第十二章 大崎家の真の長女の話 10月 2日 午後 2時
法子の思わぬ一言に、幸江は激怒したようだ。
「バカなこと言ってるんじゃないよ、あんた。何であんたと私が話をしなくちゃいけないんだい」
彼女は声を荒げて言った。和美も法子を睨みつけている。ただ、彼女は何も言うつもりはないらしく、母親の後ろに控えているだけだ。
「人が一人亡くなっているんです。バカなことではないと思いますけど」
法子は実に穏やかに反論した。しかし幸江は、
「道枝が死んじまったのが、事故だろうが、殺人だろうが、私には全く関係ないんだ。そもそも警察でもないあんたが、どうしてそんなことでこの屋敷の中をうろついてるのさ? 返答次第じゃ、本物の警察を呼んでつまみ出してもらうよ」
ますます怒鳴り声を高くした。とうとうその声に驚いて、圭子がドアを開いて顔を出した。幸江はそれに気づき、
「何だい、圭子。何か言いたい事でもあるの!?」
圭子を鋭い目で見据えた。圭子はびっくりして慌てて顔を引っ込めた。ホント、凄まじい癇癪持ちだ。
「犯人の目的が道枝さんを殺害するだけではないとしても、ですか?」
法子のその問いかけに幸江はビクッとした。和美はもっと心臓に来たらしい。胸の当たりを抑えている。
「何を根拠にそんなことを……」
幸江は強がって見せたいのか、作り笑いをした。しかし口元が引きつっていて、不気味な顔になってしまった。
「あの脅迫状です。『大崎家に血の殺人が起こるだろう』という」
法子のその言葉は、幸江と和美の親子を打ちのめすのに十分だった。和美はすっかり怯えており、震え出した。幸江も唇を震わせて、言葉を発しようとしても喋れないようだ。
「あれは明らかに、相続人を殺害し、遺産を独り占めにしようという意思の現れです。和美さんも狙われているのかも知れないのですよ」
法子の言葉は、和美に止めを刺したようだった。彼女はガタガタと震えながら、
「だったら、犯人を早く見つけてよ! 貴女、高校生の時、学校で起こった盗難事件を解決したって聞いたわ。名探偵なんでしょ?」
懇願するように法子を見た。幸江は和美の言葉にびっくりして法子を見た。
「じゃあ、栄子がよく話していた、同じ高校の後輩で名探偵がいるっていうのは、あんたのことだったのかい?」
「名探偵ではありませんけど、栄子先輩が話したのは、多分私のことだと思います」
法子は少々気恥ずかしそうに答えた。へェ、法子って、高校生の時から、名探偵だったのか。
「それなら、和美を助けてよ。私の生き甲斐はこの子だけなんだ。お願いだよ」
幸江はさっきとは別人のような悲しそうな顔で法子に訴えた。法子は大きく頷いて、
「とにかく、お話を聞かせていただけませんか?」
「わかったわ。私の部屋に来てちょうだい。そこで話すから。どいつが犯人かわからないしね」
幸江は周囲を見渡した。
法子と私は幸江と和美に先導されて、幸江の部屋に向かった。圭子の部屋からはかなり離れているところらしく、何度も短い階段を昇り降りし、廊下の角を幾度となく曲がった。まさしく迷路だ。
「ここだよ。さ、中に入って」
重々しい感じのする大きなドアを開いて、幸江が言った。法子は頷いて中に入った。私も彼女に続いて入った。その後から和美が入り、最後に幸江が廊下の様子を伺いながら、ドアをゆっくりと閉じた。
部屋の中はイメージしていたのと随分違っていた。幸江の激しい気性からは想像ができないような、上品な部屋だった。
パステル調の黄色い壁に、高名な画家の絵画が掛かっている。この屋敷にあるものだから、多分本物だろう。カーテンもパステルカラーで、淡い青のものだ。絨毯もピンクだが、どぎつくなく、心地よい感じだ。
私達は二人がけの青いソファに座った。和美は私達と相向かいに、立ったままでいる。幸江は部屋の隅のワゴンで、紅茶を入れていた。
「落ち着いた感じがするお部屋ですね」
法子が言うと、幸江は苦笑いして、
「私の性格からは想像もつかないだろうね。この部屋は、別れた亭主がコーディネートしたのさ。だから、どうも柄じゃない部屋なんだよ」
でも、何か嬉しそうだ。別れた理由が、自分達にあるのではないからだろうか。
「早速で申し訳ありませんが、大崎さんの奥様の前の御主人のことなのですが」
法子が切り出すと、幸江は一瞬顔をこわばらせたが、紅茶のカップを私達に出しながら、
「いきなり嫌な奴のことを聞いてくるね。何が知りたいんだい?」
「圭子さんから聞いたのです。その方が一度ここにいらしたことがあると。しかも、大崎さんが呼びつけて、怒鳴りつけていたと」
法子はまっすぐに幸江を見て言った。幸江は向かいのソファに腰を下ろして、
「そんなこともあったね。でも私はその場に居合わせなかったから、どんな話だったのかは知らないよ」
「では、大崎さんとその方とは、どういう立場だったのですか? 奥様の前の夫を呼びつけるなんて、何か物々しい感じがしますが」
幸江は法子の問いかけにニヤッとして、
「父は、そいつのことが大嫌いだったんだ。何しろ、母を取り合った仲だからね。最初はそいつが母と結婚した。父にとってそれは人生最大の屈辱だった。後で経済的に追い詰めて、母を略奪するように自分の妻にしたのも、復讐なのさ。父は母に愛情なんてすでに持ち合わせていなかった。ただ、昔の恋敵を叩きのめしたいだけだったんだよ」
「それなのに、結婚して貴女達を産んだのですか?」
法子が尋ねると、幸江はせせら笑って、
「あんたはまだ結婚したこともないし、子供も産んだ事がないからわからないんだろうけど、男と女が正式に結婚したら、子供は自然にできるものさ。というより、父にとって母に自分の子を産ませる事も、復讐だったのかも知れないけどね」
もし幸江の言っている事が真実なら、大崎五郎という男は、人でなしのとんでもない奴だ。
「もしそれが本当の事なら、貴女は復讐のために生まれた子供ということになりますね」
法子はちょっと怪訝な顔で言った。幸江は何故か愉快そうに笑い、
「そうだね。私達は父の復讐のために生まれた子供なんだね」
そして法子を見据えて、
「あんたは道枝を殺したのは誰だと思ってるの? 私は圭子が怪しいと考えているんだけどね」
何よ、この姉妹は。圭子は幸江を犯人だと言っているし。どっもどっちってことか。
「犯人が誰かは、まだわかりません。この家の方全員とお話をしてみないと」
法子はごく冷静に答えた。そして、
「それより、大崎さんが、奥様の前の御主人……」
と言いかけると、幸江は、
「嶋村。嶋村源蔵だよ」
名前を教えてくれた。法子は会釈して、
「その嶋村さんを何故呼びつけたのか、御存じありませんか?」
「さァね。どうしてだろうね。ただ、嶋村の奴が帰った後で、吉美が父に部屋に呼ばれていたような気がするね」
「吉美さんが?」
法子もこの意外な展開にびっくりしたようだ。
「吉美さんはどうして大崎さんに呼ばれたんですか?」
法子は問いかけた。しかし幸江は、首を横に振り、
「知らない。そんな気がするだけで、違うかも知れないしね。本人に訊いてみた方がいいよ」
「吉美さんは、道枝さんのことがショックで、お身体の調子が良くないそうなんです。そんな話をして、大丈夫でしょうか」
法子の言葉に幸江はせせら笑って、
「吉美は見かけほど弱くないよ。あの子が姉妹の中で一番芯が強いと思う。もちろん、光子姉さんは別格だけどね」
「どういう意味ですか?」
「光子姉さんは、道枝が死んだと聞いても、眉一つ動かさなかったんだ。悲しくないはずはないと思うけど、あの人は人前で自分の感情をさらけ出すことを決してしないのさ。一人の時はどうかわからないけどね。光子姉さんにとって、この屋敷で最後まで味方でいてくれるのは、道枝だけだったろうからね」
つまり、道枝は光子にとって唯一信頼できる存在だった、ということか。道枝にとっても光子がそうであったように。
「貴女は光子さんをどう思われていますか?」
法子が切り出すと、幸江は苦笑いをして、
「あんたは私の痛いところをわかっていて聞いているのかい? あの人は私にとっては、邪魔以外の何者でもないよ」
「何故ですか?」
「戸籍上は私がこの大崎家の長女なんだよ。なのに、光子姉さんがいるために、この屋敷のことばかりでなく、大崎物産のあらゆることをあの人が牛耳っているんだ。そして、組織の重役どももみんな、光子姉さんのことを崇めていて、私の言う事なんか聞いてくれやしない。そんな存在の人間が邪魔以外の何だっていうのさ」
幸江は癇癪を起こし始めていた。ただ、彼女の気持ちもわからなくはない。事実上の姉という存在が実は真実ではないのなら、それは邪魔なものだろう。
「でも、今回の道枝さんの件を事故として公表させたのは貴女だと聞きましたが。光子さんを押し切ってそうさせたと」
法子のその言葉に、幸江はキッとなり、
「誰がそんなことを。確かに私がそうさせたんだけど、光子姉さんを押し切ってというわけじゃないよ。あの人は何も言わなかったんだ。だから私の考えが通って、事故として公表することになったのさ。きっと光子姉さんも、道枝が殺されたかも知れないなんて、公表されたくなかったんだろう」
と吐き捨てるように言った。法子はさらに、
「貴女は何故事故として公表させたかったのですか?」
幸江は意外そうに法子を見て、
「当たり前だろ。殺人かも知れないなんてなったら、大変なことになるよ。道枝が死んだって知られただけで、野次馬とマスコミの連中が大挙して押し寄せたんだから。私はこの家の名誉と平穏を守るためにそうしたのさ」
と得意そうに言ってのけた。しかし法子は、
「でももしそれが、犯人の目論みどおりだとしたら、どうしますか?」
その言葉に、幸江は思わず和美と顔を見合わせた。和美は身震いして、法子を見た。
「どういう意味だい?」
幸江も少々声を震わせて尋ねた。法子は幸江をじっと見据えて、
「犯人がまだ殺人を続けようと考えているのなら、警察があまり関わらなくなる事故の方が都合がいいということです」
幸江は和美を見た。和美は無言のまま、首を横に振った。
「私は犯人の計略に乗って、事故死の発表をさせたってことなのか」
幸江はすっかり意気消沈していた。法子はかすかに頷いて、
「殺人が続くかどうかわかりませんが、もし道枝さんが殺されたのなら、その可能性は高いですね」
「私はどうしたらいいのかね?」
幸江はすがるような眼差しで法子を見た。法子は、
「とにかく、警戒して下さい。今のところ犯人は全くわかりません。一人で行動するのは、できるだけ控えるようにして下さい」
「わかったよ」
彼女は素直に応じた。
「お願い。早く犯人を見つけて」
和美が口を開いた。法子は微笑んでそれに応じた。