プロローグ②『だらけ勇者とプリンの乱』
「プリン?あれなら食べたわよ、めちゃくちゃにおいしかった」
「……なるほど、そいつは良かった」
私室の床に力なく転がるアリスからの何気ない返答に、俺はひきつった笑みを浮かべる。その背後では、大切なプリンを奪った犯人が確定したことに激昂するアマネが威圧感を通り越して殺気を放っていた。
「おのれ勇者よ……なぜ何食わぬ顔でそのような所業ができる……わらわのプリンを食ったというのに……?」
「だっておいしそうだったし。お腹空いてるときにカップに名前が書かれてるかなんて見ないわよ。それにあれ、冷蔵庫の共有物にアンタが勝手に名前つけただけでしょ?」
しかし、アリスはその殺気に少しもひるむことなく淡々と言い返す。当事者でない俺ですらビビらされているというのに、アリスからしたらそんなものは屁でもないらしかった。
「本当に自分だけのものにしたいなら小さな冷蔵庫でも買ってもらいなさい。……ま、空腹時のあたしはそれすらも平気で漁ると思うけど」
「お主の探索精神は尽きぬな……。この世界に来てまでもそれに苦しめられることになるとは思っていなかったわ」
「一応勇者の特権らしいし?あの世界で染みついた癖みたいなもんだから、これはそうそう抜けやしないわよ」
威圧がちっとも通じなかったことで毒気を抜かれたのか、アマネはがっくりと肩を落としながらそうこぼす。その姿はアリスにとって愉快だったらしく、肩を揺らしてからからと笑ってみせた。
小柄なアマネとは対照的に、アリスは俺と同じくらいには身長が高く、そしてスマートだ。アリスの私室の片隅には素振り用の木刀があり、今でも使い込まれた形跡がある。カモシカのような足、なんてたとえがあるが、アリスの筋肉の付き方はまさにそんな感じだった。陸上のコーチが街を歩いていたら、こいつはもう真っ先にスカウトされるに違いない。
じゃあ、なんでそんなに鍛えあがった身体を持つ少女が部屋に引きこもってダラダラしているのかといえば――
「……ま、最近その使命からも解放されたし?ようやく前みたいにのんびりした生活を送れるってもんよねー。受け入れてくれたケイトには感謝しかないわ」
「……家もねえ、行く当てもねえって言われたらそりゃな。いくら強い勇者様だったとはいえど、飯も家も無きゃ何もできないだろうし」
「そりゃそうよ。あたしだって元をたどればただの人間だし、勇者だって飢え死にはするんだから。むしろそれが一番可能性のある死因ですらあったわよ?」
「あの世界の人類をかなり追い詰めていた自覚はあったが、飢えで潰える勇者はわらわも見たくはないな……。ロマンも何もあったものではないわ」
夢の欠片もない勇者の告解に、その旅の最終目標であったはずの魔王、アマネですらも渋い顔を浮かべる。どちらかが今目の前にいる仇敵を斬ろうと思えば今すぐにでもこの家は最終決戦の場へと早変わりするのだろうが、どうやらその気は微塵もないらしかった。
「……ま、あたしはあんな世界滅んでもいいと思ってるけどね。上層部のオッサンたちは皆やらしい目で見てくるし、初期装備も貧相だし。聖剣以外に与えられたものが木の盾と革の鎧ってどうなってるのよ」
「……あ、そのお約束は異世界でもあるんだな……」
聖剣があるだけ幾分かマシだが、勇者からしたら初期サポートが手薄すぎるのはやってられない話だろう。ゲームで見て来た勇者たちがいかに我慢強い人物だったかを、俺は現実との比較で知ることが出来ていた。
「そんなわけで、あたしはもう戦う気はないの。『異世界への門を開いた魔王を追え』だなんて、オッサンたちも珍しくいい指示をだしてくれたものよねー」
なんせあのクソみたいな世界から離れられたんだもの、といいながらアリスは大きく伸びをする。髪染めでは決して再現できないような美しい金色の長髪が、地面に投げ出されてさらりと広がった。ダボっとしたシャツの間からお腹が覗いているのだが、正直目のやり場に困るのでもう少し気にしてほしいものだ。
ここまで来たら分かると思うが、アリスももとはこの世界の住人ではない。アリス・ヴァルロージア――とある世界で聖剣に選ばれた元村娘の勇者は、どうも異世界に逃亡したアマネを追ってこの世界までやってきているらしかった。
「その割にはお前ら仲いいよな……もっとこう、いがみ合うような関係性だと思ってたんだけどさ」
「今まさにプリンのせいで争いが起ころうとしていたがな……。まあ、わらわからしたら勇者だからどうこうという意識は全くないな」
「あたしも同じく。魔族の治世ってそんなぶっとんで悪いわけじゃないし、なんなら人間の統治の方がひどい可能性まであるし。いいものが悪いものを淘汰していくっていうのは、ある意味普通の流れなんじゃないの?」
およそ勇者の言っていい主張ではないが、それにも一理あるのはまあ事実だ。魔王と勇者、お互いが寛容……というか、その事実に関心を持ってないことによって先原家の、ひいては日本の平穏は守られているんだしな。
「……とりあえず、プリンに関してはまた買ってやるからアマネはそれで矛を収めてくれ。アリスも食べる前にちょっとでいいから確認をすること、名前が書いてあったらその主に許可を取る事、いいな?」
「よいのか?プリン、また買ってくれるのか⁉」
俺の仲裁案に対して、アマネがキラキラと目を輝かせながらこちらを見つめてくる。一応同世代だったはずなのだが、こう見ると五つくらいは年下のようにしか思えなかった。
「ああ、それくらいなら近くのコンビニで事足りるしな。アリスもなんかほしいものあれば買って来るけど、どうする?」
「あ、それならあたしあれ欲しいかも。果物絞ってるみたいなジュース、めちゃくちゃおいしかったんだよね……」
あんなのがそこらじゅうで買えるなんていいところだよ、とアリスは笑みを浮かべる。一つのプリンに端を発した問題は、これでとりあえず収束してくれそうだった。
「それじゃ、パパッとコンビニ行ってくるから。二人とも大人しく待っててくれ――」
「……お兄ちゃん、ただいまー‼」
何とか事態を上手くまとめた俺の言葉を遮るように、玄関から扉の開く音がする。そのままどたどたと騒がしい足音を立てながら、どうやって察知したのか俺の現在地であるアリスの私室へと一直線に飛び込んで来た。
「お兄ちゃん、今日も私たくさん頑張ってきたよ!褒めて褒めて……って」
まるで子犬のようにこちらへと突進してきたそいつは、部屋の現状を見て言葉を失う。そこにはだらしなく寝ころんだアリスと、目を輝かせて俺の方にすり寄っていたアマネ。そして、事情にさえ目を瞑れば絶世の美少女である二人に挟まれた俺。……その構図は、俺の妹に悪い想像をさせるには十分だった。
「お兄ちゃん……私がいない合間を縫ってナニしてたの?」
「よりにもよってすさまじい誤解のしかたしてんじゃねえ――‼」
子犬から猛犬へと変貌した妹が、俺にじりじりとにじり寄って来る。今にもとびかかってきそうなその様子を落ち着けるのに、俺は実に十五分もの時間を要した。
彼女の名前は先原志野。どういう訳か何でもできる万能の傑物で、そしてどういう訳か俺に異様な執着心を抱いている……正真正銘、俺の実の妹である。
という訳で、次回は志野にフォーカスが当たるエピソードになります!啓斗を振り回す三人の個性、良ければ味わっていただけると嬉しいです!もし気に入っていただけたらブックマーク登録、高評価などぜひしていってください!ツイッターのフォローも是非お願いします!
――では、また次回でお会いしましょう!