第二章 リヴィングルームにて 9月30日 午後12時
お屋敷の中に入ってまたびっくりだ。
小さな一戸建ての家がまるまる入ってしまうかのような広さのロビー兼リヴィングルーム。数々の豪勢な調度類があり、デパートの家具売り場に迷い込んだ結婚間近のOLの心境である。出るのは溜息ばかりだ。何ていう屋敷だ。
「さっ、こちらにどうぞ」
栄子さんに導かれ、法子と私はリヴィングルームのソファに腰を下ろした。
「こちらで待っていて下さいな」
栄子さんは微笑んで言った。
「わァ……」
私はそう言ったまま絶句してしまった。
そこは明らかに十八世紀のヨーロッパを意識した造りだった。ロココ調という建築様式だろうか。テーブルやソファが美しい曲線を描いており、繊細な色彩が優雅さをより際立たせている。何て言ってみても、私の知識の外なんだよなァ。
「紅茶でいいかしら?」
栄子さんが尋ねた。呆然としている私の代わりに法子が、
「はい、紅茶でいいです」
と応えてくれた。栄子さんは頷くと長い廊下を歩いて行った。
「すごいお屋敷ね」
私は栄子さんが見えなくなるとすかさず法子に言った。法子は私を見て、
「それはね。私達一般庶民からは想像もつかないくらいのお金持ちですからね」
「そうねェ」
私はまた溜息を吐いてしまった。するとそこへ、
「ああっ、やっぱり法姉だ!!」
可愛らしい声が聞こえた。法子と私は声の主の方を見た。そこにいたのは、八重子だった。Tシャツに超ミニスカートで、サンダル履き。この子、顔の作りはいいのに、あまり洋服には気を遣っていないみたいだな。法子にタイプが似ているのかも。あれ、何でこんな時間にいるの? そっか、今日は高校もお休みだっけ。
「あら、八重ちゃん、お家にいたの?」
法子はニッコリして応えた。八重子もニコニコして私達の向かいのソファに座った。
「そうなの。どこか行きたいんだけど、友達みんな出かけててさ」
八重子はそこまで喋ってようやく私の存在に気づいたのか、
「あっ、こちらどなた?」
法子はやや呆気にとられたように、
「前に話したでしょ。同じ大学の神村律子。私の親友よ」
「ああ、貴女が神村さん? 法姉がいつもお世話になってます」
八重子は大真面目に妙なことを言った。私はおかしくて仕方がなかったが、
「いえ、こちらこそ」
と何とか応じた。法子は呆れ顔のままで、
「八重ちゃんに言われたくないわね」
八重子は舌をペロッと出して、
「へへへ」
陽気に笑った。 そして、
「今日はどうしたの? 何か面白い話でもあったの?」
「何言ってるのよ。このお屋敷に大変なことが起こってるんでしょ」
法子がたしなめるように言い返すと、八重子はニヤッとして、
「ああ、そのことね。さっすが法姉、もう嗅ぎつけて来たんだ」
「違うわよ。偶然よ。他人聞きが悪いこと言わないで」
「ハハハ」
八重子と会話する法子は、今まで私が見たことのない彼女の側面を見せていた。
「あら、八重子さんもいたの。紅茶でいいかしら?」
そこへティーポットとカップをトレイに載せて栄子さんが戻って来た。八重子は栄子さんを見て、
「あっ、私はいい。さっきコーラの一気飲みして、お腹ガバガバなの」
「まァ……」
栄子さんは八重子のとんでもない言い回しにすっかりびっくりしてしまったようだ。「清楚」を絵に描いたような栄子さんにしてみれば、「おきゃん」を絵に描いたような八重子は特殊な存在かも知れない。
「とにかく、栄子姉、座ってよ。法姉が犯人をすぐに見つけ出してくれるから」
八重子の発想はまさしく前後の見境がない。法子は完全に呆気にとられており、栄子さんも苦笑いして八重子の隣に腰を下ろした。
「さ、法姉、誰があの下らない脅迫状を出したのか、推理してよ」
「何言ってるのよ、八重ちゃん。私は何も聞いていないんだから、推理のしようがないでしょ」
法子が言うと、八重子はつまらなそうに口を尖らせて、
「何よォ、それじゃ面白くないよ。じゃあさ、犯人の特定は無理でも、何かわかったことない?」
法子はまだ呆れていたが、それでもさすが推理小説マニアである。何かわかったことはないかと、思案し始めた。
そして三十秒ほどたったろうか、法子が口を開いた。
「その脅迫状の中にある、『血の殺人』の意味だけど、残酷な殺人という意味ではなくて、血縁の殺人という意味じゃないかしら?」
「血縁の殺人?」
栄子さんと八重子、そして私は、異口同音に叫んだ。法子は私達の顔を見渡しながら頷き、
「そう。大崎さんが亡くなってから、一年になります。遺言で相続財産は未分割のままでしょう? しかも、大崎さんは、遺言の中で『一年経過した時生きている私の養子に、遺産を分与する』って書いているんですよね?」
と栄子さんに確認した。栄子さんは、
「え、ええ、そうだったわね」
少々怖そうに答えた。 血縁の殺人……。何とも形容しがたい響きだ。嫌な予感。
「でもそれって、あの脅迫状を出した犯人が、この家の中にいるってことになるわよ」
八重子はまさしく恐る恐る口にした。栄子さんと私はギョッとして彼女を見た。
「まさか、そんな……」
栄子さんはそう呟いて絶句してしまった。
「まさかなんてことないわよ。この大崎の家には、殺人犯がいたって不思議じゃないわ」
私達の背後で大声で叫んだ人がいた。
向かいに座っている八重子の顔に嫌悪の表情が浮かんだ。法子と私は声の主を確かめようと振り向いた。
そこに立っていたのは、身長が百七十センチはあろうかという大柄の女性だった。顔は端正というのが一番的確で、すばらしく整っている。しかし、その目と表情には優しさが全く感じられなかった。服装もグレーのスーツで、「私に隙なんてないのよ」というような威圧感があり、ショートカットの髪はその性格のきつさをより際立たせていた。( 決してショートカットの人が性格がきついということじゃありませんよ )
「道枝さん」
栄子さんが絞り出すような声で言った。そう、声の主は大崎五郎の養子の長子、大崎道枝であった。