第九章 大崎家の内幕 10月 2日 午前11時30分
法子と私は、ブスッとした八重子を残して栄子さんの部屋に向かった。
「八重ちゃんがいても大丈夫よ。あの子に聞かれて困るようなこと、何もないから」
栄子さんが言ったが、法子は、
「そういうことじゃないんです。八重ちゃんに聞かれてまずいとかではなくて、あの子がいることによって先輩の話に歪みが生じたりするのがまずいんです」
「わかったわ」
栄子さんは微笑んで応え、部屋に案内してくれた。
それにしても外から見るより広く感じる。八重子の部屋からもう何十メートル来たろうか。彼女の部屋は確か二階だったが、栄子さんの部屋は、そこから少し下った中二階のようなところにあった。増築を繰り返した老舗の旅館並みに構造が複雑で、一人で帰れと言われたら遭難してしまいそうだった。
「どうぞ」
栄子さんに促されて中に入ると、そこはまさに大人の女性の部屋だった。八重子の部屋のように、芸能人のポスターは貼られていない。壁には大きな風景画があり、小さな木製のテーブルの上にはあざやかな色の熱帯魚が泳ぐ水槽が置かれている。ベッドも木製のセミダブルで、真っ白なシーツに真っ白な枕があった。ま、とにかく、小洒落た雰囲気の部屋だ。私の部屋の殺風景さが非常に身にしみた。
「何か、恥ずかしいな。あまり見回さないでね、律子さん」
栄子さんに言われ、私は赤面して、
「あ、す、すみません、あまりきれいな部屋なので、つい」
「ありがとう」
法子と私は栄子さんと向かい合って、ベッドの脇にある一対のソファに腰を下ろした。
「何か飲む?」
やはりこの部屋にも冷蔵庫がある。八重子の部屋のものよりやや大きめだ。
「はい。さっき、八重ちゃんにもらった紅茶、飲み損ねましたから」
法子はニコニコして言った。私も頷いた。栄子さんはクスッと笑って、
「八重ちゃんは自分の感覚でものを出すから、そのペースに乗れないと飲み物もそうだけど、ケーキを出されても、食べられないのよね」
愉快そうに言った。栄子さんと八重子って、けっこう仲がいいようだ。
栄子さんは、冷蔵庫に缶ではなく、きちんと落としたコーヒーとティーポットに入れた紅茶を用意していた。この辺が八重子と違うところだな。
「八重ちゃんはどんな話をしたの?」
栄子さんは紅茶を注ぎながら尋ねた。法子は栄子さんを見て、
「光子さんが大崎さんの奥様の連れ子で、他のおば様方とは半分しか血縁関係がないこと、それから、道枝さんを何故養女にしたのかという話を聞きました」
「そうなの。じゃ、私も同じようなことしかお話しできないわね」
「そんなことありませんよ。例え全く同じ話だとしても、聞く意味はあります。視点が変われば、同じ絵でも違って見えるように」
法子のその言葉に、栄子さんはほんの少しだが動揺したようだ。グラスをトレイに載せて運ぼうとした手が一瞬止まった。
「そう。でも、ホントに同じことかも知れないわよ。私も八重ちゃんも、まだ大崎グループの中に入っていないから浅い部分しかわからないので」
「はい、それでも構いません。まず、おば様方の関係を教えていただけませんか?」
栄子さんは紅茶の入ったグラスをテーブルの上に置きながら、
「ええ。どのおばから話しましょうか? 」
「光子さんからお願いします」
法子が真顔で言った。栄子さんも笑顔をやめて真面目な顔になり、ソファに腰を下ろした。
「光子おばさんは、私、よく知らないのよ。母と光子おばさんは、他のおば達と比べると仲がいいらしいんだけど、母も光子おばさんのことはあまり話してくれないし、私も母に光子おばさんのことを尋ねたりしないし。光子おばさんが他のおば達とは半血姉妹だという暗黙の示し合わせがあるからかしらね」
「そうですか。光子さんのことを一番良く知っているのは、誰ですか? 」
「泉さんじゃないかしら。あの人は、おば達が若い頃からここにいたから、光子おばさんのこともよく知っているはずよ」
「わかりました。それでは、幸江さんのことを教えて下さい」
何故か栄子さんはホッとしたようだ。
「幸江おばさんはお喋りで、人の陰口が何よりの楽しみなの。私も陰で何を言われていることか。とにかく、五人の中で一番孤立している人よ。そして、光子おばさんの存在を誰よりも快く思っていない人」
栄子さんにしては、随分荒々しい口調だった。よほど幸江が嫌いなのだろう。
「他のおば様は、光子さんのことをどう思っているのですか?」
「さァ。私の母は、光子おばさんのことを決して悪く言ったりしないわ。随分お世話になったようだし、今でも相談相手になってもらっているようだし」
「お二人のことを、幸江さんはどう思っているのでしょう?」
栄子さんはギョッとして法子を見つめた。そして、
「あのおばさんは、私の母も疎ましいみたい。お祖父様が御存命の時、いろいろ母のことを告げ口していたのよ。どんなことを言っていたのかまではわからないんだけど」
法子は大きく頷いて、
「圭子さんて、どんな方ですか?」
「圭子おばさんは、おとなしい人だから、あまり印象は悪くないんだけど、時々何も言わずに人の背後に立つのは、ちょっと気味悪いわね。それに繁夫さんをとても甘やかせて育てたから、彼には我慢するっていう心が欠如しているのよ。だから初対面の貴女に対して、品性下劣な行動をとれるのよ」
「繁夫さんは貴女や他の従姉妹の人達にどんな感情を持っているのですか?」
法子は苦笑いして尋ねた。栄子さんは、
「そうね。繁夫さんは、道枝さんを本当に怖がっていたわ。彼女、子供の頃の繁夫さんを殴り倒したことがあるのよ。悪いのは繁夫さんで、彼が私達の下着を盗んだからなんだけど」
ゲッ。あいつ、そこまでおかしい奴だったのか。嫌だな。
「繁夫さんは、それからずっと道枝さんには逆らえない立場に追い落とされたわ。ただでさえ道枝さんは彼より体格が良かったのに加えて、繁夫さんは病弱、道枝さんはスポーツ万能。どうしようもないほど、二人の関係は決定的だったわ」
「繁夫さんは和美さんや貴女や八重ちゃんにはどうなんですか?」
法子がそう尋ねると、栄子さんはかすかに微笑み、
「彼は自分より弱い者には強いの。貴女達がいた時はそうでもなかったけど、ふだんは威張っていることが多いのよ。和美さんにはぺスがいるから、あんまりあからさまには威張ったりしていないけどね」
「八重ちゃんも負けていないでしょう?」
「そうね。私が一番標的にされるかしら。でも、貴女が来たから、今度は私に取り入って来るかもね」
栄子さんはやや呆れ気味に言った。法子も困惑したように微笑んだ。
「八重ちゃんのお母さんはどうなんですか? 」
法子は話題を変えたいのか、そう尋ねた。栄子さんは小首を傾げて、
「そうね。おのおばさんも、あまり話さないから、よくわからないわね。ただ、私と八重ちゃんが仲がいいから、私に対しては優しいわ。ただ、いつも編み物をしているのにはちょっと抵抗あるけど」
「どうしてそんなに編み物が好きなんですか?」
法子が尋ねたが、栄子さんは首を横に振って、
「わからない。あのおばさんて、私達が小さい頃からずっと、編み物をしていたから、何がきっかけなのかは私達にはわからないわ。母や、他のおば達なら知っているかも知れないけど」
「そうですか」
それにしても大崎のおば様達は揃って濃いキャラクターの持ち主のようだ。犯人がこの家の者だとすると、捜査は難航しそうだな。
「道枝さんは他の従姉妹の方からどう思われていたんですか?」
法子のその質問は、すでに決着を見ているようなものだったが、栄子さんは、
「そうね。和美さんと道枝さんは、知ってのとおりの関係だし、私は彼女のこと、なるべくなら避けたいと思っていたし、繁夫さんは鬼か悪魔かのように恐れていたし。八重ちゃんも、露骨に嫌っていたわね。道枝さんがもし殺されたのだとしたら、私達従姉妹は全員動機があって、有力容疑者ってとこかしら」
その言葉は、妙に重々しかった。法子もすぐには口を開かず、ほんの少し間を置いてから話し始めた。
「貴女は道枝さんの死をどう考えていますか?」
「殺人だと思うわ。彼女は夢遊病だったけど、それは小さい頃のことで、ここ何年かの間にその症状が現れたということはなかったから。事故死はありえないし」
栄子さんは、きっぱりと言った。正論だ。私もそう思う。法子も頷いて、
「そうですね。夢遊病は幼児期に起こるもので、成人してから発現することは稀だと聞きました。道枝さんは溺死していたのですが、決して事故死ではないと思います」
栄子さんはあたりをはばかるようにして小声で、
「貴女は犯人を誰だと考えているの?」
「いえ、まだそこまでは。とにかく皆さんのお話を聞かないと」
法子はニコッとして応えた。栄子さんも微笑んで、
「そうね。ごめんなさい、バカなこと聞いてしまって」
「いえ。犯人が誰なのかは、私も含めて全員が知りたいことですから。今の段階では、データが少な過ぎるんです」
「確かに。道枝さんが何故殺されたのかもわからないんですものね」
栄子さんはとても悲しそうに言った。法子はその様子を察して、
「すみませんでした、長々と。また何か気づいたことがあったら、教えて下さい」
と立ち上がった。私も立ち上がった。栄子さんはハッとして法子を見上げ、
「帰るの?」
「いえ。あと、和美さんにお話を聞きたいんですけど」
法子が言うと、栄子さんは立ち上がって、
「和美さんは部屋にベスと籠って出て来ないわ。入れるのは泉さんと幸江おばさんだけ。後は誰も入れてくれないのよ」
「そうなんですか。では、繁夫さんにお話を伺います」
法子のその発言に栄子さんはもちろん、私もびっくりした。
「やめた方がいいわ、法子さん。繁夫さんは、部屋に入れた女性は必ず口説くわよ」
「大丈夫ですよ。律子も一緒ですから」
えっ? 私も同席するの? そりゃ、法子と繁夫を二人きりにすることはできないけど、下着ドロの前科があるような奴の部屋に入るのは非常にためらわれる。部屋の中も見たくないし、あいつと同じ部屋の空気も吸いたくない。しかし、法子はそんな私の考えなど全然関係ないみたいで、
「繁夫さんはいるんですか?」
栄子さんに尋ねた。栄子さんは仕方なさそうな顔で、
「彼はこの時間だったら、お祖父様が使ってらした書斎にいるはずよ。もう後継者気取りで、いろいろお勉強しているみたいだから」
「そうなんですか」
一応、その書斎までは栄子さんが案内してくれることになり、私達は部屋を出た。
「それにしても大きなお屋敷ですね。一人で来たら、出口がわからなくなりそうです」
法子が周囲を見渡しながら言うと、栄子さんはクスッと笑って、
「私も来たばかりの頃は、よく自分の部屋の位置を忘れて、泉さんに教えてもらったものよ。ほら、そこにある電話、泉さんへのホットラインなの」
廊下の隅の小さなテーブルに置かれたダイアルのない丸い電話を指し示した。すごいなァ。家の中で電話で場所を確認しないといけないなんて。
「この電話は、各階の廊下に全部で十箇所設置されているわ。ホントに、バカバカしいほど大きな屋敷よね」
栄子さんのその言葉は、自虐的だった。確かに、この屋敷の大きさは尋常ではない。私は間違いなく遭難してしまうだろう。たとえ電話を通じて泉さんに助けを求めても、今いる場所がわからないのでは泉さんも誘導できないし、ましてや助けになど来られない。
「まるでナースセンターみたいですね、泉さんのお部屋は」
法子が言うと、栄子さんは、
「ああ、それうまい例えね。そうね、本当にそうだわ」
とひどく感心していた。