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今生は水葬、来世は水槽

作者: スナコ

初オリジナル作品です。私の理想や性癖をめいっぱいに詰め込みました。

淡々とした静かな雰囲気を目指して書きました、雨の日の部屋の下の方に溜まった冷気をイメージしてください。あんな感じのつもりです。

思えば昔から、水の好きな子だったと思う。

季節問わずプールに通い詰め、海に潜れば歓声を上げた。お風呂からはなかなか出てこないし、とにかく水に触れたがった。

そんな彼女には奇癖があった。

大雨が降ると、傘もささずに外へ飛び出し、雨に打たれながら踊るのだ。それはそれは楽しそうに、乾いた世界では考えられないほど満面の笑顔を見せて。

なぜか?

魚になりたいのだ、と。彼女から理由を聞いた時は納得したものだ。

水に帰った魚。雨の中にいる彼女は、その表現がよく似合った。生き生きと跳ねて、生命感と躍動感に溢れている。

太陽の(もと)では息苦しそうに生きづらそうにしていたのは、本来生まれ落ちるべき種族を間違ってしまったからなのだと。

彼女に感じていた違和感が、氷解した瞬間だった。


人間の体に生まれた以上、水の中では生きられない。悲しきかな、人は鰓を持ち得ず、肺呼吸しかできないから。

どんなに水中が恋しくとも、酸素に囲まれた世界でなくては生きられない。

水が恋しい、水に帰りたい。焦がれるほど、壊れるほど。どんなに乞い願おうとも、叶う事のない願い。

それを叶えたと錯覚できるのが、あの雨の日なのだ。

地上に在りながら水の中にいる。水の中にいるのに呼吸ができる。水の中にいるのに、苦しくない。地上に在るのに、解き放たれている。

地上の水の中を泳ぐ魚になれる、唯一の日。それが雨の日なのだ。

そう理解したある日から、私の中に、ひとつの夢想が生まれた。それは今この瞬間も私に取り憑き、私を虜にし続けている。


「ねえ、もしお前が私より先に死んだらさ」

「ん?」

私の突然の発言に、なんでもない顔で振り返る彼女。

ああ、縁起でもない話を、それでも怒ったり嫌な顔したりしないで聞いてくれるお前が好きだよ。

「遺体は水葬にしてあげようか」

「、」

ほんとは魚に生まれたかったと、言う。生まれた形を間違えたなら、せめて。死んだ後は、望む場所に帰してやりたかった。

「いい、ね。それ」

とろっと、彼女の目が、甘い夢想を見つめてとろける。

水面(すいめん)に漂い、やがて沈みゆく体。私と彼女は今きっと、同じ光景を想像している。

暗く静かな水底での眠りは、さぞかし快適だろうね。そう言ってやれば、誰にも邪魔されないで寝られるね!なんて、快活に笑った。

「あ、でも」

楽しげだった顔が、何かの思いつきに急に曇った。

「そうなったら、墓ん中で一緒に寝られないね?」

どうしよう、お前と離れるのは嫌だ、と。不安気な、心細そうな視線を向けてくる。・・・私と離れるのは恐い、だなんて。嬉しい事を言ってくれる。可愛いやつめ。じわじわと込み上げる愛しさに、笑いをこらえる事ができない。

「大丈夫だよ。あのね」

この子なら。私の夢想を、馬鹿にせずに聞いてくれる。確信を持って打ち明ける。信頼とは安心感その物だ。

「死んだら、今度は金魚に生まれておいで」

「・・・う?」

意味が理解できなかったらしい。軽く首を傾げきょとんとした、真ん丸に見開かれた目が私を見返す。あはは、もう既に金魚みたい。可愛い。

「そしたら、広い水槽で、ずっとお前を飼ってあげる」

「・・・!」

「いい考えだと思わない?」

今のお前が死んでもまた、ずっと一緒。望む形に生まれ直したお前と私と、ずっと。

「また、・・・まだ、一緒?次も?ずっと?」

「そうだよ。冷たい墓の中で一緒ー、より、生きたまま一緒のがいいでしょ」

「ッ、う、うんうん、うんっ!一緒、に、生きたい!」

子供みたいに輝く顔で、馬鹿みたいにがくがく首を縦に振る彼女。譫言みたいに口の中で繰り返している。一緒、一緒。

「じゃあ、じゃ、あたし、」

「言っとくけど!」

興奮した様子で口にしかけた言葉を、わざと大きな声で遮る。びくりと体を震わせ、身を乗り出した格好のまま彼女はおとなしくなった。お前が次に何を言うかなんて、大体わかるんだよ。

言わせるもんか。

「そうなりたいがために、自殺なんかしてみろよ?どんなにとびきり綺麗な金魚になったとしても、絶対飼ってやんないから。他の知らない奴に買われていくようになるんだからな」

「え、あ、・・・あ、う・・・」

目論みをまっぷたつに叩き折られ、くしゅんとうなだれる。その姿は悲しげでつい同情を誘われるが、ほだされてはいけない。悪い事は悪いと、きちんと教えなくては。

「私はさ、」

差し出されるように目の前に見える黒い頭頂部に、右手を乗せる。

「まだ会った事のない金魚のお前より、今のお前の方が好きなんだよ」

さらさら。左右に動かす度に、掌に綺麗な髪の感触が広がる。

この綺麗な髪も、やわらかな白い肌も、ぽってりした唇も、耳に心地いい落ち着いた声も、子供みたいに無邪気な笑顔も、腕の中を満たす体温も。

死んだら全部なくなってしまうのだ。

「金魚になったら、笑えないし、話もできないよ。・・・私、まだお前と、したい事、いっぱいあんのに」

諭すように、言い含める。撫でている頭の角度が、ますます下がっていく。

「死なれたら、困る」

零した言葉は、思った以上に悲しげな響きを纏って落ちた。意識したわけでもないのに。無意識恐い。

「ご、めん、・・・なさい」

ぺしゃんと潰れたような、力ない小さな声で謝る彼女。声と同じように体も肩を竦めて小さく縮こまってしまっている。

「わかれば、よろしい。いーこいーこ」

ちゃんと、謝れたから。かいぐりかいぐり、頭を挟んで掻き混ぜるようにして撫で回す。

「お前が死ぬのは皺くちゃになってからの死因老衰でなきゃ許さないからな」

「うー、うー・・・はい。・・・でも、さ」

あれ、せっかくちゃんと謝ったのに反論?珍しいな。

「あたしが老衰で死んでからアンタが死ぬまで、そんなに差ぁある?」

「ばっかお前、だからその分私が長生きすんだよ。お前を探して家に迎えてもしなきゃいけないのに、面倒見る私がそんな簡単に死ねるわけないだろ」

「お、おう?」

戸惑った顔で、とりあえずってのが丸わかりの返事。まあ確かに強引な話かもしれないけどさ。

「寿命だって延ばしてみせるぜ、愛の力ってやつで」

わざと大きな動きで右腕を振って親指だけで自分を指差し格好つける。おどけてみせれば、「ははははは」笑いを取る事に成功した。


「金魚になったら、どんなのになりたい?」

ちょっとした興味本位で訊いてやれば、

「んのね、でっかいの!」

「でっかいの?」

迷いのない、元気な答えが帰ってきた。それにしても意外だな。違和感に内心首を傾げていると、

「売られてるそのお店で、いっちばん派手で目立つ子がいい!」

「?」

ますます彼女らしくない答えに、ひねった首の角度が限界に達したので元に戻した。地味に痛い。

「お前金魚っつったら赤いやつが好きじゃなかったっけ」

夏になって、金魚掬いをよく見かける季節になるとよくそう言っていたのを覚えている。指摘してやると、

「あー、だってさぁ、ほら」

言いづらそうに、口ごもる。何もない周りをきょどきょど見回して、歯切れの悪い返事。目を合わしてこない。なんだ?

「早く、さ。・・・見つけて、ほしいじゃんさ。アンタにさ」

ぶすっ。心臓に何かが突き刺さった音を、確かに聞いた気がした。

何それ、早く見つけてほしいって何その理由。早く会いたいって?一緒になりたいって?なんだそれプロポーズかよ。

歯切れが悪かったのは照れてたから?なんだこの子、ほんと可愛いんだけど。知ってたけどさ!

「いっぱいいる赤いちっちゃいのに生まれちゃったら、埋もれて見えないで、・・・どれがあたしか、わかんないだろうと思って・・・」

ただでさえ姿が変わって、自分だとわかるかどうかわかんないというのに、と。言う。

悲しげに俯いて、そう呟く彼女の姿に、苦笑が漏れる。

「安心しろお」

そっとその頭を引き寄せて自分の胸に押し付けると、体全部を腕の中に押し込めてやった。

「何色でもちっちゃくても、なんの種類に生まれても、ちゃんと見つけてやるから」

実際見つけてやれる自信はあった。別の姿になっても、この子はこの子だときっとわかってやれる。自惚れかもしれないけれど、確信めいた思いがあった。ちゃんと探し出して、見つけてあげるから。

だから。

「だから、好きな子に生まれておいで。せっかくなりたい物に生まれるんだ、自分を好きになれる姿で生まれておいで」

「・・・うー!うん!」

そんじゃねそんじゃね!腕をばたばた振り回し、なりたい金魚を記憶の中に探している。きっと彼女の頭の中には今、無数の金魚達が色鮮やかにひらひら尾を靡かせて泳いでいる事だろう。

「やっぱ赤い普通のやつ!あ、でも白くてお腹ぽんぽんなのもいいな!」

「コットンパール?あ違う、ピンポンパールっつったっけ」

「んーと、とりあえず尻尾ひらひらの綺麗なのがいい!どうしよう、迷う!」

「尻尾ひらひらなら、琉金とかどうだ?」

金魚談義は思いの外楽しく、なかなか終わる気配の見えないそれを、私達はいつまでも話し合っていた。


長い事話し続けて、二人して疲れ、どちらからともなく会話が途絶えた。しん。声がなくなれば思い出す。広がる静寂と、雨にひんやり冷やされた空気が、二人を取り囲む。

梅雨が近いこの時季は、基本蒸し暑い日が多いとは言え雨が降ればやはり寒い。

寒いから。それを言い訳に、私は後ろから抱えた彼女の体を強く締め付け、やわらかな髪に顔を押し付けてうずめた。

私が甘えている事に気づいたらしい、彼女はふにゃふにゃ笑うだけで何も言わない。拒絶されない、それをいい事に、私はますます強くしがみつく。縋るように、離れる事のないように。

心の中で一人、密かに願う。

私から離れないで。死んでからも、生まれ直しても。管理された、狭い世界(水槽)の中に住んで、私と一緒に生きて。貴女の死が、別れが避けられないのなら、せめて。形が変わっても傍にいて。

私の可愛い可愛い、可哀想な金魚。今生も来世も、私の物だ。

心の中に収まりきらず、溢れ出す独占欲が彼女を縛り続ける。手に入れた今生だけでは満足できず、来世まで予約してしまった。

小さく罪悪感が胸を刺す。ちくりちくりと胸を苛むそれは、ああしかしそれ以上に甘やかに胸を満たす幸せで掻き消されてしまう。

(幸せ、だよ。ずっと一緒だ。)

カレンダーは六月。部屋の外からは雨垂れの音。冷えた空気。二人だけの部屋。

「あぁかいべべきたかわいいきんぎょ」

湿気に満ちた、水槽のような狭い部屋で。あたたかい彼女で腕を満たし、無邪気に歌う声を聞きながら。私は目を閉じ、幸せに沈み込んだ。




「今生は水葬、来世は水槽」

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