第十九章 大崎家の裏事情 10月 3日 午後 1時30分
私達は八重子と悦子を八重子の部屋に残して、泉さんのいる食堂に向かった。すると、廊下の向こうに繁夫が立っているのが見えた。彼は法子に気づいたらしく、近づいて来た。
「法子さん、良かった。今日会えなければ、もう一生会えないのではと思ってました」
彼は相変わらず白々しい言葉を並べ立てて、ニヤリとした。法子は、
「何かあったんですか?」
繁夫は小声で、
「僕はずっと書斎でお祖父様の残したものの中に事件の発端になるものがないかと調べていました。そしてついに、日記の中に大変なことが書かれているのを見つけたんですよ。今まで僕が考えていたのと全く違うお祖父様の姿が、そこにありました。そして、この殺人事件のきっかけかも知れないことも書かれていたんです。ホントに、衝撃的な内容です」
法子は私をチラッと見てから、
「その日記を見せていただけませんか?」
「ええ、いいですよ。僕の部屋にあります。今から一緒に行きませんか」
「はい」
繁夫が歩き出したので、法子と私も後に続いた。すると、
「あっ、貴女は御遠慮下さい、神村さん。法子さんだけにお見せしたいので」
繁夫は私の前に立ちふさがった。私は瞬時にして、このろくでなしが何を考えているのか理解した。事件のきっかけかも知れないことが書かれている日記があると言えば、法子がそれを見せてくれと言うのは当然だ。そして自分の部屋に法子を誘って、それから……。考えるだけで悪寒が走る。
「法子!」
私は法子の腕を掴んで引き止めた。
「どうしたの、律子?」
その手のことには全く鈍感な法子は全然気づいていない様子だった。私は法子に耳打ちした。
「あいつ、貴女を部屋に誘い込んで、何かするつもりよ。行かない方がいいわ」
「まさか」
法子はニッコリして、私の忠告を否定した。そして、
「律子も是非見たいそうなので、一緒に行っていいですか?」
繁夫に尋ねた。繁夫はすごく嫌そうな顔をして、
「そうですか。では、別の機会にしましょう」
そそくさと立ち去った。しかし、法子が一人でついて行った方が良かったのだ。その後に起こったことを思えば。
「ね、やっぱりそうでしょ。私がいたら、都合が悪いのよ、あいつ」
「そうかしら」
法子はまだ自分の貞操が危うかった( 大袈裟かな? )のを自覚していなかった。
「でも、繁夫さんの話、嘘じゃないと思うわ。律子が考えているようなことをあの人が考えていたかどうかは別にして」
「そうかなァ」
私は納得が行かなかった。
私達は気を取り直して、食堂に向かった。
「泉さん、正直に話してくれるかな?」
私が言うと、
「それはわからない。でも、何かわかると思う。泉さんがどんな答えをしてもね」
法子は答えた。要するに、泉さんの反応を見ようということなのだ。
「私達、どこかで分かれ道を間違えたのよ。何か思い違いをしているから、目指すゴールに辿り着けない。もう一度、スタートラインまで戻ってやり直す必要があるのかもね」
法子は独り言のようにそう言った。確かに、私達は迷いの森に入り込んでしまったようだ。私はホントにこの屋敷の中が迷路のようで、吐き気がしているのだが。
私達は食堂の前に来た。しかし、中には人の気配がない。泉さんは不在のようだ。
「どこにいるのかしら?」
私が廊下の先を見て言うと、法子は、
「ホットラインを使ってみましょう。泉さん、部屋にいるかも知れないわ」
「あ、そうね」
私達は廊下の角にある電話に近づいた。法子が受話器を取った。送話口の向こうから、呼び出し音が聞こえる。
「いないみたい。どこに行ったのかしら、泉さんは」
法子は受話器を戻し、私を見た。私は首を傾げて、
「あとあの人がいそうな場所ってどこかな」
「そうね」
二人で思案に暮れていると、喜多島さんがやって来た。
「法ちゃん、泉さんを知らないか? どこにもいないんだよ」
喜多島さんが切り出したので、私達は顔を見合わせた。
「私達も泉さんを探しているんです。今、おじ様に聞きに行こうと思ったところだったのよ」
法子は答えた。喜多島さんも神妙な顔で、
「まさか、泉さんまで、犯人に?」
「それはないでしょう。むしろ、泉さんが自分の意志で姿を消したんだと思います」
「何故?」
私と喜多島さんは異口同音に尋ねた。
「私達にいろいろ聞かれるのが苦痛になったからでしょう」
「しかしね」
喜多島さんは不服そうに言った。
「そんな理由で姿を消されたら、警察はたまらんよ。あの婆さん、何を考えているんだ」
喜多島さんらしからぬ暴言を吐いた。
「大崎家のことを考えて姿を消したのかも知れませんよ。どうやら、私達、元の場所に戻れそうです」
法子の言葉に喜多島さんはキョトンとした。
「何だい、それは?」
「秘密よ」
法子は茶目っ気たっぷりの笑顔で、喜多島さんに応えた。
「おいおい、この後に及んでホームズ気取りかい。警察に楯突くと、後が怖いぞ」
喜多島さんは半分本気とも取れるジョークを言った。すると法子は、
「そうじゃないの。私、ちょっと気になることがあるのよ。だから言えないの」
「そうか」
喜多島さんは渋々承諾した。しかし、法子の気になることとは何だろう?
「それより、栄子先輩の事情聴取は終わったの?」
法子が尋ねると、喜多島さんは、
「ああ。栄子さんはかなり疲れているね。刑事達が質問しても、すぐに答えが返って来ないんだ。それほど難しいことは尋ねていないのにね」
「そうなの」
法子は相槌を打ちながら、何か他のことを考えているようだ。
「律子、外へ行きましょ。泉さんがいなくなった今、ここにいても収穫ゼロだわ」
「え、ええ」
私はさっさと歩き出す法子を慌てて追いかけた。喜多島さんも私達に続いた。
「法ちゃん、どうしたんだ?」
「わけは後で。私の家に来て、おじ様」
「わかった」
喜多島さんは立ち止まり、私達を見送った。
私達は大崎邸を出て、成城の高級住宅街を抜け、法子の家に向かった。
「一体どうしたのよ、法子!?」
私が尋ねると、法子は前を見たままで、
「大崎邸のあちこちに、盗聴器が仕掛けられているわ」
「ええっ!?」
衝撃的だった。じゃ、今までの私達の行動は、全て犯人あるいは、仕掛けた当人に筒抜け、ということか。
「しかも、仕掛けたのは一人じゃないわ。繁夫さんがまずその一人。そして後は泉さん。それに幸江さんもかしら」
「ええええっ!!」
もう叫ぶしかなかった。
「泉さんが私達に何を話していいのか考える余裕があったのは、どこかで私達の行動を把握していたからだとしか思えない。そして、繁夫さんはあの疑い深く陰湿な性格から、屋敷の者全員のことを知ろうとしていたのね。幸江さんは、部外者である私達が現れてから、盗聴を思い立ったんだと思う。ただし、三人とも、犯人の行動は掴めていないようだけど」
「ということは、あの三人以外が犯人てこと?」
「それは断言できないわ。まだそう考えるのは時期尚早よ」
法子は推理モード全開のようだ。犯人の目星がついてきたのだろうか。しかし、法子の推理はまだ中途だった。何故なら、犯人は次の計画を実行してしまうのだから。