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第十章 繁夫の思惑  10月 2日  午後 1時

 栄子さんは書斎に向かっている途中で今がちょうどお昼時だったのに気づき、繁夫が自分の部屋で食事をしていることを思い出した。

 彼は和美同様道枝の死にかなりのショックを受けており、自分一人全く違う食事をしているので、毒を狙いすまして入れられる恐れがあると考え、食事は外から取り寄せ、自分の部屋で誰も入らせずに食べているのだという。そんなに警戒する必要があるのだろうかと思ったが、大崎氏のあの無気味な遺言のことを考えると、それほど取り越し苦労とも思えなくなった。

 栄子さんはそこまで神経質にはなっていないらしく、八重子を呼んで、法子と私を含め、四人で食堂に集まって一緒に食事をした。

「繁夫になんか、話を聞く必要ないよ、法姉。危ないって」

 八重子はサラダを口に含んだままで言った。ホントにこの子は顔は可愛いのに、性格がぶっきらぼうだな。

「八重ちゃん、はしたないわよ、食べ物を口の中に残したままで」

 栄子さんがたしなめるのも無理はない。八重子の口から、キュウリの破片が飛び出したのだ。八重子はその破片を拾って、取り皿の端に載せ、

「もう、栄子姉はうるさいんだから。別に人に飛ばしたんじゃないんだから、問題ないでしょ」

と反省の色なし。すると法子が、

「八重ちゃん、そんなこと言っちゃだめよ。栄子先輩に謝りなさい」

「はァい」

 さすがの八重子も法子には絶対服従なのかな。渋々栄子さんに謝った。

「ごめんなさァい、栄子姉」

「わかればいいのよ」

 栄子さんはニッコリして言った。


 しばらくして私達は食事を終え、反対する八重子を押し切って繁夫がいるはずの大崎氏の書斎に向かった。

「書斎にいる時の繁夫さんは、とりわけ高飛車になるの。お祖父様の後継者気分が、あの部屋にいるとより強くなるみたい」

 廊下を進みながら、栄子さんが言った。法子は頷いて、

「どの人にもそういう傾向はありますよ。学校の先生の中で生徒に上からモノを言うような感じになる人がいるのは、教壇が一段高くなっているせいだって言う人もいます。四輪駆動車のドライバーに無謀運転が多いのも、他の車を下に見ているかららしいですし」

「そうね。私にもそういうところ、あるかもね」

 栄子さんは笑いながらそう言った。しかし、私から見る限りでは、彼女にそんな隠れた性格があるとは思えない。ホントに素敵な人にしか見えないけどな。

 

 しばらくして、私達はある部屋のドアの前に着いた。どうやらそこが大崎氏の書斎のようだった。

「ここよ、法子さん。後継者さんのいる書斎は」

 栄子さんの皮肉っぽい言い方が、私の耳に妙に響いた。彼女は繁夫が相当嫌いのようだ。

「ありがとうございます。あとは律子と二人で大丈夫ですから」

「そう。廊下の先に泉さんの部屋への電話があるから、もし何かがあったら、その電話を使ってね」

「はい」

 法子は微笑んで栄子さんの心遣いに応えた。


 栄子さんが立ち去ってから、法子は書斎のドアをノックした。

「どうぞ」

 繁夫のぶっきらぼうな声がした。まさか法子がノックしたとは思っていないのだろう。

「失礼します」

 法子がドアを開くと、中にはまるで図書館のようにたくさんの書物が並ぶ書棚があった。その一番奥のテーブルに繁夫はたくさんの本を重ねて置き、読みふけっていたらしい。彼は法子が入って来たのに気づくとサッと立ち上がり、彼女に近づいた。そして嫌らしい笑みを口元に浮かべて、

「これはこれは。法子さんではないですか。どうぞ、こちらへ」

 自分が腰掛けていた椅子に誘導した。私は置いてきぼりだ。

「実は少々お話を伺いたいんですが」

 法子は椅子を勧められたのを右手で断りながら言った。繁夫はわざとらしく大袈裟に驚いてみせて、

「はァ。そうですか。僕でわかることでしたら、何でもお答えしますよ」

と言い放ち、ニヤッとした。そして私に鋭い一瞥をくれた。何でお前がここにいるんだと言いたそうだ。

「道枝さんの事件のことなんですけど、どう思われますか?」

 法子が尋ねた。すると繁夫は困ったような顔をわざとして見せ、

「あれは自業自得ですよ。あれだけ高慢な態度をとり続けていれば、その死に様は悲惨です」

 臆面もなく言ってのけた。あの世で道枝が聞いていたら、繁夫の死際に必ず地獄の鬼と迎えに来るんじゃないかしら。

「貴方は道枝さんのことを快く思っていなかったのですか?」

「ええ。あの人は人に上からしかものが言えない人でしたからね。謙るということができなかったんですよ。ですから、勤め先では実力はナンバーワンだったようですが、随分と嫌われていたようです」

 繁夫は実に愉快そうに話した。私はもう気分が悪くて書斎を出たいくらいだった。人の振り見て我が振り直せとは、こいつのためにあることわざだ。

「道枝さんは、光子おばさん以外の全ての家族に疎まれていました。特に幸江おばさんと和美さんには忌み嫌われていましたね」

「そうなんですか」

 法子は淡々と話を聞いている。繁夫は法子といろいろ話せる絶好の機会だと考えたのか、妙なことを言い出した。

「お祖父様は生前、僕達孫に、いろいろと話をしてくれました。何故お祖母様と結婚したのか、どうして僕達を養子にしたのか」

「どうしてなんですか?」

 法子が尋ねると、繁夫は法子にグッと顔を近づけて、

「道枝さんが、お祖父様の実の孫ではないからですよ。彼女の母親である光子おばさんは、お祖母様が前の夫であった人との間にもうけた子供で、お祖父様の実子ではないのです。そして、他の娘達に不公平にならないように、僕達孫全員を養子にしたんです」

 その話は八重子から聞いてる。あんまり参考にならない。ところが、次の話はちょっと衝撃的だった。

「これはお祖父様が僕にしか話していないことなんですが、お祖母様の前の夫はお祖父様の恋敵で、お祖父様はその恋敵をだまして破産させ、お祖母様を奪ったんだそうです」

 えっ!? 八重子の話と違うぞ。どうも眉唾だな。

「お祖父様はその頃から商売の天才だったのです。恋敵はだまされたとは言っても、自由競争の中で敗北して破産したのであって、お祖父様が陥れたわけではありません。それにお祖母様自身も、お祖父様に惹かれて結婚したのですし。もし略奪結婚だったら、その後に四人も子供を作れませんよ」

 確かにそうかも知れない。繁夫の話は真実なのだろうか。

「貴方のお祖母様の前の旦那さんは、どうしているんですか?」

「どこかの養老院で暮らしているらしいですよ。破産したとは言っても、その後立ち直ってある程度は財産を残したようですから」

「なるほど」

 法子は結構興味深そうに頷いた。繁夫は法子の好反応に気を良くしたのか、ニヤニヤして、

「そうは言っても、我が一族とは比べものにならないから、お祖父様から再びお祖母様を奪い取るなんてできませんでしたけどね」

 何故か得意そうに言った。ホント、こいつバカ。自分の家が金持ちなのは、自分の力ではないのに何故か周りに威張り散らす典型的なお坊っちゃまだ。

「道枝さんの死は、事件だと思いますか? 」

 法子が尋ねると、繁夫は一歩法子に近づき、

「もちろんです。犯人は家族の中にいますよ。道枝さんを殺したい人間は、この屋敷にはたくさんいますからね」

「自殺の可能性はありませんか?」

 法子がとぼけて言うと、繁夫はヘラヘラ笑って、

「本気でそんなことおっしゃっているんじゃないですよね。道枝さんは、自殺なんかする人間ではありませんよ。他人を自殺に追い込むことは考えられますけどね」

 確かに。おっと、繁夫と同意見というのは、ちょっと嫌だな。

「では、家族の中に犯人がいると思う根拠は何ですか? 」

 法子が促すと、繁夫はフッと笑って、

「お祖父様の遺言ですよ。一年後に生きている養子に財産を分け与えるというね」

と得意そうに答えた。法子は頷いて、

「そうですか。ということは、財産をもらえない貴方のお母さん達は、容疑者から外れるわけですね」

「いえ、そうでもないですよ。自分の子供に遺産が入れば、一生遊んで暮らせますからね。十分容疑者になり得ますよ」

 繁夫が長々と説明したので、その内容の全てをお話しするのは差し控えるが、かいつまんで言うと、おば様達全員、遺留分の放棄をしているらしい。すなわち、光子達は、相続財産を全て養子に分与するという大崎五郎氏の遺言に反して、財産を相続することを法的に主張できないのだ。遺留分の放棄とは、本来相続できる自分の取り分を放棄することだからである。

「大崎の財産は、百人人を殺してでも手に入れたくなるほどの額なんです。貴方も僕と結婚すれば、その一部が手に入りますよ」

と繁夫が言ったのには、さすがに私は黙っていられなかった。しかし、法子がすぐに私を手で制して、

「私は財産とか、名誉とか、地位とか、全く興味がないんです」

とニコニコして言った。繁夫はまたアメリカ人のように肩をすくめてみせた。気持ち悪。法子はそんな繁夫の仕草などおかまいなしで、質問を続けた。

「大崎さんの恋敵の人は、大崎さんの奥様に会いに来たことはなかったんですか?」

「さァ。母達なら何か知っているでしょう」

 繁夫もそこまでは知らないらしい。法子はさらに、

「貴方のお母さんにお話を伺えませんか?」

「ええ、大丈夫ですよ。今から母の部屋に行きますか?」

「はい。案内して下さい」

 法子がそう言うと、繁夫はまた嫌らしい笑みを口元に浮かべて、

「わかりました。では参りましょうか」

 先に立ってドアに向かった。法子は黙ったまま私に目配せして、繁夫に続いた。私も仕方なく、法子に続いた。


 私達は書斎を出て、再び長い廊下を歩いた。

「この屋敷、僕達でも全部把握していないんですよ。屋敷の隅々まで知っているのは、亡くなったお祖父様と、光子おばさん、幸江おばさん、それに泉さんくらいかな」

「そうなんですか」

 繁夫の言うように、この屋敷の位置関係を全て把握するには、かなりの歳月が必要なようだ。私のような方向音痴には、一生かかってもなし得ないだろう。

「僕はね、法子さん、お祖父様に経営の何たるかを教わったんですよ。近頃、バカなコマーシャルが多いでしょう。ギャランティの高い芸能人をたくさん使って、売り上げを伸ばそうとする。お祖父様の経営哲学から言わせれば、あれは愚の骨頂なんです。下らない広告費をかけて、売り上げに繋がるかどうかわからないようなタレントの拙い演技で商品購買意欲をかき立てようなんて、時代遅れもいいとこですよ。そして元を取るために、その分を消費者に押しつける。日本企業の一番嫌らしいところです」

「でも、タレントがコマーシャルに出ることによって、商品は人目を惹きますよね」

 法子が異を唱えると、繁夫はチラッと法子を見て、

「商品じゃなくて、タレントそのものに目が行ってるんですよ。今ではコマーシャルは商品の宣伝をするためにあるのではなくて、タレントの知名度を上げるためにあるんです。企業は芸能界の下衆共に利用されているんですよ。もうそろそろタレントを起用しての広告宣伝はやめにすべきです」

「そうすればもっとコストがかからなくなって、商品をより安く販売できるようになる、ということですか」

 法子は感心したように言った。繁夫はその法子の反応が嬉しくてたまらないらしく、

「そうです。大崎物産のコマーシャルには、一切タレントを起用していません。しかし、商品の販売高は業界トップです。この結果がお祖父様の考えが正しいことを何よりもはっきりと表していますよ」

 実に気持ち悪い笑顔で答えた。法子は苦笑いをして、

「商品そのものに目を向けさせる戦略が、見事に的中したということですね」

「そうなんです。まさにそのとおりです。バカ揃いのタレントを大勢使って、下らない番組を放送しているテレビ局も、体質改善しなければなりません。これからは企業が広告料を支払ってコマーシャルを流してもらう現在の形式を捨てて、企業そのものが放送局を作り、コマーシャルなしで放送するようにしないと、愚にもつかないプロデューサーや、歯の浮くようなことしか言わないディレクター共を増長させるだけです。企業そのものが番組を作って放送すれば、番組全体の責任も企業にありますから、あまりいい加減な製作はできません。となると、放送に対する道徳心が向上し、今のような低俗番組はなくなりますよ」

 繁夫は得意の絶頂だった。しかし、法子の次の言葉で、繁夫は奈落の底に突き落とされた。

「企業が放送するとなると、その企業が犯した犯罪を暴く番組は絶対に放送されませんね。そしてまた、例えば大崎物産が放送局を持ったとしたら、食品メーカーのイメージを悪くするようなストーリーのドラマは決して放送されませんよね。それは、とてもまずいことなんじゃないですか?」

「そ、それは……」

 繁夫は口籠ってしまった。やったァ! さっすが法子。最後でバシッと叩きのめしてくれたわね。

「確かに現在のテレビ番組は問題があるかも知れません。でもそれは見る側の責任でもあります。下らないと言われている番組が高い視聴率を取るから、テレビ局はそういった番組を製作するんです。そして企業も視聴率がいいから、下らない番組作りに多額の広告料を惜し気もなく提供する。それぞれの立場の人達は皆、それぞれに責任があるのですよ」

 法子の追い討ちに繁夫は相当打ちのめされていた。法子はさらに言った。

「貴方の考えはある意味ではすばらしい発想ですが、物事は一面的にばかり見ていると、失敗してしまうものです。もっと多面的な視野を持たないと、本当の意味での経営哲学は成立しないのではありませんか?」

「はァ」

 繁夫は惚けたように法子を見つめて応えた。応えたと言うよりは、溜息を吐いたと言った方が正しい表現かも知れない。


 その後は、繁夫は黙って私達を先導し、彼の母親である圭子の部屋の前まで行った。

「母さん、いるの?」

 繁夫がドア越しに声をかけると、中から、

「いるわよ、繁夫ちゃん。どうしたの?」

 甘ったるい声が応えた。繁夫は苦笑いして法子に目をやり、

「栄子さんの後輩の人が、母さんと話をしたいそうなんだ。中に入っていいかな?」

「あら、そうなの。いいわよ、お通しして」

 声に応じて繁夫はドアを開き、私達を中に導いた。そこはまた、異世界のようであった。

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