第二十章 喜多島警視との話 10月 3日 午後 4時
思えば私は法子の家に来て足掛け四日になる。こんなに長く彼女の家に滞在したのは初めてだ。しかし、理由があまりよろしくない。
「大学の法子のファンクラブの人達、心配してるだろうね」
法子の部屋でベッドに腰を下ろして私がそう言うと、
「まだそんなこと言ってるの。私のファンクラブなんてないわよ」
法子はその隣に座って微笑んで応じた。全く信じていないのだ、私の話を。何てことだ。私は溜息まじりに、
「ま、それはそれとして、サボり過ぎだよね、私達」
「そうだね。でも、この事件だけは途中で投げ出すわけにはいかないわ。何としても、犯人を見つけ出さないと」
「うん」
その時、ドアをノックする音がした。
「どうぞ」
法子が応えると、喜多島さんが入って来た。
「法ちゃん、いいのかい、部屋に入っちゃって。初めて部屋に入れた男が私じゃ、カッコ悪いぞ」
喜多島さんはニヤニヤしながらそう言った。法子はクスッと笑って、
「関係ないわ。どうぞ」
喜多島さんは、さすがに気が引けたのか、ベッドには座らず、机の前の椅子に腰掛けた。
「まず良い話をしようか」
「良い話?」
私達は異口同音に尋ねた。喜多島さんは私達に顔を近づけて、
「嶋村源蔵の居場所がわかった。千葉県の九十九里浜にある、高級老人ホームにいたよ」
「そんなところに? じゃあ、誰かがお金を出しているのね?」
との法子の問いかけに喜多島さんは、
「残念だが、そこまではわからない。そして悪い話だが、嶋村本人は完全に惚けちまっていて、自分が誰かさえわからないらしい。アルツハイマーではなさそうなんだが、老人性痴呆のようだ。ただ、医師の話だと、惚けが本物かどうか、見分けるのは難しいらしいがね」
「もし、嶋村さんが本当に自分が誰かもわからなくなっているのだとしたら、その方面からの犯人割り出しは限りなく不可能に近くなったわけね。ちょっと困ったな」
喜多島さんもそのとおりだというふうに頷いて、
「そうなんだ。私も嶋村がキーパーソンだと思っていたから、この話はちょっとショックだった」
確かに。嶋村源蔵こそ、この事件の謎を解く重要人物だったはずだ。
「それから、泉さんの居場所もわかった」
「そうなの。早かったわね」
「まァねと威張りたいところだが、ホントは威張れた話じゃない。彼女は警視庁に保護を求めて来たんだ。自分も殺されるんじゃないかと思ってね」
これには私はもちろんのこと、法子もかなりびっくりしたようだ。
「泉さんが? ちょっと意外だったわね。泉さんはこのままどこかに身を潜めて事件が終わるまで姿を現さないと思ったんだけれど」
「警視庁も、表立っては大崎邸の一連の事件を事故扱いにしているからね。ただ、和美さんが溺死体で発見されてから、そうも行かなくなって来たが、まだまだ内密に捜査を進めるつもりだったんだ。ところが、泉さんは、新聞記者と一緒に警視庁に現れたんだよ」
「まァ!!」
私達はつい大声で叫んでしまった。泉さんの意図するところが全く不明だ。
「あのバアさんの考えていることがよくわからん。マスコミに大々的に知られるのは、大崎家の意向に反しているんだぞ。あのバアさんの今までの言動からすれば、今回の行動はおかしい」
「そうね。それに、嶋村さんが見つかるのも、早過ぎたわね」
法子のその言葉に私はハッとした。確かにそうだ。光子の話では、消息が途絶えてしまったということだった。誰かが、嶋村の居場所をリークしたか、わざと発見されるように仕向けたとも考えられる。
「何か意図的なものを感じるの。嶋村さんは、いつからその老人ホームにいるの?」
法子が尋ねた。喜多島さんは手帳をスーツの内ポケットから取り出し、
「二年ほど前からだ。その時はまだ本人はしっかりしていて、自分で入所手続をしたそうだ。もちろん、費用も即金で払ったそうだ。嶋村の服装から、職員の人達は、金を持っているようには見えなかったと語っている」
法子を見た。法子は頷いて、
「大崎さんね、お金を出したのは」
「だろうな。しかし、理由がわからない」
「何か過去にあった、と考えるのが正しいようね。嶋村さんを助けなければならないことがあったのよ」
「そうだな」
法子と喜多島さんは、真剣な顔で考え込んでいた。大崎五郎が嶋村源蔵を高級老人ホームに入れ、その費用を負担する理由。何だろう? その時の私達には知る由もなかったのだが、まさにその理由こそが、今回の事件の発端と深く関わっていたのだ。
「泉さんは何か話したの?」
法子が尋ねた。喜多島さんは首を横に振って、
「何も話してくれていない。とにかく、自分を守ってほしいとしか言わないようだ」
「おじ様は泉さんと話したの?」
「いや。泉さんは私と会うことを拒絶している。もし私と会わせるのなら、何も話さないと言っているんだ」
喜多島さんは憤然とした顔で言った。
「どうしてなのかしら?」
「原因は、どうやら君らしいよ、法ちゃん」
「えっ?」
喜多島さんの意外な答えに、法子はちょっとだけ面喰らったようだ。
「泉さんは、私から君に話の内容が伝わることを恐れているんだと思う。君に話したことと、警視庁で話したことが食い違っていると、君に何か掴まれると考えているんだろう」
「それはむしろ逆よ、おじ様。私に話したことが、おじ様に伝わっているから、矛盾したことを言うと、おじ様に追及されると思っているのよ」
法子が指摘すると、喜多島さんは、
「そうかなァ。泉さんは私より法ちゃんを警戒していると思うんだが」
「そんなことないです」
法子はきっぱりと言った。彼女、ちょっと怒ってる。珍しいことだが、何か可愛い。ムキになった法子は、そうそう見られるもんじゃないから。
「わかったよ。法ちゃんの言う通りだ。あのバアさんは、確かに私と法ちゃんのつながりを恐れている。だが、わからんのは、何故新聞記者と警視庁に現れたのか、だ」
「新聞記者が一緒なら、警視庁もヘタなことはできない、と考えたんでしょ」
法子はニヤッとして言った。喜多島さんは、頭を掻きながら、
「そういじめるなよ。警視庁だって、鬼や魔物の集まりじゃないんだ。それほど怖いのなら、隠れていればいいのさ」
法子はその言葉に頷いて、
「そう。泉さんは何の目的で、新聞記者と警視庁に現れたのか。謎ね」
「ああ」
喜多島さんと法子は、しばらく黙ったまま考え込んでいた。
「あのさ」
あまりにもいたたまれなくなって、私は法子に声をかけた。法子は弾かれたように私を見て、
「あ、ごめん、律子。何?」
「法子が泉さんに会うことはできないのかな?」
私は言ってみた。法子は喜多島さんを見た。喜多島さんは、
「泉さんは容疑者でも重要参考人でもないから、警視庁は人と会うことを禁止することはできない。法的には何ら障害はないが、バアさん本人にその意志があるかどうかが問題だ」
「意志はなさそうね。もしそれが可能なら、泉さんは私達にもう少し話をしてくれたはずよ」
法子も私の提案に悲観的だ。確かにそうかも知れない。泉さんが私達を信頼しているのなら、屋敷をそっと抜け出して、警視庁に行くことはないだろう。
「今の律子の言葉で思いついたんだけど、泉さんは誰かの意志で警視庁に行ったんじゃないかしら」
法子が言い出すと、喜多島さんはハッとして、
「まさか、大崎五郎の?」
「それはまだわからない。ただ、それを確かめることは難しいわね。泉さん自身に証言を求めても、絶対に話さないでしょうし、強制する方法はないし」
「だな」
喜多島さんは溜息まじりに言った。そして、
「とにかく、だめで元々ということで、バアさんに聞いてみるよ」
「ええ。お願い」
喜多島さんは軽く敬礼すると、部屋を出て行った。