プロローグ 中津法子宅への訪問
中津法子シリーズ三番手です。
自信を持ってお送りする失敗作です。
厳しい評価はご勘弁下さい。
夏休み気分も、ようやく抜け切ったかな、という今日この頃。前々からの約束通り、私は小田急線で世田谷区の祖師谷に向かっていた。ほら、とん○るずの一人の実家があるところよ。
おっと。
自己紹介ね。私、神村律子。某私立大学法学部の一年生。まだ十九歳の女の子である。
その私の大親友(とは言え私だけの思い込みかも知れないけど)の中津法子の実家が、祖師谷にあるのだ。そこへ向かっている途中なのである。
彼女は、夏休み中に起こった恐るべき連続殺人事件を解決し、警視庁と群馬県警にすっかり名前と顔が売れてしまっている美人名探偵だ。でも本人は至って謙虚で、有名になるのを嫌がっている。
大学にもマスコミが嗅ぎつけて取材に来たが、法子はうまく逃れて、まだその正体を知られていない。大学の一部にも彼女のファンクラブができているそうで、大変な人気ぶりだ。法子はそれをとても迷惑がっており、真剣に私に相談して来たくらいだ。私にしてみれば、うらやましい限りなのだが。
とか回想しているうちに電車は祖師谷大蔵駅に到着した。
ホームに降りて改札口まで来た時、法子が迎えに来ていることに気づいた。相変わらず休みの日は、ラフな格好だ。上は無地のTシャツにマロンイエローのカジュアルシャツ、下はアンバーブラウンのジーパン。トレードマークのポニーテールも健在だ。
「おはよう、律子。予定通りね」
彼女はとびっきりの笑顔で言った。私もニッコリとして、
「そうね。でも、わざわざ駅まで来てくれなくても良かったのに。もう場所わかってるんだから」
「近いんだから気にしないで。さっ、行きましょ」
法子はいつにも増してにこやかだ。その原因は、私が法子の実家に呼ばれた理由でもある。
彼女の実家の近所には、警視庁で刑事調査官、すなわち、俗に言う検死官をしている人がいるのだ。その人が、久しぶりに一日休暇をとれたので、法子の家に遊びに来て、いろいろと事件の話をしてくれると言うのだ。法子は大変喜んで、私を誘ってくれた、というわけなのである。
法子のお父さんはどんな仕事をしているのか聞いていないが、ほとんど家にいないほど忙しいらしい。
そんな法子のところによく顔を出して、彼女にいろいろ面白い話や、怖い話をしてくれたのが、その検死官の人なのだ。その人は法子のお父さんの旧友でもあり、法子のお母さんの弟、すなわち法子の叔父さんの知り合いでもあるらしい。法子の叔父さんは、葬儀屋だということだから、職業上のおつき合いでもあるのだろうか。
とにかく、法子はその人が大好きのようだ。その人の名前は、喜多島啓造。五十代の渋いおじ様らしい。法子は喜多島さんを「おじ様」と呼んでいる。私も、喜多島さんに会うのを楽しみにしていた。法子に恋人がいないのは、ひょっとして喜多島さんのせいなのかな。それとも、彼女、ファザコンだろうか。ま、どっちでもいいか。なんて呑気なことを考えていられたのも、それからほんの少しの間なのだとは、その時の私は、夢にも思わなかった。
「ただいま」
法子が玄関のドアを開いて言った。彼女の実家は、成城の高級住宅街のそばのせいだろうか、結構な造りだ。私の実家よりずっと大きいし、新しい。お父さん、かなりの高給取りだな。
「おかえり、法ちゃん」
奥から男の人の声がして、長身の男性が現れた。髪は白いものがチラホラ混じっていて、どちらかと言うと長髪で、後ろ髪が長い。しかし、だらしない感じは皆無。顔は、有名な歌舞伎役者に似ている。渋そうなところがそっくりだが、眼は鋭い。と言っても、決してヤクザのオジさんのような怖いものではなく、所謂刑事の眼というものだ。着ているスーツは、黒系の縦縞だ。間違いない。この人が「喜多島のおじ様」であろう。休みの日なのにスーツ姿なのは、いつ呼び出しがあっても対応できるからだろうか。
「あら、おじ様、もういらしてたの。お母さんは? 」
法子は意外そうに目を見開いて尋ねた。喜多島さんはニヤッとして、
「ウチのカミさんと、バーゲンセールに行ったよ。それで私が留守番を言いつかったわけだ」
法子は呆れたように溜息を吐き、
「もう、何て人なの。今日は私の親友が来るから、おもてなししてねって言っておいたのに」
「親友」という言葉に、私は感動してしまった。
良かった、私一人が親友だと思っているんじゃなくて。
「なるほど。するとそちらが、噂の『神村律子さん』か」
喜多島さんは、私の顔をマジマジと見た。私は気恥ずかしくなり、
「こ、今日は」
と応え、下を向いた。 それに気づいた法子が、
「おじ様、初対面の女の子の顔をジロジロ見るなんて、紳士のすることじゃないわよ」
「ハハ、そうだな。申し訳ない、律子さん。失礼しました」
喜多島さんはにこやかな顔でそう言ってくれた。私は再び顔を上げて、
「い、いえ、とんでもない」
やっと声に出して応えた。
私は居間に通された。
ダイニングキッチンと一体になった、広い部屋だ。畳10畳分くらいあるだろうか。どうも部屋の広さを考える時、畳の枚数で計算してしまう私って、田舎モンかな。その中央に配置された、ゆったりとしたソファに私は喜多島さんと向い合わせに腰を下ろした。
「今コーヒー入れるね」
法子はキッチンに歩を進めた。すると喜多島さんが、
「私は紅茶にしてもらえないかな」
「はいはい」
法子のやや呆れ気味の声が返って来た。
「さてと。法ちゃんと解決した事件の後遺症からは、もう脱出したかな? 」
喜多島さんは、唐突に私に質問して来た。私は一瞬キョトンとしたが、
「ええ、何とか。法子が慰めてくれたので」
「そう。まァ、人生はいろいろあるから。律子さんのような素敵な女性には、いくらだっていい男が寄って来るさ」
皆さん、天地神明に誓って、喜多島さんの発言は私の創作ではないことをここに宣言します。とにかく、私にとって、そんなに褒められたのって生まれて初めてだったので、とても感激してしまった。
「おじ様、あまりその話はしないで。私がとてもお喋りで、律子のことを全部おじ様に話してるみたいじゃない」
法子がコーヒーカップを載せたトレイを持って戻って来た。喜多島さんは苦笑いをして、
「いや、そんなつもりはなかったんだが。法ちゃんがとても律子さんのことを心配していたから、そのことを律子さん自身にわかってほしかったんだよ」
法子は心持ち顔を赤らめているように見えた。
「やめてよ。恥ずかしいな」
感動だ。
法子ってそんなに私のことを心配してくれて、喜多島さんにまで相談したんだ。ああ、目頭が熱くなって来てしまった。
「ごめんね、余計なことしてしまって。私、おじ様に相談したのよ。貴女のこと、心配だったから」
法子はホントに申し訳なさそうに両手を合わせて片目を瞑り、そう言った。私は首を大きく横に振って、
「とんでもない。ホント嬉しいよ、法子。そんなに私のこと心配してくれたのが」
不覚にも涙をこぼしてしまった。これには喜多島さんも驚いてしまい、
「わっ、律子さん、泣かないで。私が調子に乗り過ぎたみたいだ」
ハンカチを差し出した。
「ほらごらんなさい。おじ様のせいよ」
法子がムッとした調子で言った。私はハンカチで涙を拭いながら、
「違うのよ、そうじゃないの。大丈夫だから」
喜多島さんを弁護した。法子はニコッとして、
「わかったわ。もうこの話は、二度としない」
「ありがとう」
私達は少々間をとるために、コーヒータイムに入った。
しばらく、沈黙の時が流れた。
「そろそろいいかな? 」
喜多島さんがたまりかねて法子に尋ねた。法子は私をチラッと見てから頷いて、
「いいわよ。どの話から聞かせてくれるの? 」
喜多島さんはニンマリして、
「さて、どれから話そうかな」
腕組みをして考えるフリをした。
その時だった。携帯電話の着信音が、居間に鳴り響いた。私の携帯の着メロではない。もちろん、法子のでもない。これはクラシックだ。題名は……。
「おじ様、まだ『野ばら』使ってるの。よく飽きないわね」
法子が言った。あっ、そうか、これ、シューベルトの「野ばら」か。
「まだ飽きないね」
喜多島さんは応えて、スーツの内ポケットから携帯電話を取り出して、応答した。
「喜多島です」
にこやかだった喜多島さんの顔が、一瞬にして険しくなった。事件の連絡なのだろうか?
「わかった。すぐ現場に向かう」
喜多島さんは、携帯をしまうと、法子に目をやり、
「というわけだ、法ちゃん。せっかく、律子さんまで来てくれたのに、残念だが」
「仕方ないわよ。おじ様は検死官ですもの。私達の都合で動けないことくらい、承知してます」
法子はニコニコして応えた。喜多島さんはその法子の笑顔をまぶしそうに見て、
「そう言ってもらえると、助かるよ」
と言い、立ち上がった。法子と私が立ち上がると、喜多島さんは、
「ああ、ここで結構。律子さん、重ね重ね申し訳ない。この埋め合わせは必ずするからね」
私を見て言ってくれた。私は微笑んで、
「お気遣いなく。お仕事、頑張って下さい」
「ありがとう」
喜多島さんは、笑顔でそう言うと、法子の家を出て行った。
「ごめんね、律子。ちょっと拍子抜けね」
法子はカップを片づけながら言った。私も慌てて後片づけを手伝い、
「いいのよ。仕方ないでしょ、お仕事なんだから」
「そうなんだけど」
法子は喜多島さんにああは言ったが、内心は残念でたまらないのかも知れない。
「こうなったら、食い気に走りましょうか」
私が提案すると、法子はトレイを抱えて、
「律子は確か、ダイエットしてるんじゃなかった?」
と痛いところを突いて来た。私は苦笑いをして、
「もうやめやめ。この間行った、学園駅前のケーキ屋さん、今日も開いてるわよね?」
法子はキッチンで洗い物をしながら、
「今日も開いてるわよ。ホント、律子って、ケーキが好きね」
「そりゃもう」
私は洗い物を手伝いながら応えた。
しばらくして、法子と私は彼女の家を出て、学園駅前のケーキ屋に向かった。日は高くなっており、空に浮かぶ雲は秋の到来を感じさせた。
「もう秋がそこまで来てるのね」
私がしみじみと言うと、法子も、
「そうね。ちょっと物悲しい季節になるわね」
と応えた。
私達は学園駅前の通りに出た。ここを左に曲がれば目的のケーキ屋まであと百メートルというところまで来た時、法子が通りの右の方を見て呟いた。
「あら、あそこにパトカーが停まってる」
「えっ? 」
私はギョッとしてそちらに目をやった。確かにその通りのずっと先に、パトカーが赤色灯を回したまま停車しているのが見えた。
「あそこは確か……」
法子がパトカーに向かって歩き出した。私は嫌な予感に襲われて、
「待って、法子」
と彼女を追いかけた。
パトカーの停車しているのは大きな邸の前だった。
成城という一等地に、これだけの門構えの邸を建てているということは、相当なお金持ちの家なのだろう。とにかく、私の拙い表現力では、「お城」としか言い表しようがない。庭の広さも、学校並みで、ますますびっくりしてしまった。
パトカーには、誰も乗っておらず、邸の門が開いたままになっているところから、警察の人達は中へ入って行ったと思われた。
「何があったのかしら?」
法子は門の中に勝手に入って行ってしまった。私はビックリして、
「ちょ、ちょっと、法子!」
慌てて彼女を引き止めようとしたが、
「そこの二人、何してるんですか?」
男性にとがめられるような口調で声をかけられてしまった。法子と私は声の主を確認するために、そちらに目を向けた。そこには、二人の刑事と思われるスーツ姿の男性が立っていた。