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第十三章 嶋村源蔵の秘密   10月 2日 午後 3時

 私達は幸江の部屋を出て廊下を歩いた。幸江が書いてくれた見取り図を見ながらの冒険旅行のような気分だった。

「警戒して下さい」

と法子が言ったので、幸江と和美は部屋から出るのをやめ、私達に屋敷の見取り図をくれたのだ。行きかがり上仕方がなかったので、法子と私はその見取り図を頼りに吉美さんの部屋を目指した。

「ごめんね、律子。妙なことにつき合わせちゃって。この埋め合わせは、必ずするから」

 法子は申し訳なさそうに言った。私は真顔で、

「別にいいよ、そんな。ただ、もし埋め合わせしてくれるのなら、法子のファンクラブの男の子を一人、紹介してよ」

「バカなこと言わないでよ、律子。私のファンクラブなんてないわよ」

 法子はクスクス笑いながらそう言った。いや、しかし、現実にあるじゃん。私、法子をこっそりつけ回してる奴を何人か見てるんだから。しかも、その中にはそれなりにイケてる男もいたのよ。わかってないのは御本人様のみか。

「この先の左側にある階段を上がって、右に曲がって左側の三つ目の部屋が吉美さんの部屋よ」

 法子が見取り図を見て言った。私はやっとたどり着ける事がわかり、ほっとした。

 階段を上がり切ったところで、私達は思いがけなくも栄子さんに出会った。栄子さんも私達が現れたことにびっくりしたようだ。

「貴女達、どうしてこんなところにいるの? 書斎からここへ来るのなら、反対側の階段の方が近いのに」

 栄子さんは私達が圭子の部屋に行き、さらに幸江の部屋に行ったことを知らないので、ひどく遠回りをしたと思ったらしい。そこで法子が今までの経緯を話した。

「そうだったの」

 もちろん、法子は繁夫や圭子、そして幸江達と話した内容は栄子さんには言っていない。ただ道順を説明しただけだ。

「ここに来たってことは、母に話を聞きに来たのね」

「はい。お疲れだとは思うのですが、急いだ方がいいと考えたので」

 法子は実に言いにくそうに栄子さんを見た。栄子さんは苦笑いをして、

「圭子おばさんや幸江おばさんと話したのなら、母のこともいろいろ聞かされたでしょ。誤解していると困るから、母とも話した方がいいわ。こっちよ」

と私達を先導してくれた。

「お母さん、私よ。法子さん達がいらしてるの。入っていい?」

 栄子さんは、ドアをノックしながらそう呼びかけた。すると、

「どうぞ。法子さんなら大歓迎よ」

 吉美さんの声がした。栄子さんは私達に目配せしてからノブを回し、ドアを開いて中に入り、

「どうぞ」

と私達を促した。法子が先に入り、私が続いた。栄子さんも幸江達同様、何かを警戒するかのように廊下を見渡し、ドアを閉めた。

 部屋の中はまるで劇場の楽屋のようだった。と言うと表現が妙かも知れないが、まずフローリングが十畳くらいあって、その先に一段高くなって八畳くらいの畳敷きのところがある。その畳敷きの上に吉美さんは布団を敷き、横になっていたらしい。私達が入って行くと、半身を起こして笑顔を作り、

「いらっしゃい、法子さん。そちらの方は?」

と私を見た。この屋敷に来て、私のことを尋ねてくれたのは、八重子以来二人目だ。何か嬉しかった。

「私の親友の神村律子です。すみません、お身体の具合がお悪いのに、押しかけて来て」

 法子が言うと、吉美さんは、

「いいのよ。誰かに会って話をしていないと、道枝のことばかり考えてしまって。光子姉さんもさぞ辛いでしょうにね」

と立ち上がった。栄子さんがびっくりして、

「お母さん、大丈夫? 無理しないでよ」

「法子さん達が来てくれたのに、寝ているわけにもいかないでしょ」

 吉美さんは、パジャマ代わりの格子柄の浴衣に薄手の半天を羽織って、布団から離れ、フローリングにある黒皮張りのソファに近づいた。

「さ、こちらにおかけ下さい。栄子、何かお飲物を」

「はい」

 私達は吉美さんと向かい合って座った。私は吉美さんに会うのは初めてだが、どことなくやつれた感じがするのは、浴衣のせいだろうか。

「どんなことをお尋ねになりたいのかしら?」

 吉美さんは微笑んで言った。法子は軽く頷いて、

「はい。嶋村源蔵という人のことなんですが」

 すると吉美さんの顔が急にこわばり、紅茶を入れていた栄子さんの身体がビクンとした。

「誰にその名前をお聞きになったの?」

「幸江さんです。もともとその人の話は、圭子さんから聞いたのですが、嶋村源蔵さんのお名前は、幸江さんから聞きました」

 法子も当然吉美さんと栄子さんの異変に気づいていた。栄子さんが紅茶を出したことに少し会釈をして、吉美さんを見たままだ。吉美さんは栄子さんからカップを受け取ると、そのまま黒の木製テーブルに置いた。

「嶋村源蔵という人は、今度の道枝の死に何か関係があるのですか?」

「いえ、それはまだわかりません。ただ、話の中で大崎さんが嶋村さんを呼びつけて怒鳴り、その後で貴女を部屋に呼んだと聞いたので、その点についてお尋ねしたいのです」

 法子の言葉に吉美さんは動揺していた。何故だろう。栄子さんも妙に緊張している。

「そのことですか。わかりました。変に隠し立てしても仕方ありませんから、お話ししましょう」

 吉美さんが口を開くと、栄子さんが、隣に腰を下ろして、

「お母さん、それは……」

と遮ろうとした。しかし、吉美さんは栄子さんを見て、

「大丈夫よ。むしろ話した方がいいと思うの」

と言ってから、

「島村源蔵が光子姉さんの実の父親だということは、御存じね?」

「はい」

 吉美さんはフッと小さく溜息をついてから、

「島村源蔵は、私の実の父親でもあるのです」

 その言葉に私はもちろんのこと、法子も衝撃を受けたようだった。吉美さんは紅茶を一口飲んで、

「母は大崎五郎と無理矢理結婚させられて、産みたくもない子供を産まされました。それが幸江姉さんです。母はその後で嶋村と密会を重ね、私を身籠りました。もちろん、私が生まれてしばらくたってから、大崎は私が実の子ではないと知ったのです」

と話した。私はすっかりパニックに陥り、わけがわからなくなりそうだった。

「そのことを知っているのはどなたですか?」

 法子がゆっくりとした口調で尋ねた。吉美さんは笑みを浮かべた顔で法子を見て、

「光子姉さんと栄子だけです。大崎が死んだ今となっては」

「そうですか。では、大崎さんが嶋村さんを呼んだのは、そのことを知ったからなんですね?」

と法子が尋ねると、

「そうです。大崎はうすうす私が嶋村の子だということを感じていたらしく、もう子供は産みたくないと嫌がる母に強姦同様のことをして、圭子と悦子を産ませました。それからしばらくたって、ことの真相が発覚したのです」

 吉美さんの話はあまりにも壮絶だった。大崎五郎にとって実の娘は皆、自分の復讐のためにかつては愛した女性に無理矢理産ませた子供なのだ。私はこんな鬼畜同然の人間の話を聞いたことがない。そんな男が、日本の戦後を支えた一人だなんて、歴史に対する冒涜のような気がした。

「圭子さんと悦子さんは、そのことを御存じなのですか?」

「いえ、知りません。母は、悦子を産んでまもなく、病気で亡くなりましたから。私は母は大崎に殺されたのだと思っています」

 吉美さんは強い口調で言った。顔も少々険しくなっていた。

「大崎さんは奥様のことで何か言っていませんでしたか?」

 法子が尋ねると、吉美さんは、

「いえ、別に。ただ、母の葬儀はお寺で執り行ったので、父がこっそり来ていました。その時父は光子姉さんに、『大崎は、私と同じことをすると言っていた。気をつけろ』と言い、姿を消したそうです。光子姉さんはその言葉の意味がわからなかったそうです」

「お母様が亡くなったのは、嶋村さんが呼びつけられるより前ですよね?」

「そうです。母が亡くなってから、私が嶋村の子だとわかったので、大崎は打つ手がなかったのです」

 すると法子は全く思ってもみなかったことを吉美さんに尋ねた。

「何故大崎さんは、貴女が嶋村さんの子だと気づいたのでしょう?」

 吉美さんはその問いにハッとしたようだったが、

「わかりません。部下に調べさせたのかも知れませんし。あるいは密会の現場を誰かが見て、大崎に報告したのかも知れません」

「お母様は、貴女や光子さんと、幸江さんや圭子さんや悦子さんとを、分け隔てなく育てていたのでしょうか? 大崎さんがその辺から気づいたようなことはありませんか?」

 法子の質問に吉美さんは笑って首を横に振り、

「母は全くそんな素振りは見せませんでしたよ。現に私は、父に言われるまでその事実を知らなかったのですから」

 そして急に真剣な顔になり、

「道枝が殺されたことで、私はとても不安なのです。もしこれが、大崎の、母と嶋村に対する最後の復讐なのだとしたら、次に狙われるのは栄子です」

と唇を震わせて言った。栄子さんも肩を震わせて吉美さんを見下ろしていた。

「だとすると、実行犯は誰だとお考えですか?」

 法子は吉美さんをまっすぐに見据えて尋ねた。吉美さんも法子を見つめて、

「わかりません。大崎が誰に私の出生の秘密を話しているのか、見当もつきませんので。できたらこんなことは、現実でない方がいいのですけど」

と言うと、目を潤ませてうつむいた。栄子さんが吉美さんの肩に手をかけて、

「お母さん」

 法子は頷きながら、

「質問を変えます。幸江さんは貴女のことを疎ましく思っているらしいのですが、あの人が真相を知っているということはありませんか? 」

「考えられないことではないわね。でも、幸江姉さんは光子姉さんと私が仲がいいのを妬んでいるだけなのよ。私が光子姉さんと同じ父親を持つ姉妹だと知っていたら、私達の仲を妬んだりしないはずです。幸江姉さんは、自分が大崎の復讐の結果として生まれたということは知っているでしょうけど、私のことは知らないと思います」

 吉美さんはすごく頭の回転が速い人だ。法子の質問に、実に論理的に答えている。さすが、栄子さんのお母上だ。

「それから妙なことを尋ねますが、悦子さんはいつも編み物をしているそうですね?」

 法子の唐突な質問に吉美さんは栄子さんと顔を見合わせてから、

「はい。それが何か?」

と怪訝そうな顔で言った。法子は、

「何故なのか、御存じですか? 何か深いわけでもあるのですか?」

 吉美さんは急に悲しそうな顔をした。どうしたのだろう。

「悦子は母を知らないのです。あの子が物心つく前に、母は亡くなりましたから。悦子は母が編み物が好きだったという話を小さい頃に聞いて、それから編み物に熱中するようになりました。食事や睡眠以外は、ほとんど編み棒を手放したことがありません」

 そんな悲しい過去があったのか。裏話を聞くと、悦子という人がただの変わり者ではなく、とても悲しい人に思えて来る。

「そうだったんですか。悦子さんも、辛かったでしょうね」

「そうですね。あの子は、本当に不憫でした。母を知らず、父にも愛されず。大崎は悦子をあまり好いていませんでした。何故なのかは理由はわかりませんが」

 吉美さんは涙ぐんで話をした。私はついもらい泣きしそうになった。法子は続けた。

「大崎さんは道枝さんにせがまれて、彼女を養女にしたと聞きましたが、それは真実ですか?」

吉美さんはギョッとしたように法子を見たが、やがて、

「いえ。それは違います。道枝は養女になるのを最後まで渋っていたのです。光子姉さんに説得されて、ようやく承諾したのですよ」

「圭子さんから聞いた話では、道枝さんが光子さんに頼んで、養女にしてもらったということでしたが」

 法子が言うと、吉美さんはびっくりして、

「圭子がそんなことを。それは違います。圭子が勘違いしているか、わざと嘘をついているかのどちらかです。道枝は養女になりたくなかったのですよ。あの子は、大崎の遺産に興味がなかったし、大崎が嫌いでしたから」

 法子は吉美さんの答えに対して、

「では、大崎さんが、道枝さんを養女にしたのは何故ですか?」

 吉美さんの顔が引きつった。どうしたのだろう。吉美さんは何かを知っているのに隠している。私が気づいたくらいだから、法子はもちろんわかっていたろう。

「道枝は運動神経が抜群で、水泳だけでなく、いろいろなスポーツで才能を発揮しました。全国大会にも何度か出場して、大崎の名を日本中に知らしめましたから。大崎は、道枝を大崎グループの広告塔にしたかったのでしょう」

「道枝さんも大崎さんの愛情に気づいていたようですが、それでも大崎さんのことを嫌っていたのですか?」

 法子の言葉に吉美さんはびっくりしたようだったが、

「そんなことはないでしょう。あの子は大崎を憎んでいましたよ。自分の父親をまるでゴミ同然に捨てた大崎を許せなかったようです」

「そうなんですか」

 法子は納得していないようだ。私も吉美さんが嘘をついているような気がした。

「でも道枝さんは、私に、大崎さんが自分にいろいろ要求したのは、自分のことを大切に思っていたからだと思えるようになったと言っていましたよ」

 法子は反証を挙げた。吉美さんはますます混同したようで、

「そんな」

と言ったきり、絶句してしまった。栄子さんも頷いて、

「そうね。道枝さん、確かにそう言ってた。道枝さんがお祖父様を憎んでいたというのは、何か間違って伝わった話なのかも知れないわ」

 吉美さんはようやく落ち着いたのか、

「そうなの。じゃあ、私が聞き間違えたのかしら。変ね」

と呟くように言った。


 しばらくして、法子と私は吉美さんの部屋を出て、栄子さんに先導してもらって、屋敷のロビーまで戻った。今日の聞き込みはここまでである。また明日出直すことになった。

「法子さん、本当にお願いね。犯人を早く見つけて」

 栄子さんの震える声に訴えられて、法子はちょっと面喰らったようだったが、

「はい。喜多島警視にも連絡をとって、一刻も早く事件の真相を解明しようと思います」

 栄子さんはその言葉を聞いて、安心したようだった。しかし、その安心は一晩しかもたなかった。犯人は次の行動に出てしまったのだ。法子が大崎家の人々に聞き込みをしたのがその引き金となったのかどうかは、犯人に聞いてみないとわからないことだが。

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