報いの篭 ①
注意!
この物語には、不快指数の高い虫が出てきます。
成敗されますので後味は問題ないですが、苦手な方はご注意ください……!
事例 大阪府内某所
七月七日、『metube』七夕生配信にて。
『おいーーっす!! 今日も始まりましたウリウリチャンネル!! 最近暑くなってきたな。みんな元気にしとるか? オレは七月入ったら真っ先にクーラーつけてガンガンに部屋冷やしたら、温度差で夏バテ起こして三日間ダウンしたわ。みんなも夏バテには気ぃ付けや!
ではでは早速、今日も元気に配信していきたいところなんやけど……ちょっと待ってな。実はモ〇ハンの準備がまだできてへんねん。ちょーっと待ってて……な。
う‟あ‟っっっっっっ!!!
(ドタバタする音)
まじかよ!! ありえへんわ!! きっしょ!! 最低やろまじで……。
でおった。ついに。今年初やわ。びっくりした……。
えー? わかるやろ。ゴキやゴキ。ゴキちゃんでおった。
まじでビビる。声が面白かった? そりゃびっくりしたらあんな声出るわ。
今からお風呂場のゴ〇ジェット取ってこようと思いますー。
そろりそろり。
はい取った。オレめっちゃかける派。床がびちょびちょになるくらい、いっつもかける。だって怖いやん。あいつら死ぬ間際に飛べること自覚しおるし。
んじゃ、今からぶっかけて……あれ?
う、うそやん……なんやこ……うわああああああああああああ』
――――――ぷつり。
画面が暗転する。そして、『本日の配信は終了しました』の文字が中央に表示された。
配信者が最後に悲鳴を上げる寸前、ぼんやりと画面に映った黒い塊を見た者は誰もいなかった――――――。
この日を最後に、配信者の行方はわからなくなった。
* * * * *
1
想術師協会本部 傀異対策局第一部内
カチ、カチ、と室内に響くクリック音がやけに目立つ。およそオフィスとも呼べない純和風の畳の上で、座椅子に胡坐をかき、座卓の上に置いたノートパソコンで調べものをしている男がいた。男は畳に似合わない黒いスーツ姿で、画面を睨みつけている。男の座っている場所は、部屋の隅である。コード類がまとめて届かないので、別の部屋から引っ張ってきた延長コードと有線ケーブルが生々しく床を這っていた。この部屋でインターネットに接続されているパソコンはこれ一台だけである。
「……」
男は無言でマウスを動かし続けている。見ていたのはネット記事だった。
『怪奇。metuber失踪! 真夏の夜にゴキブリの影!?』
などという仰々しいタイトルで書かれた記事の閲覧数は、リアルタイムで爆発的に伸びている。それは、この失踪事件がかなり有名になりつつあること示していた。
男は、関連のある記事を片っ端から閲覧する。そして別窓でSNSを開き、“失踪”関連のワードに引っ掛かった大量のツイートを表示していく。
ここ二週間程度で、小さな失踪事件が付近で度々発生していることが分かる。この配信者ほど騒がれることはなかったが、掲示板などで関連を示唆するような考察がなされているほどだった。
――――――男は静かにため息をつく。
マウスを素早く動かし、新しいタブを開くと、想術師協会情報統制部が管轄するデータベースにアクセスする。
サイトの作りがずいぶんと前時代的で、スマートフォンに対応したページすら作られていない。このサイトは秘密サイトになっており、想術師協会の人間以外たどり着けないように特殊な術がかかっている。とはいえ、協会が情報マネジメント戦略にいかに力を入れていないかがわかる。
「……改良してやろうか」
ぽつりとつぶやいたその言葉を、ちょうどいいタイミングで室内に入ってきた同僚が耳にする。
「うわっ。びっくりした。何してるんですかこんな時間に」
時刻は午前六時すぎだった。討伐対象である傀異が夜に活発に活動するため、傀異対策局の勤務時間は比較的夜が多い。早朝というのは、通常勤務終わりの時間で、あまり残っている者はいない。
男は同僚が入ってきたことに反応することなく、パソコンを見続けている。
「何調べてるんですか? 傀異の発生状況ですか?」
「……」
小柄な女性同僚が、男の傍に近づいてくる。少しカールした長髪を靡かせ、肩には体に似つかわしくないほどの巨大なライフルバックを背負っている。
女性は男の横にドカッと座ると、パソコンの画面をのぞき込む。
「……花菱。お前どこ行ってきた」
「えっ。なになに。臭います?」
「若干な」
「セクハラですよ」
「鼻をつままれてもいいのか」
「仕方ないじゃないですか! さっき倒したの、なんか“臭い”っぽい概念のでかい花形傀異だったんですもん!」
「ラフレシアかなんかか」
「そうです! めっちゃきもかったし」
「調査不足だ」
花菱と呼ばれた女性は不満そうに口をすぼめ、男の前に座った。
「今からシャワールーム行ってきますってば」
「早く行け」
言葉とは裏腹に、パソコンを覗いたきり動こうとしない花菱を見て、男はパソコンを閉じる。
「何調べてたんですか?」
「失踪事件」
「何の?」
「傀異がらみ」
「それはわかってるんですよ」
「早く傀朧を落としてこい」
男は立ち上がると、延長コードや有線ケーブルを巻き上げる。ノートパソコンを手に持ち、スタスタと部屋を出ていく。
「なーんにも教えてくれない。秘密主義は嫌われますよー」
「……もう嫌われているだろう」
男が部屋から出ていくのを見届けた花菱は、眉を顰めて自分の体の臭いを確認する。
「ちゃんと浄化して、シャワー浴びてから来たっての。流石だわあの人」
落とし切れていない、傀朧の残滓――――――。
それが服に付着していることに気づき、舌を出した。
「私もがんばろっと」
花菱はライフルバックを背負い直すと、部屋を出る。
* * * * *
2
配信者は暗闇の中、肌を突き刺すような寒気を感じて目を覚ます。
「……うっ」
――――――頭が痛い。どうやら意識を失った時、打ってしまったらしい。頭がもやもやする。自分の身に何が起こったのか、それを思い出すまでに時間を要する。
次第に、意識を失う直前のことを思い出してきた。
ゲーム配信をしようとして、色々準備をしていたら――――――“アレ”が出たのだ。
「あ……あぁ……」
配信者は、はっきりとゴキブリの体表が意識に浮かび、体を襲う寒気が増す。殺そうとしたところで、急にアレが巨大化したのだ。体感で自分の体の三倍以上はあっただろう。黒光りする体に、長い触角が揺れて――――――動いたのだ。
そして自分の方へ――――――。
「大丈夫ですか?」
配信者は肩を叩かれて、ビクッと前のめりに倒れてしまう。
振り返った先にいたのは、若い女性だった。スポーツウェアに日よけのバイザー、運動靴とどう見てもランニングの格好である。
「えっ……と」
「わかります……私も目覚めた時はかなり混乱してて……」
女性は、配信者に周囲を見るよう促す。
天井が高く、鉄筋コンクリートの柱が至る所に点在した、だだっ広い空間――――――。
その中に、七人ほどの人が不安そうな顔でうずくまっていた。
スーツ姿の中年サラリーマン。エコバックを持った主婦。小学生の男の子に、制服姿のJKまでいた。
「皆さん、同じような状況で連れて来られたみたいです……」
「えっ」
二人の会話を聞いていた主婦が、二人に近づいてくる。
「出られないのよ。ずいぶん色々なことを試したわ。でもね……」
出口がない。
そんな言葉を聞いた配信者は、首を横に振る。
「いや、意味わかりませんって」
「いろいろやりました。ガラス窓があったんで割ろうとしました。でも、コンクリートの塊をぶつけてもひび一つ入らなかったんです」
スポーツウェアを着た女性は、淡々と告げる。
「最初は、我々も気力を振り絞って脱出しようとしたさ。でもできなかった」
中年のサラリーマンがそう告げる。声は無力感と悲壮感で満ちていた。
「一日経ちました。子どももいます。お腹が空いて、とてもじゃないけどこれ以上は力が出ないんです」
「ちょっ、ちょっと待ってーな。何が何でもおかしすぎひん? こんな非現実的な状況あるわけな……」
その時、背筋に走った恐ろしく大きな寒気に、配信者の体が固まる。
――――――背後に、いる。あいつが。
思い出せば吐き気がしてくる、あの巨大なゴキブリが。
「ひっ……!!」
配信者の背後に現れた存在を見た主婦は、腰を抜かして尻餅をつく。
がくがくと体が震え、今にも泡を吹いて意識を失いそうである。
――――――カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ。
「ぎゃああああああああああああ!!!」
配信者の足元を、大量の黒いゴキブリが通り抜け、主婦に迫る。
ゴキブリたちは、主婦の前で一斉に集約を始める。みるみるうちに人の形を模していくゴキブリの塊は、頭から生えた細くて長い触角を、サッと振るう。
「ぎっ……」
主婦の、恐怖で真っ青になった顔が、ぼとりと地面に落ちる。
吹き出した大量の血。削ぎ落された顔。
力を無くした主婦の体は、糸の切れた人形のように前のめりに倒れた。
――――――血だまりが、配信者の足元にすぐ達した。
何が起こったのか全く理解できない。何もわからない。頭が、脳が、理解することを頑なに拒否する。
わからない。何もわからない。わかりたくもない――――――。
「ぁ……ぇ……」
辛うじて声帯を通った息が、配信者の絶望を吐き出させる。
時間が異常に長く感じられた。だが、時間は確かに動いていた。
それを実感させたのは、目の前に佇んでいる黒い人型の何かが、勢いよく振り返ったからである。
黒いローブのようなものに覆われた大柄の人間の姿だった。それは、腕をゆっくりとこちらに向けてくる。
――――――配信者は、足元でぞわぞわと大量の何かが蠢いているのを感じとる。
絶対に見たくない。いや、見れば確実に正気を失ってしまう。それだけはわかる。
スポーツウェアの女性はずっと、口元を押さえて必死に耐えていた。もし、悲鳴を上げてしまえばどうなるか――――――。
「……っ!!」
しかし、凄惨な状況を目にしてしまった女性は、耐えられず発狂してしまう。
「い、いやああああああああああああっ……!!!」
スポーツウェアの女性の体に、大量のゴキブリがまとわりつく。
それに呼応するように、配信者以外のすべての人間は悲鳴を上げて逃げ惑う。
「ぎゃ、ああ……い、や……」
ぞわぞわと這う音から、次第にぐちゃぐちゃという何かが抉れるような音に変わる。
何の音なのだ。これは、何なのだ。
グチャ。グチャ。
音は次第に大きくなっていく。
配信者は、確かめるように恐る恐る女性の方へ向く――――――。
配信者の目に飛び込んできたものは、大量のゴキブリが口の中に入り、全身を食い荒らされている無残な女性の姿だった。
「ぇ……なん、で……」
黒い人型の何かは、配信者の恐怖と絶望に塗れた表情を見て、体を大きく歪ませる。
――――――嗤っていた。この化け物は、人間が恐怖する様を見て楽しんでいる。
人型は、小さなゴキブリを集約させ、女性の真上に巨大な黒い物体を形成し始める。
配信者は女性から目を離せなかった。
タスケテ。
女性の口がそう動いたような気がした。
ドン、という巨大な音と共に、強い風圧で体が圧される――――――。
配信者の目の前で、突如女性が押しつぶされた。
巨大なスリッパのような形をした黒い物体は、女性の体をいとも簡単に押しつぶす。
――――――もう、何が何だかわからない。
恐怖の糸が途切れた配信者は、ショックで意識を失った。