第二十三章 大団円の当日 10月 5日 午前 9時
法子の家に来て、五日目の朝が来た。何かすごく長い日々のような気がしたのは、まさしく「気のせい」なのだろうか?
「喜多島さんからはまだ連絡はないの?」
朝食をいただきながら私は法子に尋ねた。法子は頷いて、
「ええ。やっぱり、死んでしまった人のDNAは採取が難しいから、思っていた以上に時間がかかりそうなの」
「ふーん。それ、まずいよね」
私が言うと、法子は、
「ある意味ね。でもおじ様に頼んだことは最終的な詰めだから、私の見切り発車とは直接関係ないわ。それより、別に私がおじ様にお願いしたことがうまくいっているみたいで、安心したわ」
奇妙なことを言った。別にお願いしたこと? 何、それ?
「ごめんね、律子。隠していたわけじゃないのよ。貴女が寝てしまった後で、おじ様が連絡をよこしたの。その時、私が思いつきでおじ様にお願いしたことなの。だから、そんなに私を睨まないで」
法子は本当に申し訳なさそうに謝った。えっ? 私、そんなに法子を睨んでいたの?
「犯人は情報を巧みに利用しているのよ。だから、私もそうするの」
「情報を利用するってこと?」
「ええ」
法子は真剣な顔で応えた。そしてニコッとすると、
「紅茶入れるわね」
と言って席を立った。
「何をしたの?」
私は法子に尋ねた。法子は紅茶をカップに注ぎながら、
「情報操作よ。これ以上詳しい話をすると、おじ様が警視庁をやめることになってしまうから、言えないけどね」
何それ? 法子って、喜多島さんをそこまでこき使えるの? と言うか、喜多島さんが法子のために動いているのだろうけど。
「何にしても、今回は後味の悪いことになりそうだから、今から心の準備をしておかないと」
法子はカップを私に渡しながら言い添えた。私はビクッとして、
「どういうこと?」
「言葉通りよ。後味が悪い結末になるっていうこと」
法子はさっきまでの笑顔をどこかに置いて来たような真剣な顔で私を見据え、答えた。私は思わず身震いした。
前回の事件も決して後味のいいものではなかった。しかし、法子はあの時はここまで暗い表情を見せたりしなかった。どうしてだろう。あの事件だって、十分法子は傷ついたはずなのに。
「ね、どうして今回はそんなに法子暗い表情なの? 何か特別な理由があるの?」
法子はまた微笑んで、
「そんなことないよ。でも、そうなのかな。あの榛名の事件は私にとって全くの偶然だったから、無我夢中で事件に向かっていたんだと思う。後で思い返してみると、相当重いわよ。それに比べて、今回の事件は犯人の思いがわかる分、辛いっていうのはあるかもね」
私はわかったような、わからなかったような、複雑な気分だった。
しばらくして私達は法子の家を出て、大崎家へと向かった。外の景色をあまり気にしていなかったせいか、あたりは急に秋めいて来たような気がした。
「すっかり秋ね」
法子は独り言のように呟いた。私はただ黙って頷いた。
しばらく私達を沈黙が支配した。雑踏の音、他の人達の話し声、犬のけたたましい鳴き声。そんなものだけが、耳に入って来た。
大崎家の前まで来ると屋敷の中から八重子が出て来て、私達に駆け寄って来た。
「法姉、待ってたよ。法姉の家に電話したら、ウチに来るっておばさんに聞いたの」
八重子は息をはずませたまま、言った。法子は八重子を見て、
「何かあったの?」
「何もないけどさ。繁夫まで殺されて、次はホントに私の番なんじゃないかって思ったら、もう怖くて」
八重子は身震いして答えた。確かにそうだろう。私だったら、警察に駆け込んでいるかも知れない。
「八重ちゃん、栄子さんは?」
「栄子姉は、吉美おばさんの部屋におばさんと二人でいると思うよ。みんなすごくピリピリしちゃってさァ」
八重子はとても嫌そうに言った。
「それはそうよ。屋敷で三人も殺されたんだから。貴女だってそうでしょう?」
法子に言われると、八重子は苦笑いをして、
「そうだけど。でも、犯人は誰なんだろう? 法姉にはもうわかってるんでしょ?」
法子は真剣な顔で、
「八重ちゃん、犯人はこの屋敷の中の人よ。だから、滅多なことは言わない方がいいわ。犯人を刺激して、考えてもみない行動をされたら困るから」
「わかった」
八重子は法子が犯人を教えてくれそうにないことを悟ったのか、口を尖らせて同意した。私はホッとして胸をなで下ろした。
「吉美さんとお話できるかしら?」
法子は玄関に向かいながら八重子に尋ねた。八重子は小首を傾げて、
「そうだなァ。吉美おばさんはともかく、栄子姉がかなり参ってるから、部屋に入らせてもらえるかどうか、わかんないよ」
「そう。他の人達はどうかしら?」
「他の人? 幸江おばさんは、もうだめだよ。和美が死んじゃって、完全にどうかしちゃってるから。圭子おばさんもそう。そうでなくても、圭子おばさんは、幸江おばさんを憎んでたのに、余計に憎むようになったらしいわ。幸江おばさんが、最初に道枝が殺された時、事件を事故として公表させたのを今になって相当恨んでいるのよ。もう、逆恨みよね」
八重子は玄関の扉を開きながら、うんざり顔で言った。法子は立ち止まって、
「貴女のお母さんは?」
「だめだめ。あの人ももうヒステリー起こしちゃって、手がつけられない。私の話さえ聞いてくれなくなったわ」
「そう」
私達は最初に大崎家に訪れた時座ったソファに腰をかけた。
どうやら大崎家は崩壊寸前のようだ。大崎五郎は一体何の目的であんな恐ろしい遺言を遺したのだろう。全く理解に苦しむ。
「泉さんはまだ戻っていないのよね?」
唐突に法子が尋ねた。八重子は少し面喰らったように、
「え、ええ。連絡も入らないようよ。あの人は、まともな人だと思っていたのに」
と答え、溜息を吐いた。
「光子さんはどうしているの?」
「光子おばさん? わからない。最近、ほとんど姿を見かけないのよ。出かけているわけじゃなさそうなんだけど。やっぱり、道枝のことがショックで、部屋に籠っちゃったのかな」
「そうなると、誰の話も聞けそうにないわね」
「今日はまだ来てないけど、今ぐらいの時間になると、マスコミの連中がすごいのよ。だから余計にみんな部屋から出ないのよね。私ももうホント勘弁してっていうくらいいろいろ聞かれてるわ。登校途中でも、下校途中でも。学校のみんなは、多少は気を遣ってくれてるみたいで、何も聞かれないんだけど。たがら、今日は休んじゃったのよ、学校」
学校は行かないと、とお説教できる立場ではないのを、私は再認識した。
「どうなっちゃうんだろ、この家。元々、バラバラな家族だったけど、ホントにバラバラになりそう」
八重子がポツリと言った。
「大崎五郎さんが亡くなったのって、去年のいつだっけ?」
法子が八重子を見て尋ねた。八重子はいきなりの質問に一瞬呆気に取られたようだったが、
「た、確か十月十日だったわ」
「大崎さんの遺言が明かされたのはいつ?」
「次の日だったかな。みんな訊かないから、言ってないことがあるんだけど、お祖父様の遺言には、全員この屋敷に住むのが相続人となる第一条件だって、書いてあったらしいわ」
八重子の話が本当なら、大崎五郎は明らかに殺人が起こることを予測していたようだ。と言うより、殺人をそそのかしている、と言った方が正しいかも知れない。
しかし、何のために? 相続人が減れば確かに一人当りの相続額は増える。だが、場合によっては全員が死亡し、大崎家は断絶してしまうかも知れないのだ。
まさか、それが狙いなのか。そんなことはあり得ない。いや、大崎五郎の異常な性格からしてあり得ないことはないかも。しかし、疑問が残る。
「大崎さんがこの一連の殺人事件を仕掛けたのは、確実。でも、いくつかわからないことがあるわ」
法子が言った。私と八重子は、法子を見た。
「相続人を少なくするのが目的なら、最初から八重ちゃん達を養子にしなければすむこと。そして、何よりも疑問なのは、幸江さん達に遺留分の放棄をさせていること。このことによって、実質的な相続人は、八重ちゃん達養子の人のみになるわけよね」
「うん」
何かとても難しいことを言われているようだが、取りあえず相槌は打っておく。法子は続けた。
「あきらかに矛盾しているのよ。養子をとって実の娘達に遺留分を放棄させる。ところがその後、殺人をそそのかすような遺言を遺して養子になった人達が死んでしまう。全てが大崎さんの考えだとしたら、途中で気が変わったか、惚けてしまって支離滅裂な発想をしてしまったとしか思えないの」
「お祖父様は亡くなる直前までしっかりしてたわ。惚けたような感じはなかったわよ」
八重子が口をはさんだ。法子はその言葉に頷き、
「もちろん、私も大崎さんが惚けてしまったとは思っていないわ。この矛盾の原因は他にあるのよ」
私はもう、チンプンカンプンだ。
「どこかでボタンをかけ違えている。誰がどのボタンをかけ違えたのか、いえ、かけ違えさせたのか。この一連の事件の真相は、そのボタンを見つけること」
法子が言い出した時、玄関のドアフォンが鳴った。誰かが来たようだ。八重子は法子を見た。法子は頷いて、
「大丈夫よ。きっと、喜多島警視よ」
八重子はホッとした表情になり、私達といっしょに玄関に近づき、扉を開いた。
「警視庁の喜多島です。嶋村源蔵さんと家政婦の泉さんを連れて参りました」
喜多島さんが真剣な顔で八重子に告げた。泉さんも一緒に? よく来てくれたな。