朝読書
ちょっと不思議で、だけどなんでもない普通の日常のお話です。とっても短編。
ポツポツ、コツコツ、カタ、トントン。
朝の教室、目を閉じるだけで浸ることの出来る音の世界。
それはペンをノックする音、はたまた、窓に当たっては落ち、また当たりを繰り返す雨粒の音。椅子を動かす音、ブレザーと机が擦れる音、そんな音。
朝読書、という時間は、比較的どのような学校でも設けられている筈であろう。だが、僕は、この僅か10分ほどの時間で誰かの紡ぐ世界の1部を覗くよりかは、そういった、静寂の中に存在する少しの音に耳を傾けることに意義を感じる。
決して、本を読むことが嫌いな訳ではない。寧ろ本は好きだ。自分とは感性の違う他の誰かの人間を、それが作りだした世界を、自分の手のひらの中で読んだり、聞いたり、見たり。五感を最大まで活用して楽しむことが出来る。
誰かの作る世界を愉しむ事も随分と魅力的である。だが、何度も述べる通り、まだ若くこれからの将来を担うものたちにはそういったなんでもない普通の日常を異質である何かとして捉え楽しむことを覚えて欲しいのだ。
高くもなく低くもない音で、前の方からベルが鳴る。その途端、溜息や伸びをする声、それが終わると今度は笑い声やざわつき。先程まであんなにも見入っていた本をすぐ手放し、話をしたり次の授業の準備をしたりと各々の行動に移っている。
先程は難しいことをつらつらと述べたが、実はこれが僕が短い時間で本を読めない最大の理由でもある。
僕は、物語を映像として愉しむことが出来る。映像だけではなく、声や音楽、その日の天気、その場の空気感など全てが頭の中に流れ込んでくる。
たった10分でそれに入り込み、たった10分でそこから脱することが僕には出来ないのだ。
「はあい、今行くよ」
思考を断絶する様に声がした。これはきっと僕から発せられた声なのであろう。僕を呼んだのは誰なのか。ああ、同じクラスの友達だ。納得する頃には既に僕は椅子から立ち上がっていた。どうやら次の授業は数学らしい。数学はどうも苦手だ。
頭の中でぶつぶつと数式に対する文句を唱えながら教科書とノートを手に取り、同じ手でしっかりと筆箱を掴み、友達の方へ小走りで走っていく。
その瞬間、教室の前の方でベルが鳴った。
普通に読めば何の変哲もない、というか面白くもなんともない文章。
矛盾点を探したり、そのねじれを真っ直ぐに出来る様な考察をして楽しんでいただけたら嬉しいです。