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第十一章 異常な母と息子の関係  10月2日 午後 1時30分

 まさしく異世界。その言葉が本当にピッタリと当てはまるのが、圭子の部屋だった。

「あら、いらっしゃい。どうぞおかけになって」

 圭子は私達にニッコリと微笑んで言った。しかし、目が笑っていない。「私の可愛い息子に何しようって気!?」という殺気にも似たものが部屋全体を覆い尽くしている。しかも、その雰囲気をさらに高めているのが、部屋の壁の至る所に貼られている繁夫の子供の頃からの数多くの写真。そして、彼がもらったのであろうと思われる、トロフィーや楯、そして賞状。ここまで来ると親バカをはるかに通り越して、バカ親である。私は繁夫以上に、この圭子と言う女性に嫌悪を覚えた。

「ありがとうございます」

 法子のその声は、私を魔女のごとき圭子の視線の呪縛から解き放ってくれる天使の声のようであった。法子と私は圭子に勧められて、部屋の中央にある大きめのアイボリーホワイトの皮張りのソファに腰を下ろした。

 改めて部屋を見回してみて、その広さに驚いた。小さな平家建ての家が丸ごと入ってしまいそうな天井の高さと、奥行き。多分この部屋の上には何もなく、二階までの吹き抜けを一つの部屋にしてしまったのだろう。それにしても、圭子の持つイメージと違う感覚の部屋だ。

 あまりストレートに言うのは気が引けるが、圭子の顔は、まさにさっきも引き合いに出したように、魔女顔だ。そして、服装も黒一色で、全く毛染めをしていない白髪混じりの髪も、それを助長している。中世のヨーロッパに生まれていれば、間違いなく魔女裁判で火あぶりの刑に処せられているだろう。

 しかし、だからと言って、彼女が醜いというわけではない。繁夫の母親という偏見を持ったままでも、昔は美人だったのだろうという面影はあるのだから。

「どんなことをお聞きになりたいのかしら?」

 圭子は私達のソファの反対側に腰を掛けて、相変わらず笑っていない目で私達を見た。私達と言うよりは、法子と言った方が正しいかも知れない。法子が繁夫の好みのタイプなのに気づいているのか、それとも繁夫が圭子に話したのかわからないが、彼女が法子を見る目は、敵意に満ちていた。

「その前に、繁夫さんはお部屋を出ていただけませんか?」

 法子のその提案に繁夫はビックリしたようだったが、圭子はニヤリとした。

「そうね。繁夫ちゃん、貴方は自分のお部屋で待ってらっしゃい。母さんはこの方達とお話ししてから貴方にお話があるから」

 圭子のその言葉は、繁夫の顔色を変えた。法子が自分の意に沿わない女なら、後できついお説教をするつもりなのだろうか。

「わかったよ、母さん。部屋に戻ってるよ」

 繁夫は渋々出て行った。圭子はそれを見届けてから法子に目をやり、

「貴女、繁夫とどういう関係? おつき合いをされているのかしら?」

「いえ、しておりません。私は栄子さんの後輩なので、このお屋敷に来ているだけです。繁夫さんとはおつき合いどころか、そのようなお話もしたことはありません」

 法子は圭子をまっすぐ見据えて答えた。圭子は法子の視線を受け切れないのか、目を逸らせて、

「そうですの。では、どんなご用で私に?」

「道枝さんのことでお尋ねしたいことがあるんです」

 法子の言葉に、ほんの一瞬だが、圭子の顔がこわばった。何か聞かれてはまずいことでも知っているのだろうか?

「道枝のことですか。どのようなことです?」

「道枝さんの死は、事故なのか、自殺なのか、それとも他殺なのか、ということです」

 法子は全く婉曲的ではなく、直球勝負で話を切り出した。圭子は法子を見て、

「道枝は水泳の選手だったんですよ。事故のはずがありません。ましてや、あの自己中心的な子が、自殺なんて考えるとは到底思えません。殺人です。間違いなく」

「何故殺人だと言い切れるのですか?」

 法子の問いに、圭子は少しだけ呆れたような顔をして、

「あの子が父、つまり大崎五郎の実の孫ではないのに、遺産を横取りしようとしたからですよ。父に取り入って、養女にしてもらわなければ、一円ももらえなかったはずなのに」

「実の孫ではないのですか?」

 圭子の発言は、法子にも意外だったようだ。圭子はフンと鼻を鳴らして、

「そう。光子姉さんが母の連れ子だったのは御存じですか?」

 法子は黙って頷いた。圭子は続けた。

「光子姉さんは、父の養女になっていなかったです。だから、その光子姉さんから生まれた道枝は、民法上の法定血族にもなりません。あら、法学部在学中の貴女方には、釈迦に説法でしたわね」

 えっ、そうなの? やっばァ、私、全然知らなかった。あれ? 民法ってまだ講義受けてないじゃん。

「そうなると、遺産が全くもらえないのを知った道枝が、光子姉さんに頼んで、父に養女にしてくれるように泣きついたのです。でも父は条件を出しました。それは、孫全員を養子にすることでした」

 なるほど。道枝は背に腹は変えられないので、その条件を渋々呑んだわけか。

「養子の話は、道枝さんから持ちかけたのですね?」

「そうですわ」

 圭子は得意満面で応えた。法子はさらに、

「道枝さんが、自分のことを実の孫に当たらないとどのようにして知ったのですか?」

 その問いに、圭子はギョッとしたようだ。彼女自身、そのことについて考えたことがなかったのかも知れない。

「さァ。私は存じませんわ」

 いや、圭子は本当は知っているのだ。ただ、そのことを喋るのは自分のためにならないと考えたのだろう。

「道枝さんは、御自身では遺産に興味はないとおっしゃっていましたが、実はそうではなかったということですね?」

「そうでしょうね。でなければ、父に養女にしてほしいなどと頼んだりしないでしょうから」

 法子は圭子の答えをじっくりと聞いてから、こう切り返した。

「では貴女は、道枝さんを殺した犯人は遺産が減ることを恐れて、殺人を犯したとお考えなのですね?」

「そういうことになりますかしら」

 圭子は何かを恐れているようだった。どうしたのだろう。さっきから彼女は小刻みに震えている。寒いわけではない。十月になったとは言え、まだまだ陽気は暖かい。生理的な震えではない。

「どうされたのですか? 何か心配事でも?」

 法子が尋ねると、圭子は、

「道枝を殺した犯人はこのままで終わらせるつもりはないでしょう。必ず、繁夫や栄子、それに和美に八重子も、殺そうとするでしょう。私はそれを恐れているのです」

「では何故警察に圧力をかけて、道枝さんは事故死だと発表させたのですか?」

 法子の鋭い問いに、圭子は口籠った。

 しばらく、沈黙が続いた。圭子は両手を握りしめ、うつむいたままで法子を見ようとしない。法子は黙ったまま彼女を見つめた。

 やがて、圭子は重い口を開いた。

「幸江姉さんが強引にそうさせたのです。他の姉と私、それに悦子は、反対したのですが」

 幸江が一人で押し切ったのか。でも光子は何も言わなかったのだろうか。

「光子さんは幸江さんを説得しなかったのですか? 仮にも自分の実の娘が殺されたのかも知れないのに」

 法子が言うと、圭子は悲し気な目を法子に向けて、

「幸江姉さんは一度言い出したら聞かないのですよ。光子姉さんも幸江姉さんの癇癪にだけは太刀打ちできないのです」

「そうなんですか」

 和美の癇癪も相当なものだったから、その母親の癇癪はもっとすごいのだろう。法子は質問を変えた。

「貴女は、光子さんの実の父親である人に会ったことがありますか?」

 圭子はどうしてそんなことを聞くのだ、という顔つきで、法子を見ていたが、

「ええ。随分昔のことですが、あります。あまり鮮明な記憶はないのですけど」

と逃げをうつような答えを返した。法子は頷いてから、

「それはどんな状況だったか、覚えていますか?」

 圭子は首を傾げてしばらく考えに耽った。法子と私は、圭子が喋り出すのを待った。

「確か、父がその人を呼びつけたのだと思います。どんな理由だったのかは知りませんが、父がその人を大声で怒鳴っていたような記憶がありますね」

「怒鳴っていたのですか?」

「はい。でも、内容はわからないのです。私達子供は、二人がいる部屋に入れてもらえませんでしたから」

「そうですか」

 大崎氏が光子の父親を怒鳴っていた。これは何を意味するのだろうか? 圭子はさらに、

「父は光子姉さんのお父様を追い出すように屋敷から出て行かせました。そして、二度とその人はここに来ませんでした」

 法子が、

「他の方で、もっと詳しくそのことを知っている方はいらっしゃいますか?」

 圭子は首を横に振って、

「いいえ。その時そこにいたのは、吉美姉さんと、私と、悦子だけです。吉美姉さんも私と同じくらいしか内容はわからないでしょうし、悦子はまだ小学校にも上がっていませんでしたから、ほとんど記憶にないと思います」

「幸江さんと光子さんはいらっしゃらなかったのですか?」

 法子のその問いに圭子は大きく頷いて、

「幸江姉さんは光子姉さんのお父様が大嫌いでしたから、あの人が来た時、さっさと出かけてしまったのです。光子姉さんは、まだ学校から帰っていなかったと思います」

 光子の実の父親の存在。彼は今回の事件に何か関わりを持っているのだろうか?

「ところで、貴女は事件の犯人を誰だと考えていらっしゃるのかしら?」

 圭子は気味の悪い笑みを浮かべて、法子に尋ねた。法子はニッコリとして、

「まだそんなことは考えていません。道枝さんが殺されたのかどうか、はっきりしていませんから」

 圭子はやや不満そうな顔で、

「そうですの。私は、幸江姉さんが誰かに頼んで殺させたのだと思いますけど」

とあっさり言ってのけた。私はその答えにびっくりしたが、法子はあまり反応しなかった。そして、

「そうお考えになるのは、何故ですか?」

と尋ね返した。圭子は、まさしく魔女のような気味の悪い笑みを浮かべて、

「他に誰がいますの? 道枝は光子姉さん以外誰も信じていない子でした。和美や栄子では、反対に殺されてしまうでしょうし、繁夫にはもっと無理です。八重子も同じでしょう。でも、幸江姉さんの別れた御主人は元警察官で、SP経験者でもありました。二人は父に強制的に離婚させられたのです。しかも、その裏には光子姉さんがいたらしいという噂もありました。幸江姉さんは最有力の容疑者なのですよ」

 幸江には無理でも、元の夫には犯行可能か。確かに有力容疑者だな。

「でも、もし仮に幸江さんの元の御主人が警察官で、SP経験者でもあって、犯行が可能だったとしても、一つ大きな疑問が湧いて来るのです」

 法子の発言に、圭子は眉をつり上げて、

「どういうことです?」

 語気を荒げて言った。法子は、

「何故犯行現場をプールにしたのか、です。もっと別の場所の方が、簡単だったのではないでしょうか」

 圭子は法子の問いに言葉を失ったようだった。しかし、彼女は反撃を試みた。

「道枝の得意な水泳に関係あるプールで殺すというのが、ある意味でとても復讐めいていませんか?」

「そういう考え方もあるかも知れませんね」

 法子は呆れ気味の顔で応えた。圭子は法子の反応などおかまいなしで、とても自分の考えが気に入ったらしく、嬉しそうに立ち上がると、

「申し訳ありませんが、私、繁夫とお話をしなければなりませんので、お引き取り下さいませんか?」

 私達に鋭い視線を投げかけた。法子は私に目配せしてから、

「わかりました。お暇します」

と応え、立ち上がった。


 私達は圭子の異空間から脱出した。法子はともかく、わたしにとってはまさしく「文字どおり脱出」だった。やっと普通に呼吸ができるような気分だった。

「次は誰に話を聞くの?」

 私が尋ねた時、

「あんた達、何のためにこそこそ嗅ぎ回ってるの?」

と声がした。前を見ると、和美と、和美を太らせてふけさせたような中年の女性が立っていた。どうやら幸江らしい。疑惑の張本人のお出ましである。私は実際かなりビビってしまった。

「幸江さんですね? ちょうどお伺いしたい事があるんですけど」

 法子は全く動じないでそう言った。幸江と和美は呆れた様子で顔を見合わせた。

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