでmetubeを開き、チャンネル登録のリスト一覧を打金に見せる。
「結構おもしろいですよ。めっちゃビビりなのにお化け屋敷とか軽い心霊スポットとかいく動画が人気ですね。おれが見てたらたまに傀霊が映り込んだりしてて面白いです」
「何が面白いかわからん」
傀異は、人間の想像力から生まれる傀朧という名のエネルギー体からできている。傀霊というのは、傀異になる前段階の傀朧の塊のことである。
一般的に至る所に散在している傀朧が、特定の概念に集約することで形を成す。それが意志を持って動き出し、傀異となる。その前段階である傀霊は、意志こそ持たないので、ふわふわと空気中を漂っていることが多い。霊感が強い人間がこれを見ると、俗にいうオーブや人魂といったものに見える。
音声が進み、うりうりという配信者がゴキブリを退治しようとしたところで様子が一変する。
なぜか動画がキャプチャー画面から部屋の映像に切り替わる。うっすらとだが部屋の壁を覆いつくすほどの巨大な黒い影が映りこみ、悲鳴と共に配信が終了する。
「おそらく、配信者が驚いてキャプチャー機能を解除したんだろうな。それが無ければ気づかなかった」
「もしかしてこの傀異って……」
嫌な予感しかしない。この話の流れで思いつく概念は、とても相手にしたくない。
「“ゴキブリ”の傀異」
「ですよね……」
応治は渋い顔をしてスマホから顔を背ける。
「ゴキブリの概念は、非常に危険な概念だ。伝承レベルⅣ、危険レベルd。特定危険概念に指定されている」
「特定危険概念って、実在する概念もありなんですね」
「大抵は創作物や空想上の生き物、化け物が該当するからな。実際に存在している概念は珍しい」
清正はスマホをしまうと、今度はスーツケースから取り出したノートパソコンを開く。
「この配信者が消えたのが、七月七日。この前後の期間、消えた場所の近くで行方不明事件が起きていないかを調べた。警察の持っている情報は当てにならんから、SNSやその他ネットの情報をあら捜しして推測した。
――――――その結果、京都南部、大阪北部でざっと十名ほどの人間が消えていた。前後三日間でだ」
清正はパソコンの画面を応治に見せる。表示されていたのは、京都南部、大阪北部地域の地図だ。地図上には所々にバツ印が付いており、氏名、年齢、時刻がわかりやすく表記されている。
「すごいですね……全部ネットから拾ったんですか?」
「ああ」
応治が興味深そうに画面を見つめていると、強引にパソコンが閉じられる。
「行くぞ」
「行くって、どこにですか?」
清正は応治の問いに答えることなく店を出ていく。
その時、応治の腹の虫が豪快に鳴った。
「待って……くれないよな。おれも食べたかったな……」
* * * * *
4
清正の車に揺られること30分。閑静な住宅街の中で車は止まった。傍には汚い川が流れており、わずかだがヘドロのような臭いが漂っている。
道中、清正がほとんどしゃべらなかったため眠くなった応治は、大きなあくびをして川を眺めた。
「ここは……?」
「さっき地図を見せただろう。行方不明者の一人、“桃園遥香”が最後にSNSにつぶやいた場所がここだ」
「誰でしたっけ」
清正は決まりが悪そうに頭を掻く応治に向かって、スーツケースの中から赤茶色のサングラスを取り出して投げる。
「うわっ。何ですかこれ」
「それをかけてここら辺を歩き回れ。制限時間は五分だ。何か見えたら教えろ」
「何かの競技ですか……あの、説明をですね……」
清正に無理やり車から押し出された応治は、じりじりと照り付ける日差しに目を細める。
「あっじい……」
清正は、車の中でスーツケースを漁り始めた。
清正が無口で端的なのはもちろんわかっているが、あまりにも粛々としすぎて何を考えているのか読み取りにくい。せめて、このサングラスが何なのかくらいは教えて欲しい。
応治は、サングラスをまじまじと見つめる。まるで極道かチンピラがかけていそうなデザインだと思った。
(サングラス型の傀具……)
応治は、サングラス型の傀具で一つ見たことがあったもののことを思い出す。
それは、傀異が見えるようになる効果のあるものだったのだが――――――。
(もしかして、細かく見えるようになるとか?)
応治はとりあえず、かけて動き回ることにする。
汚い川にも目を配るが、川の汚さに比べて傀朧痕などは皆無である。
応治は近くにあった街路樹の陰に入る。汗が頬を伝い、あまり気分が良くない。
「ないか」
止めていた車の窓から顔を出した清正が問いかける。応治は、エンジンを止めずに車から出る気配のない清正を見て、少しむっとする。
「何してるんですか」
「ん。ここは駐車禁止の区間だからエンジンを止めるわけにはいかないだろう。そろそろ五分経つ。駐車になる。行くぞ」
「変なところに真面目すぎません?」
車に戻った応治はさっさと扉を閉め、服の襟元をパタパタと扇ぐ。
「それで、おれに何をして欲しかったんですか?」
清正は無言で、赤色の液体の入った瓶を応治に見せる。
「これは、炙出薬といって、滴下した傀朧を赤く色付けることができる薬だ。そして注目すべき点は、同じ概念の傀朧と共鳴する、という特性だ。これが、薬を使った場所に最も近い同質の傀朧を赤く染める。この反応が連鎖的に起こる。傀異の痕跡を追うには最適だ。
敵の持つ概念が分かっているなら、その傀朧さえ見つけられれば後を追える。傀朧の塊である傀異は、動けば傀朧をわずかでもばらまく。その痕跡を見つけ、どこに移動したかを追う」
「じゃあこのサングラスって」
「逆気。サングラス型の傀具で、細かい傀朧を見るのに用いる」
応治は、自分の予想が当たっていたことに内心喜ぶ。車は、きっちりと五分以内で発車した。
「桃園遥香は、趣味のランニング中に忽然と姿が消えたらしい。同時刻、付近で黒い塊を見たという証言や、女性の悲鳴を聞いたというSNSの書き込みが多数寄せられている」
「そうなんですか」
応治は辺りの様子を見るのに集中していたため、あまり心の籠っていない返事を返す。その時、応治の目にはっきりと微細な傀朧が映りこむ。
「うわっ!! 待って待って!!」
応治の大きな声に、清正が急ブレーキを踏む。そのはずみでサングラスが外れ、足元に落下する。
「うわ!」
清正は素早く車をバックさせ、外に出ると、瓶に入った炙出薬をすべてぶちまける。
すると、徐々に赤く染まっていく傀朧がじわじわと道を形成していく。それは汚い川の向こうへと続いていた。
「……」
清正は無言のまま車に戻ると、勢いよくアクセルを吹かす。
「うわ、荒っっ!!」
「善は急げ、と言う」
「意味わかんないですよ!」
車は狭い路地を抜け、傀朧を追っていく。