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第七章 喜多島警視の報告   10月 2日  午前 9時

 眠くならない。

 何故だろう。私は小さい頃から寝つきだけはすごくいい子だった。保育園のお昼寝タイムでも、一、二を争う早さで眠っていた。だから保育園の保母達には、とっても喜ばれていた。自分自身はもちろん全くわかっていなかったのだが。

 そんなことをウダウダと考えているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。しかし、この緊張感は夢の中まで持ち込まれていた。


 私は何故か一人で大崎邸のプールのそばに立っていた。しかもしっかりとスタート台の上に。

「どうしてこんなとこにいるんだろう?」

 私が呟くと、何者かが私をプールに突き落とした。私はもがいた。しかし、何故か浅いはずのプールがとてつもなく深くなっており、足が底につかない。私はカナヅチではないがそれほど泳ぎが得意なわけでもない。

( このまま、溺れて死んじゃうのかな?)

「律子」

 私が諦めかけたその時、法子の声がした。

「えっ!?」

 私はガバッと飛び起きた。布団の脇で法子が膝をついて、私を心配そうに見つめていた。

「ひどくうなされていたよ、律子。悪い夢でも見たの?」

 法子が尋ねた。私は頭をブルブルと横に振って、

「まァね。プールに突き落とされた夢を見たのよ。もう少しで溺れるところだったわ」

「そう」

 法子はニッコリして立ち上がると、

「朝食の用意ができてるわ。着替えて下りて来て」

と部屋を出て行った。私パジャマ代わりのTシャツがすっかりはだけているのに気づき、赤面した。


 法子のお母さんの朝食を頂いた後、私達は昨日栄子さんと会った喫茶店に出かけた。朝食直後に喫茶店とは何ともサラリーマンのようだが、実は喜多島警視が待っているのだ。法子は大崎家の事件を本格的に調べてみるつもりらしい。

「おはよう、法ちゃん。夕べはよく眠れたかね?」

 私達が喫茶店で喜多島さんを見つけるなり、検死官殿はそう尋ねた。法子はニコッとして、

「ええ、何とか。おじ様こそ、昨日は遅かったんでしょ? 大丈夫?」

と尋ね返した。喜多島さんは苦笑いをして、

「ああ。ついさっきまで本庁にいたんだ。法ちゃんと会うために、わざわざ抜け出して来たんだからね」

「それはそれは、ありがとうございます」

 二人は冗談半分だろうが、知らない人が聞いたらびっくりである。

 法子と私は喜多島さんと向かい合って座った。昨日とは違って、窓際の席である。

「さてと。まずは何から話せばいいかな?」

「道枝さんの足にあった擦過傷は何かわかったの?」

 法子は間髪入れずに言った。喜多島さんは真顔になり、

「それはまだわからない。傷をつけたものもそうだが、どうしてそんなところに擦過傷があったのか、不明のままだ。恥ずかしながらね」

「今の段階では、殺人と事故、どちらの方に捜査方針は傾いているの?」

「事故だよ。何しろ大崎のおば様方が、うるさくてね。殺人では世間体が悪いから、絶対にそんな発表はしないでくれって、総監に直接連絡があったそうだ。かなわないよ、ああいう手合いは」

 喜多島さんはいささか呆れ気味である。私もだ。全く、どうしてお金持ちってそうなのかしら。あっ、そうじゃない人もいるけどね。

「おじ様はどう見ているの?」

 法子は妙に嬉しそうに尋ねた。喜多島さんはフッと笑って、

「殺人だ。断言してもいい。ただし、科学的な根拠は、今のところないけどね」

「水泳の選手だった道枝さんが、仮に夢遊病でプールに落ちたとしても、事故死とは考えにくいってとこかしら?」

 法子は真顔で言った。喜多島さんは頷いて、

「そのとおり。道枝さんが事故で溺死する確率は極めて低い。ところが、そうするとある壁にぶち当たる」

「壁、ですか?」

 私は何とか会話に入れてもらおうと思って、喜多島さんに尋ねた。喜多島さんは私を見て、

「そうです。もし殺人であるならば、何故犯人は、すぐに偽装を見破られるような殺し方を選んだのかという壁ですよ。犯人の思考が矛盾していることになるんです」

「なるほど」

 私が大きく頷くと、法子が、

「犯人は事故死に見せかけた殺人に見せかけたかったんじゃないかしら?」

 奇妙なことを言い出した。喜多島さんもよくわからなかったらしく、

「えっ? どういう意味かな、法ちゃん?」

「言葉通りよ、おじ様。犯人は見破られることを承知で、あるいは見破ってほしくて、あんな殺人方法を選んだのかもってこと」

「そういう考え方もあるな。今のは捜査会議で提言してみよう」

「本気なの、おじ様?」

 法子は目をパチクリさせて喜多島さんを見た。喜多島さんは、

「この前の群馬の事件以来、中津名探偵の意見は大変貴重でね。中には『中津さんに会議に加わってもらえないか』とか言い出す連中までいるくらいだよ」

「まっさかァ」

 法子は信用していないようだが、喜多島さんの言葉に嘘はないらしい。群馬の殺人事件以来、法子は警視庁に知らない人はいないくらいの有名人らしいし、若い刑事達は、そんなことを抜きにしても彼女とお近づきになりたいらしい。ホント、うらやましいわ。

「それより、もう一つ考えられることがあるわ」

 法子は続けた。喜多島さんは真顔に戻って、

「どういうものかな?」

「犯人は、別のことをわからなくするために事故死に見せかけた稚拙な殺人にしたかったのかも知れないっていう考え方よ」

「なるほどね。かなりの知能犯かも知れんということか」

「そういうこと」

 喜多島さんはフウッと溜息を吐いた。法子は怪訝そうな顔で、

「疲れてるの、おじ様?」

「ああ、ちょっとね。昨日だけで、三件の殺しがあったんだ。現場が結構離れていて移動の間にほんの少しうたた寝をした程度でね。さすがにきついよ」

「ごめんなさい、そんなに忙しいのに、無理を言ってしまって」

 法子は少々恐縮したように言った。喜多島さんは微笑んで、

「いやいや。捜査一課の強面達と顔を突き合わせているより、君達のような可愛い女の子と話している方がどれほど癒されることか」

 私は何か気恥ずかしくなった。法子も微笑んで、

「そう言ってもらえると、助かるわ。ありがとう、おじ様」

「どういたしまして。また何かわかったら連絡するよ。もちろん、君達も何か掴んだら、連絡をしてくれよ」

「はいはい」

 私達は喜多島さんと別れて、法子の家に戻った。

「法子って、すごいのね。警視庁に一目置かれてるなんて」

 私が言うと、法子は肩をすくめて、

「違うわよ。おじ様が面白がって私のことを警視庁で話してるのよ。だからなの」

「でもさ、前田さんも法子のこと知ってたでしょ。やっぱり一目置かれてるのよ」

「やめてよ」

 法子はクルクルとポニーテールを回した。かなり恥ずかしいらしい。でも、そんな仕草が余計にバカな男共をとろかしちゃうんだろうな。全く、うらやましいことこの上ない。なんてバカな話はやめてと。今はとても深刻な状態なんだしね。


 法子は家に戻ると自分の部屋に私を通して、紅茶を入れてくれた。いよいよ法子の活動が開始されるようだ。私は不謹慎にもワクワクしていた。

「まずは、大崎家の人達のことを知っておかないとね。栄子先輩にお願いして、いろいろ教えてもらいましょう」

「やっぱり犯人は家族の中にいると思うの?」

 私が恐る恐る尋ねると、法子は大きく頷いて、

「あまり考えたくないんだけど、それ以外あり得ないと思う。道枝さんは決して油断をするような人じゃないわ。だから不意を突かれてプールに落とされることなんてないだろうし、仮にあったとしても溺死なんてさせられない。道枝さんをプールに連れ出して、しかも死に追いやれるのは家族しかいないわ」

「となると、いがみ合っている和美さんや、八重子さんは除外ね」

「そうは言えないのよ。和美さんや八重ちゃんは、違うことでこの犯行は無理だと思うけど、機会があったのは家族全員だと考えないと、判断を誤ることになりかねないわ」

 法子はさまざまなパターンを考えている。

「道枝さんの身体から薬物は検出されなかったから、睡眠薬を飲ませて眠らせた上でプールに落とすという方法は考えられない。道枝さんは夢遊病だったから、うまくプールに誘導して落としたかも知れない。でも、溺死させることができるのか。それにいくら夢遊病でも、プールに落ちれば目が覚めて、プールから出て来てしまうのではないか。いろいろ考えられるけど、何にしても、道枝さんの足首にあった擦り傷の原因が解明されないことには、どうやって道枝さんを溺死させたのか、はっきりわからないわね」

 やはりキーポイントは足首の擦過傷か。どうしてそんな傷がついたんだろう?

「とにかく、栄子先輩に連絡をとって、話を聞きましょ」

「ええ」

 法子は即実行の女である。サッと立ち上がると、カップをトレイに載せて、部屋を出て行った。私も慌てて彼女を追いかけた。


 今日は本当は大学に行かなければならないはずなのだが、法子は全くそんなことを気にしていない。私は嫌いな英語の授業をさぼれるので、何も言わずにいたが。

 ただ、栄子さんはとてもまじめな人なので、従姉妹が死んだことをひどく悲しみ、私達が行くと気丈に振る舞っているが、実はかなり精神的に参っているらしい。どこまで話を聞くことができるのか、不安だった。

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