第一章 大崎邸にて 9月30日 午前11時
「何かあったんですか?」
法子は刑事らしき二人に別に怖気づきもせずに尋ね返した。すると二人のうちの若い方が、
「まず我々の質問に応えなさい。何をしているんですか?」
さっきの質問を繰り返した。ちょっといい男だが、感じが悪い人だ。法子はニッコリして、
「そうでしたね。パトカーが停まっているので、何があったのだろうと思って見に来たんです」
すると若い刑事はムッとして、
「だからと言って、勝手に他人の邸に入っていいはずがないだろう?」
いきなり横柄な口のきき方になった。それでも法子は、
「いけなかったですかね?」
おとぼけをかました。もう、この娘、怖くて一緒にいたくなくなるよ。若い刑事はもう爆発寸前だった。その時年配の刑事の方が、
「お嬢さん、お顔を存じていますよ。警視庁に何度かいらしてますよね?」
法子は年配の刑事の方を見て、
「はい。どうして御存じなんですか? 」
不思議そうな顔で言った。年配の刑事はニヤリとして、
「警視庁の喜多島君とは、同期でしてね。彼のところに、よく可愛らしいお客さんが来ているという噂を聞いて、何度か警視庁に足を運んで、廊下やロビーでお見かけしたことがあるんです」
法子は「可愛らしい」と表現されたことに、何と反応すればいいのか困っているような顔をしていたが、
「そうなんですか」
とだけ応じた。年配の刑事がそんなことを言い出したので、若い刑事はすっかりビックリしてしまい、
「あ、あの喜多島警視とお知り合い?」
目を見開いて、法子を見つめた。法子はクスッと笑って、
「家がご近所なんです。それだけのことですよ」
しかし、若い刑事の狼狽えはおさまらなかった。彼は深々と頭を下げて、
「申し訳ありませんでした! 自分の無礼、どうかお許し下さい! 」
大声で言った。法子はやや呆れ気味に、
「大袈裟なこと言わないで下さい。私の方が悪いんですから」
「は、はァ……」
若い刑事は、顔を上げて応えた。すると年配の刑事が、
「我々は警視庁成城署の刑事で、私は前田、そしてこいつが江木と言います」
自己紹介をした。法子も、
「私、中津法子です。そして、この娘が私の親友の神村律子です」
江木刑事は、ますます驚いたようだった。
「じゃ、じゃあ、警視庁と八王子署でよく話題になっていたという美人名探偵の中津さんですか? 」
そう言われた法子は、赤面して、
「やめて下さい、美人名探偵だなんて。そんなんじゃないんですから」
しきりにポニーテールを触りながら応えた。これ、彼女が照れている時のクセだ。 彼女は話題をそらしたいのか、
「じゃ、私の質問に答えて下さい。何かあったんですか?」
江木刑事は緊張した顔で、
「はい。この邸、どなたのだか、御存じですよね?」
「ええ。家族の方に高校の先輩がいますから。大崎さんのお屋敷ですよね」
法子は応えた。なるほど、知り合いの邸だったのか。江木刑事は頷いて、
「実は、こちらに、脅迫状が届いたんです」
「脅迫状?」
法子と私は、異口同音に言った。すると前田刑事が、
「脅迫状かいたずらか、まだわからないんですがね。とにかく、こちらの奥様方が、うるさい方々でしてね」
「そのようですね」
法子は微笑んで応えた。奥様方? どういうこと?
「大崎五郎と言えば、戦後日本の復興に一役買った大事業家ですからね。その娘さん方となると、いろいろなところに顔がきく上に、政治家や警察関係者にもご親戚やご友人がたくさんいらっしゃる。そういった方から呼びつけられたら、署長までご挨拶に来なければならないほどです。今日は署長は来られませんでしたが、いずれ来なければならないでしょうね」
前田刑事は溜息混じりに話してくれた。法子は頷きながら、
「それで、脅迫状って、どんな内容なんですか?」
今度は江木刑事が、
「それが、ちょっと不思議なものなんです。『大崎家に血の殺人が起こるだろう』という内容で……」
「血の殺人?」
法子はオウム返しに聞き返した。江木刑事は、
「そうです。そう書いてありました。もちろん、定規で引いてようなまっすぐな字体で、筆跡はわかりませんが」
その時、
「あら、法子さん?」
女性の声がした。 私は声がした方を見た。 そこには、肩まで伸びたストレートヘアがきれいな、見るからに知的な感じのする美人が立っていた。アイスブルーのジャケットとドレスを着ていて、いかにもお金持ちのお嬢様という装いだ。しかし、表情は穏やかそのもので物静かな感じがした。
「栄子先輩、今日は」
法子もその女性に顔を向けて挨拶した。栄子と呼ばれたその人は、ニコッとして、
「どうしたの? 早速パトカーを見つけて、やって来たわけ?」
法子に尋ねた。法子は苦笑いをして、
「そうじゃないんですけど。偶然なんです」
「そうなの」
栄子さんは二人の刑事に目をやった。
「お忙しいのに申し訳ありません。あの伯母様方は、言い出したら聞かないので……」
「いえ、大丈夫です。一応脅迫状らしきものがありますし、最近は異常な連中が多いですから、気をつけるに越したことはありません」
前田刑事はにこやかに応じた。栄子さんは実に恐縮した様子で、
「そうおっしゃっていただけると助かります。何かありましたら、ご連絡下さい。私が全て承りますので」
「わかりました。それでは私共はこれで」
前田・江木両刑事は私達にも会釈すると、パトカーに乗り込み、走り去った。
「全く大袈裟なんだから、伯母様方は」
栄子さんは呆れ気味に呟いた。法子が、
「伯母様方ってどういうことですか? ここは確か、長女の光子さんがいらっしゃるだけで……」
栄子さんは肩をすくめて、
「他の伯母様方もいらしてるのよ。私の母も含めてね」
どうやら複雑な事情があるようだ。
さて、ここで大崎家の家族構成について説明しておこう。
大崎物産は戦後の混乱の中食品産業で大成功し、巨万の富を得た大崎五郎が築いた財界の一翼を担うファミリーの総称である。食品メーカーでは業界トップ、全企業でも五指に入るほどの巨大グループだ。
その大崎五郎が昨年の十月亡くなった。胃ガンだった。しかし用意周到の彼はしっかりと遺言を残しており、企業のトップの死でグループが混乱するようなことはなかった。
企業体としての大崎ファミリーはこうして何の乱れもなく引き続き業界のトップを走り続けているが、真のファミリー、すなわち大崎家の中では混乱の兆しがあった。
彼には男の子供ができなかった。娘ばかり五人である。
五郎はそれを憂えて娘達に婿探しを命じた。自分の後継者に相応しい男を見つけようとしたのだ。企業体である大崎物産は、鉄の結束で守られた五十年来の腹心に任せておけば良いが、自分の後継者となると話は別だ。五郎は必死になって後継者を探し、そして娘達が選んだ男を吟味し、自分の手で育てようとした。
しかし、それは決してうまくいくことはなかった。彼は後継者候補に多くを望み過ぎたのである。娘達は結婚し、子供まで生んだのにも関わらず、離婚させられた。そして、生まれた子供達は、強制的に五郎の養子あるいは養女にとられ、娘の元夫達は財産をわずかに渡されて、完全に絶縁された。つまり自分の子供にもしものことがあっても、決して相続人だと名乗り出ないことを約束させられたのだ。
その実の孫にして養子である複雑な関係の人々の一人が、栄子さんだ。彼女は五人いる養子の中で唯一マトモな人らしい。では家族を紹介しよう。
まずは長女の光子。
彼女は今年五十五歳の、一応現在の大崎家の当主でこの成城のお屋敷の主人である。大変物静かな女性だが何となく凄みがある人らしい。
その光子の娘が道枝である。二十七歳の、わがままが服を着て歩いているような女性だ。母親と違って短気で激情家。とにかくすぐ怒る。あまりお近づきにはなりたくないタイプだ。
そして次は次女の幸江。
今年で五十三歳。この人は「口から先に生まれて来た」という言葉がピッタリの、とんでもなくお喋りな女性だ。それも単なるお喋りとは違う。そのお喋りで人をいたぶり、こきおろす。要するに典型的な「中年のオバさん」である。おっと、ちょっと語弊があるかな。
その娘が和美。二十五歳である。この人は無類の犬好き。今現在飼っているのはドーベルマン。またとんでもなく恐ろしい犬を飼っているものだ。この人も、あまりお近づきになりたくないな。
さてその次が栄子さんのお母さんの吉美さんだ。
今年で四十八歳の品の良い女性だ。私の母親に少し見習ってほしいほどだ。そして栄子さんは二十二歳。とてもうらやましい母子である。
さらに今年で四十五歳の四女の圭子。
暗いというのが彼女の雰囲気を一番的確に表す言葉だろう。言い方を変えれば、口数が少なくおとなしいのだ。おとなしくても愛想が良ければ救いがあるが、圭子には愛想の欠片もない。
そしてこの圭子の子供が、大崎家唯一の男子、繁夫だ。今年二十歳の彼は、生まれつき病弱でアレルギー体質のため、食事療法がかかせないらしい。結構いい男らしいのだが、何となく軟弱そうな感じがする。
五女の悦子。今年で四十二歳の彼女は片時も手から編み物棒を放したことがないという、何とも形容のしがたい性格の女性だ。
そしてその娘が高校三年生の八重子。いかにも今時の高校生かと思ったら、結構古風な感じのするまじめな女子高生だ。確かに今時の女子高生っていう雰囲気もあるが、「茶髪・顔グロ・ピアス」といったものとは全く無縁だ。ま、大企業の令嬢なんだから当然か。
といったところが、大崎家の概要だ。とにかく複雑な家族関係だ。この家族関係にとんでもない事件を引き起こす原因となったと思われるのが、大崎五郎の謎めいた遺言であった。
「私が死んでも一年間は遺言を封印せよ。そして、一年が経過した時生きている私の養子に、遺産を分与する」
こんな遺言を残されたら、
「互いに殺し合い、生き残った者に遺産を与える」
と解釈してしまうかも知れない。そしてそれは現実のことになってしまうのだった。
「ねェ、せっかく来たのだから、お茶でも飲んで行ってよ」
栄子さんが言ってくれた。法子と私は顔を見合わせた。私は、
「法子が良ければかまわないよ」
目で合図した。法子はそれをすぐに了解してくれて、
「ありがとうございます」
と返事をした。