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第四章 大家族の昼食  9月30日  午後1時30分

 私達が案内された食堂は、まさしく映画やテレビドラマに出て来るような広々としたものだった。真っ白な壁が清潔感を醸し出し、顔が移るようなピカピカのフローリングの床は、土足で入るのをためらう程だった。

「すご……」

 私はまたしても絶句してしまった。

 中央にデンと据えられたテーブルは長さが十メートルくらいある。その上に両手にあまるくらいの巨大な洋風の花瓶があり、何やら私にはよくわからない種類の花が活けられていた。

 並べられた食器類も豪勢だ。これは私にもわかった。ドイツの有名な磁器だ。確かマイセンだよね。

「どうぞ、お好きな席におかけください」

 繁夫は言い、自分はさっさと法子をエスコートして椅子に座らせ、その左隣に座った。何よ、こいつ!?

「あいつ法姉に下心ありありだから、律子さん、法姉を守ってあげてね」

 八重子が私の隣の席に腰かけながら小声で言った。私は大きく頷いて、

「もちろんよ」

 ま、結局のところ私は法子の右に座ったので、繁夫もそう悪さはできないだろう。栄子さんは繁夫の左に座ったしね。

「他の方はどうされたんですか?」

 法子が栄子さんに尋ねると、

「伯母様方はもう先に昼食をすまされてますよ。あとはここにいる人と、道枝さんと和美さんだけです」

 聞いてもいないのに、繁夫が代わりに答えた。出しゃばりな奴だな。

「そうなんですか」

 法子は苦笑いをして応じた。繁夫はフッと笑って、

「伯母様方と僕達は、相続人としては同等の立場にありますからね。ちょっとした確執があるんですよ」

「同等の立場?」

 私は繁夫が法子を嘗め回すように見つめているので、その視線を外させてやろうと口をはさんだ。ところが繁夫は私の方には目もくれず、法子を見たままで、

「伯母達はお祖父様の実の子供です。そして僕達はお祖父様の養子。相続順位は同じなんですよ。だからいろいろとね」

 話は深刻な内容だが、繁夫は実に愉快そうに話している。こいつ、ちょっと危ない奴だな。

「繁夫さん、そういう話はお客様にすることではないわ」

 栄子さんが繁夫の言葉をたしなめるように言った。繁夫は栄子さんにも目を向けずに法子を見たまま、

「そうでしたね。法子さん、失礼しました」

 頭をほんの少し下げてみせた。法子は呆れた顔で、

「はい」

と言っただけだ。するとそこへ、

「私の席はどこよ」

 道枝が入って来た。彼女は私達に鋭い視線を投げかけてから、栄子さんに、

「こいつがバカ話をしているのを何でもっと早く止めないのよ、栄子!?」

と怒鳴った。栄子さんもビクッとしたが、繁夫はもっと驚いていた。彼は道枝に話を聞かれていたのを知り、おどおどし始めた。この人達、よほど道枝が怖いんだな。栄子さんは消え入りそうな声で、

「す、すみません」

 妙なモノだ。考えてみれば、この人達はいとこ同士のはずだ。なのに栄子さんと繁夫は道枝の使用人のようではないか。以前何かあったのだろうか。

「口が軽い奴って最低ね」

 道枝は私達から離れた席に座り、

「泉さん、食事まだ?」

 厨房の方を見て大声で言った。

「はい、ただいま」

 そちらからか細い年配の女性の声がした。道枝は憤然とした顔で、

「いつも遅いわよ。私がテーブルに着いたら、すぐに出せるようにって、何度言ったらわかるのよ!?」

「申し訳ございません、お嬢様」

 厨房の方から現れたのは、白髪が七割くらいの頭で、痩せこけたという表現がピッタリの、メイド服を着た初老の女性だった。彼女は恐縮した様子で、

「すぐに御用意いたしますので、少々お待ちくださいませ」

 深々とお辞儀をして、逃げるように厨房に戻って行った。道枝はニヤリとして、

「急ぐのは私の分だけでいいのよ」

とまで言ってのけた。私は今まで、金持ちの我がまま娘は小説やマンガの中だけの作り物だと思っていたが、こうしてそれ以上の現実を見せつけられると、ただ唖然とするばかりだった。

「どうしたのよ、繁夫? さっきまでは随分饒舌だったのに急におとなしくなったわね。具合でも悪いの、あんた?」

「……」

 繁夫は顔をひきつらせて作り笑いをしたまま、何も答えない。この男が法子に話しかけなくなったのは良かったけど、この圧迫感はたまらない。空気が重い。嫌な雰囲気だ。

「それより貴女、有名な探偵なんですってね?」

 道枝は不意に法子に話を振った。しかし法子は落ち着いて、

「有名ではないと思いますが、探偵のマネ事をしたことはあります」

 道枝は面白いモノを見るような目で法子を観察しながら、

「あら、そう。随分謙虚なのね、栄子の後輩にしては」

 この女、いちいち言葉の最後に刺のあることを言う。ホント、やな奴。法子は微笑んだままで、

「道枝さんこそ、水泳の世界では有名だとお聞きしてますけど」

「昔の話よ」

 道枝はまるで掃き捨てるように言った。そして、

「お祖父様に強制されて始めたことなのよ。自分の果たせなかった夢を、私に代わりに果たしてほしいってね」

 とても苦々しそうな道枝の顔が、祖父大崎五郎に対する彼女の感情を何よりも物語っていた。すると法子はニコッとして、

「そうなんですか」

とだけ言った。

「お祖父様はいつもそうだった。私に何でもこなさせようとしたわ。でも私は人に何かを強制されるのが大嫌いなの。だから、就職も大崎物産の関係会社にはしなかった。お祖父様は烈火のごとく怒ったけど、私は絶対に譲らなかった。最後はお祖父様も折れて、私の好きにさせてくれたけどね」

 道枝はさっきまでの憎らしい物言いはどこへやら、すごく楽しそうに法子に話している。そう、法子は相手の心を癒してくれる不思議な女の子なのだ。私も何度彼女と話して気持ちが救われたことか。

「それだけ、大崎さんが貴女のことを大切に思ってらしたという証拠ではないでしょうか」

 法子の言葉に道枝は軽く頷き、

「今はそう思えるようになったわ。でも、あの当時はそんな余裕なんてないくらい、お祖父様に反発してたから」

「人と人が分かり合うには、時間が必要です」

「そうね」

 よかったァ。あの重苦しい雰囲気が一掃されて、食堂には清々しい空気が満ちて来たような気さえした。そこへ泉さんがワゴンにごちそうをたくさん載せてやって来た。

「わァ、おいしそう」

 私は思わず口にしてしまった。その時、八重子が不機嫌そうに法子を見ていることに気づいた。

「どうしたの、八重子さん?」

「別に」

 そうは言ったが、彼女の心中が穏やかでないのは確かだ。きっと、法子が道枝と話しているのが、面白くないのだろう。可愛いとこあるな。何か共感しちゃう。私もあまりいい気分じゃないしね。

 そんな感情は表に出さず、私は昼食を頂いた。八重子も不満そうな顔のまま食事を始めた。法子と道枝がまだ話をしているのだ。八重子にしてみれば、自分の味方のはずの法子を一番の敵の道枝に取られたようで、気が気ではないのかも知れない。

「あ、いけない」

 不意に法子が口にした。私はキョトンとして、

「どうしたの?」

「私、家の中のこと、そのままで出て来たから、戻らないと」

「ああ、そう言えば」

 そう、私達はもともとケーキを買いに外へ出たはず。もう随分時間が経っている。

「ええっ、帰っちゃうの?」

 八重子が非難めいた口調で尋ねた。道枝は知らんふり。栄子さんは何も言わずに法子を見ており、繁夫は道枝が怖いのか、やはり何も言わずに法子を見ている。

「そうね。戻らないと。どうもごちそうさまでした」

 法子は道枝や栄子さんに会釈して立ち上がった。私も会釈して立ち上がった。

「ホントに行っちゃうの? おばさんに電話してみれば? それからでもおそくないでしょ」

 八重子は食い下がった。法子は苦笑いをして、

「そうね。そうしてみるわ」

 シャツのポケットから携帯を出して、家に電話した。そして、

「留守電になってるわ。おかあさんたら、また出かけたみたい」

 少々呆れたように言った。八重子が不思議そうに、

「どうしてまた出かけたってことがわかるの?」

「私達が家を出る時、家の電話は留守電になっていなかったのよ。だからよ」

 法子は説明した。なるほど、そういうことか。八重子が質問しなければ、私が尋ねていたことだ。さっすが法子。普段の生活からして、観察眼が鋭いわね。その時、

「あら、お客様なの?」

 声がした。食堂の入口に光子が立っていた。ここの主で道枝の母親。しかし顔はあまり似ていない。それにしても、きれいな人だ。ただ、どうも私には怖い感じがする。浅葱色の着物を着て、髪をアップにしている。キリッとしていて、お金持ちの奥様と言うより、極道の妻と言った方が、光子の雰囲気を正確に表していると思う。これって、私の偏見かしらね。

「お邪魔しています」

 法子が挨拶して、頭を下げたので、私も慌てて挨拶した。光子はニッコリして、私達を見、

「ごゆっくり」

 会釈をして、食堂から出て行った。何しに来たのだろう。

 光子に「ごゆっくり」と言われたが、私達はやはり大崎邸を出ることにした。私が法子に嘆願して、そうしてもらったのだ。何となくなのだが、嫌な予感がするのだ。( それは的中してしまうのだが…… )

「ねえ、どうしても帰っちゃうの?」

 八重子がロビーまで見送りに来て、再び尋ねた。法子は微笑んで、

「もう二度と来ないってわけじゃないんだから」

「うん」

 八重子は何かを恐れているかのような目で法子を見つめていた。当然私が気づくくらいだから、法子は気づいていたろう。しかし、

「じゃ、またね」

と言い、私を促して屋敷を出た。だが、今にして思えばこの時私達は残るべきだったのだ。ホント、そう思った。

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