2話 きれいは辛い
「この豪邸も、久しぶりだな。元気か?」
「ああ、おかげ様で」
姫愛のお父さんと僕の父さんは、かなり古くからの知り合いみたいだ。僕の父さんと違いスーツをビシッと着こなす姿は、どこかの社長のようで威厳がある。ただちょっとお腹が出ていて、頭も寂しい。父さんの方が年下に見えるのは、苦労していないからかも知れない。
父さんは珍しくお酒を飲み、饒舌だった。こんな父さん珍しい。この街の思い出話や、知り合いの近況など、話題は尽きないようだ。僕の知らない話も一杯あった。
「それで、美冴さんは? お前が彼女と結婚なんて、びっくりしたよ。皆驚いてたぜ」
「まあ、元、だけどな。今は、街を離れた。もう会うことも無いよ」
「お互い色々あるな〜 飲むか」
「おう」
その紳士の隣に座る姫愛は、自分の父親であるはずの男性と顔を合わせようとはしなかった。居づらそうな顔をしている。元旦の時、自分と会ったことは知らないようだ。僕とも喋ろうとしない。こっちからも、話しかけづらい。まるでお見合いみたいに、ぎこちない。
しかし正面から間近で見ると、学校一の美少女とか天使とか言われるだけあって、とてもきれいな顔立ちだ。目鼻立ちはくっきりして均整がとれ、長い睫毛と二重の目に吸い込まれそうになる。肩にかかる黒髪も、枝毛もなく艶々して光り輝いている。肌もきれいでニキビもない。母さんと、五分の勝負かも知れない。
高級ブランドっぽい私服姿の姫愛を見るのは初めてで、僕でさえ、見惚れてしまう。これほどきれいなら道ゆく人は皆振り返るだろう。芸能界からスカウトがきているという噂も、本当かも知れない。
「姫愛、挨拶したらどうだ。拓馬君と同じ学年なんだろ?」
「あ、はい。こんにちは」
「こんにちは」
僕達の挨拶は、とてもぎこちなかった。
「なんだよ、よそよそしいな」
「そりゃ、僕は有名人じゃないし、同じクラスじゃないから」
「あ、野球部ですよね。見たことあります」
「あ、ありがとうございます」
一応、僕の存在も、認識されていたようだ。内心ホッとした。
「お邪魔して、すいません。三ヶ月なので、よろしくお願いします」
「あ、良いですよ。お互い受験生だし」
あんなに反対していたのに、美人を前にすると、簡単に陥落する。
だがこれ以上、会話のキャッチボールは弾まなかった。
大人2人は僕達を気にせず、酒を飲みながら語らい合って、気が付けば夜も遅くなっていた。千鳥足になりかけながら、姫愛のお父さんは席を立つ。父さんも後に続いた。
「じゃあ、姫愛の荷物は、明日届くから。俺は明日から行ってくるよ。じゃあな、姫愛」
「え、今日から泊まるの?」
「聞いてなかったんですか?」
姫愛は驚いて、申し訳なさそうな顔になった。
「あ、悪い悪い。言うの忘れてた」
父さんはいつも無頓着に、話を進める。姫愛のお父さんを見送り彼女1人だけになると、父さんと日菜が部屋まで案内しに行った。受験生の僕は当然二階の部屋に上がり、LIMEを確認した。
まさか『天使降臨!!』なんてメッセージを流すわけにもいかず、いつもの仲間と無難な話に終始する。こんな事が学校の皆に知られたら、大事になるのは目に見えている。慎重にいこう。
その日、僕は良く寝付けなかった。
三学期が始まるまで、あと三日。
姫愛との共同生活は、予想外に支障がなかった。
と言うか、影のようで、本当にいるのかどうか分からないほどだ。
僕は朝が遅いから、朝食は既に取っていて、部屋に戻っている。
流石に部屋まで行く真似はできない。
そんな事をしたら、きっと3人から僕が家を追い出されるだろう。
昼間は自分が塾や図書館に行ってるので、顔を合わせることもない。昼間、彼女がどこにいるのかは知らない。そして塾から帰ると夜十時だから、夕食は食べ終わっている。お風呂も入った後らしい。僕がいる時リビングにいるのは、父さんと日菜だけだ。受験生だから、考えてみたら当たり前か。
日菜とは仲良くなったようで、日菜はよく父さんと姫愛の話をしていた。家の中の教育係は、日菜の役割だ。むしろ受験生だからと、僕への負担は全くなかった。それはそれで嬉しいが、何だか物足りない。ただそんな感情は僕の勝手な気持ちなので、2人とも気にしていない。これならもっと好意的に受け入れるべきだったかと、少し後悔する。
やがて冬休みも終わり、三学期に入った。
姫愛の朝は、とても早い。僕が支度して玄関に行く頃には、もういない。一緒にいるところを見られたくないのだろう。僕だってそうだ。何を言われるか、分かったもんじゃない。
学校は平和な場所だと、思っていた。でも僕だけが勘違いしていたと、後で知る。この時、既に黒い染みがじわじわと学校に広がり浸食し始めていたことに、僕は気づいていなかった。
——三学期も始まって三日目。そろそろ、推薦入試の準備をする時期だ。昼間は学校で、面談の予行演習をした。野球部だから声だけは大きいので、「元気だな」と褒められ、自信がつく。そんな感じでもしかしたらと楽観的になり始め、相変わらず部屋でボーッとしてると、いつもの仲間からLIMEが届いた。
賢太:これ見て!『香山中の天使の、あられもない姿』だってよ!
俊一:マジ?! スゲーー!!
翔太郎:ヤバくない? これ?
賢太の書いてあるアドレスに飛ぶと、そこには、姫愛が裸でにこやかに笑い、同級生がするはずもない仕草をしている動画だった。わずか20秒ほどだが、インパクトは十分過ぎるほどだ。聞き取りにくいけれど、声も似ている。十中八九、本人に見える。
美少女の痴態は評判がよく閲覧数もうなぎ上りで、見ている間にもどんどんカウントが増えていった。きっとこの動画の制作者には、お金が沢山入るだろう。
(こ、これホント?)
事実かも知れないけれど、直ぐには信じられなかった。あの姫愛がこんなことをするとは、想像できない。でも大抵の大人はあんな事をしている訳で、そうすると真実なのかも知れない。
ただ事実かどうかよりも、現実があった。
科学技術が発達した現代は、いじめもステルスだ。皆、表立っては何もしない。学校の先生も知る手段がない。けれども姫愛を囲む空気は、その日から変わったようだ。
学校で時折見る姿は、昔みたいに吹奏楽部やクラスの子達と一緒ではなく、ぼっちでいる時が増えていた。僕でも気が付くぐらいだから、きっと渦中のクラスではもっと露骨なのだろう。
賢太は姫愛と同じクラスだから、あいつがクラスの誰かから教えてもらった可能性がある。最初の投稿者は神城か? あんな動画を撮影できるのは、付き合っているあいつしかいない。
問い詰めるにしても、自分がどう関わりあるのか説明もできない。それに報復も考えられる。一介の中学生でしかない僕は無力だった。
ある日の昼休み、ひと気のない別棟に行ってのんびりしていると、そこには神城と姫愛がいた。2人だけだが言い合いをしている。運動神経抜群の神城だから小柄な姫愛には不利だろうが、彼女は神城を睨みつけ、クラスのある校舎へと戻ろうとした。ちょうど僕がいる廊下にやってくる。
「あ、」
自分とすれ違ったことに、姫愛は気づいたようだ。
だが特に話かけもせず、通り過ぎて行った。
俊一:今日も姫愛のエロ動画、アップされてる!
賢太:まじ、すげえ。今日もオカズにします!
翔太郎:バカ、何言ってんだよ。
俊一:誤魔化すなよ! どうせお前もだろ?
翔太郎:へへ
野球部のLIMEは気楽なもんだった。こいつら勉強大丈夫か?と、他人事ながら気になるが、彼女の動画投稿は毎日続いた。いつの間にか<香山中学の天使>は、<香山中学のビッチ>に、変わっていた。リプしずらくなって、僕は見るのも止めた。きれいなのも、辛いもんだな。
推薦入試三日前の日曜日、たまたまリビングに姫愛がいた。
僕を見て、「おはよう」と軽く挨拶する。
言うべきか、言わざるべきか……
悩みながら、食卓につく。いつもなら姫愛は僕が食卓につくと、席を立ってリビングか自分の部屋に戻るのが、普通だった。でもこの日は、なぜか席を立たなかった。これも偶然だけど、僕はスマホを持っていた。
きっと千載一遇のチャンスだ。義を見てせざるは勇無きなり。
「あ、あのさ……」
「? 何?」
どもりながら喋り始める僕を、姫愛は怪訝そうに見た。美少女に正面から見つめられて、何とも思わない奴はいない。心臓がバクバクする。
「こ、これ見たんだけど…… 佐藤さんにそっくりじゃないかな?」
そう言って僕は、Toktokの動画を見せた。暫くじっと見ていた。
あの時みたいに激昂するかと思ったけど、彼女は冷静で、
「何、これ……」
と呟いた。
「ご、ごめん」
「私じゃ無いよ。胸の形も違うし、乳首もこんなじゃ無いし、ホクロもこんな所にない。そもそも、私こんなこと、した事ない」
彼女の言葉に、僕はうろたえる。ただ、今はそうじゃ無い。
「でもこれ、うちの学校の名前とか、分かるように書いてるんだ」
「そうだね。バッカみたい」
彼女はそう言うだけで、部屋へ戻って行った。
良いのかな……
本人が違うと言うなら、そうなんだろう。
別に大袈裟にしなくても、良かったのかも知れない。
僕の決死の行為は、あっけなく肩透かしに終わった。
だが、それは意外と、役に立っていたようだ。
一週間ほど経った日曜の夜、父さんが僕の部屋に来た。
慌てて読みかけの漫画を隠し、勉強するフリをする。
推薦入試は、どうみても完敗だった。一緒のグループ面接に、県代表野球部のエースがいるなんて、反則だ。姫愛もどこかは受けたらしい。少なくとも僕と同じ高校じゃなかった。
「ちょっと、良いかな?」
「あ、うん」
「姫愛さんの事だけど、彼女のお父さんから連絡があったんだけど、何か困ってるのかい? 拓馬に聞いてみてと言われたけど、心当たりあるのかい?」
意外な人物からの言葉に驚く。けれど確かに姫愛が頼るなら、僕に直接じゃなくて父親だろう。僕は、スマホの動画を見せた。父さんと二人でエロ動画を見るなんて、何て罰ゲームかと思うけれど、状況が状況だから、仕方ない。
「た、確かに似てるね」
父さんも、少し狼狽していた。
「でも、本人じゃないって言ってたのかな?」
「うん。自分じゃないって、言ってた。けど皆は姫愛だと思ってる」
「そうか、じゃあこれは『フェイクポルノ』だ」
「『フェイクポルノ』?」
そんな言葉、初めて聞く。
「うん、AI技術が進化して、顔や声のデータがあるだけで、他の誰かの体との合成動画が作れるんだよ。拡散されたから、発信元が誰だか分からないけれど、少なくとも知り合いの弁護士に頼んで、削除依頼はできると思う」
「そんなの、あるんだ……」
世の中、進歩している。方向が良いかどうかは別にして。
次の月曜、父さんは珍しく忙しかったようだ。朝から学校に電話をかけ、以前お世話になった弁護士のところに相談に行った。木曜日、僕が帰って来た夕方には、姫愛とリビングで話をしていた。2人と向かい合って、スーツ姿の女性と男性がいる。
「ああ、お帰り」
「ただいま」
彼女は、相変わらず感情を出さず、泣くこともなく淡々と聞いている。
「それでは、発信者情報開示請求を出しますよ。最近は対応が早いので、こんな酷いのだったら、直ぐに消してもらえます」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、また連絡しますね」
「急なところ、ありがとうございました。宜しくお願いします」
そう言って、スーツ姿の2人は帰って行った。男の人は、母さんとの時に会った弁護士だ。もう1人は、きっとIT関連の女性弁護士なんだろう。
「今、話をしていてね。学校にも連絡したら理解してくれたよ。大丈夫だよ」
こう言う時の父さんは頼もしい。日曜、姫愛と父さんは学校に行った。