王国のある大陸についてと二人の喧嘩
二月中旬と言ったのに、月末になって申し訳ないです…。研究にひと段落はついたのですが、追加の実験や論文修正などもあり遅くなってしまいました。
部屋に戻った後、寝台のお布団に飛び込んで、近くにあった犬の縫いぐるみを抱きしめる。
胸のどきどきが収まらないよう。バレル様の笑顔がまぶしい……。うう。……好き、って……不思議な気持ち……。ふわふわしてて、どきどきしてて、病気みたい……。
縫いぐるみを抱きしめてのたうち回る。
こ、こんなのがあとどれくらい続くんだろう?父様たちが休暇を貰った一週間くらいはいてくれるのかな……。……む、むり、色々耐えられそうにない……。あうう……。も、もしそれ以上いてくれるんだったら……ど、どうしよう!?バレル様、泊まる部屋がないから夜は私の部屋で過ごすことになっちゃうんだよね!?どうしたらいいんだろう!?うう……分かんないよう……。
そんなことを考えてジタバタしていると、部屋の扉が開いた。慌てて身なりを整えて、縫いぐるみを置いてから寝台の上に座る。
「ヨル、どうしたのだ急に。やはり体調が悪いのか?あまり食べられておらぬようであったし……。」
バレル様はそう言って、寝台の端に座ってこちらを見ている。私も同じように、バレル様の隣に移動した。
「ううん。もう、お腹いっぱいになっちゃったの。私、あまり多く食べられる体質じゃないから……。」
それを聞いたバレル様はそっと、頭を撫でてくれた。
「そうであったのか……。だから体もあまり成長できておらぬのだな。年のわりに、体が小さいから心配になるのだ。」
「友人の二人にも言われたの。細すぎるわ、大丈夫なの、って。それでも、今まで何とかなっていたから、大丈夫なんだと思うの。あまり食べられない代わりに、そんなにお腹もすかないし。」
「ふむ……。我は図体がでかいから、どうも燃費が悪いようでな、多めに食べねばすぐに腹がすくのだ、それはそれで困りものぞ……。」
どこか困ったように言う彼に、私は笑いかける。
「でも、背が高いのは羨ましい。父様もイリオス様も背が高いし、バレル様は父様たちよりも大きいし。せめて、あともうちょっと背があったら……。」
バレル様に釣り合うかもしれないのに。ミコノくらいの背が欲しいなあ。あれくらいあったら、バレル様の隣に並んでも見劣りしないと思う。それに、胸だって……。私の胸はいつまでぺったんこなんだろ。……ぺったんこのままなのかなあ?うう……。それはやだなあ……。
自分の胸を眺めつつそう考えていると、彼は苦笑している。
「いや、背が高いのもそれはそれで大変ぞ?我、たまに部屋の入口の上部に頭をぶつけそうになるのだ……。ある程度背が高くとも大丈夫なように作ってはあるが、さすがに我の身長までは想定外のようでな。寝台も、窮屈で仕方がない。ディーの屋敷の寝台は、貴族なこともあってか大きなもので助かっておる。」
「あー……、そういう問題が出てくるんだね。」
「うむ。ま、仕方がないことだ、どうしようもない。」
話していると、あくびが出てきた。そんな様子を見て、バレル様は笑って言う。
「なんだ、もう眠いのか?」
「うん……。おなかいっぱいになると、すぐ眠くなるの。」
「ま、よく眠っておったし、まだ疲れておるのだろう。ゆっくり休むとよいぞ。我もヨルが寝るなら、寝なければならぬな。我が起きていれば、眠れないであろう?」
優しげな瞳で私のことを見つめながら、彼はそう言ってくれた。そんな彼に、私は言う。
「ありがとう。でも、バレル様はどこで寝るの?この部屋、ソファとか置いてないし……。」
「はは、床でよいぞ。毛布があれば十分だ。」
「で、でも、そんな、せっかく泊まってくれるのに床で寝かせるわけにはいかないよ……。バレル様は寝台使ってよ。」
「駄目だ、貴公は疲れておるのだろう。それに貴公が床で眠るなどとんでもない。遠慮しなければならないのは我の方だ。」
「でも……バレル様に悪いし……。」
そんなやり取りをしていると、扉が開いた。
「……何をごちゃごちゃ言ってるんだ、一緒の寝台を使えばいいだろう。十分大きいしな。」
父様はそんなことを言って、そのまま立ち去ろうとしている……。
「え、あ、ちょ、ちょっと父様!?それを言うためだけに来たの!?」
「お前な!年頃の女の子と共に寝台を使えというのか!?」
私たちの反応を受けて、父様はこんなことを言い出した。
「……娘のように思ってるのなら別にいいだろう。俺だってな、ようやく甘えてくれるようになったんだ、実際のところは一緒に寝て色々話を聞きたいんだ。子供の頃の一緒に寝たいというヨルの思いに気付いてやれなかったからな。それをお前に譲ってやると言うんだ、感謝しろよ。それにお前なら安心だからな。」
それを聞いたバレル様は肩を落としつつ言う。
「お前それはさすがにどうかと思うぞ。あとその妙な安心感はどこから来るのだ……。」
「お前は童貞だからな、それも筋金入りの。女に手を出す勇気などないだろう?」
そう言った後、父様は私の隣に座っている。
「おい。お前な、娘の前でそういう言葉を使うでないぞ!」
「……ヨル、今聞いたことは忘れろ。いいな。」
「……?うん。」
私が首を傾げた後頷くと、バレル様は父様に言う。
「お前……。娘が素直に言うことを聞くからとあれこれ吹き込むんじゃない。」
「吹き込んでなどいないぞ、ただ助言をしただけだ。これから世の中を渡っていくのに必要なことをな。派閥の連中は一癖も二癖もある。若くて才能のある人間に嫉妬し、妨害しようとしてくる連中だ、そんな連中と渡り合うには、必要なことだろうさ。」
そんな風に言った父様に、バレル様は呆れつつ嘆いているようだ。
「全く。お前、もっともらしい理屈を唱えるのは一人前だよな。ま、当然か。お前は今までずっと、派閥の連中とそんな方法で相対してきたのだからな。」
「はは、思い返せば、そうだったな。俺の皮肉にも気付かない連中も多かったが。」
その時のことを思い出してか、クツクツと可笑しそうに笑う父様に、私は感心する風にして言った。
「父様すごいよね。よくあんなに頭が回るなっていつも思うもの。」
「大丈夫さ、お前もいずれは俺みたいに頭が回るようになる。なんといったって、俺の娘だからな?実践していけば、次第に身についていくさ。」
それを聞いたバレル様はおののいたように言った。
「やめろ。お前みたいなやつがこれ以上増えるとか考えたくもないぞ。ヨル、頼むから貴公はそのままでいてくれ。な?」
「えー。私父様みたいな冷静沈着で光明正大な人になりたいのに。もうちょっと動じなくなりたい……。」
私がそう言うと、バレル様は苦笑いをしながら言ってくる。
「まあ、ヨルはもう少し落ち着いた方がいいとは思うが。それは置いておこう……。」
うっ。それは……。でも私があたふたするのはバレル様の距離が近いからなんだけどなあ……。
そんな私の気持ちも露知らず、バレル様はどこか呆れた風に言う。
「こやつは不正をしているやからは何が何でも追放まで持って行くやつだぞ?」
「それの何が悪いんだ、当然のことだろう。」
そんなバレル様に、父様は呆れたように言って、私もそれに同意する。
「私もそう思うよ?だってズルしてるってことだもの。そんなので正当に頑張ってる人が報われないとか、一番駄目だと思う。」
「……お、おう……まあ、それは一理あるのだが……。ディー、ヨルはお前に本当にそっくりだよ、全く……。」
私たちの言ったことを受けて、バレル様はため息をついている。
「親子だからな。血の繋がりなど関係ない、そんなものはどうだっていいことだ。世の中には、血がつながっていようと実の子を虐待するクズな親もいるのだから。所詮肉体など、ただの器だ。この世界で生きていくためのな。」
「そうだな。他でもないお前が言うのだ……。お前はいつまで、続けるつもりだ?」
「はん、決まっている。この国を滅ぼすまでだ。俺から大切なものすべてを奪った、この国の人間どもとルクスに、俺は必ず復讐する。」
父様はきっと、父様の家族が奪われたのは、この国の……政治を取り仕切る貴族たちのせいだと思っているんだと思う。だから、そんな貴族たちが許せなくて、憎んでいて、でも仇を討つための証拠がなくて。この国を滅ぼすことで、貴族たちに復讐しようとしている……。
そんな父様に向けて、私は呟くように話す。
「復讐……。……きっと、許すことが大切だ、なんていう人もいるんだろうな。でも、それはきっと自分がそんな仕打ちを受けたことがないから、そんなことが言えるんだと思う。もし、自分の家族を目の前で殺されたら、そしてそれが誰かに仕組まれたことであったなら。……そんな人に、許せなんて言えるはずがないよ。復讐はむなしくて……それでも、一度燃え上がった復讐の炎は決して消えないもの。」
父様はそれを聞いてどこか悲しそうにしている。そして私に聞いてきた。
「ヨル……お前は……、復讐がどういうものか、……知っているんだな。」
父様のその問いかけに対し、私は頷いた。
「だって、私は……私を捨てて幸せそうにしていた家族を許せなかったから。その家族を自分が遭ったのと同じ目に遭わせた。私を殴ったのと同じかそれ以上の痛みを、魔力を使って与えたの……。それは復讐と呼ばれるもの、でしょ?」
最後の問いかけに、父様は頷く。
「ああ。……お前は、復讐できるだけの力を持ってしまっていた。お前の両親は馬鹿な連中だよ。子供にそんなことをして捨てたのであれば、同じことをされるかもしれないと考えなかったんだからな。」
そんな父様に、私は捨てられてからあれらと出会った時のことを話した。
「あれらは……私が死んだと思ってた。だって、見つけた時に、思わず駆け寄ったら、驚いた顔をしてたもの。男の子がこの子誰?って聞いたら、知らない子よ、人違いじゃないかしら、と言って、そのあと……今更出てくるな、私たちの幸せな生活を壊さないでとあれは言った。どうして生きているんだこの悪魔って……。」
私はその時のことを決して忘れることはできないと思う。愛されなかった自分と、愛されている弟。自分のことを忘れて、幸せそうに笑う両親の姿。悲しくて、苦しくて。自分は、あれらの家族ではないんだと、思い知らされた。血が繋がっているはずなのに、家族じゃないのなら、「家族」って何なんだろうと、あの日からずっと……そう思っていた。
けれど、結局のところ、「家族」に血の繋がりなんて関係ないのだと思う。下層には私の兄弟がたくさんいるし、父様は血の繋がりなんて関係なく私を娘として愛してくれているから。
私はそんな思いを胸の内に秘めて、自分の過去を話していく。
「それからずっと、泣いて泣いて……ある日、ぷつりと何かが切れた音がして、なにも感じなくなったの。そして、その時残った感情は……私にひどいことをして捨てた両親への激しい怒りと、何も知らずに幸せそうに親からの愛情を受け生きる男の子と、幸せそうに暮らす両親への、激しい憎悪。……私は思ったの。私を捨てた家族なんて、私を愛さない家族なんて、いらないって……。」
そんな私を父様は抱きしめて、頭を撫でてくれる。
「それがお前の過去、か。話してくれて、ありがとう。……つらかったろう、苦しかったろう。自分が理解されない、苦しみ、悲しみ。それは何より、つらいことだ。だが、そんな奴らのことは、もう忘れろ。お前を捨てたような奴らはな、お前の親なんかじゃない。お前の父親は俺だ。……俺だけだ。」
「我も、貴公のことを娘のように大切に思っておる。だから、父のように思ってくれて構わぬのだぞ?」
父様は私を離すと、そんな風に言ったバレル様にこう言い放った。
「……ヨルは俺の娘だ、お前にはやらん!父親は俺一人で十分だ!お前のようなロクデナシが父親とか、娘にどんな悪影響を及ぼすか分からんだろうが!」
「お前、いい話をしている時にそんなことを言うでないぞ!」
そんな二人の様子がおかしくて、私はくすくすと笑っていた。
「父様、バレル様……、ありがとう。……父様も、バレル様も、少しだけ、だけど、過去を話してくれたから。私も、話したいと思ったの。受け入れてくれるかどうか、怖かったけど……臆病なままでいたくなかったの。」
そんな私の様子を見て、バレル様はふっと微笑んでいる。
「貴公は、強いな……。我は未だ、臆病で……すべてを話す勇気はない。」
「それも、仕方のないことだと思う。だけど、いつか話してくれると、信じて待ってるから。話したくないことを無理に聞こうとすることほど、その人を傷つけることはないと思うの。」
私の言ったことを受けて、父様も同意した後、言葉を続ける。
「ああ。俺も同じだ。人には誰しも、触れてはならない痛みや、過去がある。それに触れたら、もはや命のやり取りにしかならんと、俺は常々思っているんだ。だから、俺は大切な友の過去を暴き立てようとしたり、触れてほしくないことに触れ、苦しそうにしている様子を楽しげに見ている連中には容赦はしないのさ。死んで当然だ、そんな奴ら。」
父様の言葉には、怒りや憤りがにじんでいた。そんな父様に私は言う。
「だから父様はそんな人たちのこと燃やして灰にしちゃうんだよね。私はさすがにそこまで行ったことないけど、それはきっと、まだ大切な人をそんな目に遭わされていないからだと思う。それに、まだまだ修行が足りなくて、獄爆炎使ったら魔力の消費でくらくらするから……。」
そのあと苦笑していると、その様子を見た父様は笑って言った。
「はは、まだまだだな。最小の魔力消費で、最大限の威力を発揮する。それが魔道士というものなのだから。……休暇を貰ったことだし、この一週間はそのあたりのことを重点的に見てやろう。」
「ありがとう父様!私、父様やバレル様、イリオス様みたいな立派な魔道士になりたいの。だから頑張るね!」
私がにへーと笑いながらそう言うと、父様はこんなことを言い出した。
「ヨル。こいつを立派な魔道士だなどどいうのはやめろ。仕事をしたくなくて毎度毎度騒動を引き起こしてきた奴だぞ。憧れるような部分なんて何一つない。巻き込まれて何度始末書を書かされたか分からん。そのくせ一度たりともそのことに関して謝ったことがない!」
するとバレル様は眉をひそめて心底不思議そうに言った。
「……なぜゆえに謝らねばならぬのだ。我は謝らねばならぬようなことはしておらぬぞ。」
バ、バレル様、そ、それは火に油を注ぐだけだから言わない方がよかったんじゃ。
私がそう考えていると、父様は冷たい声色で言う。
「……お前がどう考えていたのかよく分かったよ。ヨル、絶対にこんなロクデナシのようにはなるなよ。駄目な大人のいい例だ。」
そんな父様を無視して、バレル様は私の頭を撫でてこう言った。
「ヨル……、別に頑張らずともよいのだぞ?貴公はもう十分、頑張っておるのだから。そんな小さな体でな。我は貴公に無理などしてほしくはないよ。頑張りすぎて熱を出して倒れたらどうするのだ。それでなくとも貴公は心配をかけたくないからと、自分のことを隠そうとする悪い癖があるというに……。」
その言葉に、私は呟く。
「バレル様……。でも、私……、私は……。」
私は、頑張らないと何一つできないもの。だって私は、愚図で、のろまで、役立たずだから。私にできることは誰だってできることで。私にしかできないことなんて、何一つない……。
そんな私の様子を見てか、バレル様は私の名前を呼んで言う。
「ヨル……?どうしたのだ。……お願いだから、我らの前で、もうこれ以上自分を抑え込まないでくれぬか。……言ったであろう?貴公が何を言おうとも、傍からいなくなったりはしないと。」
私はゆっくりと息を吐いて、あれらにされてきたことも含めて話し出した。
「私は……頑張らないと何一つできないから……。すぐ怠けようとするって言って、あれらは私を殴るの。自分から言い出したことなのに怠けるなって。……お腹がすいてね、動けなくて休んでいたら、さぼるなって言うの。言われたことができないと、ごはんすら食べさせてもらえない。それなのに……。」
私はそこで言葉に詰まる。すると父様は私のことを抱きしめて、背中を撫でてくれた。だからなんとか言葉を続ける。
「あれらと過ごしていた時の記憶は、痛みと怒号と空腹しかなかった。こんな風に抱きしめてもらったことも、頭を撫でてもらったこともなかったの。……手を繋いでもらったことも。」
それを聞いた父様は、やさしげな声で、それでもどこか悲しそうに言った。
「ヨル……お前は、そんなつらい目に遭ってきたんだな……。お前は未だ、実の両親に言われてきた言葉に苦しめられている……。そのことはお前の心に深い傷跡として残されているんだろうな。……俺は父親失格だよ。お前を拾って育てて、愛情を注いできたのに、その心の傷を癒してやることができないでいるんだからな……。」
私は父様を抱きしめ返して言う。
「父様、そんなこと言わないで。父様は私の、たった一人の父親だよ。父様が頭を撫でてくれる度に、嬉しくなった。父様の手は、あったかくて、大きくて、優しくて。できてもできなくても、頭を撫でてくれて。私のこと心配して、いつも抱っこしてくれて。お仕事があるはずなのに、私のために休職して、ずっと傍にいてくれた。」
私は生みの親から愛されなくて、だからきっと誰にも愛されないんだろうとどこかで思ってた。でも父様は私のことを愛してくれて。……生みの親なのにわたしのことを愛さなかったあれらの方がおかしいんだと、今ではそう思える。
「最初はどうして自分にそんなことしてくれるんだろうって、戸惑うばかりだったけど、それが愛情なんだって……そう思えるようになった……。」
それを聞いた父様は、優しく微笑みながら言ってくれた。
「ありがとう、ヨル。……俺としては、もっと甘えてほしかったがな。正直言うとな、寂しかったんだぞ?お前が一人で寝るなどと言い出すんだからな。」
「……そういえば、ヨルが一緒に寝てくれないなどと言って嘆いておったなお前。いい歳して何を言っておるのだと我は呆れていたが。お前の溺愛っぷりは筋金入りぞ……。寝ているヨルを我が抱っこしようとしたら奪うようにして自分が抱っこしたりな。」
えっ。そうだったの?知らなかった……。父様、あまり表情が顔に出ないからなあ。そんなこともあったんだ……。父様の同期の人たちが上級に昇格したお祝いの時かな?途中で眠くなってきて寝ちゃったんだよね……。
そんなことを考えつつ私は二人の話を聞く。
「お前に幼子を抱かせられるものか。お前は今までそんなことをしたことがないだろうが。見ていて危なっかしいからそうしただけだ。」
「……あの剣幕はとてもでじゃないがそうは思えなんだぞ。ツウェルツには許しておったくせに。」
「あいつは子供好きだからな。扱いも慣れている。ギルドで保護されていた子供たちのところに様子を見に行っては、遊んでやっていたようだしな。」
「我の扱いには納得がいかぬような気もするが。あやつの扱いは妥当か……。……そういやあいつ子供達から飴のお兄さんとか言われておったよな。あいつが行くと子供たちに群がられておったし……。」
そんな風に言ってバレル様はため息をついている。
「飴のお兄さん、かあ……。なんとなく言われる理由が分かるような。よく懐から飴を取り出しては、自分で舐めてたり、私の口に入れてくれたりしたもの。いつも違う味の飴をくれたなあ。甘くておいしかった……。」
私が懐かしむように言うと、父様は真顔になっている。
「つまりあいつはいつも懐に飴を突っ込んでいるのか。……あいつの服はどうなっているんだ。きっちり胸元を詰めている俺たちとは違って、割と胸元が緩んでいるくせに。あんなのでどこに仕込む場所があるんだ……。」
「うん……。一度どうなってるか聞いたんだけど、秘密だよって言って教えてくれなかったの。その方がミステリアスな感じが増すだろう?ふふふ……って言ってた。……懐から飴を取り出してる時点でミステリアスとか言えないと思うんだけど。イリオス様ってなんか世間一般の人と感覚がずれてるような。うーん……。」
私がそう言って唸っていると、父様は笑った後言う。
「まあ……あいつは育ってきた環境が特殊だからな。子供のころから親と引き離され、樹海の奥で世間から切り離されてされて育てられた。あいつの感覚の鋭さはそれゆえなのだろう。……まあ俺たちの行動はあいつでも予測がつかなかったようだがな?」
「ふふふ、そうであろうな。我の行動は、クソがつくほど真面目なツウェルツには予測がつかぬであろうぞ。あとはさも偶然に、自然に巻き込まれるようにしておったのだ。」
バレル様……割と確信犯だなあ……。
私はそんなことを考えてしまった。父様もバレル様もその時のことを思い出しているのか、おかしそうにくつくつと笑ってる。
「まあ俺は、お前の騒動に巻き込まれることは承知の上だったからな。お前と付き合うのはそういうことだと理解している。だが俺だけ巻き込まれるのはつまらん。どうせならツウェルツも巻き込んでやろうと思っていた。」
「二人とも……イリオス様に迷惑かけっぱなしじゃない……?」
私がそう言うと、二人とも笑ってる。
「それでも俺たちと付き合っていたということは、それも織り込み済みということだろうさ。」
「うむ。我らに巻き込まれて、それでも笑っておったからな。まあなんだ、よく言うであろう?人生、何事も諦めが肝心だとな?」
「ああ。……話は少しそれるが、ブロンの連中もとっとと諦めてほしいものだよ。俺が宣戦布告してからずっと、俺のことを魔術で監視しているんだ。まあやつらには普通に仕事をしているように見える映像を投影してみせているだけなんだがな?いつ気付くか楽しみで仕方ないよ。」
父様はふふふ、と怪しげに笑ってる。するとバレル様は少し驚いたように言った。
「なんだ、あのバカどもはお前にそんなことをしておったのか?どうも連中はお前のことを過小評価しているくだりがあるよな。まあ認められぬか。自分よりはるかに若い人間が、今までずっと研究してきた自分たちより優れているなど。」
父様も笑ってその言葉に頷いてる。
「ああ、そうだろうな。……だかいずれ、ブロンのことは闇の魔道士だということを証明し、学院から追放してやるさ。まだ情報が足りないがな。俺の持っている手札があれば、追放してやれないことはないんだが。友を闇の魔道士として追放したのであれば、同じように奴を闇の魔道士だと証明してやらねばならんだろう。意趣返しという奴だ。」
そんな風に言う父様はとても楽しそうだった。
「あまり危険なことはするなよ?」
「はは、分かっているさ。それから、お前だけのためじゃないからな、勘違いするなよ。俺はヨルが学院で安心して過ごせるように、その邪魔になりそうなやつを排除しようとしているだけだからな。」
父様、素直じゃないなあ。でも、黙っていよう。きっと、バレル様も分かってるだろうし。
すると、それを聞いたバレル様は若干呆れているようだ。
「そんなことだろうと思っておったわ。それにブロンの一派はヨルがお前の娘だと分かればなにをしてくるか分からんしな。我もあの一派には手を焼いた。ま、お前ならそんなこともないだろうが。どうせ、色々とやっておるのだろう?」
そしてどこかおかしそうにバレル様は父様に尋ねている。それに対する父様の返答はこんなものだった。
「無論だ。話しているだけでボロボロと情報を吐いてくれて助かっているよ。もちろん本人はそんなことなど覚えていないが。魔道士の癖に、そういうところはお粗末なようだな。」
そんな風に話す父様に私は恐る恐る尋ねる。
「えっ。……と、父様……何してるの……?」
「魔術で情報を吐かせているだけだ、高度な暗示をかけてな。さて、また誰か適当なのを捕まえて、情報を吐かせるとしよう。せっかく少ない魔力で俺を監視しているんだ、ねぎらってやらないとなあ?くくくっ……、はっはっはっはっは!」
父様はそう言って高笑いをしている。
「お前その笑い方完全に悪役がやるやつだぞ。そういう時だけ目が生き生きとしておるよな、いつもは目が死んでいるくせに。ま、楽しそうで何よりだよ、うむ……。」
バレル様はそう言って、頷いている。そのあとどこか楽しげな声で話し出した。
「それに我を追い出し、ヨルに危害を加えようとするかもしれぬ連中になど、情けをかける必要もなかろうて。……明日にでも、二人でじっくりその連中の行く末について語り合おうではないか。くくく……。」
あ。二人とも悪い顔してる。しかもとても楽しそう。なんか二人がこんな風な時はたいてい大事になるとか前に聞いたような……。
私がそう考えている傍らで、父様はくつくつと笑いながら言う。
「そうだな。何かを企むときは、お前がいないと物足りない。さすがに、ツウェルツにはそんなことに関わらせたくないからな。」
「まあな。あやつには我ら三人の中では、そういう裏細工には関わらずにいてほしいしな。」
バレル様も父様の言ったことに同意している。
「……あとなんか、イリオス様ってそういうの苦手そうだよね。結構すぐに顔に出ちゃうし。父様もバレル様も、わりと平然としてるもの。どうしたらそんなに落ち着いていられるの……?私、すぐわたわたしちゃうから……。」
私がそう言うと、父様は笑った後に言う。
「生きてきた年数もあるだろうな。それに俺は立場が立場だからな。弱みを見せれば付け込まれる。そんな状況で生きてきた。」
「我は……自らの影を殺したことにより、心の半分を失っておる。だからその分、何かを感じることができなくなっているということなのでもあるのだろう……。」
それを聞いた父様はバレル様にこう尋ねている。
「そうか、ヨルにもそのあたりのことは話したんだな。……なら、お前の身に宿す力もか?」
「うむ……。力の理由を話せぬという我に笑いかけ、我を信じるといってくれた。だからこそ話すべきだと思ったのだ。」
そんな二人に私は自分の魂が言っていることも含めて、話してみることにした。
「……闇の力、だよね……。この国はルクスを信奉し、アビスを敵視してる。闇の魔術は、そのアビスの力を借りることでもあるから、排除したいのかな。でも……闇を排除しようとしたら、光と闇のバランスが崩れてしまうんじゃ……。そしたら、この世界は、どうなってしまうんだろう。私はそれが怖い。それは決して許されないことだと、私の魂は……そう言っているから。」
そして、もう一つ。永遠を生きるものたちに救いを。きっとそれは、バレル様のことだ。けれど、たちということは……まだ他に、永遠を生きる人がいるというの?その人は……いったい誰なんだろう?私と深くかかわっている人だとは思うのだけど……。
「それは我とて同じだよ。……光と闇のバランスは崩してはいけない。そう我が魂は言っているのだから。そしてもう一つ。自らと同じ力を持つ者を導くのだと。」
バレル様は目を閉じ、神妙な雰囲気でそう呟く。その呟きに、父様はこう言った。
「お前たち二人は特別な髪と瞳の色をしている。だからおそらく、その魂も普通の人間のものとは違うのだろう。本来魂は、輪廻の輪の中で巡っているとされている。だが、お前たちの魂はその輪廻の輪の外から、成さねばらならないことのために『何か』が生み出したものなのかもしれないな。」
父様はそこで言葉を切って、何かを考えているみたいだった。そして考えがまとまったのか、話し出した。
「もつれて絡み合った運命の糸を断ち切り、紡ぎ直すようにだ。だからその『何か』がお前たちの魂にそう刻んだんだろう。髪と色が同じである理由は、もしも同じ力を持つ者同士が出会った場合に一目でわかるようにするためだと考えられる。」
それを聞いたバレル様は目を開けると、考えこんだ後で言った。
「ふむ……その考えはなかったな。だが、この髪と瞳を持つものがいないのであれば、それは特別に作られたと考えるのが妥当だ。ならば、その魂もまた特別なものということか……。」
「そうなのかな……?でもどうして、この色なんだろう。この色でないといけない理由でもあるのかな?」
バレル様の言ったことに私が疑問を呈してみると、彼はその疑問に返答する。
「それはおそらく、運命の紡ぎ手がその色だからであろうな。我は一度、あれだと思われる存在に会ったことがある。フードをかぶり、顔を隠し、そのフードの隙間から淡い金の髪が覗いていた。だが他の人間はそれがそこにいることを認識していなかったのだ。そして、我が会ったのは一度きりだ……。」
そんなバレル様に、私は問いかける。
「うーん、そもそもどうして、紡ぎ手はバレル様の前に現れたんだろう?他の人間が認識できなかったのは、きっと紡ぎ手がそうしたからだとしても。」
するとバレル様は自らの手をじっと見つめて何かを考えてるみたいだった。
「さて、な。……ある意味警告であったのやもしれぬ。身に余る力を求めると破滅を招くと、あれは言っていたよ。だが、あの時の我はそれをつっぱねた。どうして見ず知らずの者にそんなことを言われねばならぬのか、とな。もし紡ぎ手が我を生み出したというのなら、あれは……母親のようなもの、なのであろうな。だからそのようなことを言ってきた。」
バレル様はそんな風に私の問いに答えた。
「……勝手なことだ。名だけ与えて、人間界に放り出しておいて。」
バレル様の声にはどこか苛立ちが含まれていた。そんなバレル様に私はそっと身を寄せていた。彼はそんな私の様子を見て、ふっと微笑んでいる。
「全く……そんな風にくっついてこずともよいのだ。」
バレル様はそう言った後、私のおでこを人差し指と中指でとん、とつついてくる。
「うう……。ご、ごめんなさい……。」
迷惑だったのかなぁ……。私は、つらい時に誰かが寄り添っててくれると、なんだか楽になるからそうしたんだけど……バレル様は違ったのかな……。
私はおでこを押さえながら謝る。その様子を見て、父様は腕組みをしている。
「……炎をつかさどる大精霊イグニス・フローガ。我に力を。原初の炎、苛烈なる炎熱。肉体を焼き、骨を灰にし―」
そして無表情で淡々と魔術の詠唱をし始めている……。
えっ。と、父様!?な、なんでいきなり詠唱し出すの!?しかも本式詠唱の方を!?
「いや待て待て待て!!お前ガチの詠唱を始めるでないぞ!」
そんな父様の行動を見て、バレル様は恐怖で身を震わせながら言う。すると父様は詠唱をやめて言った。
「……殺しても死なないやつをどうやったら殺せるかと思ってな。今までは詠唱破棄していたが本式詠唱の方ではどうなるだろうかと考えた。」
「なぜゆえにそんなことを言い出すのだ!?我が何をしたというのだ!!」
バレル様はそう言ってこぶしを握りしめて声を荒げている。
「俺の娘に減らず口を叩いた。それから、俺がヨルにしたことのないことをやっただろうが。……犯罪だぞ犯罪。お前の行動はどう考えてもアウトだ。娘でもない少女の額を指でつつくなどな。」
「お前な……。そのような法などないであろうが。」
「当然だ、俺が今決めたからな」
「んん!?」
「過度なスキンシップは禁止だ。俺は父親だから構わないが、お前は駄目だ。ヨルにそういうことをしたのが発覚するたびに、お前を燃やす。覚悟しておくんだなアルバート。」
と、父様?父様ぁ……。さすがにそれはやりすぎだと思うの……。大切に思ってくれてるのは分かるんだけど、……分かるんだけど……。でもたぶん私が言っても聞いてくれないよね……なんとなくそんな気がする……。
私はどこか諦めにも似た気持ちになって、何も言えない。バレル様は父様のことを指さしながら怒鳴ってる。
「おい!?お前何を言い出すのだ!?いい加減にせぬか!!それから燃やされるこっちの身にもなれ!お前最近我を燃やす回数が明らかに増えてきておるではないかっ!」
それを聞いた父様はごく普通のことのように平然と言った。
「それはお前が燃やされるような真似をするからだろうが。ヨルくらいには素直になってやったらどうだ?」
「素直、な。……そもそも我は、いつも素直に言っておるぞ?」
「つまり、そのねじくれてひん曲がった状態が、素直だと言いたんだな?全く、お前は厄介な奴だよ。」
父様はため息をついて、やれやれと言わんばかりに首を横に振ってる。
「お前もお前で、我に悪態をつきつつも、なんやかんやと付き合っておるではないか。」
「ま、そうなんだがな。長年共にいるから、お前がどういう奴なのかはよく理解している。それに……お前といると飽きないし、お前と俺が知恵を出し合えば、大抵のことは何とかなるものだからな?」
父様は悪い顔をしながらそんなことを言って笑っている。
「はは、そうであったな……。我らは2人で知恵を出し合いながら、我らの邪魔をしてくる連中を片付けてきたものよな。」
どこか懐かしそうに、そして楽しそうにバレル様はそんなことを言い出した。それに対し、父様も同意している。
「ああ。俺がお前に屋敷にいてもらいたいのは、……まあ、ヨルの件もあるが、ブロンを片付けるために知恵を貸してもらいたいというのも大きい。ツウェルツは、そういうことは門外漢だからな。お前も、あれには思うところがあるだろう?くくく、二人であれをどうするか、あれこれと意見を出し合うのも悪くはないと思わないか?」
そんな父様の提案に、私は言う。
「私も加わりたいなぁ。私だって、バレル様のこと追放した人のこと、許すつもりないもの。」
「貴公にはまだ早いと思うのだが。……ま、我らのやり口を知るのも、いい勉強になるやもしれぬな。なあ、ディー?」
そう言ったバレル様の目は怪しく光り輝いている。
「そうだな。これからヨルは、最年少で下級に上がったこともあり、それを快く思わない連中が何かと邪魔をしてくることだろう。そいつらの対処の仕方を身に着ける、いい機会だ。俺もある程度は守ってやれる限度がある。それにそういう連中は自分でやりこめた方が最っ高に楽しいからな?」
父様はまたふふふと怪しい笑いをして、悪い顔をしてる。
「ありがとう二人とも!……そういったことを学べる機会なんて、きっとそれを逃したらないもの。それに私、父様たちみたいに一年で上級に昇格するつもりだから!」
私はそう言って、二人に宣言した。
「はは、そうなれば最年少で上級魔道士になるわけか。今までの最年少は18で学院に入学し、19で上級に昇格したツウェルツだから、その記録を大幅に塗り替えることになるか。今から一年後に上級昇格試験があり、今年の冬で16だから……16で上級魔道士、か。おそらく誰にも打ち破ることのできない記録になるだろう。」
「だが、そうなると妨害も激しそうであるぞ?……そうか、だからこそ我らの話し合いに参加した方がよいということの何よりの証明であるな。」
バレル様はどこか納得したようにつぶやいた。
「ああ。……ツウェルツには知られないようにしておこう。あいつは人の善性を信じる奴だからな。」
父様もそれに頷いている。
「うむ。我らは長い時間の中で人間の悪性をよく見てきたからな。確かに人はいい面もあるのだろう。だが我らはもはや……それを信じることなどできぬ。故郷を焼いた人間どもを我は生涯許さぬ。だがツウェルツやヨルもまた、人間だ。我にとっては……二人とも大切な存在なのだ。矛盾しておることは分かっているのだ、だが……。」
バレル様は深い息を吐いて、悩ましげに言った。父様も顔をしかめている。
「俺だって同じさ。……人間は、俺から大切なものすべてを奪った、憎き仇で……、それでもヨルのことは娘として愛しているし、ツウェルツもまた、大切な友人だ。俺は……憎むべき存在でも、救いを求めるものを見捨てられない。それが……俺の弱さだ。」
どこか苦しそうに父様は嘆く。けれど私はそんな父様に言葉をかける。
「違うよ、父様。それは優しさだと思うの。父様もバレル様も、とても優しい人で、だからこそ大切な人にひどいことをした人たちを許せない。そして人間全体を憎んでいても、目の前で苦しんでいる人まで憎むことができないのは、その優しさからくるものだと私は思う。」
それを聞いた二人は、驚いた顔をする。
「……優しいか。そんなことを言われたのは初めてだよ。」
「我もだ。そんなものは甘さだ、弱さだと、切り捨てようとして、切り捨てられなかった。それを捨ててしまえば……本当にヒトでなくなってしまう気がしてな……。」
そんな二人に私は言う。
「だって二人とも、心配をかけたくないからと言って、自分たちの抱えているものをよっぽどのことがないと話そうとしないから。誰かの重荷になりたくない、負担をかけさせたくない。それは……その人のことを思っているからこそでもあるんだと思うの。」
そしてこうも付け加えておいた。
「でも……それがかえって相手の重荷になるかもしれないってことを忘れないでほしいの。友なのに、どうして話してくれないんだとイリオス様はきっと思ってるから……。」
それを聞いた父様は、腕組みをした後、微笑んで言った。
「分かっているさ、そんなことは。だが、ツウェルツには……あいつには、俺たちのように、深く昏い闇の中に足を踏み入れてほしくないんだよ。俺たちの過去は……俺たちが人間に抱いているものは、そういうものなのだからな……。あいつには光の中でいてほしい。……それだけ、なんだよ。」
バレル様もまた、父様に同意するように頷いて言う。
「うむ。あやつは……おそらく我らが話せぬことを抱えているのを感じ取っておるのであろう。だが、決してそれには触れてこぬのだ。あやつは、人には決して触れてはいけないものがあるということを、よく知っておるのだろうな。」
そんな二人に私は時折、イリオス様から感じることを話した。
「うん……。たまに、イリオス様が怖くなる時があるの。すべてを見透かされているような気がして。そんなときのイリオス様の眼は……どこか別の、何かを見つめてる。決して見えるはずのない、何かを。」
そんな風に言った私に、父様はこう返してくる。
「それは……人の心であったり、魂であったりするのだろうな。あいつの感覚は誰よりも鋭い。時に、未来が見えているような、そんな節がある。千里眼を持つ人間……初代国王エヌマエルと同じ力を持ちし者。ルクスはあいつと会ったら大喜びするだろうな。自らが寵愛した存在と同じ力を持っているのだから。」
それを聞いたバレル様はこぶしを握り締めて言う。
「あやつをルクス側に渡すわけにはいかぬ。新たな国の王となるのに、あやつほどふさわしき存在はいないであろうからな。今まで差別されてきた身であり、無くならない差別と闘う者だ。かつてのエヌマエルと同じように。だが、本人はこの国を滅ぼしてまで、差別をなくそうという気はないようだがな。」
そのあとバレル様は、父様に問いかける。
「お前のあの問いかけは……、ルクス側につくかやもれぬ危惧を含めてもあったのであろう?無論、我らの協力者となる可能性もあってのことであろうが。」
そんなバレル様に対し、父様は目を閉じ、深く息を吐いて言った。
「そうだ。あいつは樹海を束ねる者。そして、あいつの一族が使う魔術は、闇の眷属を消滅させることのできる代物だ。そんなやつがルクス側につけば、この国を滅ぼすことなどできん。それに、ルクスは自らが仕立て上げた英雄の末路がどうなろうと、気にも留めんやつだ。」
父様は目を開けると、何かを思い出すかのように付け加える。
「エヌマエルは毒殺され、アルマはその首謀者として、処刑された。だが、アルマがエヌマエルを毒殺などすることなどないだろうさ。英雄として祭り上げられたあいつがそんな目に遭うのは見たくない。」
「アルマほど……人間を愛し、人間のために力を尽くした存在など、おらぬというのに。人間は愚かだよ……。自ら英雄と祭り上げたものを、容赦なく切り捨てるのだから。」
バレル様はため息をついている。
「きっとそれは……強大な力を持つ人が怖いからだと思う。戦いのときには必要になるけど、平和になった後は不要な力だもの。決してその力が自分たちに向けられることはないのに、もしかしたらと考えてしまう人もいるんじゃないかな。」
「ああ。……蝕月の民や獣人を恐れ、それらの国を滅ぼしたように、自分たちより強大な力を持った存在を恐れる。そしてそれは、同じ人間であろうとも何も変わらないということなのだろう。」
どこか陰りを感じさせる声色で、父様はそう言った。
「……ヒトは自分と違うものを恐れるものであるからな。我を迫害したように。人間と獣人は、永遠に近い寿命を持つ蝕月の民を恐れ、アヴァテアを滅ぼした。その後、人間より強力な力を持つ獣人がルガシオンを建国し、人間を奴隷にした。蝕月の民を滅ぼす際には手を取り合っていたというに。」
バレル様は一度そこで言葉を切り、深く息を吐いて言った。
「そののちに人間は自らを虐げてきた獣人に反乱を起こし、自分たちの国を造り上げた。自分たちより強い獣人や、樹海に生きる者たちを奴隷としてな。そして、二つの国の滅亡にはルクスが関わっている。よくもまあ、飽きぬものだ。」
そんなバレル様に、私はエレから聞いたことを話す。
「でも、この国に伝わる歴史は、バレル様が言ってたものとは違うみたいなの。代々魔道士の家系だった人が言ってた。……アビスは世界を手中に収めようとしていた蝕月の民に手を貸し、彼らが滅びた後も、その復讐として獣人たちの国を滅ぼした。そしてルクスは初代国王に力を与え、人間界をアビスの手から解放し、この国の建国に携わったって。」
「む?ふむ。そうか。ま、どうでもよいことだな。どうせ滅びる国の歴史など、どうでもよいであろうぞ。」
「ああ。……いつまでも、人間界が思い通りになると思ったら大間違いだ。」
父様はそう言って、どこか苛立ちを含ませている。そんな中、私はふと疑問に思ったことを口に出した。
「……ルクスは……どうして、この大陸にこだわるんだろう?東の果てにはほかにも国があるっていう噂だし、海を越えた遠くにも、きっと他に大陸があって、そこにも人間は生きていて、国があるんでしょう?だって、樹海の人の中には、この大陸とは違う系統だと思う見た目の人が混じってるもの。」
私は下層で一緒に過ごした子たちの姿を思い浮かべながら話す。
「褐色の肌や、イリオス様の瞳の色よりもっと黒に近い、濃紺の髪や、紫がかった瞳……。下層で過ごした子たちの中には、それぞれそんな特徴を持ってる子がいたの。」
そんな私の疑問に、父様は少し考えるようにして言った。
「その子たちは遥か昔にこの大陸に渡ってきた移民や、別の大陸で迫害され追い出された人々の血を引いているのかもしれんな……。となると、他にも大陸があると考えた方が妥当だ。他の大陸は人と神の争いがあり、未だその争いが続いているか、神との争いに勝利し自由を勝ち取ったか、はたまた敗北し支配下にあるか。人間どもの争いが絶えないせいで、神など信奉することのない地である可能性もある。」
父様はそんな風にいくつか例を挙げている。そしてそのあと、顎に手を当てて言う。
「だが、ルクスがこの大陸にここまで躍起になるということは……ここが隔絶された地で、未だ魔術などの神秘的な力が残る場所である可能性もあるな。」
そんな父様に私は自分の考えを話してみる。
「そっか、他の大陸のことは分からないけど……、当たり前に存在している力が、他の場所では存在していない可能性もあるんだよね。獣人の人たちは、東の果てから来た、とされているけど、ほとんどは魔力の代わりに強靭な肉体を持っている。それはつまり、その場所が過酷な環境で、魔力の代わりに体を頑強にすることで生き抜いてきたことの証になると思う。」
すると父様は、それに同意してくれた。
「おそらくはそうなのだろうな。獣人が魔力を持ったのは、ルガシオンが建国されてからだと俺は考えている。クティノスが彼らに与えた力は、魔力であったと。一つの一族しか魔術を扱えない理由はそこにあるのだろう。獣人は女系種族のようだ、生まれてきた子は母方の一族の姿になる。だから、他の一族に魔力が伝わらないというわけだ。」
意外だなあ。獣人はあんまり人間と関わらないみたいなのに、父様はどうしてそんなことまで知ってるんだろう?
私はそんなことを考えつつ、ミコノの一族について言う。
「なるほどなー……。ミコノ……唯一魔力を持ってる彼女の一族は、特殊な立ち位置みたいなの。自分たちのこと祈りの巫女って言ってた。獣人は霊魂と呼ばれる……人が死んだときに消えずに抱き続けた思いの塊のようなものを信じていて、ミコノはそれが見えるって。舞を踊り、思いを抱えたままの死者の霊魂をアードへと導くのが役割だって言ってた。」
父様はそれを聞いて、ほう、と言葉を漏らした後、驚いた顔をしている。
「それは……ずいぶんと変わった考えだな。人は死ぬとアードに行く、それは決められたことだ。だからそんなものが残ることはない、というのが定説だからな。だが……ツウェルツも気になることを言っていたな。死者がアードに行くまでは猶予があると……。」
そんな父様に、私はミコノから聞いたことも含めて、自分の考えを話した。
「うーん、結局のところ、死んだ後のことだから、誰にも分からないんだよね。だからそれぞれ信じるものによって、変わるということなのかも。……そういえばミコノ、父様を見た時に、ずっときれいな女性と男の子が寄り添ってる、みたいなこと言ってたよ?とても悲しげにしてたって。」
それを聞いた父様は、大きく目を見開いた。
「っ……、まさ、か。……そんなはずはない。そんなことはあり得ない。死んだ者の魂は、アードに行き、新たな生を受けるのだから。あれから、あの日から、ずっと……傍にいたというのか?そんな、……そんなことが……!」
そう言った父様は、かなり動揺しているみたいだった。片方の手で顔の上半分を押さえ、もう片方の手は頬に添えられ、眼を見開いている。
「……ディー。……ディートハルト。」
そんな父様の姿を見て、バレル様は珍しく父様の名前をそう呼んだ。
「……アルバート……。……そうだ。俺の名は……ディートハルト・ハインリヒ。……ファーレンハイト王国、公爵家の唯一の生き残りだ……。」
父様は顔を覆っていた手を下ろし、目を閉じ深く息を吐いている。どこか言い聞かせるかのような言葉に対し、私は違和感を覚える。けれどすぐにバレル様が言う。
「そうだ。お前は、ディートハルト・ハインリヒだ。それをゆめゆめ、忘れるでないぞ。……ヨルの話を聞いて、妻子を殺された時のことを思い出してしまったのだな……。だが、おそらく獣人が霊魂と呼ぶものは魂ではなく、心なのだろうと我は思う。死んだときに消えずに抱き続けた思いの塊なのだからな。」
そしてこうも付け加える。
「肉体が死ぬと魂はアードに行くとされている。だが、心の行く末だけは語られておらぬ。そのまま消えてしまうのか、魂と共にアードに行くのか、それとも残り続けているのか……。だが、愛した存在の傍に心が残り寄り添い続けるという考え方は、悪いものではないだろう。」
「父様、ごめんなさい……。私……私……。何の考えもなく、話しちゃった……。」
私が謝ると、父様は怒らずにそっと頭を撫でてくれた。
「いいんだ、ヨル。俺はもはや二人の記憶がない。だが、それでもそんな俺に……妻と子の想いは、……心は寄り添い続けてくれているんだな……。それほどまでに、俺を愛してくれていた。それを知れたのだからな。」
そう言った父様は、どこか肩の荷が下りたような表情をしていた。
「死してなお、愛する人の傍にいる、かぁ……。……私も、きっとそうだと思うな……。」
バレル様は永遠を生きるけれど、私には寿命があって、必ず別れは訪れる。けれど、それでも私の想いは、心はずっと……バレル様と共にあれたらいいな……。
「その言い方からすると、ヨルは……すでに、好きな人がおるのか?」
そんなことを考えていると、バレル様は私に聞いてきた。
「えっ。い、い、いえ、い、いない、よ?た、ただ、その、あ、愛する人ができたら、きっとそうなんだろうなって、お、思っただけだから!」
私はその問いかけに、しどろもどろになりながら否定する。
「はは、そうか。貴公が選ぶ男なら、我は反対などせぬぞ?貴公が笑っていられて、幸せになれる存在であるならな。」
……私にとって、それはバレル様なんだけどなぁ……。
それを聞いた父様はこめかみのあたりを押さえてうなっている……。
「……獄爆炎。」
あっ!?父様なんで燃やしたの!?
「うあっちぃ!?!?お、お前、いきなり何をするのだ!?」
黒い煙をあげながら言うバレル様に対し、父様は無表情で言った。
「……うるさいぞ死ね」
「あ、ちょ、ま、まて、や、やめんか!」
「……まだ何もしていないだろう、何をそんなに怯えているんだ」
「お前がそう言うときは大抵碌なことにならぬからだ!!」
「ほう。よくわかってるじゃないか」
私はそんな父様を止める。
「と、父様、やめてあげてよ……。」
「……仕方ない、ヨルに免じて許してやる。だが、次に俺の前でヨルに父親面してみろ。……殺すぞ。ヨルの父親は俺だけでいい」
父様はバレル様に物騒なこと言って脅してる……。でもバレル様は割とそんな扱いにも慣れてるのか、呆れているみたい。
「お前娘に対する独占欲が強すぎではないか?……まあ、なんだ、お前がそこまで愛することのできる存在ができてよかったよ。」
「お前もいつかそんな相手を見つけろよ、アルバート。」
「む?何を言っておるのだ。我はすでにヨルのことを娘のように大切に思っておるぞ?」
「……そうか」
バレル様は、気を取りなおすようにして話し出した。
「……話を戻すとしよう。この大陸についてだ。我はこの大陸を放浪したことがあるが……ここは四方を海で囲まれておるのだ。そして一度外の大陸に出ようとしたことがあったが、周囲は深い霧や嵐で囲まれ、特殊な海流もあるのか、決して外には出れなかった。」
そんな風に語るバレル様は、どこか悲しげだ。
「外から来ることはできても、二度と出ることのできぬ地。この地自体が、何かを閉じ込め外に出そうとしないかのようだ。それはもしかしたら、我らのような魔力を持つ存在であるのやもしれぬ……。」
バレル様は深く息を吐いて、首を横に数度振る。そんなバレル様に私はこう言った。
「それだけ、魔力を持つ存在は特別だということなのかもしれないね。……それにしても、迫害されて、安住の地を求めて他の大陸に渡って。その地でもまた迫害されて……この大陸にたどり着いた人たちは、ここから出られないなんて……。」
私の言ったことにバレル様も父様も頷いている。
「うむ。しかも、そんな人々は見た目の違いで差別され、樹海に追いやられたのだ。樹海はそんな、寄る辺なき人々の集まる地であったのであろうな……。」
バレル様は少し黙った後、思い出したかのように言う。
「コンラッドが聞き、まとめた樹海に伝わる話の中には、この大陸由来ではないと思われるものがあることもそれを裏付ける証拠になる。例を挙げるなら、冥府に妻を取り戻しに行った男の話もその一つだな。この大陸では冥府は死後にしか行けないとされているが、地続きで繋がっていると考えられている大陸もあるようだ。」
バレル様はそう教えてくれた。
「冥府……?でも、人って死んだらアードに行くんだよね?」
首をかしげてそんな風に言った私に、バレル様は頷いた後、こう教えてくれた。
「うむ。だが、冥府は実在するようだ。末弟が言っていたのだ。闇に堕ち、輝きを失った魂の行くところだとな。人を殺すとそのことが魂に業として刻まれる。それがあまりにも多いと、魂は輪廻の輪の中に戻ることができずにアードから冥府へと送られ、炎で魂に刻まれた業が消えるまで永遠に焼かれるという。それでも消えなかった場合、魂は消滅させられると。また、アビスはそこをつかさどる存在でもあるそうだ。」
バレル様の言ったことを受けて、父様は言う。
「俺は死後、その冥府とやらに行くことになるのだろうな。俺がやろうとしていることは、そういうことなのだから。それでも俺は……俺からすべてを奪ったルクスに、この国に復讐する。死後のことなど、考える必要などない。生きている『今』が何より重要なのだから。」
私はそんな父様に言った。
「父様……。父様はそれほどまでにこの国を、ルクスを憎んでいるんだね……。」
「ああ。それが俺の生きる理由だ。だが今はお前の成長を見守るのも、生きる理由になったよ。」
父様はそう言って、優しく微笑んでくれた。
「我は……我の生きる理由は……なんなのだろうな。我にはまだ成すべきことがあるから生きているのだろう。だが決してそれは生きる理由とはなりえない、別のものだ。最初は死ねないから生きている。ただ……それだけのことだった。」
父様の言ったことを聞いてか、バレル様は呟くように話し出した。
「そして故郷を得る喜びと、それを失う悲しみを知り……失った友に復讐を誓い、生きてきた。なのに今の我は……揺らいでいる。新たな友を得、娘のように思える大切な存在と出会い、この国を滅ぼすことが本当に正しきことなのか……我にはもう分からぬ。この国は友と、大切な存在が生きる国なのだから……。」
そんな風に語るバレル様の瞳は、深い悲哀と、困惑と、そして大切な存在への思いとが入り混じった、不思議な色合いをしていた。
「そしておそらく、我は……我に残された時間、は……。」
バレル様はそう言って、沈黙してしまった。
「バレル、様……?」
そう問いかけた私に、バレル様はただ、悲しげに笑っているだけだった。
胸が痛い。苦しい。そんな顔をしないで……。バレル様が悲しいと、私も、悲しくなるから……。
「アルバート……。……いくらでも迷うがいいさ、俺は別に構わんよ。お前にもそんな……大切な存在ができた証だということなのだからな。初めて会ったころのお前は、何も、誰も信じず、この世のすべてを冷めた目で見つめていた。世界などどうなっても構わない、自分には関係のないことだ……そんな風に思っていたお前が、そんなことを考えるようになったのだからな……。」
父様はそう言った後、ふっと微笑んだ。
「少しは人間的に成長したようで嬉しいよ。ま、あれだけの年月を生きて、その程度しか成長していないというのも、どうかと思うがな?」
そしてそう言葉を付け加えて、腕を組んでくつくつと可笑しそうに笑っている。
「ぐっ……。それを言われるとぐうの音も出ぬぞ……。少なくとも、自分の本性との折り合いくらいはつけられるようにはなったのだ……。」
「そうだな。以前は所かまわず誰も彼もに噛みついてきて、野良猫のようだったぞ?会ったころのお前には手を焼かされたよ。俺の話を聞こうともせず、魔術でねじ伏せてきようとしやがって。」
どこか懐かしそうにしつつ、うんうん、と頷きながら父様は言う。
「ま、当然返り討ちにしてぐうの音も出ないほど殴ってやったが。あれ以降、お前は俺に対しての態度が変わったよな。少なくとも、俺の言うことは素直に聞くようになった。」
そんな父様にバレル様は呆れたように言った。
「……それはお前のいうことを聞かねば我を容赦なく燃やすか殴るかしたからであろうが。周りの連中はお前の行為に引いておったぞ。」
「……と、父様……。そんなころから、バレル様の扱いはそんな感じだったんだね……。」
私は目を逸らしながらそう言っておいた。そんな私に、父様は少し首を傾げた後言う。
「ん?言っても分からんやつには実力行使でどちらが上なのかを叩き込んでやらないといけないだろう?」
「ああ……だからバレル様は父様に頭が上がらないんだね……。」
なんとなく納得してしまった……。父様って結構、実力行使に出るタイプなんだ……。なんだか前にもそんなこと言ってたような。
「う、うむ……。我、何度戦ってもディーには勝てぬのだ……。我の方が使える魔術の種類だって多いし、体格だって我の方がよい。なのに……なのになぜゆえに勝てぬのだ……?」
「それはお前がかっこよさとかのロマン方面を突き詰めるタイプだからだ。実直的な戦い方をする俺からすれば隙だらけだぞ?」
「なんだと!?お前はあの良さが分からぬのか!?」
「分からんな。分かりたくもない。」
父様はバレル様の言ったことを切り捨てている。そんな中、私はふと思い出したことを聞いてみた。
「……そういえば、イリオス様が言ってたんだけど……、バレル様……父様にお金借りたりしてたの……?」
「うむ。学院の授業料はな。ディーに借りて払って、成績優秀者になって授業料が免除されたら全額返ってくるから、それを返しておったのだ。」
バレル様は、はははと笑いながらそんなことを言った。
「懐かしいな……。一度、免除された授業料はそのまま次の授業料に回せ、金を貸すのは面倒だと言ったら、お前その金酒につぎ込んで使いやがったよな。あの時は頭を抱えたぞ。駄目だコイツ、金回りは俺が管理しないと目先のほしいもの優先して使いやがる、と思ったものだ。それ以外にも何度か金を貸してくれと頼んできやがって……。」
父様ははぁ……とため息をついた後、頭に手を当てている……。
「はっはっは、ツウェルツに金を貸してくれと頼んだら自分も金がないからと断られてな!そうなればもはやお前に借りるしかないであろう?」
するとバレル様はいい笑顔をしながらそんなことを言い放った。
「お前は友人を何だと思っているんだ?」
「ん?困った時に助けてくれる存在だが?」
「……なるほどつまりお前の困った時というのは主に金銭的な意味で、だな?」
「ははは、もちろんそれもあるぞ。」
「よし、アルバート。……森と海と、どちらに行きたい?」
と、父様、その質問は……いったい……。
私がそう考えていると、バレル様は少しの沈黙の後に言う。
「……その手の質問には答えぬぞ。お前よく、我らに嫌がらせをしてきた連中にそう問うておったからな。森と答えれば樹海送りにし、海と答えれば海の底送りにしておったな……。我、さすがに海の底はやりすぎだと思うのだが……。そんなことをされたら普通の人間は死ぬではないか。」
「それだけのことをしたということだ。その点お前は死なないから大丈夫だろう。」
「そんなことをされたら戻ってくるのが大変ではないか。勘弁してくれ。」
「ちょっと待って……。そんな簡単に片づけないで……。……バレル様の身体って、いったいどうなってるの……?」
私は二人の会話を聞いて素朴な疑問を口に出した。
「さてな。我もよく分からぬ。心臓を貫かれようと、首をはねられようと、腹を裂かれようと、業火に焼かれようと、氷漬けにされようと、我は死なぬ。永遠を生きるのが嫌になり、自らそんなことを試したこともあれば、歳を取らないことがばれ捕縛され、そんなことをされたこともある。我の身体を解剖して、不老不死の手掛かりでも得たかったのであろうぞ。」
バレル様は何でもないことのように、そんなことを言った。そんな彼に、私は……何も言えなかった。
「お前が人間嫌いなのも、それが理由の一つということか。……全く、愚かだよ、人間どもは。永遠など求めてどうすると言うんだ。そんなもの、お前たちには身に余るものだろうに。永遠を求めていいのは永遠に近い寿命を持つ、選ばれし種族だけだ。獣人でも、人間でもない。」
父、様……?どうして、父様がそんなことを言うの……?父様だって、人間なのに……。
「……ディー。お前は……、未だそのようなことを考えておるのか。お前の言う種族は身に余る力―不老不死を求め滅びた。そして獣人どもも、不老不死を求めようとしてああなった。それは、不老不死を求めることはどの種族も許されぬという、何よりの証拠であろうぞ。」
「ならどうしてお前は不老不死の肉体を手に入れられた?他の者たちは成功しなかった、なのになぜお前だけが。」
父様は詰問するような口調でバレル様に問いかけている。
「知らぬよ、そんなことはな。そもそも我は、アヴァテアに行った時、すでにヒトではなかったのだからな。」
けれどそんな父様に、バレル様は吐き捨てるかのようにそう言った。
「ああ、だからか。ヒトでなかったからヒトでないものと適合した。……ただそれだけか。」
父様はバレル様に冷たく言い放つ。
「ディー!お前……!」
それに対し、バレル様は父様の胸倉をつかんで怒鳴っている。
「いくらお前とて、そのようなことを言うのは許さぬぞ!」
「はん、だったらどうするというんだ。俺を殺すか?……お前に、俺が殺せるのか?あの日に俺を生かしたお前が。」
父様は胸倉をつかんでいる手首を握り締め、そう返事をする。そんな父様の瞳は、どこまでも冷たかった。
「……っ……!……お前がそう心から望むのであれば、いつだって殺してやろうぞ。」
「はは、そうか。結局のところ、それがお前の本性か。お前はいつか、自分の身に宿る力で、大切な者すべてを殺してしまうかもしれんな?そして、その絶望を背負い、永遠を生きていく。……お前は本当に愚かで滑稽だよ、アルバート。」
「ふん、復讐に囚われ生きる過去の亡霊が。復讐を終えた後、お前には何も残らぬぞ?それを分かっていてもなお、復讐に固執しておるお前こそ、哀れであろうぞ。」
けれどそんなことを言う二人は、とても苦しそうだ。
二人とも……、なんで?……なんで、そんなこと言うの。……そんなこと言う父様も、バレル様も、嫌い。ひどいよ……。
「……嫌い。」
私は、ポツリとそう呟いた。
「……ヨル?い、いま、なんて……。」
「そんなひどいこと言う、父様も、バレル様も、大嫌い!なんでそんなこと言うの?なんでそんなに、苦しそうにしながら、お互いを傷つけることを言うの!……何度だって言ってあげる。そんな風にしてる父様もバレル様も嫌い。大っ嫌い!……馬鹿!!」
それを聞いた二人は私の方を見て固まっている。バレル様は父様の胸倉をつかんでいた手を放していた。
「き、き、きら……、嫌い……。む、む、娘に、き、きら、嫌われっ…………。」
父様はよほどショックだったのか、小声でぶつぶつとそう呟いている。
「ヨ、ヨル……、ヨル……。わ、我、我を……。き、きら、きらわないでくれ、た、たのむから……!」
バレル様はうろたえながら情けない声でそう言っている。
「……出てって!しばらく外で頭冷やして来た方がいいんじゃないの!」
私はそう言って、そんな二人を部屋から追い出し、扉を勢い良く閉めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれヨル!す、すま、すまなかった!貴公の前で、あのような醜態を見せるなど……!謝る、この通りだ!だ、だから部屋に入れてくれぬか……!」
バレル様はそんなことを言って扉を開けようとしてくる。けれど私は2人に聞こえるように大きめの声でこう言った。
「今から着替えるんだから絶対に入ってこないで!!いくら父様たちでも、そんなことしたら絶対に許さないんだから!……あんまり二人が喧嘩するようなら、私二人としばらく口きかないからね!」
そしてわざとガチャンという音を立てて鍵をかけておく。
……言い過ぎたかな?でも、これくらいしないと二人の喧嘩、止められそうになかった。あそこまで険悪な雰囲気になった父様とバレル様、初めて見た……。
そう思って深く息を吐いた後、クローゼットを開けて寝間着を探していると、二人の話し声が聞こえてきた。
「ヨル……ヨルに、嫌いと言われる日が来るなんて……。そもそも父様、好き、とか、大好きとか言ってもらってなかった気がしてきた……。」
「うむ……。……娘と思っておる存在に大嫌いと言われることが、これほど堪えるとは思っておらなんだぞ……。」
「俺もだ……。嫌い、……嫌い、かぁ……。ははは、ははははは…………。」
「ディ、ディー?だ、大丈夫か?」
「ははは……、大丈夫なわけないだろう……。ははははは……。」
父様の乾いた笑い声が扉越しに聞こえてくる……。
「気をしっかり持たぬか!お前娘に嫌いと言われただけでそうなっておるのなら、ヨルが恋人を連れてきたらショック死するのではないか!?」
「……ははははは……。さすがに、それはないだろう……。でもそんな日も近いかもしれないんだよな……。い、嫌だ、俺の愛娘が他の男のものになるなんて考えたくない……!」
父様の嘆くような声が聞こえてくる……。そんな父様に対し、バレル様はどこか呆れたように話している。
「いや、そもそもヨルはお前のものでもないからな?そもそも、娘の幸せを願うのなら、それが一番いいであろうが。我はあの子が笑っていてくれればよいのだ。」
「……お前……お前には分からんさ……。娘を他の男に奪われる気持ちなどな……。ははははは……。き、嫌い、嫌いか……お父さんは嫌いか……。」
「ディー。ディー?お前、どこを見ておるのだ?……お、おい、おい!?」
「………………。」
「ディー!!!しっかりせぬか!!」
そんなバレル様の声が響いている……。
……ちょ、ちょっとかわいそうだったかも……。父様に好きって自分の言葉で言ってこなかったもんなあ……。紙に書いてた頃は、素直に書けてたのに。父様のことは尊敬しているし、大好き、だけど。……照れくさくて、なんだか言えない。……バレル様になんて、もっと無理だよう……。で、でも、やっぱり父様には伝えた方がいいよね?
熱くなった顔を押さえつつ、そんなことを考えていると、話し声が聞こえてくる。
「はっ……。……すまなかったアルバート……。カっとなって言いすぎた……。」
「我も……すまなかったぞディー……。売り言葉に買い言葉で、言いすぎてしまったのだ……。」
二人はどうやら反省しているみたいだった。
「そもそも、娘の前でやる会話ではなかったな……。」
「うむ……。ヨルは我らの事情を知っておるからな。気が緩んだのもある。こんな風に喧嘩をしては、ツウェルツやお前の妻に仲裁に入られ、色々と叱られたな……。」
バレル様の話し方は、どこか懐かしそうだった。
「ああ。懐かしいよ。……ヨルにはこの国に復讐すると幼少時に言ってあるし、俺以外の人間を信じるな、とも言って育ててきた……。何も知らないお前を他の人間は利用しようとするかもしれない、などともっともらしい理由をつけてな。」
それから少しの間をおいて、父様の声が聞こえる。
「だが……あの子は、お前を信じていた。心からだ。本人は気付いていないようだったがな。ヨルはお前が傍にいると、安らいだ表情をするんだよ。決して俺には見せてはくれない表情を、お前には見せていた。それに気付いた俺は、複雑な気持ちだったよ。心を許せる相手は父親の俺などではなく、お前なのだということに……。」
そうだったの?知らなかった……。でもきっと、それはバレル様が自分と同じ存在だって、どこかで感じてたからなのかもしれないなあ……。
私はふっと、そんなことを考える。
「ディー……。お前は……。」
「……同じ髪と瞳を持つんだ、仕方のないことだ。それに俺も、お前ならと思った。お前はアルマと同じ髪と瞳を持ち、それゆえに一度祭り上げられそうになっただろう?」
「うむ。あの時は、面倒であったな……。おかげでしばらく、身をひそめる羽目になった。」
この髪と瞳の色はやっぱり特別なんだ。初代国王陛下の妻と同じ色……。私がそうならないで済んでいるのは、父様が私の知らないところで守っていてくれるからなんだろうな。
「だから、自分が遭ったような目にヨルを遭わせるはずがないと思ったんだ。あの子を守ってくれるとな。だが、お前には会わせたくなかったんだよ、本当はな。」
「それは、我がロクデナシだからであろう?」
「いいや。……お前とヨルは、雰囲気がよく似ている。会わせれば無意識のうちに惹かれ合うことになりそうなほどまでにだ。そしてそんな関係は共依存に陥りやすい。死ねないお前が、あの子を失って……何度も死のうとしてボロボロになり、それでも死ねなくて絶望する……。お前のそんな姿は見たくなかったんだよ。」
今日の父様は、珍しく素直な気がする。いつもなら、こんなこと言わずにバレル様のこと茶化してそうなのに。
「そうであったのか……。……お前はいつも……先のことを考えておるのだな……。我はそんな未来など、思い描くことなどできぬよ。だが死ねないというのはお前も同じではないのか?」
「俺は死のうと思えばいつでも死ねる。復讐を終えるまで、死ぬつもりはないがな。だが、それは同時に復讐を終えたあとに永遠を生きるお前を置いていくことになることでもある……。」
「……置いていくのは、我の方やもしれぬぞ。我の魂は……肉体が完全に変貌を遂げれば、ケイオスタイドに引きずり込まれるのだからな。」
外からの話し声を聞きつつ、私は服を脱いで、クローゼットから寝間着を取り出し、着替える。ついでに明日着る服を探しておく。
……あれ?なんか、服が増えてるような……。こんな服、あったっけ?
私はクローゼットの中の服を見ながら、そんなことを考える。濃紺で背中に大きなリボンのついた足首までのワンピース。裾が広くふんわりとしたスカート。父様の瞳の色に近い、綺麗な緑色で裾が三段のフリルになっていて、一番下は白いフリルのワンピース。胸元にはリボンもついてる。……明日はこれを着てみようかな?
服を買いに行ったのは、半年以上前。父様と一緒に、学院で過ごすときの服を選んだんだっけ。あの時は動きやすさを考えたものしか買わなかったからなあ。も、もしかして……父様がいつの間にか買ってきてくれたのかな……?ひ、一人で娘の服を買いに行くって、父様はすごいなあ……。
そろそろ入れてあげようかな……。それにしても、父様すごくショック受けてたなあ。娘に嫌いって言われるのって、そんなにショック受けることなのかな?
私は扉の所まで行って鍵を外した後、そっと開けて顔を出して様子を見る。二人は扉の前の、少し離れたところに座り込んでいるみたいだった。
父様、うなだれてる……。いつもは大きく見えるバレル様も、しょぼくれてなんだか小さく見える。……なんで二人の背中からすごく哀愁が漂ってるんだろう……。
「……二人とも、反省した?」
私は二人にそう聞いてみる。
「……ヨル!」
それを聞いた父様の顔が輝いている。私は部屋の外に出て、二人の前に座る。
「すまなかった。お前の前で、あんなことを話すなんて……。」
「うむ……。我らはたまに、どうしようもなくお互いを嫌悪し、あんな雰囲気になることがあるのだ。ヨルが止めに入ってくれてよかったよ。」
二人はそう言って苦笑いをしている。そんな二人に私は言う。
「二人は、長い付き合いだもんね。……きっとそういう時もあるよ。仲がいいからこそ、喧嘩してしまうこともあるんじゃないかな。父様とバレル様は、その、なんていうか、イリオス様との関係とは違う……お互い素をさらけ出せる、本音で話せる特別な関係で。だからこそ、その言葉で相手を傷つけてしまうこともあると思うの。」
それを聞いた父様は、目を閉じてふっと笑った後言った。
「はは、ヨルは……俺たちの妙な関係を、よく理解しているな。俺とコイツは、共に王国に、ひいては人間に復讐を誓った盟友のような関係であり、親友であり、悪友でもあるんだよ。」
「父様は……子供の頃にそう言ってたから知ってるけど、バレル様も、なの?」
私はそう問いかけてみた。
「うむ。……故郷が焼かれたことは、昨日話したであろう?それを行ったのは、獣人と人間の連合軍であったのだ。獣人は、自らの行いにより、手痛い目にあったからな。もはや、彼らに復讐しようとは思わぬ。」
私の問いかけに、バレル様はそう答える。そして一度言葉を切った後、苛立ちと怒りが入り混じった声で、言葉を続ける。
「だが人間どもは我の故郷を焼き、今もその時のツケを支払わずにおるのだ。そして、その人間とルクスが打ち建てたこの国など、許せるものではない。それに、我は……同じであるはずの人間に、迫害されてきたのだから……。」
その返答に、私はこう返した。
「だから、なんだね。……私は……この国に復讐したい、というわけじゃないの。でも、お兄ちゃんたちが下層で生きていかなければならなかった状況を作り出した、この国が許せない。大切な家族を売らなければ、捨てなければ生きていけないほど貧しい人たちがいる一方で、食べるものに困らず、贅沢に暮らし、宝石や装飾品などの生きていくには必要のないものを買い、豊かさの象徴としてそれらを身に着ける人たちがいる。そんなのは間違っていて、歪んでると思うから。」
そして私はこうも付け加える。
「それに、私は父様とバレル様の力になりたいの。今までの恩を返したい。」
それを聞いた父様は優しく微笑んで言う。
「ありがとう、ヨル。お前は、優しい子だ。こんな俺たちのことを優しいなんて言ってくれて、この国を滅ぼすことがどういうことであるかも理解していて、それでも俺たちの復讐に手を貸そうとしてくれるんだからな……。」
その言葉の後、父様は私をそっと抱きしめて、頭を撫でてくれた。
「だが、我らはな、同時に貴公の幸せを何より望んでいるのだ。だからもし、心から愛する存在ができ、その存在と幸せになれるのであれば、我らの復讐になぞ、手を貸さずともよいのだからな?」
その様子を見てバレル様はこう言ってくれた。
「うん……。胸に留めておくね。でも、もし父様たちが復讐を果たしたのだとしたら、私、父様とバレル様とイリオス様とで一緒に暮らしたいな。私の幸せは、今日の晩御飯みたいな時間がずっと続くことだから。」
あ、あと……、そ、その……バ、バレル様との子供も含めた五人で……。さ、先のこと、考えすぎかなあ?でも、そうなったらいいなあ……。
私がそう言うと、父様はまた優しく頭を撫でてくれた。そして、優しい声でこう言ってくれる。
「心配するな。それがお前の幸せだというのなら、俺はいかなる犠牲を払ってでも、叶えてやるさ。お前との約束を、忘れたことなどないよ。だが、それを果たすには……あのうっとうしい連中を全て片付けねばならんのでな。まだまだ時間がかかる。すまないな……。」
そんな父様を、私は抱きしめ返して言う。
「ううん。ありがとう父様。その気持ちだけで十分嬉しいよ。それから……父様、さっきは嫌いだなんて言ってごめんなさい。……大好き。」
そんな私を、父様は微笑んで見つめている。
「ありがとう、ヨル……。本気で嫌われたかと思ったよ……。」
「そんなことないよ。そんなはずないよ。でも……喧嘩してる二人を止めるには、あれが一番効くかもしれないって、思っちゃったの。」
「はは、そうか。その読みは、大当たりだったわけだ。かなり効いたぞ……。」
「ヨ、ヨル。我、我は?」
そんな風に言ってきたバレル様に対し、私はバレル様の方を見ながら言う。
「バ、バレル、様……。バレル様、は……。」
あれ?ちょっと待って。今ここで好きだなんて言ったら、告白するも同然じゃない!?バレル様がどう答えてくれるかは別として、その、一人の男性として意識している人に好きっていうわけだから……。
私はふとそんなことを考えて、顔が熱くなってきた。
「な、なぜ言い淀むのだ!?ヨ、ヨル……、ヨルは我のこと、嫌いなのか……?」
情けない声でバレル様はそんなことを言い出した。そんなバレル様と私の様子を見た父様は笑って言う。
「お前、ヨルに好かれたいならもうちょっと性格を何とかしろ。せめてヨルに対してくらいは、自分の心に嘘をつくな。正直、今のお前は、ヨルに好きになってもらう資格なんぞないと、俺は思うぞ?」
「な、なぬっ!?……そ、そうか……。しかし、こればっかりはなあ……。」
バレル様は深いため息をついて肩を落とす。そんなバレル様に、私はこう言葉をかけた。
「そ、その、バ、バレル様。……嫌いじゃないの、嫌いじゃないけど、……とてもじゃないけど言えないよう……。もっとバレル様に釣り合うような、大人の女性になるまで、待ってほしいの……。」
「そうなのか?……む……。何やら納得がゆかぬが、嫌われておらぬようで安心したぞ……。」
バレル様は安堵の表情をしつつ、肩を落としている。
「ま、お前今のところヨルにいいところしか見せてないからな?」
そんなバレル様の様子を見て、父様はそう言ってまた、クツクツと笑っている。
「……そんなもの当たり前であろう。お前だって、真っ黒な面を見せておらぬではないか。」
「え。父様今でも十分黒いと思うんだけど、今よりも真っ黒なの?」
「……ヨル?」
父様はそう聞き返してきた。
「だって、よく悪い顔してるし。私が子供の頃は、私にそんな顔見せなかったのに。イリオス様も、たまになんだか頑張って悪い顔をしようとしてるし……。」
「……それだけ、俺はお前たちに心を許すようになってきたということなのかもしれんな……。……それにしても、あいつ……、やっぱり天然だよな……。初めて会った時は、年齢の割にしっかりしていると思っていたのに……。それはあくまで指導者としての顔だったというわけか……。」
父様はそれを聞いて脱力している。
「うむ……。感覚の鋭さで補っておる部分もあるのであろうが、あやつ……、ともすれば我らなぞよりたちが悪いやもしれぬぞ?我らは悪い方に全振りしておるが、あやつは善い方に全振りしておるのだからな。」
そんなことを言い出したバレル様に、私は自分の思ってることを話してみる。
「うーん……バレル様の言いたいこと、なんとなくわかるかも……。イリオス様の場合、その……いいと思ってやったことが、結果的に相手を苦しめることになるパターンだと思うの。父様もバレル様も、その、どっちかといえばどうすれば相手が苦しむことになるか分かっててやってるでしょ?」
「まあ、そうだな。相手の弱みを握って、それをもとにどうすれば相手が一番苦しむかを理解したうえでやっているんだからな。」
そんな父様をバレル様は横目で見つつ言う。
「ディーはそんな感じよな。我はどちらかと言うと、すべて理解したうえで、何気ない一言で相手を苦しめる方が好きではあるが。……我らは楽しんでやっておるからな。だがあやつは……正直底が知れぬぞ。だって我、あやつが取り乱したとこ見たことないし。」
どこかおどけたように肩をすくめてバレル様はそんなことを言い出した。その様子がおかしくて、私はくすくすと笑う。
「まあ、な。だがお前が闇の魔道士だと言われた時は、慌てていたが。かといって、どこか冷静でもあった。思えばあの時すでに、お前が処刑されないという未来が見えていたのかもしれないな。さすがに俺があんな発言をするとは夢にも思ってなかったようだが。」
「そうなのか?ま、厄介なことに、ブロンの言っておることは当たっておるのがな。わが身に抱える力はそう言う類のものだ。」
バレル様は少し呆れているみたい。それを聞いた父様は言う。
「だが、あいつの提出した告発の証拠は、全部的外れだったぞ?適当にでっち上げたのだろうし、おそらくはいくつか書類を偽造してもいる。お前があんなやつに、自らの正体を掴ませるようなことあるはずがないしな。」
「当然であろうぞ。でなければこの国では生きてゆけぬよ。闇の魔道士は処刑されることが決まっておるのだからな。……まあ、我は死なぬが。それが分かればもっと大騒ぎになるであろうからなあ……。」
そう言ってバレル様はやれやれ、と言いつつ心底面倒くさそうな顔をしている……。そんな表情を見た父様は笑って頷いた後言う。
「だろうな。そんなところだろうと思ってはいたさ。そもそも、何をもって闇の魔道士と定義するのかがな。アビスに捧げものをし、闇の魔術を扱うもの、などと言うがな、今この国でそんなことをする愚かな奴はいないだろう。それに、それなら俺だって同じだ。ま、俺はアークメイジ直々に許可をもらってはいるがな。」
「……ん?ちょっと待て、それはどういうことだ?」
バレル様は父様の発言に対し、そう聞いている。父様はその問いかけにこう答えた。
「マスターが行う特別講義で、ツウェルツの扱う魔術と光属性の魔術との違いを分かりやすくするためだ。それを分からせるには闇の眷属を使う方が手っ取り早いだろう?正直、学生は半信半疑だったからな。光属性があるのに、どうしてそんなものを知らなければならないのか、と。」
父様はその後、手のひらを反すようなしぐさをし、言葉を続ける。
「だから俺はアークメイジに打診した。ツウェルツの扱う魔術がどれほどのものなのかを知るためには、闇の眷属が必要だと思われます、あなたからルクスに打診していただけませんか、とな。闇を討ち滅ぼす力を知ることは、この国のためになるでしょうから、と。」
父様はその理由をそう語る。どこか楽しげに笑いながら。
「つまり、講義に使うという名目で、闇の眷属を召喚する魔術を扱うことを許してもらったというわけか。お前よくそんな悪知恵が働くよな。」
その様子を見て、バレル様は感心している。そんなバレル様に、父様はとぼけたように返す。
「なんのことやら、だ。それに伴い、闇の魔術に関するものも、俺が管理することになった。だからもし俺が闇の魔道士だなどと告発されても、何も問題はないのさ。俺はアークメイジ、引いてはルクスに闇の魔術を扱うことを許可された身なのだからな。」
そのあと父様は、呆れた表情を顔に浮かべて言葉を続ける。
「……しかし、この国の連中はおかしいと思わないのか?俺が光の魔術を扱えないことに。この国の人間は、ある意味ルクスの加護を受けた存在だ。光の魔術を扱えないものなどいないんだよ、本来はな。それが何より、闇に通じている証だというのに。」
そう言った父様に、私は首をかしげながら言う。
「……え?そうなの?私、光の魔術も闇の魔術もどっちも使えるのに。……バレル様もだよね?」
「それだけ、我らは特別な存在ということだな。光と闇の魔術は相反する属性同士。片方の魔術を扱えれば、もう片方の魔術を扱うことなどできぬ。それぞれの属性は、その世界と通じ、力を引き出しておるのだから。闇の魔術を扱うものに、ルクスが力を貸すことはないのだ。」
私の疑問に対し、バレル様はそう教えてくれた。けれど私はまだ少し納得がいかないことがあったので、疑問を呈してみる。
「そういうものなのかな……?でも、父様は炎属性以外にも、いろんな魔術を使えるよね?拘束魔術とか、転移魔術とか。厳密には炎属性だけじゃないと思うんだけど……。」
私のその疑問に、父様は笑って教えてくれた。
「そういうたぐいのものはな、無属性魔術と呼ばれていて、魔術を使えるなら使えて当然のものなんだ。だから使える属性には入らないというわけだ。転移魔術にも二種類あってな、アードで使われているような、固定した場所に術式を打ち込み、転移するものと、空間に術式を投影し、任意の場所同士をつなぐものだ。どちらも術式さえ理解すれば、誰でも使えるのさ。」
そんな父様に、バレル様は呆れたように言う。
「……ディー。転移魔術は術式を理解すれば誰でも使えるとか言うのはやめんか。確かにそうなのだが、あれを理解できる人間なぞ今の魔道士には片手で数えられるほどしかおらぬではないか。しかもそのうち二人は我とお前であろう。あとはアークメイジとツウェルツだけだ。だが二人は介添え人がいなければ扱うことができぬであろうぞ。それだけ、転移魔術は複雑で厄介なものなのだ。」
父様たち三人はやっぱりすごい魔道士なんだなあ……。そんな難しい術式を理解して扱うことができるんだから。……私もいつかは使えるようになりたいな。
私がそんなことを考えている間、父様とバレル様は会話を続けている。
「俺からすれば、どうしてあんな簡単な術式を理解できないのかが理解できんぞ。こちら側に転移側の座標を入力し、転移側にはこちら側の座標を入力し術式によってそれらを繋ぐだけだろう。」
父様はバレル様の言ったことに対し、真顔でそんなことを言い出した。
「いやそもそも術式自体も難しいものであるし、座標の割り出しが一番難しいのであろうが。少しでも座標軸などがズレれば、悲惨なことになるのだぞ。石の中に吹っ飛んだりな。」
「そんなこともできないやつを魔道士などと呼べるか!」
二人の会話がヒートアップしてきそうなので、私は止めに入った。
「ちょ、ちょっと二人とも、落ち着いて。……これ以上するなら、休暇が終わるまでの一週間、二人と口きかないからね。」
「そ、それは困る。せっかく仕事のことを忘れてヨルと過ごせるのに、口をきいてもらえないというのはつらすぎるからな……。」
「うぐ……そうであるな。魔術関連については方向性の違い故か、たまにヒートアップしそうになるのだ……。それにしてもヨル……貴公は我らの扱い方をすっかり覚えたようであるな……。」
二人ともがっくりうなだれてそんな反応をしている。
「ふふ、かもしれないね。……そういえば父様、魔術に関してまだ少し聞きたいことがあるんだけど、結局のところ魔術構造ってどんなものなの?」
私は父様にそう問いかける。
「そうだな……属性に関係なく作れるものだ。術式を組み上げ、魔力を流すことで術式通りに起動する。だから魔術構造は、言ってしまえばだれでも作れるんだよ。だが、だからこそ多くの者に広めていかねばならないと俺は考えている。あとは一口に魔術構造と言っても、術式の組み方により完成するものは全く違う。結界を張る起点にしたり、離れた相手と話すことができたり、人の姿を写真として記録に残すことができたりだ。」
すると父様は分かりやすくそう教えてくれた。
んー、でも便利な割に、あんまり広まってないよね。魔道具は色んな所で使われてるのに。魔術構造を起動するのには魔力がいるからなのかな?
私はそう考えて、父様に思ったことを聞いてみた。
「便利だよね。私も、魔術構造で嫌がらせしてきた人のしたこと、映像として記録に残してあるし。でもあんまり広まってないのは、魔道具と違って魔術構造の起動には魔力が必要なせい?」
その質問に父様は頷いて言う。
「ああ。実際のところ、魔力を持つ人間は国民の総数から考えればそう多くはないんだよ。下級貴族の中には魔力を持つ者もいるが、一握りでな。基本的に貴族は、魔力なんぞ下賤のものが持つ汚らわしい力と考えているのさ。そして、平民も平民で、魔力を持たないやつらは魔力を持つ奴らを恐れて迫害しようとする。魔術ギルドは、そんな連中から魔力を持つ者を保護するために設立されたという側面もあるのだろうな。」
それに対して、バレル様も同意するかのように言った。
「……あれの成すことは許せるものではないが。唯一褒められるのは魔術ギルドと魔道士の養成機関を作ったことであろうな。それも結局は自らの目的を果たすためでしかないが、かつてのように魔力を持つ人々が迫害され、恐れられ、……殺されるような事態を防いでおるのだから。この国で魔道士と言えば、皆が憧れ、尊敬するものだ。変わったよ、本当に……。」
バレル様は複雑な表情をしている。少しの間、沈黙が下りる。
結構話したもんね。一息入れてもいいよね。……そういえば、属性に関してもう一つ気になることがあったんだよね。これを機に聞いてみようかな?
私はそう考えて、二人に聞いてみることにした。
「あのね、ふと思い出したんだけど。……私とバレル様が風と地の魔術を扱えて、他の人たちが使えないのにも何か理由があるの?」
その質問に対して、バレル様が答えてくれた。
「ああ、それはな、風の大精霊アエラ・ティフォーナス、地の大精霊テッラ・ヴァレイは、ルクスが二つの国を滅ぼす際に力を貸した炎と氷の大精霊を許さず、敵対関係にあるからなのだ。だから、かれらが力を貸す人間には決して力を貸さぬ。それ以前は、使えておったようなのだが。我らが使える理由は人間ではあるが、力を貸さねばならないと思わせる何かがあるのであろう。」
その返答に対し、私は納得して言う。
「そんな理由があったんだね……。それほど、ルクスがやったことは許されることじゃないってことなんだろうな……。」
「……うむ。北と東の地がああなった原因でもあるのだからな。北の地は雪と氷に閉ざされ、人間の住める場所ではない。東の地はあの時にすべての生物が死に絶え、500年たった今も草木一つも生えぬ砂漠となった。おそらくはもう元に戻ることはないであろうな……。」
どこか悲しげに、バレル様は話す。
バレル様は東の方にあったというアヴァテアを故郷だと思ってるから、その周辺がそうなってしまったことがとても悲しいんだと思う。
「ルクスは……あの地にいた自らの力を分け与えた人間でさえ、容赦なく焼き殺したのだ。それはつまり、あれが人間を何とも思っていないことの何よりの証明であろうぞ。なのに人間の庇護者面をして、この王国を自分の思うままに操っている。自分は絶対的な正義であり、善だと言ってだ。」
そしてバレル様はそう言った後、鼻で笑っている。
「……どっちも、二元論で語れるものじゃないと思うんだけど……。この世界に太陽と月が昇るように、昼と夜があるように、光と闇は決して切り離せるものじゃないのに、どうしてルクスはそこまで闇の排除にこだわるんだろう?」
私はうーん、とうなった後首をかしげて考え込む。そんな私の様子を見て、二人は微笑んでいる。そして、バレル様は顎のあたりに手をやって考えるしぐさをした後、自分の考えを話してくれた。
「さてな。……世界のすべてを手に入れるのに、アビスが邪魔なのかもしれぬ。そして、クティノスもだ。だが、クティノスを放置しているのは人間界に干渉してこぬからだろう。そしてあれらが人間界にこだわるのは、互いの世界が行き来できぬからと考えるのが自然だ。」
私はそれを聞いて眉をひそめつつ、こう言った。
「迷惑な話だなぁ……。そこに生きてる人のことなんて、何も考えてないんだもの。」
それを聞いた父様は、腕を組んで言う。
「だが、いずれはルクスも手痛い目に遭うだろうさ。このまま人間界に干渉を続けるようであればな。すべては紡ぎ手次第だ、今の現状を快く思っていないのであれば、あれが何とかするだろう。」
バレル様は父様の言ったことに同意するように言った。
「そうだな。この世のすべてを作り、世界の運命を定めたのはあれなのだから。だが、一度定めたとはいえ、運命は変わりゆくもの。そしてあれはおそらく、すべての事象を知ることができるゆえに、決してその事象に干渉できぬ存在でもあるのだろう。ルクスが野放しになっているのもそれが理由だ。ある程度定められた運命の中で、どうしても変えねばならぬ運命となった場合は、運命の申し子を生み出し、それに運命を変えさせるのであろうぞ。」
そっか……。運命の申し子の役目は、定められた運命を変えることなんだ。
私がそう考えていると、バレル様は言葉を続けて言う。
「おそらく真理を定めたのも、紡ぎ手であろうな。そして……不老不死を決して許さない。だからそれに手を出した蝕月の民は滅んだ。そして獣人も、それに手を出そうとして繁栄を失った。この国で不老不死の研究が行われておらぬのは、ルクスが先の二つの事例を知っているからなのであろうぞ。せっかく自分の思うままになる存在ができたのに、それを滅ぼされるのはたまらぬといったところであろうか。」
でも、バレル様は不老不死なんだよね?それが許されているのは、バレル様が運命の申し子という特別な存在だからなのかな……?
「蝕月の民が滅びたのは……そのせいだったというのか?俺はそんな風に割り切ることはできない……。」
すると父様はポツリと、そんなことを呟いた。
「……さて、そろそろいい時間だ、俺は部屋に戻るよ。」
父様はそう言って、立ち上がって歩いていった。私はその後ろ姿を見つめながら、バレル様と共に部屋に戻った。
次の更新は、引っ越しやらなんやらでゴタゴタするため、最悪四月頭などになるかもしれません…。なんとか前のように2、3日に一度投稿できるペースに戻せればいいのですが。