5話 はじめてのむら 362
「痛てぇ…。」
目を開くと夜空に大きなお月様。今夜は満月か?
自分の状況を確認する。身体は落ち葉のベッド、腐葉土の上に大の字に伸びていた。
腕が筋肉痛のように痛い。
上体を起こして…大丈夫、幸い怪我らしいものは無い。
「なんとか逃げられたな…あれ?」
右手が掴むのは、湿った落ち葉と細い木の枝。
剣がない!!
慌てて周囲を見渡すが、暗闇に木々が広がっているだけ。
『…ここだ、ここ。そう、上だ。』
声のする方を見上げると、木の中程の高さにベルアイガが刺さっていた。
シュールな光景だったが、立ち上がって引き抜く。
『悪いな、自分じゃ抜けられなくて。』
「いえ。それより神殿じゃないですよね?」
『転移の瞬間に邪魔されたから、位置がずれたんだろう。海のど真ん中とかじゃなくて、良かったな。』
「ら、ランダムの可能性があったんですね…。」
剣を納刀し、改めて辺りを伺う。
月明かりのおかげで、歩くのには苦労しなさそうだが…さて、どちらに行ったものか。
『微かに煙の匂いがする。近くに町があるかもしれない。』
「朝からバイトだったから、もう…ふぁ眠てぇ…」
『なんだ、ここで寝るのか?』
「…オォォーン!!」
遠吠えだ。
鳴き声の距離的はまだ遠そうだが、夜の森でスヤスヤするわけにもいかない。
「…町を目指します!」
ペチペチ頬を叩いて気合を入れる。
今すぐ寝たい気持ちもあるが、せっかくだからシャワーでも浴びてスッキリしたい。
剣を背負い直していざ歩き出そうとした時、後ろの茂みから葉音が。
小型の足音がこっちに走ってくる。
「うわぁ!?」
「ちょっとどいてー!!」
茂みから飛び出してきたのは、狼ではなく女の子だった。
避ける暇もなく、子供のタックルをモロに受ける。
「いってー…」
「あぁもぅ!!どいてって言ったじゃん!!」
「あ、うん、ごめん。」
『なんでアンタが謝るのよ。』
背中からツッコミを受け、立ち上がる。服に着いた葉っぱをはたき落とし、ぶつかって来た女の子を見てみる。
(良かった、怪我はなさそうだ。)
月明かりなので詳細は分からないが、背丈から判断するに小学生くらいだろうか。
女の子は服に土や葉っぱをつけたまま、地面に落とした物を一生懸命拾っている。
「あぁ…せっかく集めて来たのに…」
「ご、ごめんね?この草を拾えばいいのかな?」
「草じゃ無いもん!」
「あ、いや、葉っぱ?かな?」
捻れるように育った草…葉っぱ?を一緒に拾い集める。
『満月草か。』
「…草じゃん。」
『ひと月に一度しか取れない貴重な薬草だ。君より価値がある。』
「そーそー。」
「ちょっと、初対面で失礼だぞ!」
なんて話しているうちに拾い終わる。
女の子が手元の満月草を見ながら、少し不満そうに地面を睨み付ける。流石にこの明かりでは、しっかり拾いきるのは難しい。
「それにしても、どうしてこんな時間に森へ?」
「アンタには関係ないでしょ!」
『ごもっとも。』
「ちょ、ちょっと…。」
ガサガサ…パキッ…。
「!?」
明らかに風音とは違う音が近くから聞こえる。
ゆっくりし過ぎたのだ。
木々の間から月日に照らされて、宝石のように光る2つの目と合う。
マズい。
先ほどまで威勢は消え、女の子が震えているのが分かる。
そっと左手で彼女の手を握る。
ギュッと小さな手が握り返してくる。
2人でゆっくり後ろに下がる。
それと合わせるように、影から出て来た狼が一歩ずつ近づいてくる。
「…3つ数えたら全力疾走するよ。」
「わ、わかった。」
「いち、に、さん…!!」
数え終わると共に手を離す。
少女は走り出すが、俺は動かない。
「…え!?」
「振り向くな!!」
それは少女に向かって叫んだ言葉なのか、それとも自分に言い聞かせた言葉なのか。
『君は…』
ベルアイガがそっと呟く。
『君は馬鹿か!』
「だ、だってさ!!」
背中に背負った純白の剣を引き抜く。
長さと重さがある為、背中を丸め両手で何とかする。
本来片手で扱うべき剣は、構えるだけで精一杯だ。
足は恐怖で震え、二の腕は剣の重みで震える。
『3日だ!』
「ダメだ!1日!!」
『馬鹿を言うな!君には見えてないかもしれないが、囲まれてるんだぞ!!』
そう言われて周囲を確認する余裕はない。
例え見渡してもこの闇の中じゃ見つけられないだろう。
正面の茂みから現れた赤い瞳が、空中に跳ね上がる!
「い、1日だけ使ってくれ!!身体強化で!!」
空中からくる牙を剣を横にして防ぐ。
身体の筋肉痛が消え、剣が羽のように軽く感じる。
『思考は君のままだ!どう戦うつもりだ!?』
「そんなの…!」
決まっている。
牙のニ撃目がくる前に、実を翻して全力疾走!!
自転車で坂道を降るような勢いで森を駆ける。
(…いた!)
目の前を走る少女に追い付く。
そのまま左手で腰から持ち上げる。
「き、きゃあ!?きゃああ!!!!」
脇に抱えたまま森を駆け抜ける。
夜の森に、狼と悲鳴が疾走した…。
■■■
「つ、ついた…」
『村が近くて良かったな。』
心臓は破裂しそうだ。脇に抱えた女の子は、叫び疲れたのか意識を失っている。
確認のため、申し訳ないが起こす。
「ちょっと、ねぇ、あそこは君の住んでるところかな?」
「ん…んん、うん、あれ、帰って来たの?」
「そうだよ。良かった、お家まで送るよ。」
フラフラ手を繋ぎながら村に近づくと、門の近くに松明を持った女性が1人立っていた。
こちらを見つけると走り寄って来て…
「妹に手を出さないで下さい!!」
「え!?いや、この子は…」
「おねぇちゃん!怖かったよー!!」
「ジュディ、心配したんだから…。何者です!?」
「ちょっと、熱い!熱いですよ!女の子を森で…ちょっと!」
「こんな時間に森へ入るわけないじゃないですか!ねぇ、ジュディ?」
「…うん。」
「お、おい!」
「人攫いで衛兵に突き出しますよ!!」
「いや、その…」
『相手に喋らせてないで、言いたい事はさっさと言いなさい。野宿したいの?』
こっちの気も知らないで、呑気なもんだ。
そりゃ俺だってズバッとやりたいけど、仕事以外で人と話すのが苦手なんだよ…。
いや待てよ、クレーマーだと思えば良いのか?
「お客様ちょっと落ち着いてください。」
『…お客様!?』
「お客様!?」
口が滑っただけだ。気にするな。
「貴女さまのご心配ごもっともだと思います。私どもはただ、森の中で狼に追われていた、こちらの方を村まで送って差し上げただけです。」
「森の中で狼!?」
「…。」
妹さんよ、そこで黙るなよ…謝るなら今だぞーとも思うが。一度否定してしまった手前、なかなか言いにくいだろう。
まぁここは、バイトリーダーに任せておけ。
「怖い思いをして、まだ気が動転しているのかもしれません。あまり怒らないであげて下さい。」
「ジュディ…」
「…ねぇちゃん、怖かったよ!!」
耐えていたのか、わぁんわぁんと泣きだす女の子。
なんとかなだめてから、俺たちは村へと案内された。
■■■
「改めて…本当に申し訳ありません!そして、妹を助けて下さり、ありがとうございました!」
メリッサと名乗った女性は、森にいた女の子ジュディのお姉さんだそうだ。
姉妹揃って栗色の髪の毛。姉がロングヘア、妹がショートヘアといった感じで、素朴な美人だった。
連れてこられたのはメリッサが営む、村唯一の宿屋。
一回が受付兼食堂になっており、今は通された二階の客室にいる。
「い、いえ、妹さんが無事で、良かったです…」
「ナカヤマ様、今夜はゆっくりお休み下さい。明日また改めてお礼をさせて頂きます。」
「あ、はい…。」
「それでは失礼します。」
「…はい、おやすみなさい。」
扉が閉じる。
鼻腔には、女性特有の甘い香りがして…縁のない香りに、神経が集中する。
『門の前では威勢が良かったのに、宿に来た途端、ビクビクしちゃって。』
「しょ、しょうがないだろ!…初めての人だし、女の人だし…緊張するだろ!」
『女がいない世界から来たのか?』
「いっぱいお付き合いして来ました!!」
失礼な。
これでも多くの職場を経験して来たフリーターだ!
女性しかいない職場だって経験したことがある。
工場でおばちゃん達と部品組み立てたり、パートのおばさん達とレジ打ちしたり。…ケーキ屋の手伝いも、ママさん達から可愛がられたもんだ。
『それにしても…お客様とは』
「う、うるさいな!仕事モードになれば話せるんだよ!」
心なしかベルアイガの声は楽しそうだ。
『いやいやここまでくる間、あんまし君の事を知る機会がなかったから、良い機会だったよ。』
「そいつはよろしい事で!」
ケタケタ笑う剣を壁に立てかけて、ベッドに潜り込む。
風呂にも入りたかったが、狼との追いかけっこに、慣れない人間との会話でもうクタクタだ。
ベッドが体を包み込むように沈み込む。
この感触…藁だ!
いや、藁のベッドなんて初体験だから中身が本当に藁かは分からないが、布越しにちょっとチクチクする感じと、ガサァ…と言う音。
匂いも枯れ草の良い香りがする。うん、シーツも清潔そうだ!
すぐさま睡魔がやってくる。
今日は色々あったな…とまぶたが重くなって行く。
沈んでいく意識の中で、
「…私には緊張しないんだな。」
と、耳元で囁く女性の声がした気がした。
いったんお休みします