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第二十四章 大団円の始まり  10月 5日  午前10時

 八重子にとって、泉さんが戻って来たことは相当の驚きだったようだ。

「泉さん! 今まで一体どこで何してたのよ!? もう、この家、どうにかなっちゃいそうなんだから」

 八重子が捲し立てると、泉さんはあのオドオドした素振りを全く見せず、実に冷静な顔で八重子を見据え、

「申し訳ありませんでした。ですが、これも全て大崎家のためです。八重子お嬢様も、ご自分のお役割をお考え下さいませ」

 八重子はその泉さんの態度と言葉にすっかり圧倒されたらしく、何も言い返せないで法子を見た。法子は泉さんではなく、嶋村源蔵氏を見た。嶋村氏は車椅子に乗っていた。顔はやつれて、皺がその年齢を物語っていたが、昔は相当なイケメンだったと思われるところがあった。ただ、目は惚けたように遠くを見つめており、心ここにあらずといった感じがした。

「嶋村源蔵さんですね?」

 法子は尋ねたが、嶋村氏から返答があるはずもない。彼は自分のことを尋ねられているのだということすら、理解できないのではないか。

「もう、惚けた振りをしなくてもいいのですよ、嶋村さん。大崎五郎さんの計画は貴方が目論んだ通り、崩壊しましたから。大崎グループは、もう、長くは続かないでしょう」

 法子が語りかけると、ほんの一瞬だが嶋村氏の表情が変わった。そして、冷静だった泉さんの表情がこわばった。ええっ!? もしかして、これ、演技なの? でも何のために?

「とにかく、中でお話しましょうか」

 法子はロビーのソファに向かった。泉さんは喜多島警視に促されてそれに続いた。警視は嶋村氏の車椅子を押して、法子に続いた。私と八重子は呆気に取られながらも、歩き出した。

「一体何が起こっているの?」

 奥から幸江が鬼の形相で出て来た。やはり、法子の言っていた通り、彼女はどこかに盗聴器を仕掛けていたようだ。こうも素早くロビーに出て来るには、それしか考えられない。

「泉さん! あんた、何てことしてくれたのよ? もう大崎物産も、この家もおしまいだわ」

 幸江は大声で泉さんに怒鳴り散らした。しかし泉さんは微動だにしなかった。その態度に、幸江は一瞬ギョッとして、プイと顔をそむけた。

 一同は、ロビーのソファに車椅子の嶋村氏を除いて腰を下ろした。法子、喜多島さん、私と座り、一人掛けのソファにそれぞれ八重子と泉さん、そして、向かいのソファに、幸江が一人で座る形となった。

「このじいさんと泉さんを呼んだのは、あんたかい?」

 幸江は喜多島警視を睨んだ。喜多島さんはまっすぐ幸江を見て、

「そうです。今回の事件を解決するために、来ていただきました」

「解決!? どういうことなのさ?」

 幸江は嶋村氏と泉さんを交互に見比べながら、尋ねた。喜多島さんは答える代わりに法子を見た。法子は頷いて、

「今回の連続殺人事件の真相を究明するためには、どうしても嶋村さんと泉さんの証言が必要なんです」

 幸江に説明した。幸江は不服そうに法子を睨みつけ、

「証言? 何言ってるのさ、嶋村のじいさんは、証言なんかできないよ。そのじいさんは、惚けちまっているんだからね」

 せせら笑った。しかし法子は、

「いいえ。嶋村さんは惚けてなんかいませんよ。きちんと私達の話を理解しています。そのことは、話を進めて行くうちに次第にはっきりして来るでしょう」

 穏やかに反論した。幸江は法子の言葉をほとんど信用していない様子だったが、そうかといって、自分が主張した「嶋村は惚けている」ということが証明できるわけでもなく、法子の話に反論を仕返すことはできないようだった。

「今回の一連の事件の最大の問題は、一体犯人の目的は何なのか、ということでした。道枝さん、和美さん、繁夫さんを殺して、得をする人間は誰なのか」

「そんなの、決まってるじゃないか。生き残ってる、八重子と栄子さ」

 幸江は臆面もなく言ってのけた。八重子はキッとして幸江を見たが、幸江は顔をそむけて、知らん顔をしていた。すると法子が、

「それなんです。私は、得をする者を探していて迷路に入ってしまったんです。探すべきは得をする者ではなく、損をする者だったのです」

「損をする者? どういう意味さ?」

 幸江は法子を見て尋ねた。法子も幸江を見て、

「犯人は自分が得をするために三人を殺害したのではないのです。自分が恨みを抱く人物に損をさせるために殺害したのです」

 幸江は法子の言葉が理解できなかったらしく、

「わけのわからないことを言わないでおくれよ。もっとはっきり言ったらどうだい?」

 法子はその言葉に大きく頷いて、

「はい。犯人は、大崎五郎さんに損をさせるために三人を殺害したのです。大崎さんの思惑を破綻させることが、犯人の目的でした」

 幸江はまたギョッとしたようだ。どういう意味? 大崎五郎に損をさせる? 三人を殺しても、大崎五郎が損をするとは思えない。どういうことだろうか?

「一体誰なのさ、その犯人は!?」

 幸江が激高して立ち上がった。。こういう時、必ずいるんだよな、この手の人って。法子が幸江を見上げて答えようとした時、

「大声を出してはしたないわ、幸江。一体何事ですか?」

 光子が姿を見せた。意外な人物の登場に幸江はかなり動揺したようだ。唇を震わせて、押し黙ってソファに戻った。光子は幸江の隣にゆっくりと腰を下ろした。そして、嶋村源蔵と泉さんを順番に見てから、喜多島警視を見た。

「これは一体どういうことですか、喜多島さん?」

 静かだが、有無を言わせない迫力を込めて、光子が尋ねた。しかし、我らが喜多島のおじ様は、さすがに百戦錬磨の刑事だ。全く怯むことなく、

「今回の殺人事件の犯人を突き止めようと、お二人をお連れしました。何か、不都合なことでもございますか?」

 すると光子は、フッと笑ったように見えたが、すぐに真顔になり、

「いえ、そのようなことはありません。お話をお伺いしましょう」

 喜多島さんは法子を見た。法子は喜多島さんに頷いてから光子達を見渡して、

「今回の一連の事件の犯人がわかりました」

 何人かが息を呑んだ。私もその中の一人だった。法子はもう一度一同を見渡して、

「大崎五郎さんの生きざまは、他人には全く理解し難いものでした。私も理解できません。でも、それ以上に理解し難いのが、今回の事件の犯人の思考でした。何故犯人は道枝さん、和美さん、繁夫さんを殺害したのか」

 自分の子供の名前を法子に言われた時、光子も幸江も、ほんの少しだがピクンと身体を反応させ、法子をチラッと見たような気がした。

「犯人の意図を確かめるため、私と律子は、大崎家の人達にいろいろとお話を伺いました。そこで様々なお話を耳にして、私はとても混乱しました。このお屋敷の抱える、他人には入り込むことの出来ない、言いようのない確執と葛藤と憎悪と誤解。その全てが今回の事件の原因に繋がっていったと思われます」

「回りくどいよ。早く話を進めなさいよ。何を勿体ぶっているのさ」

 幸江がまた口を挟んだ。今度は光子は何も言わない。幸江とご同様ということか。無言で法子を見つめている。法子は二人を見てから、

「犯人のことに言及する前に、嶋村さんと泉さんに今回の事件について、お尋ねしたいことがあります」

 すると幸江は、せせら笑って、

「泉さんはともかく、そっちの爺さんは完全に惚けちまってるんだよ。何も答えることなんてできないさ。何度言えばわかるんだい」

「そうでしょうか」

 法子はそう言ってから、喜多島さんに目を向け、頷いた。喜多島さんも法子に頷き返して立ち上がり、嶋村源蔵に近づき、

「嶋村さん」

と声をかけ、耳元で何か囁いた。またほんの一瞬だったのだが、嶋村源蔵の顔が感情を帯びたような気がした。しかしすぐに彼は無表情になってしまい、何の反応も示さなくなった。

「嶋村さんは私達の会話を全て理解しています。先程も申し上げましたが、嶋村さんは惚けてなどいません」

 法子が言うと、今度は光子が口を挟んだ。

「犯人のことに言及する前に、私からも皆さんにお話したいことがあります」

 光子のその発言に、私はギョッとして彼女を見た。八重子も同様だ。幸江は光子が怖いのか、彼女の方を見ていない。

「昔、一人のメイドがこの屋敷で働いていました。そのメイドは婚約者がおり、一年後には結婚する予定でした。しかし、不幸が突然彼女の身に起こりました」

 光子は私と法子を順番に見た。そしてその次に喜多島警視に目を向けた。

「そのメイドは、大崎五郎に部屋に呼ばれ、犯されてしまったのです。しかも、その日だけではなく、何度も」

 光子はどうしてそんな話を始めたのか、私には全然わからなかった。しかし、法子はジッと光子を見つめて、話に耳を傾けていた。

「そんなことが続けば、当然メイドは妊娠します。彼女は大崎家のメイドをやめ、大崎五郎とのことを隠したまま、婚約者と結婚し、大崎五郎の子をその婚約者との間にできた子として生みました」

 光子は今度は一同を見渡した。そして、

「どうして私がこんな話をしているのか、皆さん、不思議に思われるでしょうね。でも、きちんとしたわけがあるのです。私がこんなことを話すわけが」

 私はつい唾をゴクリと呑み込んでしまった。光子は続けた。

「そのメイドの子は成長し、メイドから自分の出生の秘密を聞かされ、大崎家への復讐をするように言い聞かされて育ちました。そして、その子はついにその復讐を果たそうとしているのです」

 何のこと? 一体、光子は何が言いたいの? その子って、誰? 光子は幸江に目を向けて、

「幸江にはずっと内緒にしていたのだけれど、吉美は大崎の子ではないの。嶋村の子なのよ」

「!」

 幸江は相当驚いたようだ。何も言わずに光子を見つめている。八重子も唖然として光子を見ていた。光子は、

「メイドの子はそのことも知っていたようです。ですから、大崎の孫ではない栄子は殺さず、繁夫を殺したのです」

「では何故、大崎さんの孫ではない道枝さんが殺されたのですか?」

 法子が尋ねた。光子は法子を見て、

「実は道枝は大崎の孫なのです。私は、嶋村の娘として育てられましたが、本当は嶋村と私の母が結婚する前に、大崎との間にできた子なのです。その私の子供である道枝も大崎の血縁です。だから、殺されたのです」

 これには法子も驚愕したようだ。彼女は喜多島さんと顔を見合わせた。もし、光子の話が真実ならば、辻褄が合う。栄子さんが殺されなかった理由もわかる。しかし、となると、メイドの子って、一体誰なの?

「そのメイドの子は、母親から大崎五郎の血縁の者を全て殺すように言われていました。ですから、当然のことながら、八重子もその標的になっていたのです」

 光子は続けた。八重子は真っ青な顔になり、押し黙ったままだ。

「もし仮にそのメイドの子が大崎五郎さんの血縁を根絶やしにしようとしているのなら、自分もその中に入るわけですよね? そのメイドの子は、自分も殺す、つまり、自殺をするのでしょうか?」

 法子が尋ねた。すると光子はそれには答えずに、

「藤崎綾子さんという方を御存じですか? 」

 逆に法子に尋ねた。法子は一瞬ギクッとして目を伏せた。えっ? 光子はさらに、

「藤崎綾子というのはそのメイドの名です。今から二十年前にこの大崎家で働いていた……」

 泉さんがピクンとしたのを私は見逃さなかった。どうしたのだろう? 光子は泉さんを見て、

「泉さん、覚えていますよね、その藤崎さんのこと?」

「は、はい」

 泉さんは消え入りそうな声で答えた。光子は再び法子を見て、

「藤崎さんは大崎家のメイドを辞めて、大手商社の社員と結婚しました。その方のお名前、御存じですよね?」

 法子は伏せていた目を真直ぐに光子に向けて、

「知りません」

 はっきりした口調で言った。すると光子はほんの一瞬キッとしたが、すぐに微笑んで、

「そんなはずないでしょう? 嘘をつかないで下さい。本当のことを話しなさい」

 しかし、法子はニコッとして、

「嘘なんか言ってません。藤崎綾子さんがどこの誰と結婚したのかなんて、知りません」

「とぼけたことを言わないで。私は確実な情報を得て、話しているのよ。正直に言いなさい。貴女が、そのメイドの子だと! 貴女の母親がこの屋敷に勤めていて、大崎の子を身籠ったのだと!」

 光子は言い放った。ええっ!? な、何言ってるのよ、この人? すると法子はクスクス笑いながら、

「その言葉を待っていました、光子さん。その情報、どこから手に入れたのですか?」

「そんなこと、言う必要ありません。それより、貴女こそ本当のことをおっしゃい!」

 落ち着いた雰囲気の光子がかなり興奮して来た。どうしたというのだろう? しかし法子は微笑んだままで、

「光子さんがおっしゃらないのなら、私から言いましょう。貴女がその藤崎さんの情報を得たのは、嶋村源蔵さんからです」

 私はびっくりして法子を見た。光子はせせら笑って、

「何を言っているの。嶋村は惚けてしまって、人の話を理解できないのよ。そんな人から情報を手に入れることなんてできるわけないでしょう?」

 法子はそれでも、

「では、その藤崎さんの情報が喜多島警視によって意図的に漏らされた偽情報だとしたら、どうですか?」

 その言葉に光子は仰天したようだった。彼女は思わず嶋村源蔵を睨みつけてしまった。嶋村源蔵も仮面がはがれ、かなり動揺していた。法子はさらに、

「藤崎綾子さんは実際にこのお屋敷で働いていた方です。そして、本当に大崎さんの子供を身籠り、メイドをやめました。ですから泉さんも今、覚えていると答えたのです。でも、大手商社の社員と結婚したというのは全くのでっち上げです」

と付け加えた。

「私が嶋村さんを迎えに行った時、偶然を装って警視庁から私の携帯に電話をかけさせ、そのやり取りをわざと嶋村さんに聞かせたんですよ。しかも、私は偽情報と気づかせないために、その話を揉み消そうとしてみせた。嶋村さんはそのために私の話をすっかり信用し、その情報を使えると判断し、貴女に連絡した。自分の携帯電話を使ってね」

 喜多島さんはスーツの内ポケットから、ビニール袋に入った携帯電話を取り出してみせた。そして、

「この携帯電話の名義は貴女ですね、光子さん。これはどういうことなのか、説明してもらいましょうか。貴女は碓か、嶋村さんの居場所を知らないと言っていたはずです」

 嶋村源蔵が持っていた携帯の名義が、光子のもの? ということは、光子はいろいろな嘘をついていたことになる。そんなことをする必要があるのは?

「貴女がこの連続殺人事件の真犯人だから、嶋村さんに携帯を持たせて、連絡を取り合っていた。違いますか?」

 喜多島警視の声は穏やかだったが、嘘は許さないという気迫に満ちていた。しかし光子は微笑んだままで、

「何をおっしゃっているんですか。その携帯電話は、嶋村がまだ行方不明になる前に、私が贈ったものです。嘘だと思うなら、電話会社に聞いて下さい」

 喜多島警視は、肩をすくめて、

「確かに貴女のおっしゃる通りです。この携帯は三年前に貴女が購入したモノだ。だから、嶋村さんが持っていても不思議ではない。しかし、携帯電話は通信履歴を調べれば、いつどこに何分かけたのか、全部わかるんですよ、光子さん。そのくらいの芸当なら、日本の警察はわけなくできます」

 光子はそれでも動じた様子を見せなかったが、もう言い逃れはできないように思われた。喜多島さんは携帯を見て、

「嶋村さんの携帯の通信履歴の中に出て来る番号は、たった一つ」

とボタンを操作した。すると、どこかから携帯電話の着信音が聞こえて来た。私は音のする方に目を向けた。そこには、青ざめた顔で、ガタガタ震えている泉さんがいた。喜多島警視は泉さんに近づき、右手を差し出した。泉さんは呆然としたまま、服のポケットから携帯電話を取り出し、喜多島さんに渡した。喜多島さんは携帯を切った。

「そして、泉さんの携帯の発信履歴に入っている番号も、たった一つです」

 警視はボタンを押した。すると今度は光子のあたりから、着信音が聞こえて来た。しかし光子は、その音が全く聞こえていないかのように無表情のまま、喜多島さんを見上げていた。喜多島さんは泉さんの携帯を切り、

「嶋村さんの携帯と泉さんの携帯との通話の直後に、泉さんとある人の携帯の通話がなされています。この順番は必ず守られており、嶋村さんの携帯から、ある人の携帯には決して通話がなされていません。つまり、ある人は、自分が直接嶋村さんと連絡をとれば、すぐに疑われると考え、泉さんを中継局のようにして、嶋村さんと連絡を取り合っていました」

 光子を見たまま言った。しかし、光子はまるで無反応だ。

「いくら知らん顔をしても無駄ですよ。泉さんが電話をかけていた相手は、貴女だということは、調べがついているのですから」

 喜多島さんが言っても、光子は何の反応も示さない。それどころか、法子を指差し、

「何をおっしゃっているんですか? 犯人はその子ですよ、刑事さん。その子が、道枝と和美と繁夫を殺したんです」

とまで言ってのけた。あんたこそ何言ってるのよ、おばさん!!

「私は娘を殺されたのですよ。被害者なんです。とうしてその私が、犯人呼ばわりされるのですか?」

 光子の言葉は、私もずっと引っかかっていたことだった。わが子をその手にかける親など、余程の事情がない限り、いない。光子と道枝は、他の人達の話を聞く限り、一番うまくいっていた親子ではないだろうか。

「自分の子供と認めたくないわけがあるとしたら、どうですか?」

 法子が口を開いた。光子が法子を睨んだ。図星を突かれたのか? 法子はそんな光子の目に動じることなく、言葉を続けた。

「道枝さんが、貴女の子供だと認めたくないわけがあるとしたらどうですか?」

 法子は重ねて尋ねた。しかし、光子は答えない。法子は喜多島さんを見た。喜多島さんは頷いて、

「貴女は先程、ご自分のことを本当は大崎五郎の子供だと言いました。しかし、それはありえません。何故なら貴女が生まれるまでの約一年間、大崎五郎氏は、服役中だったからです」

と言った。私は仰天して法子と喜多島さんを交互に見た。光子はその言葉に色を失ったようだったが、それでも毅然としていた。

「つまり、貴女は大崎五郎氏の子供ではあり得ない。ということは、道枝さんも大崎五郎氏の孫ではない。しかし、それなら何故、大崎氏は道枝さんを養女にしようとしたのか? 何故、嶋村源蔵氏の孫である彼女にそんなに執着したのか?」

 喜多島さんの言葉に私達は息を呑んだ。喜多島さんは何かをためらっているように見えたが、やがて意を決したように光子を見て、

「それは、道枝さんが大崎さんの血族だからではないですか? つまり、道枝さんは大崎氏の孫ではなく、大崎氏の子供だった」

 私は喜多島さんが何を言っているのか、理解するまでに少し時間がかかった。幸江と八重子は、完全に気が動転していた。目が泳いでいる。泉さんはもうこれまでだというように目を伏せた。嶋村源蔵も小刻みに震えていた。しかし、光子は動じた様子がなかった。

「何の証拠があって、そのようなことをおっしゃるのですか? 道枝が大崎の子供? そんなバカなことがあるわけないでしょう」

 光子は喜多島さんを蔑むように見て、言い放った。喜多島さんはそんな光子を睨み返して、

「今、貴女と大崎五郎氏と道枝さんのDNAの鑑定をしてもらっているところです。親子関係は高い確率で実証されます」

 光子は思わず喜多島さんから顔をそむけた。

「大崎さんは、既婚者以外のメイド全てと肉体関係を持ち、その中の何人かに子供を生ませていたと泉さんから聞きました。何故泉さんはそんなことを私達に話したのか、最初はわかりませんでした」

 法子が話し始めると、光子は法子を見た。法子も光子を見て、

「大崎さんのその発想は、女の私には想像もできませんが、もし大崎さんが病的な女性好きだったとしたら、自分とは他人の貴女を放っておくだろうかと、思い至ったんです。泉さんが私達に伝えたかったのは、まさにそのことではないか、と思います」

と言ってから、泉さんを見た。泉さんは恐る恐る顔を上げ、法子を見た。法子は泉さんに軽く頷いてみせてから、

「つまり、泉さんは光子さんをかばうような言動をしながら、実は光子さんが犯人だということを私達に指し示そうとしていたのではと思えても来ました」

 光子はほんの一瞬だけ泉さんを見た。泉さんも光子に見られたことに気づき、また顔を俯かせてしまった。

「もし、道枝さんが貴女と大崎さんの間に生まれた子供だとしたら、今回の一連の殺人事件は全て辻褄が合います。何を目的とした殺人なのか、そして、犯人の意図するモノは何か。何もかも筋が通って来るんです」

 法子が光子に向かって話すと、光子は法子を見て、

「そこまで言うのなら、証拠があるのでしょうね? 何の証拠もなく、私を犯人扱いするのなら、決して許しませんよ」

「もちろんです」

 法子はニコニコして答えた。彼女は廊下の方に目をやった。私もそちらに目を向けた。するとそこには、繁夫の母親の圭子が立っていた。

「圭子さんが繁夫さんから預かった、大崎五郎さんの日記を持っているんです」

 法子の言葉に、光子はとうとう動揺の色が隠せなくなって来た。圭子は光子と目を会わせないようにして法子に近づき、

「繁夫がこの日記を中津さんに渡してくれって言っていたのよ。もし、自分が殺されたら」

 厚めの大学ノートを差し出した。法子は会釈してそれを受け取った。そして、

「この日記の存在は、泉さんを通じて光子さんも御存じでしたよね? そして、探し回ったはずです。でも、見つからなかった。それはそうです、この日記は、圭子さんが肌身放さず持ち歩いていたからです」

 光子は何も言わなかった。法子は立ち上がって圭子に深々と頭を下げた。

「申し訳ありません。繁夫さんに日記のことを言われた時、すぐに見せてもらっていれば、繁夫さんは殺されなかったかも知れないんです」

 法子が詫びた。えっ、それ、私のせいじゃない? ち、ちょっと、後ろめたいな。ところが圭子は微笑んで、

「とんでもないわ、中津さん。貴女のせいじゃないのよ。あの子が調子に乗って、犯人を見つけ出すとか言っていろいろ調べたりしなければ、あんなことにはならなかったんです。どちらにしても、あの子はもう、それほど長く生きられない子でしたから」

 どうやら、繁夫は不治の病で、いずれにしても短命だったらしい。法子は圭子を見て、

「そうだったんですか」

 それから彼女は再び光子を見て、

「この中に全てが記されています。遺言状の真意、そして、大崎さんが誰に何を指示したのかも」

 ノートを掲げてみせた。光子は何も言わなかった。と言うより、言えなかったのだろう。法子はノートを捲りながら、

「繁夫さんはこの日記を全部読んで、重要なことが書かれているところに附箋紙を付けていました。おかげで、すぐにそれを見つけることができます」

 あるページを開いてそこにいる一同に見えるように高く掲げた。

「ここには、大崎さんがどうしてあのような遺言状を遺したのか、その理由が書かれています。読み上げてみます」

 法子は言い、日記を読み始めた。

「9月20日。今日、遺言状を作成する。他人が検分すれば、大崎五郎は血迷ったと思うであろう。しかし、大崎物産は生まれ変わらねばならぬ。古い因習に囚われた亡霊達を一掃するためには、創業者一族は、その血を絞り込まねばならぬ」

 何ですって? 大崎五郎は、自分の一族の人を殺すつもりだったの? 一体どういうことなの?

「その遺言状を光子に見せた。そして、光子に、自分が書き記した者の始末を依頼した。光子は何も問うことなく、承諾してくれた。自分の生涯で一番愛した女にそのような悪行を依頼するとは、まさしく地獄に落ちる所業であろう」

 私は光子を見た。光子は黙ったまま法子を見つめていた。大崎五郎が一番愛した女性が、光子? そういうことだったのか。法子は続けた。

「光子はそのまま何も言わずに部屋を出て行った。これで永年の夢が叶う時が来る。我が娘道枝が、大崎グループ全てを担い、我がグループはさらなる発展を遂げる」

 法子はそこで日記を閉じ、光子を見た。ちょっと待ってよ? 大崎五郎は道枝を殺すつもりはなかった。でも、道枝は殺された。どういうことなの?

「現実には、大崎さんの思惑とは全く違うことが起こりました。大崎さんが後継者として考えていた道枝さんが殺され、大崎さんが殺すように命じていた栄子さんはその標的からはずれました」

 法子が話し出した。光子は法子から目を背けたが、幸江と圭子は法子をまっすぐ見ていた。法子は一同を見渡して、

「何故大崎さんの思惑通りに事が運ばれなかったのか。それは、光子さんが大崎さんを心の底から憎んでいたからです」

と言った。八重子は固唾を呑んで法子を見ている。泉さんはガタガタと震え出した。光子はいつしか俯かせていた顔を上げ、法子を見ていた。

「光子さんの事を生涯で一番愛した女性と言いながらも、大崎さんは繰り返しメイドに子供を生ませていた。光子さんには大崎さんの言葉が信じられなかった。そして何よりも、光子さんのお母さんを死に追いやった張本人は大崎さん自身。光子さんにとって、決して許せる存在ではありません」

 法子も光子を見た。光子はもう法子に何も反論するつもりはないらしい。覚悟を決めたのだろうか。法子は続けた。

「そして、いくらわが子とは言え、愛してもいない男に自分の意志に反して生まされた道枝さんも、光子さんにとっては憎しみの対象でした」

 自分の子供が憎しみの対象? そんなことがあり得るのだろうか?

「自分の子供を殺すなんて、本当なのかい? いくら憎いと言っても、そんなことをするなんて考えられないよ」

 幸江は言った。彼女自身、自分の娘を殺されているのに、光子の所業を信じられないようだ。いや、自分の娘を殺されたからこそ、たとえ憎い男の子供であるとしても、自分が生んだ子を殺すことが理解できないのだろう。

「大崎さんが周りの未婚女性に異常なほど興味を示したのは、後継者が欲しかったからなのかも知れません。生まれた子供は全て女。そして、メイドだった人達の生んだ子供も全て女だったようです」

 喜多島警視が言った。そう言えば誰かに聞いたことがある。男の子が生まれない家は、その先祖の中に女性を物のように扱った者がいるのだ、という話を。

 そして、その家はやがて子孫ができなくなり、絶えてしまうのだと。大崎家が、まさしくそれなのだろうか?

「最初に道枝さんがプールで溺死した事件を考えてみて下さい。この事件は、本当はあれほど複雑なものではなかったのです。光子さんの考えとは裏腹に、泉さんのささやかな抵抗が事件をより複雑にしてしまったのです」

と法子が言うと、光子はピクッとして法子を見て、それから泉さんを見た。泉さんは光子から目を背けて、俯いてしまった。法子はさらに、

「本当は、光子さんは道枝さんを事故死にしたかったのです。ところが泉さんが道枝さんの遺体発見の経緯を話す時、プールの入り口のドアに鍵がかかっていたと言ってしまったので、事故として成立しなくなってしまいました」

「だから、私が事故として発表するように言った時、光子姉さんは反対しなかったのか」

 幸江が独り言のように言った。法子はその言葉に軽く頷き、

「成り行きとは言え、不本意な結果を幸江さんが書き換えようとしているのを見て、光子さんは渡りに船と思ったでしょう。そして次に、和美さんを犬を使っておびき出し、プールに突き落として溺死させました。この時は、前回のような真似をしないように光子さんは泉さんに釘を刺したはずです。ですから、和美さんの事件は、光子さんの計画通りになった。しかし、一部変更を余儀なくされたのも事実です。光子さんは一連の事件を全て事故に見せかけたかったのですから」

 光子と泉さん以外の全員がざわついた。法子は話を進めた。

「ところが、光子さんが次の計画に移ろうとしている時に、泉さんは屋敷を出て行ってしまいました。泉さんはこれ以上殺人の片棒を担ぐことを拒否したのです。ですから、光子さんは私達との話もそこそこに、泉さんを探し始めました。でも、泉さんはその時すでにマスコミに駆け込み、身の安全を計るために、警視庁に行ったのです」

「だから繁夫は毒殺されたのね? 泉さんの協力がなければ、プールで溺死させることは不可能だから!」

 圭子は叫ぶように言い放った。しかし光子は微動だにしなかった。

「道枝さんをプールにおびき出し、なおかつ突き落とすことができるのは、貴女しかいないのですよ、光子さん。他の誰が道枝さんを呼び出しても、彼女はプールに来ることなどなかったでしょう」

 法子は言った。光子は法子を見た。そして、

「たとえそうだとしても、私が道枝を殺したという証拠にはなりませんよ。そして、私は道枝を殺してはいません」

 確かに、状況証拠は光子を犯人としている。しかし、それでは彼女を法の裁きに着かせることはできない。

「大崎五郎が遺した日記もあの男の妄想です。私は大崎に殺人の依頼など受けていません。その話は全くのでっち上げです」

 光子の反論に法子は為す術がないかと思われた。その時、

「証拠なら、私が持っております。道枝様の足首に巻き付けた、ビニールの荷紐です。その紐には、光子様と道枝様の血が着いております」

 泉さんが立ち上がって言った。一同は一斉に彼女を見た。その泉さんの発言に、法子はニコッとした。彼女、これを待っていたのだろうか?

「あの日、光子様は、道枝様をプールに呼び出し、水泳のコーチをしてくれるように言ったのです。そして、飛び込み台から飛び込む時にどうすればきれいに飛び込めるのか、尋ねたのです。道枝様は飛び込み台に上がり、やり方を説明しました。その機を逃さず、光子様は道枝様の足首に荷紐を巻き付け、プールに突き落としました。そして、道枝様が泳げないように紐を引き上げ、足が上になるようにし、そのまま道枝様を溺死させました。これがあの事件の真相です」

 泉さんは話した。光子はそれでも何も言わずに黙ったままだった。しかし、共犯者である泉さんが軍門に下ったとなれば、もはや光子に勝ち目はなかった。しかし、光子にプールに突き落とされ、溺れて死んだ道枝の気持ちを考えると、胸が締めつけられた。

「貴女は母親を大崎五郎に殺されたと考え、その復讐のために自分の血を分けた娘まで殺した。そんなことをして何が解決する? 何も解決しない。大崎五郎の血縁の者を皆殺しにしても、あんたの母親は生き返りはしない。そして、そんなことを望んではいないはずだ」

 喜多島警視が、私達の気持ちを代弁してくれた。光子は泣き出すかと思ったが、違った。彼女は立ち上がって一同を睨みつけた。そして最後に喜多島さんを見て、

「母が望んでいなかったですって? どうしてそんなことがわかるの? 貴方はあの場にいなかったでしょう? 母は望んだのよ。大崎五郎という、稀に見る傍若無人な男に復讐することを。死際に、はっきり私に言ったのよ、母は!」

と大声で言った。私達はその光子の迫力に圧倒され、何も言えなかった。喜多島さんでさえ、蛇に睨まれたカエルのように立ちすくんでしまった。

「そして、父も言ったの。あの男に復讐するのだと。大崎五郎を直接殺しても、大崎自身はそれで楽になってしまう。ならば、その血に連なる者を殺し、苦しめてやろうと。しかも、大崎五郎の死んだ後、あの男がどうすることもできない時に、殺してやるのだと」

 光子は嶋村源蔵を見て言った。嶋村は仮面の剥がれた顔で光子を見ていた。その顔は、娘のしたことを悲しんでいる父親の顔にしか見えなかった。

「一度は愛したはずの母を、子供を生む道具のようにした挙げ句、その死の真相まで握り潰し、母と言う人間の存在全てを蹂躙した大崎を許せるはずがない。そして、母も、許すはずがない。たがら、その血に連なる者は一人も生かしてはおかない。皆、殺す。誰も生き残らせない」

 光子の目は狂気に満ちて来ていた。私は恐ろしくて身震いした。八重子は今から光子が自分を殺すのではないかと思ったのか、ソファから立ち上がり、喜多島さんの陰に隠れた。

「光子、もうよそう。もう終わりにしよう」

 嶋村は車椅子から立ち上がって光子に近づいた。私は仰天した。嶋村は惚けていないばかりか、身体も健康だったのか。

「私がお前を般若にしてしまったのだな。何度も何度も、大崎のことを話し、お前はすっかり大崎のことを憎むようになっていった。私も最初はそれでいいと思った。私自身が大崎に復讐したかったからだ。老人ホームを探し、そこに身を寄せたのも、世間の目を欺くためだった。金はお前が全て面倒を見てくれたから、私はついついその気になって、お前をけしかけてしまい、お前にとっては娘、そして私にとっては孫である道枝を殺させてしまった。取り返しのつかないことを、お前にさせてしまった」

 嶋村は目を潤ませて話した。しかし、光子の般若の形相は剥がれ落ちなかった。

「何を弱気なことを言っているの、お父さん。お母さんの望みを叶えるために、私達は今日まで生きて来たのよ。そんなこと、言ってはダメ」

 光子は逆に嶋村を叱咤した。嶋村はオロオロとした様子で、光子を見た。光子はさらに、

「たとえこの場は逃げられなくても、死刑にさえならなければ、日本という国は、また普通の生活を許してくれる世界でも稀に見る甘い国よ。何年かかっても、母の望みは叶えるわ」

 その時だった。

「姉さん、やめて。私達のお母さんは、そんなこと望んではいない」

 声がした。私達は一斉にその声の主を探した。そこには、ロビーの奥から出て来た吉美さんと栄子さんがいた。光子は吉美さんを睨んだ。

「何を言っているの!? 貴女はあの時あの場所にいなかったから、そんなことが言えるのよ。お母さんは本当に言ったの! 大崎に復讐してと。私は聞いたのよ、お母さんの最期の言葉を」

 光子のその言葉に、吉美さんはゆっくりとした口調で、

「でも私達のお母さんはそんな人じゃない。姉さんだって覚えているでしょう? お母さんと一緒に入ったお風呂、一緒に行った縁日、一緒に行った旅行。楽しかったわ。本当に、優しいお母さんだった」

 しかし光子は止まらない。

「その優しいお母さんを、自殺にまで追い込んだのは誰? 死の間際、復讐してとまで言わせたのは誰? そんな男の血縁者は、生かしておいてはダメなのよ!!」

 吉美さんはそれでも優しい笑顔で言った。

「でも姉さん、大崎五郎の血縁者は私達のお母さんの血縁者でもあるのよ」

 その言葉に、光子の般若の面が揺らいだ。吉美さんは続けた。

「優しいお母さんの血縁者を、姉さんは殺そうとしているの? 本当にお母さんが、そんなことを望んでいるのかしら?」

「……」

 ついに光子は黙ってしまった。吉美さんはゆっくりと光子に近づきながら、

「お母さんがもしそんな恐ろしいことを言ったのが本当なら、それは死ぬ間際の混乱が言わせたのだと思うわ。今お母さんは、姉さんがしたことをとても悲しんでいると思う。だから、もうやめて、光子姉さん。これ以上、お母さんを悲しませないで」

 吉美さんの目から涙がこぼれ落ちた。栄子さんも泣いていた。幸江も、圭子も、八重子も、泉さんまでもが涙を流していた。私も限界かも。ううっ。

「吉美 」

 光子はそう一言言うと、吉美さんと抱き合って声を立てずに啜り泣いた。嶋村源蔵がその二人の肩に手を置き、一緒に泣いた。


 こうして、大崎家で起こった連続殺人事件は、大団円を迎えた。

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